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心に沈めた刃

 人の記憶は儚く、時には命より脆い。

 だからこそ救われる事もあるのだ。



 手に持った凶器が、人の命を刈り取る。

 それは彼――デューアにとっては、いつもの仕事だ。

 一瞬で仕留められた標的は、首元から血を大量に流しながら床に倒れている。その血に触れないように気を付けながら、デューアはその場を後にした。

 ねぐらへと戻りながら、深夜の暗い道を歩く。

 その目の前に、背の高い細身の男が現れた。

「くたびれた顔をしているな」

「……ボス」

 デューアは殺し屋の組織に属している。そのトップであるボスが、一体何の用か。

「疲れているところで悪いが、依頼だ。とある店の子供を殺せとな」

「子供とは珍しいですね」

 予想外の依頼、それもボスから直々の、だ。相当な相手なのだろう。

「ここから少し離れた街に、小さな店がある。その店の主人である双子を殺せとの依頼だ」

「……店の名前は?」

 詮索はしない。それがプロのルールだ。

 しかし、今回に限ってはかなり気になる。それを押し殺して、必要な疑問だけをデューアは投げかけた。

 ボスである男は鷹揚に頷いて、短く答える。


「――音箱屋、だ」



「最近の客は質が悪いと思わない? マイラ」

 とある昼下がり、スタイラが作業机にだらしなく突っ伏して、双子の兄に問いかけた。

「そうだね、スタイラ。出禁の対象が増えすぎるのも困りものだよ」

 マイラはお茶を飲んで新聞を読んでいる。

 誌面にはでかでかと『不審死! 不正行為疑惑の議員!』の文字。

「この人くらい堂々と悪行をしてくれれば、まだマシかもね」

「あー、そのオジサン? 噂では若い娘を何人も囲ってたとか? やだやだー、気持ち悪いわー」

「僕達の所には、こういうのじゃなく、説明を理解せずに記憶を手放しておいて、しまいには音箱を壊す人達ばかりだからね。忘却の岬に投げ捨てるならまだしも、お金も払わないで直させようとするし……選別の精度を上げようか?」

