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透明な思い出

 彼女の時間は終わったのに、彼女はまだ、彷徨っていた。

 失いかけている思い出を、抱きしめて。



 スタイラは、小さな店の中を見渡してため息をついた。

「そろそろ……整理、しなきゃね」

 ショーケースの中にある音箱達を、いつまでも置いておく訳にはいかない。

 然るべき処分を必要とする事があるのだ。

 そもそもここにある音箱達は、マイラ達が集めた材料で作った、未だ持ち主が現れないものばかり。

 そして時間の流れによって、持ち主が消えることもある。

「気は進まないけど、あの男に連絡を取らないと……」

 苦い顔で呟くスタイラに、ドアの開く音が届く。

「いらっしゃい、ま……」

 客か、と期待したスタイラは、がっくりと肩を落とした。入ってきたのは、旧知の人物だからである。


「こんにちは、スタイラ。そろそろかと思って来ましたよ」


 物腰の柔らかな、紳士服の男性。長めの黒髪は後ろで纏められている。

 若い女性から人気を集めそうな容姿をしているが、スタイラは彼が苦手だ。

「久しぶりね、クロッカー」

「ええ。何十年ぶりですかね? 変わりないようで何よりです」

「あんたも変わらないわね。数えてないわよ。それで? 何か用?」

 スタイラの塩対応も意に介さないクロッカーは、にこりと笑いかけた。

「ええ。そろそろ、私が必要かと思いまして」

「タイミングは確かにいいんだけど、あんたが言うと縁起が悪いのよ」

 わざわざ出向いてくれたのなら、手間は省けた。どの道、この男にしか頼めない。


 ――持ち主を失った音箱の処分は。


「まぁいいわ。今から出す物全部預けるから」

 そう告げて、スタイラはショーケースの中からいくつもの音箱を取り出していく。

「おやおや、今回はまた量がありますね」

「仕方ないでしょ。うちはそっちと違うんだから」

「確かに、私の『時柩屋』ではなかなか無いでしょうね」

 積まれていく音箱を、クロッカーはどこから出したのか大きな袋に入れ始めた。

 その扱いは雑ではないが、特別に優しくもない。

 それをスタイラも咎めない。この音箱達にはもはや行き場が無いからだ。

「あんたの所っていつも疑問なんだけど、需要あるの?」

「あるから私が居るんですよ。それに、この仕事が私の償いですし」

「そうね、そこは同じよね。……でも、いつかは終わるんでしょ?」

 ことん、と最後の音箱を置いたスタイラの問いに、彼は微笑んだまま返した。

「考えても無意味ですよ。私はあなた達よりも随分と年月を重ねてます。それが一番近い答えでは?」

「……だから、あんたって嫌い」

 希望を容赦なく刈り取るこの男は、その仕事もまた冷淡だ。

 彼の仕事場である「時柩屋」は、そうでなければやっていけないと分かってはいる。

 それでもやはり、スタイラに生まれる嫌悪感は拭えないままだ。

 音箱の最後の一つが袋に納まったところで、再び扉が開く。

「あ、あの……」

 スタイラが振り向くと、入り口に立っていたのは自分とそう変わらない見た目の少女だった。幼い客人は珍しい。

「こ、ここ……記憶を形に出来るって、聞いて……」

 また噂を勘違いしているようだ。スタイラは小さく嘆息して否定を返す。

「それ自体は嘘じゃないわ。でもうちは、思い出を一つだけ、音箱という形に残して保管出来る、というのが正しいの。その為にはそもそもの記憶が存在しないといけないのよ」

「あ、ごめんなさい……。記憶は、多分……あります」

「多分? じゃあ忘れた記憶を呼び起こす為に来たの?」

 スタイラの声に苛立ちが混ざる。この店は来るもの拒まずでは無い。その気になれば、スタイラ達の判断でお引き取りを願う場合がある。

 こうして噂だけを頼りに来て、結局「残したい思い出ではなかった」と支払いを拒否する客も過去には居たのだ。

 怯える少女は、とうとう涙ぐんでしまう。

「そ、そうですけど……それだけじゃ、なくて……その……」

 そこに他の声が割って入った。

「まあまあ。スタイラ、もう少しきちんと話を聞いてみては? あなたも、泣いていたら追い返されるだけですが……それでも?」

 クロッカーだった。何故まだ居るのか、という疑問はさておくとして、スタイラとしてもこのまま放り出すのは外聞が悪いと判断する。

「分かったわよ。まずは話だけでも聞くから、そっちに座って」

「あ、ありがとう、ございます……」

 いつもの客席に案内するスタイラに、少女はほっと息をついて頷いたのだった。



「じ、実は、一ヶ月くらい前から、記憶がだんだん、あやふやになってきてるんです」

 未だに緊張しているのか、椅子の上で縮こまったまま、少女は言う。

「そ、それで、このまま何にもなくなるのが怖くなって、街を歩いてたら……偶然、噂を聞いて……」

「なるほどね。原因はともかく、記憶を残したい、と。でもそれは、今のあなたに耐えられるの?」

 スタイラの疑問に、少女は怪訝な顔をした。仕組みをまだよく分かっていないのだろう。

「音箱を開く度に、たった一つの思い出だけを一時的に思い出せる。でもまたいずれ忘れていくわ。その繰り返しに、あなたは耐えられるの?」

「……そ、それは……」

 少女も理解したようで俯く。

 だが、すぐに顔を上げて頷いた。

「だ、大丈夫、です。このままよりは、ずっと」

「……そう。なら、何を部品にするの?」

「え、ぶ、部品?」

「そう。音箱という形にする為に、思い出のある何かを預からせてもらわないといけないのよ。何かある?」

 少女はしばし考えて、髪に留めてある飾りを外した。

「こ、これなら、きっと」

「あと、思い出は? 一つきりだから、ちゃんと決めてもらわないと困るわ」

「は、はい。……この髪飾り、両親と遠出した街で、お土産に買ってもらったんです。大きな建物の中に、店がたくさんあって、キラキラしていて……だから、大事にしていました」

