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あの日をあなたへ

 大切な記憶は数あれど。

 譲れないたった一つの記憶は、せめて一番大切な人へと。

 風化して、忘れ去るくらいなら。



 この街では、年に数回、大きな祭りが催される。

 その後が音箱屋にとっては忙しい期間だ。


「お祭りで彼に告白されたの。それを思い出に残したくて」

「娘が遠くに行く前の最後の祭りだったんだ。とても楽しくて、是非とも何度も思い出したいんだよ」

「実は旅の途中なんだけど、あまりに楽しかったから、ここの噂を聞いて、お願いしたくて」


 などなど、様々な理由で音箱を作りたがる客が絶えない。

 おかげで予約が数ヶ月先まで埋まった。

 忙しいのはありがたいが、大変でもある。

 優先的に仕上げなくてはならない依頼からこなす二人の日々はあっという間に過ぎて、やっと余裕が出来た頃には、年の瀬を迎えていた。

「あーあ、今年も同じように、ちょっと豪勢なシチューと、ちょっといいパンね」

「はは、僕は贅沢すぎてもどうかと思うから、これでいいよ」

 年末年始はどのみち、来客もほとんど来ない。なのでマイラ達も他の店と同様に休みにしていた。

 シチューをパンに付けて食べながら、スタイラは嘆息する。

「もうちょっとくらい足したかったわ。今年も大変だったもの」

「そうだね。毎年ながら、大変な事も多かったね。来年はどうなるかな」

「今年よりマシなら、って毎年思ってるわ」

 こんな年末でも彼女が愚痴りたくなる気持ちは分かる。

 マイラは先に食べ終えると、食器を下げながら、一人ぽつりと呟いた。

「けど……それは仕事が減るって事だ。僕達の仕事が人々から見放されたら、贖罪はどう続けたらいいのかな」

 それに返す声があった。


「それはあり得ないよ、マイラ。記憶を、思い出を抱える人が消えない限り、我々の仕事は必要とされる」


 はっ、とマイラは振り向く。そこにいつの間にか立っていたのは。

「師匠……!?」

 驚くマイラに、「しぃ」と囁いて、師匠と呼ばれた女性は続けた。

「だが、やはり君の方が早かったか。その疑問は、贖罪を続けていく上で必ず生じる。その時に次の段階への機会が訪れるんだ」

「次の段階……ですか?」

「ああ。贖罪は、ただ与えられた仕事をこなしていればいいものではない。己の罪を見つめ、普遍に疑問を抱き、答えを出していく必要があるんだよ」

 なるほど、とマイラも理解する。今のスタイラでは辿り着いていない部分なのも確かだ。

「気を付けて、マイラ。今のままでは、スタイラが足枷になる。彼女が枷にならない為にも、君が導いてやるんだ」

 師匠の言葉に、重々しくマイラは頷く。永遠に贖罪を続けるなんて、マイラとてごめんだ。

 そんなマイラを見て、師匠はふわりとその頭に手を乗せる。

「いいかい。今のままではいけないと、スタイラが思わなくてはならないんだ。双子であり、共犯者である君が最も理解していなければならない。『怠惰は敵である』とね」

 怠惰。普遍の代名詞のような言葉だ。それに傾いてしまっては、罪が余計に重くなる。スタイラがそうなりかけている、と師匠は忠告しに来たのだ。

 いつ、どこで自分達を見ているのか分からない。それが師匠だ。そして、助言をくれるのはとても稀な事。

 マイラは今年最後の幸運に感謝して頭を下げた。

「ありがとうございます、師匠。来年からは、もっとよく気を付けていきます」

「ああ。満足も慢心もいけないよ。君達はどこまでも罪人だ。――鐘の音が響かない限り」

「はい」

「それでは、また。スタイラには内緒だよ」

 そう言って、師匠は目の前でふっと消えた。確かに今のスタイラに言っても、怒らせてしまうだけだろう。

「ちょっとマイラ、何してるの? 片付けてるには静かだし……」

 その時、スタイラがやって来た。会話には気付かれていないようだ。

「ああ、今年も終わりだなってぼうっとしてたよ。ごめん、片付けようか」

「ええ。そうね……。今年もまた、終わるわね」

 ふっと翳るスタイラの表情に、マイラは首を傾げた。

