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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

白薔薇に染料

作者: 宵月碧


 愛と呼ぶには、まだ遠い。



 閉め切っていたカーテンを顔半分が覗く程度に開いて、レイヴァンは窓の下へと目を向けた。

 広い庭園を一人で管理する、庭師の青年の背中が見える。帽子を被り、首にタオルを掛け、照り付ける太陽の下で白薔薇に囲まれた青年は、眩しいほどに若く瑞々しい。

 ついこの間十八歳になったばかりの青年は、屋敷の主人であるレイヴァンに雇われ、かれこれ二年近く住み込みで働いている。


「庭師として雇ったのは失敗だったかな……あんなに日差しを浴びて……。アレンには身の回りの世話をさせるべきだったかもしれない」


 薄暗い室内で吐き出した溜め息は、そんなことは到底無理だったと、分かっているからこそのものだ。


 アレンを庭師として雇って一年半ぐらいは、この屋敷で彼と顔を合わせたことがなかった。雇った当時は彼がまだ十六歳で、成人していなかったから。

 彼が幼い頃からずっと成長を見守ってきたのに、あどけない少年から溌剌とした青年に近付いていくと、とうとう我慢ができなくなって、少しばかり卑怯な手を使って彼を手元に置いた。


 未成年こどもに手を出すつもりはないのに、近くにいると甘い香りが漂って、欲しくて欲しくて堪らなくなる。


 子どもの肉は柔らかく、血は新鮮すぎる。夢中になって欲張れば、あっという間に事切れてしまう。判断力のない子どもを誑かすのは、野蛮な者達のすることだ。



「レニー、アレンを呼んできてくれないか。書斎で待つように伝えてくれ。飲み物と、いつものチョコレートも忘れずに」


 薄暗い部屋の片隅で、顎に白い髭を蓄えた老齢な執事が頭を下げた。


「かしこまりました、レイヴァン様」


 執事のレニーが音もなく姿を消すと、窓の外を見つめていたレイヴァンはカーテンから手を離した。

 窓に背中を預け、額にかかる黒髪をかき上げる。


「喉が渇く……」


 常に飢えと渇きに晒されていると、自我と理性を失った獣に成り果てる。

 誰に化け物と呼ばれようと構わないが、化け物なりに怖いものだって存在する。


「僕は君が怖いよ……アレン」


 いつか花のように枯れてしまうのか。

 いつか君を失ってしまうのか。

 獣となって君を貪れば、恐怖に歪んだ眼差しを向けられてしまうのか。


 レイヴァンは吸血鬼だ。悠久の時を生きながら、儚い命を愛さずにはいられない。


 白薔薇を育てる穢れなき青年は、自分がその薔薇であることを知らない。レイヴァンという血に飢えた獣によって染められる、真っ白で純粋な薔薇。


 君は何色に染まるだろうか。


 レイヴァンが望む色であったらいいと、思わずにはいられない。



 ● ○ ●



 レイヴァンが自室を出て書斎に向かうと、すでにアレンがソファに座って待っていた。帽子を脱ぎ、まだ乾ききっていない汗がこめかみの赤毛を濡らしている。淹れたての紅茶のような色の髪が肌に張り付き、帽子を被っていたせいか、普段のふわふわ感が失われていた。


「お呼び頂きありがとうございます、レイヴァンさ、ま……」


 レイヴァンを見るなりすかさず立ち上がって言ったかと思うと、最後は尻窄みだ。「レイヴァン」と呼び捨てるように頼んでも、なかなかそうはいかないらしい。

 俯いて顔を赤らめたアレンに近付くと、レイヴァンは彼の首に掛けてあるタオルでこめかみの汗を拭ってやった。


「アレン、君が慣れるまで待つよ。さあ、座って。チョコレートは食べた?」


「いえ、まだです。レイヴァン……が、来るのを待っていました」


 視線を逸らすように伏せた睫毛が瞬くのを見下ろし、レイヴァンは薄く笑った。

 レイヴァンの存在すらまともに知らなかった相手が、こうして自分を意識しているのを見るのは心地よかった。


「賢い犬のようだね、アレン」


「……それ、褒めてますか? あんまり嬉しくないです」


「もちろん褒めているよ。僕は犬が好きなんだ」


 不満そうに目を上げたアレンの額をタオルで拭うと、ソファに座るように促した。


「……隣ですか、正面ではなく」


「今日はそういう気分なんだ」


 アレンの隣に脚を組んで座ると、腕はアレン側の背もたれに乗せる。いつもはテーブルを挟んだ正面のソファに座っているはずのレイヴァンが隣にきたので、アレンは困惑しているようだった。


 アレンと過ごす時間は貴重だ。仕事の休憩と称して、毎日こうして二人だけの時間を作っている。夜ではなく昼を選んでアレンを呼び出すのは、レイヴァン自身の欲が食と色より、睡眠を求めているからだ。

 甘く香るアレンの肌の匂いを嗅いでいると、夜では自制が効かなくなる可能性がある。危険なのだ、おもにアレンが。


「あの、そんなに見られていると食べづらいのですが……」


 個包装されたチョコレートの包みを開きながら、アレンは横目で不満を口にした。


「僕のことは気にしないで。好きだろう? そのチョコレート」


「好きですけど……こうして毎日いただいていると、特別感がなくなりそうです」


 アレンは球体のチョコレートを口に入れると、もぐもぐと咀嚼した。

 彼が自分で購入したこのチョコレートを、一日一個と決めて大事に大事に食べていたことを知っている。だからこそこうして、アレンが好きなものを好きなだけ食べられるようにと、レニーに頼んで用意させたものだった。


