思い出宝箱
これも大事。それも大事。
どれもこの世界にたった一つの、自分だけの宝物。
それがこれからも増えると思っていた。
※
「お引き受け出来ません」
とある国の小さな街にある、小さな店の中で、少年のきっぱりとした声が響く。
だが、それを言われた少女は、テーブルに手をついて立ち上がり、それよりも大きな声をあげた。
「どうして⁉︎ いつもは引き受けていたじゃない!」
「何事にも限度があります。写真や絵ならまだしも、僕達の作るオルゴールは、お客様の記憶に直接干渉しますので、そう何度も作ると、大事な思い出が音箱のみになってしまいます。仮にその音箱が失われたら、記憶を取り戻す術も失われますよ」
丁寧な口調で話すのは、音箱の箱を作るマイラだ。スタイラは奥で別の仕事をしている。
そして目の前の相手はただの少女ではなかった。
「アリエッタ王女殿下。前回ので九つ目です。次に作れば、記憶という機能そのものに支障をきたすでしょう」
「じゃあ、あと一個は作れるじゃないの」
「いいえ。あと一個『しか』作れないのです。それ以上思い出を切り離すと、危険です」
マイラとて、技術を出し渋りたいわけでは無い。本当に危険だから止めているのだ。しかし、王女アリエッタは、手元のアクセサリーを突き出して言う。
「いいから、作って。このアクセサリーは二番目のお兄様とお忍びで城下町に行った時、お兄様が店先で買ってくれた物なの。今でも大事な思い出なのよ」
「……王女殿下。その記憶以上に大事なものは無いのですか? これが本当の最後となりますよ」
「もちろんたくさんあるわよ! けれど、残したい思い出は決めているの。だから大丈夫よ!」
「だとしても、いつか壊れるものですよ。音箱は」
「壊れたら直してくれるんでしょ」
「本当の意味で壊れてしまえば、僕達もどうにも出来ません。だからこそ、吟味して欲しいのです」
マイラの言う「本当に壊れた時」を、彼女はまだ知らない。だからあっさりと差し出せるのだ。
「本当に壊れた音箱は、音を聴いても思い出せなくなります。そうなれば、何故大切にしていたか、どうしてしまえばいいのかさえ、分からなくなるでしょう。それを聞いても、差し出せますか?」
「……それは……」
さすがにマイラの説明の効果はあったようで、王女は口ごもる。
しかし、マイラを睨みつけ、アクセサリーを手元に戻した。
「いいわ。今日のところは引いてあげる。けど、また来るから」
「出来れば、思い留めて頂きますようお願いします」
颯爽と帰った王女を見送り、マイラはため息を吐く。
この国の王女であるアリエッタは、数年前からの常連客だ。
ある時はブレスレット、またある時は猫の首輪、それからリボンもあった。
どれも大事な思い出なのは、マイラも聞いていて分かる。だが、多い。
音箱は一人の客に一つという条件は設けていない。代わりに、一つの音箱に一つの思い出を込めている。大抵の客は一度きりか、直しを依頼するかの来店だ。
それを逆手に取るような王女のやり方は、マイラから見ても、いいとは思えなかった。
「困ったな……」
お茶の片付けをしながら、マイラが再びため息を吐くと、奥の扉が開いた。どうやらひと仕事終えたらしいスタイラが、顔を出す。
「あら、あのワガママ王女、帰ったのね」
「うん。でも、また来るって。さすがにまずいんだけどなあ、そろそろ」
「いいじゃない、痛い目見てもらいましょ。記憶を他人に預ける重みを理解してもらわなきゃ」
「僕は君のその考え方が、たまに羨ましいよ」
遠い目をしたマイラに、スタイラは肩をすくめただけだった。
※
アリエッタは、宝物の部屋に足を踏み入れる。
その部屋は小さいが、アリエッタが宝物をしまう部屋だと誰もが認知していた。
ここの掃除だけは、アリエッタが自ら手がけている。鍵もアリエッタだけが持っていた。
そして棚に並べられたオルゴール達を眺め、一つを手に取る。
箱を開けると勝手に音が鳴る仕組みのこれは、同時にその時の記憶も思い出させてくれた。
普段は忘れてしまっているのだが、こうして聴く事で一時的に思い出せる。それが楽しくて何度もあの店に通ったのだ。
「あぁ……シャリー、あんなに可愛かったのに……」
昔飼っていた、ふわふわの猫の記憶。悲しい事故で死んでしまった。
次、とアリエッタは別の音箱を開ける。それは、嫁いでしまった姉がくれたリボンの記憶だ。
こんなにも鮮烈に蘇る記憶が、壊れてしまうかもしれない、なんて。
「あの子供は大袈裟に言ったのよ。きっと。そうだわ」
一つ、また一つとアリエッタは音箱を開く。
だが、他の音箱も開いたままなのをすっかり彼女は忘れていた。
複数の音が入り乱れる部屋の戸がノックされ、開く。
入ってきたのは三番目の兄だった。
「アリエッタ、父上が……って、うわっ、うるさっ」
「……あら、トルアお兄様?」
「オルゴール多すぎだろ! それより、父上がお呼びだ」
「……そう。やっぱり……」
ため息を吐くと、音箱をしまったアリエッタは扉の外に出て、ついでに兄も連れ出し、鍵をかける。
「あのオルゴール、あれだろ? なんか不思議なやつ」
「ええ! おかげで忘れていた大事な思い出に浸れました。でも、少し悲しい事も思い出しました。お姉様が不幸な事故に……」
「え? あいつなら元気ですってこの間、手紙来たばかりだろ?」