 本来なら来る者拒まず去る者追わずでいたが、最近は悪質な客があまりに多い。

 しかし間口を狭めると、収入減や、本当に必要としている客まで弾きかねない事象が起きてしまう。

 この店はシンプルなようでいて、複雑な条件の下に機能しているのだ。

「そうねー、いっそ本気で必要な人間以外は拒否しちゃう?」

 スタイラが言う程度には、損が増えたという事だ。

 マイラとしても、優しいだけの店と思われては困る。

 ただし問題は、その条件に絞るにも、面倒が大きい事だ。

「僕と君の力でそれをやるなら、一ヶ月は休業が確定だよ。支払いもあるけど、大丈夫?」

「まともな客が増えるなら、プラスでしょ。しばらくはスープとパンだけになるけど」

「はは、じゃあ決まりだね」

 妹の許可も出た事だし、と新聞を畳んだマイラの耳に、チリン、とベルの音が聞こえる。

「……今回のお客様の仕事が片付いたら、になるかな?」

 苦笑したマイラがカウンターに出ると、目の前を光る何かがよぎった。

「!」

「なっ、外した……」

 互いに驚いているが、先に立て直したのはマイラの方だった。

「ああ、最近の中で一番悪いお客様だ。けど、おかしいな。ここには思い出を抱えた人しか来ないのに」

 言いながら、スルリと相手の手にあった刃物を奪い取り、それを相手の首に突きつけた。


「お兄さん、沢山の血の匂いがするね。ダメだよ、ちゃんと落としてこないと」


 ふわりと、だが悪寒の走るような笑みでマイラは言う。

「僕達、血の匂いはダメなんだ。……暴れたくなるからね」

「チッ……! 返せ!」

「殺そうとした人間に、凶器を返すの?」

 カウンターの奥の方に飛び退いたマイラは、凶器をくるくるともてあそぶ。

「あと、その殺気も早く消してくれないかな。これが君の胸に刺さるのを、見るわけにはいかないんだ」

「人間じゃないな、お前」

「どっちでもいいよ。今は、お互いにとって不利なこの状況を何とかしないと」

 マイラもスタイラも、血の匂いにだけは敏感だ。作業中に小さな傷一つ付いただけでもすぐに処置して匂いが広がらないようにする程度には。

 だから今回の客、否、客かすら怪しい相手には、ことの他、細心の注意を払わなければいけない。


 ――殺してしまわないように。


 やがて折れたのは、男の方だった。

「……チッ、もういい、出直す」

「あ、待って?」

 背を向けた男に、マイラはナイフを投げる。

 男は咄嗟に後ろ手で持ち手を掴み、振り向きざまに睨みつけてきた。

「てめえ……」

「誰に頼まれたか知らないけれど、ここはただのオルゴール屋だよ。ちょっと不思議な、ね。だから殺そうとしないでくれるかな」

「知るか。依頼は果たす。それだけだ」

 男はそう言って店を出ていこうとし、はたと足を止めた。

「……ガキ。お前は何でこの店をやってる?」

「そう決められたから、かな。今は僕達の意志だけど」

「思い出って何だ?」

「思い出は、思い出。過去の記憶だけど、とりわけ大事なもの。僕達の作るオルゴールは、それを音に組み込んでいるんだ」

「……不気味なこった。次は出てこねえもう一人共々、殺す」

「やめた方がいいよ。勝算は無いから」

 ひとしきりやり取りした後、男は今度こそ去っていった。

 ふう、とマイラは息を吐いて窓を開ける。外の空気が入り込んで、少しずつ落ち着きを取り戻した。

 スタイラは様子を扉越しに聞いているだろう。出てこないのはどうなるか分かっているからだ。妹ながらに賢明である。

「ごめん、スタイラ。僕はしばらくこっちに居るから」

『……助かるわ。あれ以上居座られたら、こっちもやばかったもの』

 少し苦しげな声だけでも、本当に危なかったのだと分かる。

 ともかく二人は、傍迷惑な来訪者のせいで閉店を早め、店の状態を変える事に専念する事に決めたのだった。



「……殺せねえ」

 ぐったり、げんなりとデューアは呟く。

 あれから何度も店を訪れたが、常に閉店。小さい店だから入り込めるはずなのに、それも出来ない。

 あの日会った少年の動きは、明らかに人間の子供の動きでは無かったし、纏う空気も明らかに違っていた。

 人ではない事も否定しなかった。いくら何でも、人外は簡単に殺せないことくらい、常識としてデューアも分かっている。

 だが、他ならぬボスからの依頼だ。やらなければ廃業に追い込まれかねない。

 だからこそ、こうしてねぐらで頭を抱えてるのだが。

「そもそも、依頼主は何で殺そうとしてんだ? あんなガキ共に何の恨みが?」

 不気味なオルゴールを作る店なのは分かったが、相手そのものは言ってしまえば無害そうだった。あの時は互いに状況が悪かったが、言われた通りに血の匂いを極力落として、客として入れば多分、まともな接客をされただろう。

 そんな相手に恨みを抱く方が、存外まともではなかったりする。そもそもの話、暗殺を依頼する時点で外道だ。

 ふと、そこで思い出した。駆け出しの頃、初めて依頼を受けた時の事を。


『この人は何で殺されなきゃいけないの?』

『……それを考えてはいけない。殺されるだけの理由があるから、依頼されているんだ』


 誰の言葉だったか。ボスではなかった気がする。もうずっと昔の事で、親も居なかった自分の面倒をよく見てくれた、誰かだった。

 その人間も死んだ。それは確かだが、原因を覚えていない。病死か、それとも別の理由か。

「……忘れるもんなんだな、人ってのは」

 あの少年は「思い出は人の中でも特別な記憶」だと言っていた。

 ならば、忘れた以上は大切でもないのだろう。

 そう思いながらも、モヤのような何かが引っかかって、気分は晴れなかった。



 店を閉めて約一ヶ月。

 新たな条件を設けて、音箱屋は再びその扉を開けた。

 内装を変えた訳でも、外装を変えた訳でもない。だが、入れる人間が前より減った。それだけだ。

 そんな店に、一人の男が入ってきた。

「……よう。やっと入れたぜ」

「げっ。何で入れんのよ」

 今日はカウンターに居たスタイラが、すぐ気付いて顔をしかめる。

 弾く条件の中には「店主に害意ある者」も含まれていたはずなのに。

 だが以前より血の匂いはかなり薄く、殺気も無い。だから入れたのだろうか。

 何にせよ、客でなければ入れないのに、とスタイラが思っていると、男は近づいて言った。


「なあ、お前らの言う『思い出』とやらは、忘れてても思い出せるのか?」


「……は?」

「お前らを殺す前に、一つくらいはあっても良いと思ったんだよ。金は前払いか?」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。何で殺そうとする奴の依頼なんか……」