 その記憶はまだ鮮明だと少女は言う。

 スタイラはそれならば、と頷き、髪飾りを受け取った。ひやりとした感触と共に、記憶も預かる。

 その記憶は確かに少女が言う通り、キラキラと輝いていた。

「じゃあ、急ぎでなければ半月くらいで作れるわ。お金はあるの?」

「お、お金……はい、あります。少ないですけど」

「底値を割らなきゃいいわ」

 このくらい、と提示すると、少女はほっとした顔で頷く。

「ご、豪華じゃなくていいので、はい」

「そう。じゃあ半月後にね」

「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします!」

 ぺこりと深く礼をして、少女は店から去っていった。

 茶はすっかり冷え切ってしまったようだ。結局手を付けられなかったそれを片付けながら、スタイラは視線も投げずに声を出す。

「で? 人の商売を見学して何か楽しかったわけ?」

「おや、挨拶する前に商売を始めておいて、それは酷いですね。……あなたの接客は少し、態度が問われるかと」

「取ってつけたようにへつらう接客はしない主義なの。マイラは切り替えてるだけだし、私まで同じにしなくてもいいでしょ」

 クロッカーは、先ほどのやり取りをずっと見ていたらしい。暇なのか、と悪態を吐きたくなるスタイラだが、そんな事をしても倍で言い返されて終わりなのでやらない。

「あんたも帰りなさいよ。用はとっくに済んだでしょ」

「そうですね。ああ、一つだけ。今回の依頼、損はしないですが、得もしないですよ」

「は?」

「まだまだ、ということです。では、これで」

 最後に余計な一言を残して、クロッカーは店を出て行った。

 スタイラはその意味を測りかねて、だが異様に苛立ち、吐き捨てる。

「なんなのよ、もう!」



 それから半月後、少女は約束通りやってきた。

「あ、あの……!」

「いらっしゃい。忘れられてたら、家まで届けるところだったわよ」

「そ、そんな! あの、これ、お代です」

 少女は握りしめていた袋からコインを出す。小遣いを貯めていたのであろうその出し方に、スタイラは少しだけ苦笑した。

「……ええ、ちょうどいいわね。はい、こちらが品よ。確認してみて」

「は、はいっ……」

 少女は音箱をその場で開ける。透明さの感じられる音色が響き渡った。

「あ、あ……っ」

 ぽろ、と少女が涙をこぼす。嬉しいのかと思いきや、次いで出た言葉は衝撃的なもので。


「そ、そうだ、わたし……あの日に、死んじゃったんだ」


「――え?」

 スタイラの目が、驚愕に見開かれる。

 少女はそのまま涙を流し始め、言葉を連ねた。

「わ、わたし、髪飾りを買ってもらって、浮かれてて。車が、来てたのに、気付かなくて、両親の、悲鳴が、最後に聞こえて。だから、忘れちゃったんだ。ごめんなさい、ごめん――」

「やっと思い出しましたか?」

 唐突に声がして、スタイラはぎょっとする。少女はまだ泣いていた。

「こちらへお迎えに上がりましたよ。あなたのご両親が、待ってます」

「ほ、ほんとう? 怒って、ないの?」

「むしろ悲しんでますね。こちらとしても、無いものを探すのは大変でした。あなた自身がそうなっていては、見つかるはずもないですから」

