水琴窟の滴水刑
挿絵の画像を作成する際には、「Ainova AI」と「Gemini AI」を使用させて頂きました。
古からの歴史を二十一世紀の今日にまで繋げている京の都には、奇妙奇天烈にして不可思議極まる逸話がそこかしこに転がっているので御座います。
私こと生駒美里亜が解決させて頂きました此度の事件もまた、そうした京都の怪異譚の一つで御座いますわね。
その日も私は普段と同様に在籍する私立牙城門学園初等部から下校し、これまた普段と同じく薙刀の自主練に明け暮れていたのでした。
何しろ私の実家は生駒伯爵家の京都における有力な分家筋であり、尚且つ嵐山に建立された牙城大社の宮司一族なのですからね。
その長女にして次期大巫女候補である私にも、相応の品位が求められるという物で御座いましてよ。
神道の教養に茶道や華道は当然として、居合いや薙刀といった武芸百般に通じていなくては氏子の皆様に顔向けが出来ませんわ。
「振り上げ、風車!そして大車の乱!」
手に馴染んだ薙刀を振るって型を決める度に、己の精神が研ぎ澄まされていく感じが致しますの。
少しずつ、そして尚且つ確実に。
「振り返し、突き!そして風車小石返の乱!」
そうして一通りの型をこなした後に漲ってくるのは、心地良い充足感と高揚感で御座いますわ。
それらの感情の根源というのは、恐らくは「自分の期待している通りに身体と精神が機能しているという実感」なので御座いましょうね。
もっとも、そんな自主練の心地良い余韻に私が浸っていられたのも僅かな間に過ぎなかったので御座いますわ。
「今日も精が出ますのね、美里亜さん。」
鈴を鳴らすような軽やかで澄んだ声色は、私の母である生駒辺繰の発した物で御座いましたの。
側近の巫女達を左右に侍らせた気品に満ちた立ち姿は、正しく牙城大社の二番手である大巫女に相応しい堂々たる物で御座いますわね。
次期大巫女である私も、かく有りたい物で御座いますわ。
「勿論でしてよ、御母様。牙城大社の次期大巫女たる者として、こうして心身を鍛えるのは当然の務め。願わくば更なる高みを目指したい所存で御座いますわ。」
恐らくは先の高揚感に起因するのでしょう。
薙刀を袋に収めながら応じた声色は、心なしか普段よりも弾んでおりましたの。
「それは心強い事、美里亜さん。そんな次期大巫女としての大成に意欲的な美里亜さんに、耳寄りなお話があるのです。実は美里亜さんに、霊能力の実務経験を積ませて差し上げられる機会が御座いまして…」
「すると何やら霊障関連の問題が生じたので御座いますね。詳しくお話を伺いたい所存ですわ、御母様。」
何しろ我が牙城大社には、帝のおわす京都の守護という大命の為に霊障を始めとする超自然的な脅威と対峙してきた歴史があるのですから。
次期大巫女候補の一人である私としても、自身の霊能力の研鑽の機会は願ってもない事で御座いますわ。
参拝者用の休憩所に敷いた布団に寝かされていた若い男性観光客は、まるで重病人のような青白い顔をしておりましたの。
「水が…水の音が聞こえる…」
そう譫言のように呟いたかと思うと、次の瞬間には苦悶の表情を浮かべて脂汗を滴らせるのですわ。
「ああ、水が…水が滴ってくる!頭が変になっちまう!」
「水が滴ってくる?」
よく注視してみれば、男性の額には汗とは明らかに違う水滴で濡れていたのでした。
しかも拭っても次の瞬間には、また同じ箇所に水滴が付着していたので御座いますわ。
「一定間隔で額に水滴を落とし続ける『滴水刑』という責めを考案したのは、確か殷王朝の紂王でしたか…これでは滴水刑そのままではありませんか。」
伝承によりますと、滴水刑に処された人間は絶え間なく滴る水滴に精神を蝕まれ、最後には発狂してしまったとか。
この男性観光客がそうならないとも限りませんわね。
「それでは霊視をさせて頂きましょう。そこから解決の糸口が見出せるはずです。」
そうして私は仰臥する男性観光客に手を翳しながら、精神を統一して静かに目を閉じたのでした。
「むっ…これは?」
瞑目して神経を研ぎ澄ませた私の耳に聞こえるのは、意外な事に至って澄んだ音色だったのですわ。
等間隔で滴り落ちる水滴が空洞の中で反響する事で奏でられる、琴や鈴のような涼しげな音色。
それは正しく、日本庭園に設けられた水琴窟の音だったのですわ。
「間違っておりましたら申し訳御座いませんが、貴方は水琴窟に心当たりは御座いませんか?」
「うっ!どうして、それを…」
図星だったのでしょう。
サッと血の気の引いた青白い顔は、さながら幽鬼のような有り様でしたわ。
「本当に申し訳ありません…左京区のお寺に行った時に、庭園の水琴窟の石が面白い形をしていたので…」
「何という事を…水琴窟に配置された石は、音の響きを調整する大切な物なのですよ。」
震える手でポケットから取り出された石を見ながら、私はただ嘆息するばかりで御座いました。
その日のうちに石は水琴窟に元通り返され、私達の付き添いで男性観光客は左京区のお寺に頭を下げたのでした。
するとあれだけ男性観光客を悩ませていた水滴と音の霊障は、何事もなかったかのように止んでしまったのですよ。
過ちを悔いて正道へ戻るならば、過度な責め苦は負わせない。
それは神道も仏教も同じ事で御座いますね。
歴史ある古都である京の町では不思議な事が起こるものですが、マナーと礼節を御守り頂けるなら過度に恐れる事は御座いません。
観光や参拝に訪れる皆様方の御越しを、私共一同は心よりお待ち申し上げておりますわ。