虚想の中身
二年前の雪の日に、彼と出会って。
自分達は密かに想い合ってきた。
それなのに何故、彼は遠くへ行ってしまうのだろう。
そんなのは、耐えられなかった。
※
イルーナには、想い人がいる。
優しくて紳士的で、少し恥ずかしがり屋な人だ。
そんな彼と初めて出会ったのは、彼が働く大きな宝石店だった。
大人になった自分へのご褒美として、宝石のついたネックレスを買いに行ったのが、その店。
長い時間をかけて真剣に悩んでいた自分に、彼は根気よく寄り添ってくれた。
そして選んだのが、真っ青なサファイア。彼と同じ目の色。
そう言うと彼は喜んでくれた。その笑顔に心惹かれたのだ。
それからはお守りのように毎日、欠かさずネックレスをつけている。
そうしてイルーナは彼に、恋をした。
「それでね、これが新しいプレゼントなの」
「真っ赤なルビーのブローチ、ですね……」
「うっ……」
思い出をオルゴールにする店、という噂を聞いて、イルーナはすぐに思い立った。
辿り着いたのは、本当に小さな店。そして目の前の少年と少女が、店主らしい。
だが、少年は顔を曇らせ、少女は口元を押さえて俯いている。どうしたのだろうか。
「ね、ねえ。あなた、それ本当にプレゼント?」
「そうよ! 私と彼の邪魔をする女が居たんだけど、それを彼は取り上げて、私にくれたの!」
「その際、その邪魔をした人は……?」
「さあ? 居なくなったわ」
消えた事は確実だ。だが、その直後に悲しい事が起きた。
「でも、彼は他国の支店に行ってしまったの。私までついて行く事は出来ないって言われて……この間、国を出てしまったわ」
あっという間だった。このルビーをイルーナが貰ってから、すぐに彼は遠くへ行ってしまった。
寂しい気持ちはあるが、どこの国に行ったかも分からない。
そんな折にここの噂を聞いたのだ。これはもはや、運命だろう。
「そう、ですか。……スタイラ、やれそうかい?」
「え、ええ……何とか」
大きな宝石を前に、たじろいでいるのだろうか。
二人の顔色は良くないが、作ってもらわねばならない。
「お願いね? お礼は弾むわ」
イルーナの言葉に、二人は頷いた。
「じゃ、じゃあ……記憶を、預かる、わね」
少女がそう言うと、ふっと何かが抜けた気がした。
「半月で出来上がります。お忘れなきように」
「あら、半月もかかるのね。分かったわ」
一つ一つ、手作りしているのだ。ある程度の期間が必要なのは、仕方ないだろう。
少年の言葉に頷いて、イルーナは店を後にした。
帰る途中で、ふと思い立つ。
彼の行方が分からないなら、あの宝石店で働けばいいのではないか。
「そうね、そうすれば、あの人の行方も分かるわ」
そう呟き、軽い足取りで帰路につくのだった。
※
しかし、現実は甘くなかった。
「不採用って、どうしてですか!」
「悪いね。専門家でもない人間には、任せられないんだ」
「そんなの、これからいくらでも勉強します!」
「何と言われても、無理なものは無理だよ。それに君、この間転勤した彼に付き纏っていたらしいね。そんな危険な人間はどっちにしろ、雇えない」
付き纏い、と言われてイルーナはショックを受けた。彼とは相思相愛のはずなのに。
「そんな! 誤解です!」
「とにかく、面接は以上だ。引き取ってくれ」
にべもなく、イルーナは店を追い出される。
それにしても、ひどい言いがかりだった。
「失礼ね! 付き纏ってなんかいないわよ!」
吐き捨てて、家路につく。
しかし、これでは彼の居場所が掴めない。
元の彼の家に行けば、何か手掛かりがあるだろうか。
そう考えて、道を変える。
歩いている途中で、声を掛けられた。
「お姉さん、ちょっといいですか?」
「……誰?」
「警邏の者です。最近あった殺人事件について、調査しているんですが」
「はぁ、すいません、この辺はよく知らないです。それに私、今から恋人の家に行くので」
イルーナはそんな事件に興味など無かったし、知りもしない。
何より彼の家に行く時間の方が大事なので、先に断りを入れると、警邏の男は首を傾げた。
「恋人ですか? それなのにこの辺をよく知らないと?」
「ええ。それが何か?」
「おかしいですね。恋人の家に行くのにこの道を使うなら、少しは知ってるはずでは?」
「そんな事言われても。知らないものは知らないので」
噛み合わない会話に、イルーナは苛立つ。まさかその、殺人事件の容疑者にでもされているのだろうか。
「もしかして、疑ってるんですか? たまたま通りがかった私を? ひどい!」
「あ、いや、そういうつもりではないですが」
「じゃあもういいですよね!? 失礼します!」
「ちょ、ま、待って……!」
噛み付くように言ったイルーナは、再び歩き出す。後ろから追いかける声も無視だ。
彼の家に着くと、合鍵を出して中に入る。
家の中はほとんど何も残ってない。それでも、何か無いかとイルーナは家中を探し回った。
そして、置き去りの棚の奥から、日記を見つける。
開いてみると、そこにはその日その日の事が書かれていた。
『今日は彼女が家に来てしまった。知られたくなかったのに』
『今日は俺の愛する人が失われた。この悲しみを癒すには、どうすればいいんだ』
『他国への転勤が決まった。やっと彼女から解放される』
「……は?」
イルーナは違和感に声を出す。
この日記が彼のものなら、何かがおかしい。
そして日記は、転勤先について何も書いてない。
