悠久をあなたと
人と共に居られるのは、短い時間だけ。
それは自分達の種族のささやかな楽しみでもあり、哀しみでもあると言われてきた――。
※
ドアのベルが響いて、マイラは奥の工房から顔を出す。
その人物は、まっすぐカウンターに来ると、いきなり宝石らしきものを置いて言った。
「この支払いで、あっちの思い出を作っておくれ」
「……ええと、あの、すみません。うちは後払い制ですので……それと、思い出の品が無いと……」
気迫にたじろぐマイラは、だがいつも通りの返答をする。こういう客は初めてでもない。
すると客は、ポケットをゴソゴソと探って取り出した。
「これでええか? 時間が無いんよ」
「……スタイラ、スタイラ!」
短絡的な客の相手は得意ではないマイラは、早々に妹を呼び出す。
「何よ。……あら、珍しいタイプのお客様ね。あなた達のような種族は、思い出を不要としてるのかと思ってたわ」
面倒くさがりだが博識な妹は、一目で客の正体を見破る。
それを聞いた客は、一瞬だけ動きを止めると、ぽふん! と音を立てて変化した。
「話が分かりそうな者やないの。その宝石、売ればそれなりの値になるんよ。前金として払うから、そっちの『首輪』で思い出の音箱っちゅうもんを頼むわ」
頭に生えた尖った耳は少し長めの毛に覆われ、口元からは左右に数本だけの白髭。更に背中にチラチラ見える尻尾は、細いながらも二股に分かれていた。
いわゆる『長命種族』の一人である。
基本は人前に姿を見せないし、関わりもしない。自分達の希少さと異端さを理解している為だ。
相手が誰でもそうだが、殊更に適当に聞いて作るわけにもいかない。
急かしたがる客人を椅子に座らせてもてなし、マイラ達は思い出について聞く事にしたのだった。
※
『気まぐれに人間と関わるのはやめとき』
誰に言われた言葉だったか。
それでもまだまだ若い、青いと言われる年であるミオは、その言葉の重みを理解出来ていなかった。
『痛い? 我慢してね。暴れないでね』
散策として猫に扮した際に、馬車に轢かれかけて瀕死だった。元の姿にも戻れないほど、回復に力を向けていた。
それが必要なくなる頃、姿を眩まそうとしたが、脱走と勘違いされて、連れ戻されてしまった。いつの間にか、ミオは少女の飼い猫になっていたらしい。
仕方ない、飽きるまでは恩義として側に居ようかと切り替え、ミオは飼い猫として少女の元に留まる事にした。
だが、時の流れはあっという間だ。少女は大人になり、老婆になり、嫁いでもなお、自分を側に置いた。流石に数十の年月が流れても老い果てぬ猫を他の者は気味悪がったのに、少女だけは決して遠ざけようとしなかった。
『この子は恩返しで、長生きしてくれてるのよ』
そんなわけは無かったのに、少女だったその老婆は今日もまだ近付くと頭を撫でて膝の上に乗せる。
潮時ではないかと、何度も思った。それでも、正体を明かす事を何となく嫌な自分が居て、自己嫌悪にも陥った。
――そんな老婆が、ついに、床に臥した。
医者から漏れ聞いた言葉では、もってあと数ヶ月。
病でも何でもない、ただの老衰と聞いた。
人の命の、何という短さか。
嘆くミオの耳にふと届いたのは、自分への処遇。
『このまま置いておくべきじゃないのか?』
『けれど、いつまでも生きていそうで、気味が悪いわ』
『いっそ彼女と共に埋めてしまおうか……』
生憎ながら、彼女以外の人間には興味がない。看取ったらすぐにでも出て行くつもりだ。
いつの時代だろうが、人は大抵が不気味さを異端とし、排そうとする。その流れに乗る道理はない。
そんな折、同胞が現れた。
『おやまあ、すっかり飼い慣らされちまって』
月の輝く夜、梟に見えるそれもまた、長命種族。
『……ちょいと機会を見失っちまってるだけさ。何か用向きかい?』
『老い先短い人間の為だけに、我慢強いこった。なぁに、ちょいとした世間話さ。うちら長命種族には、とんと無縁な話だがねぇ。何でもこの近くの街中に、思い出とやらを音の箱にして売ってる人間が居るそうだよ。果たしてそいつが本物の人間なのか、興味はあるねぇ』
