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ひと針の願い

 退屈な日々、退屈な仕事。

 どうしてこの仕事を選んだのかさえ、すっかり忘れていた。



「ねえねえ、魔法のオルゴールの噂、知ってる?」

 仕事中、仲間のお針子が突然、そんな事を言い出した。

 それに反応したのは、他のお針子達。

「知ってる! なんでも、音を聴いただけで過去の思い出が浮かぶんでしょ」

「その箱は持ち主以外、開けないんだってね」

「でしょうねえ。大事な思い出を、他人に覗き見られるなんて、嫌に決まってるわ」

 メイノは、それに混ざらずに無心で針を動かす。仕事が人より遅いので、無駄話は出来ないのだ。

 ただ、話は嫌でも耳に入ってくる。

「店主も不思議な事に、ずーっと子供の姿らしいわよ」

「何それー、人なの?」

「魔法のオルゴールが作れるくらいだし、人じゃなくてもおかしくないわよねえ」

「世界に一つきりのオルゴールかぁ。私も作って欲しいかも」

「メイノは、どう思う?」

 不意に話を振られて、メイノは手を止めた。少し考えてから、淡々と返す。

「そんな物を作っても、聴いてる余裕はないから要らない」

「えーっ、そんなに忙しくもないでしょ?」

「大きな仕事なんて、うちの小さな工房には入ってこないものねえ」

「メイノったら、真面目なんだから」

 そんな事は関係ない、とメイノは作業に戻る。

 だが、ふと過ぎるように退屈を感じていた。

(あたしは、どうしてこの仕事をしてるんだっけ)

 この仕事を始めて数年。田舎からこの街にやってきて、この小さな工房で働き出した頃はまだ、何か目標があったはずなのに。

 向いてないとはいかずとも、人より作業が遅いのは直らず、必死で針を動かす事にだけ集中してきたら、いつの間にか婚期も逃していた。

 実家からの手紙はたまに来るが、縁談の話もそこに書いてあり、メイノは少しばかり鬱陶しさを感じてもいた。

(こんな可愛げの無い、仕事も遅いあたしに、いい縁談なんてあり得ないし)

 いつも、当たり障りの無い返事だけで誤魔化している。実家に里帰りする気ももちろん無い。

「そういえば、魔法のオルゴールって、思い出の品と引き換えなんですってね」

「じゃあ、思い出をいつでも聴ける代わりに、思い出の品を手放すってこと? それは慎重にならないとねえ」

「でも、一つくらいなら持っていたいかも」

 まだまだ、噂話は尽きない。だがそれでも彼女達の手はすいすいと針を手早く動かしていく。

 それをちらりと見て、メイノは内心でため息をついたのだった。



 仕事は遅いが、丁寧なお針子が居るらしい。

 そんな話を小さな工房の店主から聞いた男は、縁談でも持ちかけられているのかと思った。

 だがそうではなく、そのお針子に何か一つ、仕事を任せてみたいという内容だった。

「結婚衣装かドレスの一つでも任せたら、もっと化けるんじゃないかと思ってね。何か伝手はないかね?」

「何故いきなりそんな事を?」

 男の疑問は最もだった。腕のいいお針子なら他にも沢山居るはずだ。

 だが、店主はあくまでもそのお針子を推したいらしい。

「うちに来たばかりの頃は、もっとキラキラして仕事をしていたんだよ。叶えたい夢もあったらしい。だが、いつからかそんな事も言わなくなって、仕事をただこなすだけになってしまった。雇用主としては、心が痛むんだよ」