「クロッカー……あんた、最初から分かってて……!」

 あの時に限って熱心に見物していたのは、この為だったのか。

 してやられた、とスタイラはクロッカーを睨む。

「死者だというのは分かってましたよ。後から私の方に来たお客様が、彼女を探していたのです」

「とんだ手間じゃないの! うちは死者向けの店じゃないのよ!」

「す、すみませんっ……! 死んでるのも、忘れてて……」

「いや、作ってる時に違和感はあったんだけど、気付かなかったこっちも悪いから……」

 クロッカーよりも少女の方が申し訳なさそうにするので、スタイラもさすがに怒りを引っ込める。

 実体を得ていたのは、死者だと忘れていたからこその奇跡だろう。そうそう無い奇跡だが、絶対に無いとは言い切れない。

「では、行きましょう。そのオルゴールに入ってもらえれば助かります」

「は、はい……。両親が、わたしを待ってるんですよね」

「じゃあ、このお金って」

「そ、それは、大丈夫です! 本物です! うろ覚えだけど、家から持ってきました!」

 スタイラは少女の言葉に矛盾を抱くが、クロッカーがそれを察したように補足した。

「実体を持つ程に強い未練がある死者は、未練成就の為に動くのですよ。記憶が無くなろうと、最後の悪あがきを奇妙な奇跡に変えるだけの力を持ちます。そう悩む事はありません」

「な、何それ……」

 脱力したスタイラは、これ以上の思考を放棄する事にした。そういう事もある。それでいいのだろう。

「あ、ありがとうございました。面倒かけちゃって、ごめんなさい」

「う、うん、もういいわ。仕事の取引自体は完了したし、後は安らかに眠って」

「は、はい。じゃあ、えっと……お願い、します」

「はい。お任せを」

 少女は目を閉じて、胸の前で手を組む。

 途端にその体は透けて、音箱の中に吸い込まれていった。

 開いたままの音箱の蓋を閉めて、クロッカーはそれを手に取る。

「だから言ったでしょう、損も得もしないと」

「そうね……。それなら最初から止めて欲しかったわ。あの時じゃダメだったわけ?」

「はい。何せ死者である自覚が無かったので、連れて帰っても、私の『時柩』には入れてあげられませんでしたから。必要な過程であると判断したのですよ」

「そ。じゃあいいわ。あんたの腕だけは信用してるけど、くれぐれもよろしくね」

「ええ、もちろん。ではまた」

 次は当分先でいい、と顔をしかめるスタイラを後に、クロッカーは店を出て行った。

 がらんとした店内で、スタイラは大きなため息をつく。

「はー……。こんなんじゃ、償いが終わる日は遠いわね……」

 ――店の明かりが、少し積まれたコイン達を照らしていた。



 ――ちくたく、ちくたく。

 小さな音で、時計が鼓動する。

 その時計もまた、特別な一品。

 少女が残した時間を刻みながら、家族の心を慰める。

 だがこの時計は少しだけ不可思議で、ある時間になるとオルゴールが鳴る仕組みだ。


 その音色は透明で、今はもう居ない少女が歌っているようだと家族は言う――。

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