「どうかした? スタイラ」

「いいえ。……いつまで、来年を待つのかしらと思って」

「贖罪が終わるまで、だよ」

 答えに応じる言葉は、無かった。



 音箱屋。街で囁かれる、特別なオルゴールの店。

 そこではどんな思い出もオルゴールに出来る代わりに、オルゴールは持ち主にしか開けられないという。

 だから、自分の依頼が受けられるのは難しいと思いつつも、シャンジュは隣に居る婚約者の手を取って、扉を開いた。

 狭い空間には、オルゴールが並べられている。だが、それが鳴っているわけではないので、とても静かだ。

 中を見ていると、奥から子供が出てきた。噂通り、子供が経営しているらしい。こちらを見て、穏やかに声を掛けてくる。

「いらっしゃいませ」

「君が店主だね? 早速だが、依頼をしたい」

「……お連れ様がいらっしゃるという事は、彼女も依頼人でしょうか」

「……はい」

 俯きがちなまま、婚約者のウェラが頷く。

 シャンジュは少年に告げた。

「私の思い出を、彼女にプレゼントしたいんだ。可能だろうか?」

「……可能ではあります。一応、お話をお聞きしますので、奥に座ってお待ち下さい」

 少年は少し渋い顔をして、店内の隅にあるソファを示した。そして一度引っ込む。

 ウェラと一緒に座って待つと、しばらくして少女がティーセットを盆に乗せて、少年とやって来た。

「どうぞ。依頼は聞いたわ。先に忠告しておくけれど、とても危険なことよ」

 丁寧な手つきとは裏腹な淡々とした言葉に、シャンジュは息を呑む。

「自分の記憶を他人に譲る、なんてのはある種、狂気の沙汰なの。譲られた側にも責任がのしかかるわ」

「妹の言う通りです。よほどの理由が無い限りは、お受け出来かねます」

 少年が渋い顔をしていたのは、その危険度にあったらしい。

 だがそれでも、シャンジュは懐から小さな懐中時計を取り出して、テーブルに置いた。

 もう壊れて動かないが、確かに大事な思い出の品だ。

「これは、私達がまだ子供だった頃の思い出の品だ。……彼女は覚えてないだろうが、これとある品を交換した」

「……」

 そう、彼女にとっては覚えがないはずだ。ましてや、それが自分なら、尚のこと。

 それでも、この品は自分が受け取ったのだ。

「その時の記憶を、思い出に残して彼女に贈りたい。このまま忘れていくには、あまりに哀しいのでね」

「それは、絶対に必要な記憶? 彼女にとって」

「ああ。彼女にはこの記憶を受け取る権利がある」

 ウェラは特に何も言わない。既にシャンジュの意思が強固である事を理解しているからだろう。

「権利はあるかもしれないけど、納得してるの?」

「……わたしには止められないので」

「そうじゃなくて。彼の記憶の責任を持てるのかって事よ」

 少女の言葉にウェラはいっそう俯いた。震えた声で、それに返す。

「ええ……。それ以外に、方法が無いから」

「どういう事かしら」

「居なくなった『彼女』を覚えられるのなら……それでいいんです」

「ウェラの言う彼女というのは、特別な存在だそうです。その記憶に関して、私だけが持っているものを譲る。それが一番、最適かと」

 ウェラは知らない。彼女の大事な秘密を。それを知ってもらいたいのは、エゴなのかもしれないが。

 シャンジュは苦笑して懐中時計を示す。

「これに、全てが詰め込まれています。どうか、この無茶な依頼を引き受けてくれませんか」

 店主の双子は顔を見合わせているが、やがて互いに頷いた。

「かしこまりました。お引き受け致します」

「それでは、記憶を預かるわ。二人共から」

「えっ、両方から……?」

「オルゴールを作るには、必要な事なのよ」

 ふっと、何かが抜けた感覚がした。同時に、懐中時計を見ても何も思い出せなくなっている。

 隣を見ると、ウェラも少し狼狽えていた。

「そうですね……三ヶ月ほどかと。少しかかりますが、お忘れなきよう」

「は、はい」

「……大丈夫、です。お待ちしております」

 そして退店した後、ウェラは哀しげに言った。

「あんなに大切な記憶だったのに、忘れるのは一瞬なんですね」

 仕方のない事だ。記憶を抜き取らなければ、思い出はオルゴールになれないのだから。