「なるほど、そのかつての姿をまた見たい、と。分かりました。いい仕事がないか探してみます」

 仕事が遅いのなら、納期に余裕がある仕事の方がいいだろう。

 そうして男が立ち上がると、主人も立ち上がって言う。

「せっかくなので、見学していきませんか?」

「そうですね、そのお針子とやらも気になりますから」

 男も誘いに頷いて、工房へと向かった。

 小さな工房は数人のお針子でいっぱいで、見回すと隅の方でゆっくり手を動かしている女性が居た。

「あの、隅で仕事をしているのが例の女性……メイノだ」

 こそっと店主が囁いてくる。なるほど、確かに仕事はしているが、どことなく退屈そうだ。

 本当に任せて大丈夫なのだろうかと疑問を抱くが、手を抜いているようにも見えない。

「声をかけても?」

「少しなら……おい、メイノ」

 呼ばれた女性は手を止めて顔を上げる。その表情もどこか暗い。

「うちを贔屓にしてくれるお客様だ。あー、お前、その、仕事に満足しているか?」

「はい。十分です」

「そ、そうか。それならいいんだ」

「……何か、あたしにご用では?」

「ああ、また今度にするよ。頑張ってくれ」

「? ……はあ」

 用が終わった途端に、また手元に顔を戻す女性は、やはり楽しそうとは微塵も思っていないようだ。

 試しにドレスを一着任せて、それで終わりだろうか。

 男はそう思って、工房を後にしたのだった。



「なるほど、思い出は忘れてしまった、と」

「でも大事だったのよね?」

 二人に問われて、メイノは頷く。

 テーブルの上には、革の指抜きが置かれている。ボロボロのそれは、亡き祖母が田舎を出る前にくれた物だ。

 オルゴールの噂を聞いていた時は特にどうとも思わなかったのだが、帰った後にこの存在を思い出して、駄目元でこの店を探して見つけたのである。

 双子の幼い店主に事情を話すと、二人は顔を見合わせている。

「……別に、無理矢理ってわけじゃないし。思い出せたら、何か変わるかと思っただけ」

「出来るわよ。けど、それでいいの? 普通の人間なら、この先も色んな事を経験して、思い出を増やしていくものよ」

「お客様がもしもその限りでなければ、確かに引き受けられますが」

 記憶を預かる為、普通の人間はそんなに数を作れないらしい。だが、既に忘れてしまったのなら、特段惜しいわけでもなかった。

 メイノは頷いて言う。

「うん、これでお願い。このまま先も退屈で居たくないから」

「分かったわ。じゃあ、記憶を預かるわね」

 指抜きを手にした少女の言葉と共に、何かの虚脱感に襲われた。それは一瞬で消えたが、奇妙な感覚は残っている。

「では、三週間ほどで出来上がります。くれぐれも、お忘れなきようお願いしますね」

 少年に言われて、メイノは頷く。

 これがどんな結果をもたらすのかは、三週間後に分かるのだ。

 そうして店を出て歩いていると、美しいドレスを展示している店を見かけた。

 豪奢なそれは、だがよくよく見ると、わずかに歪んだ箇所がある。

 素人目には分からない程度だが、勿体無い、とメイノは思った。

 そこに、店から出て来た人物と目が合う。

 その人物は昨日、工房にやって来た男だった。

「……どうも」

「こんにちは、奇遇だね。このドレスに興味が?」

 にこやかな男には悪いが、首を横に振る。

「いえ、少々……仕上げが粗い所が気になったので。普通の人には分からないと思います」

「ふむ、どの辺だろうか」

「二の腕の膨らみの辺りと、それからスカート部分のギャザーが一部。レースの縫い方も甘いかと」

「……ふむ、ふむ。言われてみれば、確かに。見た目の豪奢さに気を取られていたら、分からないな」

 男は真面目に話を聞いてくれた。それに驚き、メイノは問いかける。

「……怒らないんですか? 看板商品を貶したようなものなのに」

 男は首を横に振って微笑んだ。

「いいや。ここの工房との付き合いを考えさせてくれる、いいきっかけになった。ああ、私はドレスなどの買い付けをしている商人なんだ。昨日は仕事の邪魔をしてすまなかったね」