「あら? そうだったかしら。そうそう、シャリーが木の上で泣いていたのよね。降りられなくて」
「んん? シャリーって、事故で死んだ猫だろ? 外で飼ってなかったじゃないか」
――何かおかしい。アリエッタは血の気が引いた。
「大体、木の上で泣いてたのはお前の話だろ。母上から貰ったハンカチが木の枝に引っかかったから、自力で登って……」
「お兄様、どうしましょう。私の記憶が、混乱しているみたいですわ」
慌てるアリエッタだが、兄は適当にあしらうように返した。
「そうみたいだな。あー、現実逃避も大概にしとけよ。ほら、謁見の間に着いた」
「……はい」
「王族なら、仕方ないさ。これも務めだと思って、受け入れろ」
三番目の兄が、手を軽く振って立ち去る。残されたアリエッタは、震える手で扉をノックしたのだった。
※
アリエッタが再び音箱屋を訪ねて来たのは、十日後だった。
今度はスタイラも同席したが、アリエッタは落ち込んでいる。
「それで、今日はどうしましたか?」
マイラが訊くと、アリエッタは泣きそうな顔をして、問いかけてきた。
「これまでの記憶を、私の中に戻せないかしら?」
そうして、持っていた袋からこれまでの音箱を出す。
「どれも壊れてないの。でも、たくさん聴いていたら、いつの間にか記憶がすり替わってて……今も、どれが本当なのか分からなくなっているのよ」
「最初の頃にお伝えしたわよね、その現象について」
スタイラが苦い顔で返す。彼女は相手が誰でもへりくだらない態度だ。
「うちのは特別製だから、二つ以上を持ってる場合、決して同時に開いてはならないと。そうしたら、記憶が混濁して、正しい記憶を取り戻すのに時間がかかるから、と」
「だって……思い出したかったんだもの! もうじき、私は他国に嫁ぐの。その前に少しでも持っていける思い出が多い方が良かったと思って……!」
なるほど、とマイラもスタイラも頷いた。同情はしないが、理解はできる。
しかし、更に王女は続けた。
「でも、こんなに沢山あっても、向こうに行ったら、聴く暇も無くなるかもしれないわ。でも、壊すなんて出来ない。だからお願い、このオルゴールを分解して、記憶を返して」
その要求に、マイラ達は困惑して。
「申し訳ありませんが、出来ません」
「えっ……」
マイラがはっきりと言った。
「記憶をこうして形にしてしまった以上は、取り戻しがききません。何故なら、記憶の品も音箱に組み込まれてますし、音の装置に記憶が込められているので、返せないのです」
「そんな!」
「一応、そこも最初に説明はしたはずよ。忘れられるなんて、悲しいわね」
スタイラが呆れ気味に畳みかける。
アリエッタは愕然としてオルゴールを見ていた。
しかし、突如として泣き伏せる。
「どうして! 私はただ、忘れたくなかっただけなのに!」
「欲張るからよ。これらはもう、あなたの中には戻せない。記憶は人の命の一部でもあるの。それを体内に戻せと言われても、無理でしょう?」
「じゃあ、どうすればいいの⁉︎ こんなにあったら、私はまた、混乱するじゃない!」
嘆くアリエッタに、スタイラはあっさりと言う。
「同じ間違いを繰り返さなければいいのよ」
泣きながら顔を上げるアリエッタに、スタイラが微笑む。
「欲張らなきゃいいの。思い出したい時は、一番どれがいいかをその時に決めて、それだけを聴く。簡単でしょ?」
「聴かなければいいのではなく、聴くなら一つだけにすればいいんです。そうすれば、混乱しなくて済みますよ」
「聴くなら、一つ……」
ぼんやりと呟いて、ようやくアリエッタは涙をハンカチで拭いた。
「そうね……。私、焦っていたの。他国へ嫁いだら、この国で過ごした思い出を忘れていってしまうかも、って。だから、この店で作れるだけ思い出を作って、向こうでは嫌な事があっても、これを聴いて頑張れるかもって……」
極端な考え方だが、王族だからこその悩みなのかもしれない。何もかもが違う土地で、国のために頑張らなくてはならない。その重責が、こんな形になったのだろう。
「でも、そうね。これだけあれば、十分なんだわ、きっと」
寂しげに、だがそっと箱に触れながらアリエッタは言う。
マイラはふと、それらを見て提案した。
「王女殿下、良ければメンテナンスはしておきますか?」
「あら、じゃあお願いしようかしら。音は問題無かったけれど」
「この数ですから、一週間ほどかかるかと」
「ええ、よろしくね」
すっきりした顔で、アリエッタは立ち上がる。
「お礼を言うわ。私にとって、この音箱たちこそが一番の宝物だから」
そう言ってカーテシーをし、優雅に立ち去る。
大小様々な音箱を前に、スタイラがジト目でマイラに言った。
「……メンテナンス費用は請求しなさいよね」
「はは……そうするよ」
その後メンテナンスも問題なく終わり、王女の音箱達は他国へと渡っていったようである。
※
大事なものは増えるばかり。
だけど、全部を宝箱にはしまえないと、そう知ったから。
「今日は、どの思い出がいいかしら?」
王妃となった少女は、たまに新しい宝箱の部屋で、綺麗に並んだ音箱から一つを選ぶ。
とある国の城。その一室からは時折、音色の違うオルゴールの音が聴こえてくる。それを聴いた者は少しだけ幸せになれる、という噂がいつしか流れ始めていた――。