 だがそうは言わず、シャンジュはしっかりと婚約者の手を握って帰りの馬車に乗るのだった。



『わたし、ウェラ。あなたは?』

 幼い少女が微笑みかけてくる。シャンジュはそれを、眩しい、と思った。

 会う回数を重ねる度に、偽りを貫くのが辛かった。

 嘘を吐く度に、自己嫌悪に陥った。シャンジュのせいではないが、それでも、騙していた事に変わりは無かった。

 嘘を塗り重ねる日々に終わりが来たのは、ウェラが正式に婚約者となった日だった。

『これで、ようやく本来のお前に戻せる』

 父親はすっきりしていたが、シャンジュはそうではなかった。

 淑女を知るべきとして強いられた偽りの姿の真実を知られたら、ウェラはきっと軽蔑する。

 それならば、と今まで黙っていたが、彼女の口からその話を聞く度に、罪悪感が募っていった。

 いっそ全てを吐き出してしまえば、婚約も白紙になって、自分も楽になれるかもしれない。

 だがそれは、甘えであり逃げだ。だから、本当は黙ったままでいるつもりだった。

 だが、知ってしまった。この体は長生き出来ないと。両親の嘆きを、扉の向こうで聞いてしまったのだ。

 ウェラは早くに未亡人となる。その時に何も縋れなかったら、辛いだろう。

 だから、意を決してあのオルゴール屋に行った。全てを失う事を覚悟して。


 ……その結果が、今だ。


「……気付いていました」

 オルゴールを閉じて、ウェラは静かに告げた。

 シャンジュはぽかんとして、だがすぐに頭を振って気を取り直す。

「い、いやいや。かなり完璧に作り込まれたはずなんだがね」

「あなたが仰ったのでしょう。『いつかまた会いに来る』と」

「ああ、言ったとも。だが、それとこれとは」

「何も違いません。このオルゴールが証左です」

 オルゴールには、偽りの自分としての最後の記憶が刻まれていた。

 どのように変装してるかも、鮮明に思い出せる。そしてそれを彼女は知って、怒るだろうと思っていたのに。

「ある日突然、会えなくなると言われて別れを惜しんだ後に、婚約者が出来た、と親に言われたら怪しむに決まっているでしょう。ましてや、わたしがあげた物を持っていたら、尚更です」

 ひたすら冷静な婚約者は、淡々とした口調で告げてくる。

「罪滅ぼしのつもりかもしれませんが、こんな物で帳消しにはなりません。長生きして、わたしとの思い出をもっとたくさん増やしていくこと。幸せになる事。それが許しの絶対条件です」

「長生き……は、難しいだろうね。けれど、その分、愛する気持ちは強いから」

「いいえ。諦めてどうするのですか? わたしを置いて、自分勝手に生を謳歌しきろうなんて、ずるいです」

「いや、こればかりはどうにも……」

「無ければ探すのです。このオルゴールのように、奇跡めいた医者が一人くらい居てもおかしくないでしょう?」

 奇跡は都合良く出てはこない。このオルゴールだけで十分過ぎる程だ。

 だが、彼女は満足しないらしい。諦めない。

「このオルゴールを開かなくていいように、足掻いて下さい。わたしと結婚するのです。同じくらい生きて、今度こそ嘘偽りの無い互いを見ましょう」

 ああ、やっぱり彼女は眩しい。そうシャンジュは思った。



 スタイラは手を動かす。繊細な作業の中で、考えるのはこの間の夜だ。

「師匠……」

 話は丸聞こえだった。自分のせいで刑期が延びてしまうなら、それは一大事。

 二人は共に罰を受けた身だ。同時に終わらなければならない。

 自分はどうするべきなのか。兄が理解出来て、自分に出来ない事とは何なのか。

 それらを受け止めて、兄と共に歩まなければいけない。置いていかれたくない。

 もしも兄だけが先に刑期を終えたら、と考えただけで苦しくなる。

「このままでいいわけ、ないわ」

 呟きは静けさに埋もれる。兄は今、忘却の岬で素材集めをしているはずだ。帰るまでに、決めなくては。

 足枷にならない方法を。次の段階へ進む為の手段を。


 そうでなくては、贖罪はいつまでも続くのだから。

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