 アレンの喜ぶ顔が見たかった。ただ単純にそれだけ。


「特別感か……それがなくなってしまうのは、なんだか寂しいね」


「あっ、すみません……! 違うんです、俺はただ……」


「うん、大丈夫。もっと特別なものにすればいいだけだから」


 レイヴァンはアレンの顔を覗き込むと、彼の顎を掴んで微笑んだ。


「甘いね、チョコレートの香りは」


 そっと囁いて、チョコレートを口にしたばかりのアレンの唇に口づけた。驚きに目を丸くするアレンにはお構いなしに、彼の下唇をやんわりと挟み込み、舌先で唇をなぞる。


「っ……、ちょっ、待って……」


 慌てて顔を背けようとするアレンの後頭部へと、レイヴァンはソファの背もたれに置いていた腕を回した。退路を奪いながらも耳を優しく擽り、固く閉ざされたアレンの唇に再び唇を重ねる。


「口を開けて、アレン」


 互いの唇が触れ合う距離で言葉を紡げば、アレンの真っ赤に染まった顔が小刻みに横に動く。


 レイヴァンの嗜虐心を刺激するのは、アレンが特別な存在だからだろうか。押さえ付けて無理矢理にすべてを奪うことなど造作もないのに、それをしたくないのは何故なのか。


「アレン、噛んだりしないよ」


「む、無理ですっ……俺、経験なくてっ……」


 く、と思わず、喉から笑いが漏れた。キスすら知らない初心うぶな姿があまりに愛おしくて、渇きが増した。


「知ってるよ、ずっと見ていたから」


 レイヴァンは唇の端を上げると、今度は少し荒々しくアレンの唇を奪い、何度か吸い付いた。離れた唇は顎に触れ、頬を過ぎて、首を滑り下りていく。


 アレンの仕事着であるシャツのボタンを上から順に外していくと、アレンは声を上擦らせた。


「レイヴァン……、待ってくださいっ……」


「何を想像しているんだい? いやらしいこと?」


「ち、違う、そんなんじゃ……」


「君の嫌がることはしない」


 アレンの揺れる瞳を覗き込むと、彼が息を呑むのが分かった。


「レイヴァン……目が……」


「ああ……、興奮したり血を飲んだりすると、赤くなるんだ。今は君の血が欲しくて、興奮しているらしい」


「俺の血が、欲しいんですか……?」


 キスだけで酷く動揺するくせに、血が欲しいと言われるのは平気なのだろうか。気遣わしげなアレンの表情を見ていると、レイヴァンの渇きは増す一方だ。


 彼はレイヴァンの正体に気付いているのだろうか。

 薔薇の棘がアレンの指先を傷付け、じわりと浮き出た血の玉を口に含んだ。それが初めてアレンの血を吸った日の記憶であり、その後一度、彼の手に牙を突き立てた。


 あの味を知ってしまえば、もう他のものでは満たされない。


「欲しいと言ったら、くれるのかい?」


「え? あ……、えっと……ど、どうぞ……」


 すっと差し出された手を見て、レイヴァンは笑みを浮かべた。


「違うよ、こっちがいい」


 アレンの首に指先を伸ばして、血脈にそって滑らせる。なんのために、シャツのボタンを外したと思ってる。

 どくどくと脈打つアレンの鼓動が、レイヴァンにはよく聴こえた。


「許可をくれ。君の許しなしでは、僕は君を傷付けられない」


 ぐっと一度唇を噛んで、アレンは目を伏せた。


 知っている。何もかも。ずっと見てきたから。

 彼に拒まれないことを、レイヴァンはよく分かっていた。



「──……いい、ですよ。貴方になら、傷付けられても……構いません」


 アレンが言い終えるのと同時に、レイヴァンはソファに片膝を乗り上げ、彼の首に唇を寄せた。アレンのシャツに忍ばせた手で肩を露出させ、熱い吐息を漏らす。


 甘く食欲を唆る香り。我慢して我慢して得る幸福は、何倍にもなってレイヴァンを満たしてくれる。


 緊張に身体を強張らせるアレンの首に、レイヴァンは鋭く尖った牙を突き立てた。肌を貫く痛みに小さく呻くアレンを気遣いつつも、深く牙を埋めていく。

 傷口から溢れ出した血液を吸い上げると、甘美な熱となって喉を滑り落ちていった。生々しい水音に混じって聞こえるアレンの息遣いが湿り気を帯びれば、レイヴァンのもうひとつの欲望まで掻き立てる。


「は、レイヴァン……」


 アレンの手がレイヴァンのシャツを掴んで震えると、ようやく彼に埋め込んでいた牙を抜いた。

 小さな穴から垂れ落ちる真っ赤な雫を最後に舌で舐め取り、手の甲で口元を拭う。


「アレン、ありがとう。少し貰いすぎたかもしれない……大丈夫?」


 汗で湿った額の前髪をはらい、白くなったアレンの顔を窺う。涙に濡れた瞳はぼんやりとレイヴァンを捉えて、すぐに伏せられた。


「……美味しかったですか、俺の血」


「え? まあ、うん……美味しいよ。君の血だけだ、僕が欲しいのは」


「……なら、よかったです。貴方が喜んでくれると、俺も嬉しいです」


 アレンの言葉にレイヴァンは目を瞬くと、困ったように苦笑した。


「好きだよ、アレン」


「俺の血ですか?」


「血はもちろんだけど。君のすべてが」


「は?」


 怪訝な声を出して眉を顰めるアレンへと、レイヴァンは妖しく微笑んだ。


「少しは特別感出ただろうか? 君のチョコレートにも」


 みるみるうちに熱が上昇していくアレンの顔を見れば、答えを知るのは簡単だ。



 愛と呼ぶにはまだ遠いだろうけど。


 いつか追い付いてきてほしい、君を想う僕の気持ちに。



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