「いえ、あの通り小さな工房ですので、仕事も多くないですから。あたしが、人より作業が遅いだけで」

「だが、丁寧だと店主が褒めていたよ。君はこういったドレス作りに興味は?」

「……あたしなんかより、もっと腕のいい職人が居ますよ」

 メイノ達の仕事は、一般人向けの普段着がほとんどだ。だがそれでも、メイノも仲間たちも、手は抜かない。むしろきちんと丈夫に縫う事を大切にしている。

 だからこそ、小さくても今までやってこれているのだ。

 ドレスなんて仕事が入ったら、大わらわになるに違いない。

「そう言わずに、もう少し欲を出してみればいい。チャンスは案外、すぐそこにあるかもしれないよ」

「はあ。……じゃあ、あたしはこれで。失礼します」

「ああ、また」

 またって何だ、とメイノは思ったが、気にせず帰る。

 また明日から仕事だ、と思うと、少しだけ憂鬱になった。



『おばぁ、これ貰っていいの?』

『ああ、あんたなら、大事に使ってくれるだろう?』

『ありがとう! あたし、絶対にいつか、たった一人の為のすごい服を仕立ててみせるからね!』

『メイノ、あんたは才能があるよ。きっと出来るさ』

『うん、諦めないよ!』

 ――田舎を出ると決めた時、真っ先に祖母がやってきて、指抜きをくれた。

 いつかそれで、誰かの一張羅を仕立てたかった。

 それは指抜きが壊れて叶わぬ夢になってしまった。

 だが何よりも、才能があると送り出されて、現実を知った後の絶望感が強かったのだ。

 仕事こそ出来るが、その作業は誰よりも遅い。首にならないのは、店主の温情だとさえ思った。

 仲間たちは仕事も速く正確だから、余計に劣等感が募った。

 そうして無心に針を動かして、数年を過ごした。

 いつか誰かの為にとびきりの服を仕立てたい、などというのは幻想の願いだと、心に封じ込めたのだ。

 ただ、そうやって不貞腐れても、仕事の手を抜く事は考えられなかったのだから、やっぱりこの仕事が好きなのだろう。

 オルゴールを聴いてからはそんな気持ちになり、鬱屈も吹っ切れて、少しだけ楽な気持ちになった。

「メイノ、最近は機嫌がいいじゃない」

「何かいい出会いでもあった?」

 作業の合間の雑談にも、気軽に応じられる。

「まあね。あと、噂のオルゴール屋もいい仕事をしてくれたから」

「えーっ! 先を越された!」

「そんなの要らないって言ってたくせにー」

「でも、メイノがいいって言うなら、私も一つくらい作ろうかしら」

「そうねえ。何だかんだ、メイノの目は侮れないもの」

 仲間たちからの意外な評価に、メイノは目を丸くする。てっきり、仕事が遅いと陰口でも叩かれているのかと思っていた。

「真っ先に店で売れるのも、メイノが作った服だものねー」

「私達だって決して手抜きじゃないのに、ね」

「それが才能ってやつじゃないかしら? メイノは自覚ないみたいだけど」

 くすくすと明るく笑う工房に、その時店主が入って来た。

「め、メイノ! 大仕事だぞ! 依頼があってな。とある貴族様のドレスを、お前に仕立てて欲しいそうだ!」

「えっ」

「期限は問わないが、なるべく早く頑張ってくれ。布地などは用意してくれるそうだ」

「あ、あたしが? でも」

「いいじゃない! 受けなさいよ、メイノ」

「そうそう、こんなの滅多に無い名誉よ!」

 狼狽えるメイノを、仲間たちが嬉しそうに後押しする。

 それに店主たっての指名だ。これは受けるべきなのだろう。

 メイノはわずかに戸惑いながら、頷いた。

「わ、分かりました。あたしで、良ければ」

「ああ! よろしく頼むぞ!」

 言うだけ言って、店主は足取り軽く去っていった。

「すごいじゃない。ドレスよ、ドレス!」

「完成が今から楽しみだわ」

「メイノ、頑張って!」

「えっ、と、うん」

 まだ実感の湧かないメイノだが、この数日後には、そうも言ってられなくなるほど、仕事に熱中することとなる。



「へえ、大きな商人が結婚だってさ」

「ふーん。相手は?」

「それが、一介のお針子らしいよ。その人の腕に惚れたらしい」

「あら、技術ありきの結婚かしら。老後が不安ね」

 ドアベルが鳴らないうちは大抵こうして奥の工房に引っ込んでいる二人は、のんびり新聞を読んでいる。

 ふと思い出したように、スタイラが言った。

「お針子って言えば、この前来た女性もそうだったわね」

「ああ、あの指抜きの」

「オルゴールを作って良かった、って久しぶりに言われたわね。たまに聞くと嬉しいものだわ」

「そうだね。今頃、思い出と一緒に過ごしているかな」

 マイラも少し微笑んで、新聞を畳む。

 ちょうどその時、ドアベルが聞こえた。

「僕が出るよ」

「はいはい、よろしくね。お茶の用意しておくわ」

 マイラが店に出て、スタイラがその間にお茶の支度をする。

 音箱屋は、今日も平常運転だ。



 夢見る少女には戻れない。

 だが、抱えた夢はもう忘れる事はない。

 オルゴールの鳴る部屋で、静かにゆっくりと針は動く。

 誰かの為の一着を仕立てながら。

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