回想:塹壕の中で
砲弾の破裂音が、耳をつんざく。
土煙が舞い、地面がえぐられ、肉の焼ける匂いが鼻を刺す。
共和国と帝国の前線、アルテラ渓谷の戦い。
アドリアン・ファン・デ・レーフェンが地獄に足を踏み入れてからかなり経っていた。
「塹壕から出るな! 頭を下げろ!」
指揮官の怒号が飛ぶ中、アドリアンは黙って銃を握り、塹壕の縁に立った。
目の前で仲間が一人、砲撃に巻き込まれ、吹き飛ぶのを見ていた。悲鳴も、血も、もう何も驚きには感じなかった。
「どうせ俺なんか、死んで当然だろう」
アドリアンはいつも戦闘のたびに静かにそう思っていた。
妻を自分の失敗で失ったあの日。
そのあとの自分の愚かさと情けなさと。
自分の子供にさえなかなか向き合えない不甲斐なさと。
その後、娘と息子が引き取られていった日。
すべては、己の無力が招いた報いだった。
親として、人として、生き資格など、とうに地に落ちていた。
砲撃が止んだ。指揮官の突撃の笛が鳴るはずだ。その前に彼は立ち上がり、無言で塹壕を飛び出した。
「待て! おい、戻れ! 」
周囲の兵が驚き叫ぶ中、アドリアンはただ突き進む。
敵の銃声が響く。足元の土が跳ね、弾丸がかすめた。次々と倒れる兵士。
だが、彼は止まらなかった。
弾が当たればそれでいい、そう思っていた。
敵陣まであと十メートル。
塹壕に身を隠した兵士に向けて銃を構える――
一瞬の静寂。引き金を引く。
パンッ。
敵兵が崩れ落ちる。さらに二人、三人。
仲間たちも思わず後を追って突撃し始めた。
戦場の霧の中で、アドリアンの姿は――
まるで、命を惜しまぬ英雄のように見えていた。
戦いの終わり、静寂の中で
夜。前線の塹壕。
アドリアンは、仲間の一人に酒を渡される。
「今日のお前……すげえよ。まるで、死を恐れねえ化け物だな」
アドリアンは何も答えなかった。
ただ、無言で酒瓶を受け取り、口をつけた。
心は空っぽだった。
ただ、死にたいわけじゃない…死ななかった…それだけだった。
「なぜ、まだ俺は生きている…」
夜明けの前、火が消えかけた焚き火の前で、彼は小さくつぶやいた。
誰にも聞かれないように、ただ独りで。