喉を鳴らして笑う同胞の話に、ミオは惹かれた。
それならば、たとえあの老婆を看取った後でも、生まれてしまいそうな空虚を慰める事が出来るのでは、と。
『へぇ……。そいつは確かに、興味深いや』
『おっと、まさか行く気かい? まぁ、長い歴史の中にゃ、長命種族でも一途を貫いた猛者も居るって話さね。好きにすりゃあいいよ』
そう言って同胞は羽ばたいて去った。
ミオはその去り姿を見届けながら、窓辺で一考し、ふむ、と頷いた。
どうせなら何でもやってみるべきだろう。幸い、金の工面くらいは出来る。
そうしてミオは一度寝床に入り、夜明けを待つのだった。
※
人外の記憶は扱いが難しい。
ミオと名乗った彼女が持ってきた首輪、という思い出の品を扱ってでも、かなり気を張る作業だ。
ミオの思い出は「名付けられた時の記憶」。
本来、長命種族は決まった名を持たない。「猫の者」「梟の者」といった、見た目だけで呼び合う。
だから名付けられて呼ばれて生きてきた年月に、未練を抱いてしまったのだろうか。
「さて、苦労して出来た訳だけど……」
「彼女は来るよ。そんな感じがする」
あれから一ヶ月半経った。最短でもそれくらいは必要だったのだ。
チリン、とドアが開いてベルを鳴らす。
そこに立っていたのは、喪服のミオだった。
「……お待ちしておりました」
その佇まいで、服装で、何があったかはすぐ分かった。
「あっちの箱は?」
「こちらに。どうぞ、お手に取ってみて下さい」
マイラがオルゴールを差し出すと、ミオはその場で蓋を開き、泣き崩れた。
「何故に、人は短くあるのか……! まだ数ヶ月、残っていたではないか!」
「肩入れしすぎたのね。その傷心をこの音箱で少しでも癒せる事を願うわ」
ミオの嘆きに、スタイラも肩をすくめてそう呟く。
『ミオ。今日からお前はミオよ。いい? 分かったら、ニャーって鳴いて』
『……にゃー』
『ふふ、お前は頭のいい子ね、ミオ』
そう言って頭を優しく撫でる感触までもが、マイラ達にも伝わってきた。
「……取り乱して失礼した。これは謝礼や。金に換えて好きに使え」
涙を拭いたミオは、立ち上がると懐から小さな袋に詰まった宝石を置く。
「正当な方法にて得た物や。あっちはしばらく旅に出る。もしこの音箱が壊れたら……」
「ご心配なく。当店は修繕も承っております」
「……そうか。それなら安心やな」
そして少し笑うと、箱を大事そうに抱えて、店を去っていった。
閑寂はしばしの間続いたが、スタイラがそっと袋を開けて、声をあげる。
「何これ、純度の高い宝石ばかりじゃない! 流石に多いわよ、これ」
「君がそこまで言うの? ……ああでも、本当にすごいものばかりだね。どうやって手に入れたんだろう……なんて、僕達が考える事でもないさ。彼女がいつか修理に来た時は、無償で直してあげるくらいはしないとね」
珍しいだらけの依頼だったが、またきっと、いつもの日常に戻るのだろう。
双子は宝石を奥の部屋にしまい、いつもの作業を始める。いつも通りに。
※
『ミオ……ミオ、どこ?』
静かな部屋の中、弱った声が響く。
『ねえ、ミオ……私、何となく、気付いてたの』
語りかけるように、老婆が告げる。
『あなたは普通の猫じゃなかったのでしょう……? ありがとうね、こんなに一緒に居てくれて』
異端を受け入れるのもまた、異端。だから、引き合ったのかもしれない。
『幸せな時間を、ありがとう……。最期まで一緒にいられた事を、嬉しく思うわ』
ミオは、最期のその時だけ、猫らしく老婆の枕元に寄り添って、小さく鳴く。
その小さな頭をひと撫でして、痩せ細った手は――力なくベッドに落ちた。
「ああ、感傷とは痛いものなんやな」
どこかの国の森の中、オルゴールの音色が響く。
「名付けの日やのうて、死の間際を思い出してまうんや。……いつしか、そんな事もなくなるんは、哀しいなぁ」
自分はまだまだ若い。ここで立ち止まっていたら、何も進めなくなる。
そんなことは分かっていても、それでもまだしばらくは、この『感傷』に浸っていたいと、ミオはオルゴールを聴きながら目を閉じるのだった。