4話 暗闇の予感
「パシャッ」という撮影音に、ユズが即座に音のする方へ警戒の眼差しを向けた。
茂みの影から現れたのは、眼鏡をかけた小柄な女性だった。
セミロングの茶髪で見た目はヒナタとさほど変わらない年頃に見える。
彼女は片手にカメラを提げ、もう片方の手を頭の後ろにまわし頭を下げていた。
「すみません、すみません!急に写真を撮ってしまって!」
女性は焦ったようにヒナタとユズに近づいてくる。
ヒナタは突然のことに戸惑いながら、彼女に尋ねた。
「あの、えっと。なんでですか?」
「す、すいません! あまりにも美味しそうな料理だったので、つい撮影してしまって……。あ、私、サエと申します。フリーライターをしています」
サエは流暢に自己紹介した。
彼女の言葉とは裏腹に、心の中では別の思いが渦巻いていた。
(まさか、本当にあの光景が撮れているとは思わないけど……後で光っている所が写っているか確認しなきゃ!)
ヒナタは内心焦った。
(まずい、妖怪飯を見られたのか?さっきの河童のことも見られていたんじゃないか?)
彼は平静を装いながら、サエの次の言葉を待った。
サエは、ヒナタの後ろに隠れるようにしているユズに視線を向けた。
「それで、そちらの可愛いお嬢さんは?こんな森の中で、小さいお子さんがいるのは少し危険だと思うのですが……」
ヒナタは一瞬言葉に詰まったが、なんとか笑顔で切り抜けた。
「あ、僕はヒナタです。こっちのユズは、僕の親戚の子供で。えっと、ピクニックに来たんです、森に」
ユズはヒナタの背中に身を寄せ、警戒するようにサエを見上げていた。
「なるほど、ピクニックですか」
サエは笑顔を見せたが頭の中では情報が猛スピードで処理されていく。
(さっきの大きな水音は何?それに光った料理とこの現代離れした着物姿の子供……。どう考えても普通じゃないわ。)
(それに、北海道で見たあの輝き。雪女の集落跡の噂があった場所で見た光と、何か関係があるのかもしれない……)
サエは探るような視線をヒナタたちに向けた。
「しかし、この森はあまり人の手が入っていませんし、小さいお子さんとのピクニックには不向きですよ。迷ったり、危険な動物に出会ったりする可能性もありますから、気をつけてくださいね」
サエは忠告めかしてそう言い、さらに続けた。
「それから、先ほどの料理の写真なんですが、もし可能でしたら、私の記事に載せさせていただくかもしれないのですが、問題ないでしょうか?」
ヒナタは、まさかそんなことを聞かれるとは思わず、とっさに
「あ、はい、大丈夫ですよ!」
と許可してしまった。
ユズはヒナタの背中で、心配そうな顔をして彼を見上げていた。
「ありがとうございます! 助かります!」
サエは深々とお辞儀をすると、来た時と同じように、さっと森の奥へと立ち去っていった。
彼女は歩きながら、考える。
(あの二人、間違いなく何かある。あの料理の輝き……オカルト系ライターとして、このネタは絶対に逃せない。絶対に人気が出る内容に出来る!どうにかして、彼らを取材できる口実を見つけないと……)
「妖怪の出る森って聞いて来たけど、大正解だったわね…!」
サエが立ち去った後、ヒナタはユズに視線を落とした。
「……ユズ、今の写真の許可、まずかったかな?」
ユズはまだ心配そうな表情を浮かべていたが、小さく首を振った。
「一度許可してしまったものは、もう仕方ありません。ただ、今後、注意が必要でございますね」
ヒナタはユズの言葉に頷き、深いため息をついた。確かに、一度言ってしまったことは取り消せない。
「そうだね…まずは気を取り直して、ご飯を食べようか。食べ終わったら、この座敷童子の妖怪飯の食材を探しつつ、森を出よう」
ヒナタが提案すると、ユズは素直に承諾した。
二人は、再び料理を口にする。温かい料理が、疲れた体にじんわりと染み渡る。
ユズは食べながら、ふと、体の中に微かな違和感を感じた。体が芯から温まるような、体が疼くような不思議な感覚だった。
しかし、目の前の暖かい料理に夢中で、その感覚を打ち消してしまった。
結局、その森の中では、座敷童子の妖怪飯を完璧にするための食材は見つからなかった。
河童との再会もなく、ほかの妖怪との出会いもなかった。
日が傾き始める前に、ヒナタとユズは森を出ることにした。
「疲れたな……一度、宿に戻って、ゆっくり休もう」
ヒナタはそう言って、宿への道を歩き始めた。
ユズも無言でそれに続く。
岩手の森は、新たな謎と、不穏な気配を彼らの心に残したままだった。