バシッと日記を床に叩きつけ、イルーナは親指の爪を噛んだ。
「あり得ない……! そうよ、日記なんて大事なものを、忘れるわけが無いわ。これは他の誰かの日記よ!」
冷静に考えればそんなはずはないのだが、イルーナにとっては、もはやそれは彼の物ではない。
それ以上はどれだけ探しても、手掛かりになるものはなかった。
※
約束の半月が経ち、イルーナはオルゴールを受け取りに店へやってきた。
中に入ると、双子が揃って待っていた。
「受け取りに来たわよ」
「はい、ではお代をお願いします」
受け皿に金貨を数枚入れると、代わりにオルゴールが差し出された。
「どうぞ、記憶をご確認下さい」
「言っておくけど、あなたが望んだ記憶じゃなくても、こちらの責任じゃないわよ」
引っかかる少女の言葉をよそに、美しい箱の蓋を開ける。
途端に、全てを思い出した。
『ねぇ、あなた』
『はい……? どちら様ですか?』
女は華奢で、背の高い美人だった。
『あなた、彼の何?』
『恋人、ですけど……』
『は? 恋人は私よ! 嘘は言わないで!』
恋人なんて、あり得ない。自分以外になど。
イルーナはそう信じて女に言い切った。なのに。
『あなたこそ……最近、彼に付き纏っているっていう女性ですか!? すぐにやめて下さい! 彼、迷惑してるんです!』
『違うわ! 私は彼を見守っているだけよ!』
『彼は優しいから、強く出られないんです。それに、もうすぐ彼はこの国を出ます。だから大事にならないようにしてるんです!』
彼が居なくなると聞いて、目の前が真っ暗になった。
それ以上に、自分さえ知らなかった事実を、女が知っていた事に嫉妬して。
『そう……私と彼の邪魔をしていたのは、あなたなのね』
気付けば、護身用だったはずのナイフを握っていた。
『ひっ……! だ、誰か……!』
『消えなさい! 消えろ! 消えてしまえ!!』
今なら、鮮明に思い出せる。人を刺した感触。何度も、何度も。
そう、それで、彼が後から来て。
『な、何てことだ……!!』
『ねえ、邪魔な女を消してあげたわ。これからはずっと一緒よ』
そっと声をかけたのに、その手は弾かれて。
『許さない! もしやこのブローチが目当てか!? ああいいとも、くれてやる!』
投げ付けられたようにブローチを渡されて、イルーナは嬉しかった。
彼が贈ってくれた、と思い込んだ。
『ありがとう……大事に、大事にするわ……うふ、ふふふ』
あの時すぐに捕まらなかったのは、人気が少ない場所と時間だったからだ。
返り血まみれの自分の姿さえ直視出来なかったイルーナが捕まらなかったのは、奇跡のようなものだった。
――そこまで思い出したイルーナは、その場でオルゴールを床に叩きつけた。
がしゃん、と大きな音が店内に響く。
「認めない……! 認めないわ! 違う! 本当にブローチは彼から貰ったものよ!」
ガンガンとオルゴールを蹴り付けるイルーナに、冷徹な声が掛けられた。
「お客様。せっかく作られたオルゴールをその様に扱うのならば、お客様に二度と当店を使う事は認められません。それでは」
ぐにゃり、と一瞬だけ視界が揺らぎ、気付けばイルーナは外に居た。
地面に転がるオルゴールが、歪んだ音を鳴らしている。
それが耳障りで、イルーナは更にオルゴールを蹴り付けた。だが、はっと背後を見ると、そこはただの壁。
「ちょっと! 作り直しなさいよ! こんなんじゃないわ! 私が欲しかったのは……!」
壁を叩いても、何も無い。
その時、背後から肩を叩かれた。
「失礼。イルーナさんですね? あなたを殺人及び迷惑行為の容疑で逮捕します」
「は……?」
「名前と容姿の判断に時間がかかりましたが、間違いありませんね。実は少し前に通報が入りまして。殺人事件のあった夜に、血まみれの女性が街を歩いていた、と」
「え? ちょっ……と?」
「詳しい話は後ほど。さ、行きましょうか。おや? こちらのルビーは……」
「あぁっ! ダメよ! 彼から貰ったルビー! 大事な、大事な贈り物なんだから!」
ひしゃげたオルゴールから転がり出たルビーの欠片を、イルーナは慌てて拾う。
その肩を掴む警邏が、厳しい声で言った。
「犯人はルビーのブローチを持っていた、と証言が入っています。まさかオルゴールに細工とは。余罪はまだありそうですね。行きますよ」
「嫌っ! 嫌よ! 私は彼の所へ行くの! 行くんだったらぁー!!」
人目も気にせず喚きながら警邏に引き摺られていくイルーナは、誰の目から見ても正気では無かった。
そしてイルーナは、あえなく殺人犯として捕まったのである。
※
「久しぶりに直接の出禁をしたよ」
「そうね。まあ、あれは現実を直視しなかった報いでしょ」
悪質な客には、相応の対応をする。それが二人のルールだ。
二人にとって、あの客は最初から厄介ごとでしかなかった。
血の匂いがする品は出来れば取り扱いたくなかったが、依頼は例外を除いて、受けなければならない。
加えて、スタイラは記憶を扱う為、ほぼ最初でこうなる事を予想していた。
「目の前で商品を壊されるの、何度見ても腹立つわね」
「そうだね。度し難いよ」
次に来る客はまともだといい、とスタイラがこぼす。
マイラもそれに同調して、残っていたブローチの部品をゴミ入れに投げ捨てた。
「今回は早めにゴミの処理をしないとね」
「そうね。ま、お金は手に入ったから良しとしましょ」
そうしてまた、音箱屋の入口は開かれる。
彼らの品を必要とする、誰かの為に。