 唐突な男の言葉に辟易するスタイラの後ろで、奥のドアが開いた。

「いいんじゃないかな、一つくらい。もちろんお金は払ってもらうけれど」

「金はある。思い出は、あー、どうすりゃ良いんだ?」

「……そのネックレスなら可能ね」

「は? おいおい、こりゃあ……」

 男の首元から紐で下げられた十時の形のネックレスを示されて、男は狼狽えた。

 だが、少し考えて頷く。

「そうか……そういう事なら、こいつだな。誰から貰ったかも忘れちまった、だが何故か大事なものなんだよ。小さいもんでいい。作ってくれや」

 そう言った男が外したネックレスを受け取り、スタイラが言った。

「……ふん、確かに思い出の記憶、預かったわよ」

「二週間後にまた来てね。もちろん、殺意があったら入れないし、出禁だから」

 マイラも念を押す。

 そうして出て行った男を見送った後、スタイラはネックレスを握りしめて荒くなりそうな呼吸を抑えながら奥へと向かった。

「血の匂いが……早く、終わらせなきゃ……」

「スタイラ、無理しないで。ごめんね」

「いいのよ。まだこれは……綺麗な『思い出』だもの」

 長年持っていた物のようで、さすがにこのネックレスから血の匂いは消せないようだ。

 スタイラは自分の内側に渦巻くものから必死に目を逸らし、音の制作に入る。

 それを心配そうに見る兄の視線にも気付かずに。



 あれから二週間。デューアはオルゴールを受け取り、ねぐらでそれを流した。

 そこで思い出したのは、一つの記憶。


『兄さん……兄さんっ』

『泣くな、デューア……。お前も、これで、立派な……暗殺者だ』

『何で、何で殺さなきゃ……っ』

『デューア。教えた、はずだ。殺されるだけの……理由がある、と』

『兄さんだって、知ってたら……! 殺そうとなんて……!』

『いいん、だ。ほら、これを……やる。これからも……人を殺す時には、迷うな……よ』

『嫌だ、嫌だ! 兄さん――――!!』


 つう、と頬を何かが流れた。

 忘れてしまうわけだ。覚えていたら、暗殺なんて出来やしない。

 だが、思い出した今、どうしたらいいのか。

「兄さん……俺は……」

 パチン、と蓋を閉じて音を止める。

 ネックレスの紐を通して持ち歩けるそのネックレス型のオルゴールは、意地でも全てを持ち主に返したい店主の意向だったのか、思いやりだったのかは、分からない。

 だが、元の形により近い形で返された事には意味がある、とデューアは思った。

 しばらく静かに涙を流した後で、デューアは立ち上がる。

「……ごめんよ、兄さん」


 彼を止められる者は誰も居なかった。



 例の依頼の後、スタイラは体調を崩して寝込んでいた。

 そして今やっと復帰して、工房に居たマイラからお茶を受け取り、置いてある新聞に目を向ける。


『大規模な暗殺組織、一夜にして壊滅か⁉︎』


「……何これ」

「さあね。内部割れでもしたのかな」

 兄の様子を見るに、何となくスタイラも察した。そしてふと、新聞の側にあったカードに気付く。

「……あの男、思ったより律儀なのね」

「そうだね。お金もちゃんと払ってくれたし」

 カードには短い文面が、サインもなく書かれていた。


『世話になった。もう来ない』


 来ないならその方がありがたい。

 きっと今の彼は、前よりも血の匂いに塗れているだろうから。

 スタイラも座ってお茶を啜り、息をつく。

「人間って、複雑ね」

「そうだね。僕らも単純ではいられないのと同じくらいに」

 お茶を飲み終えたら、今度こそいつもの日常だ。


 音箱屋は、今日も来客を待っている。

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