偽音の報酬
特別だと思っていた。
後悔は未来にしか訪れない。
ただの人には過ぎたるものだったのだ。
※
いつもの朝、新聞を読んでいたマイラは、ふと目についた広告に眉を寄せた。
「スタイラ、君は新聞社に広告なんて出してないよね?」
のんびりお茶を飲んでいたスタイラを見やると、彼女は怪訝そうな顔で肯定を返す。
「するわけないじゃない。私達はそういうの、許されてないでしょ」
「そうだね。見て、これ」
マイラが広告を見せると、スタイラは顔をしかめた。
「何これ」
『あなたの記憶、オルゴールにしませんか?』
目立つ大きさの文字で書かれた中身は、マイラ達の仕事と同じだ。
だが、マイラ達と同じなはずがない。それに、この職を近くの領域に二つも置くはずがない事も、二人は知っていた。
であれば、可能性は他にある。
「たまたま同じような力を持ってる誰かか、ただの詐欺か……」
どちらにしても、商売敵になってしまうのは否めない。
かといって対抗するのも違うので、マイラは嘆息しつつ新聞を閉じた。
「僕達の贖罪を邪魔しなければ、別にいいんだけどね」
「そりゃそうだわ。私達だって、慈善事業やってるわけでもないし」
スタイラもお茶を飲み干す。そろそろ開店の時間だ。
「ただ、気にはなるかな。僕達と同じ事が出来るなら、どんな人かってね」
「私は興味無いわ。にしても、いきなり現れるなんて嫌な気分」
片付けながらスタイラがぼやく。
マイラも新聞を棚の上に重ねて肩を軽くすくめた。
「さあ、店を開けようか」
そうして表の札を『開店』にすると、程なくして客が入ってきた。
「失礼、ここが広告にあった店かな?」
「いえ、違いますが、同じ事は出来ますよ」
「何っ? いや、違うならいいんだ。それに、君のような子供がやっているとは……信じがたい」
紳士服の男性はわずかに狼狽えて、そそくさと店を出て行ってしまった。
「やれやれ……。見た目で判断しないで欲しいな」
だが、それを皮切りに、この日は何人も広告の店目当ての来客があり、大半がそちらへと流れていってしまったのだった。
昼までに二桁を超える来客の相手に、流石にマイラも辟易して昼食のパンを齧る。
「困ったものだね。店の表に貼り紙でもした方がいいかな」
「っていうか! 広告の店の場所もこの近くなんて知らなかったわよ!」
先ほどマイラも確認したが、広告には住所が書いてあり、それが近所だと判明したのだ。やけに間違いが多かったのは、そのせいもあるだろう。
「うーん、このままじゃ支障が出るね。いっそ、午後から僕がその店に行ってみようか」
「マイラが? 行ってどうするの?」
「うん、直接見てみないと分からない事も多いからね。確か向こうの店の名前は……『リンフォークス』だったかな」
歩いて三十分もかからない距離だ。少しの間だけスタイラ一人に店を任せる事になるが、大丈夫だろうとマイラは頷く。
「うん、行ってくるよ。ついでに広告の通りか確かめてみよう」
「分かったわ。それなら、表に貼り紙しておくわね。間違いで来られるのは迷惑だもの」
「お願いするよ」
そうして、昼食後にマイラは広告の店へと向かったのであった。
※
パニーショには、昔から不思議な力があった。
それは、他人の記憶を覗ける力。
最初は不気味がられたが、長年を経て、その力の使い道を思い付いたのだ。
それが、他人の記憶を覗いた時に聞こえる音を、オルゴールに組み込む事だった。
物音だろうが声だろうが、関係ない。音楽としてそれらを適当に組み込めばいいだけだ。
あとは記憶の持ち主が勝手に解釈してくれる。
必要だったのは、技術と金だけだった。
それももう心配ない。
「いやはや、出資者が出てくれるとは」
あまり大きくない店は、人で埋まっている。
今日の新聞広告で訪れた客ばかりだ。
新聞に広告を打つにはそれなりの金が要るが、出資者のおかげでそれも叶った。
おかげでいつもより大変だが、何とかなるだろう。何しろ、自分以外の技術者も抱え込んでいる為、制作に遅れはさほど出ないのだから。
「すみません」
と、そこに幼い声がした。
見回すと、足下に随分と幼い少年が立っている。
「何だね君は。迷子かね?」
「いいえ。客として来ました」
少年は淡く微笑んでいるだけなのに、薄ら寒さしかしない。
不気味に思ったパニーショは、しっしっ、と手を振った。
「ここは子供が買えるような品を置いてない。私の技術は特別なのだよ。帰りたまえ」
「知ってます。新聞の広告を見ましたので。……おかげで、うちの店が困ってます」
「店?」
怪訝になったパニーショに、少年は続けた。
「僕達の店は、ずっと前からあるんですけどね。あなたの広告のせいで、店を間違える人が殺到して、大変なんです。せっかく広告を出したのなら、その辺りもしっかりして貰えませんか?」
噂には聞いた事がある。自分のように、思い出をオルゴールにする店だと。だが、近所だとは知らなかった。
パニーショはそれでも態度を変えずに、少年の肩を掴んでドアへと向ける。
「知った事じゃない。第一、君のような子供が私のように特別な力を扱えるものか。さあ、帰った帰った」
「あ、お金ならありますので、せめて一品くらい」
「断る。人の店にケチを付けに来た子供に作ってやる品など無い」
「この店ではこんなに沢山のお客様を、一手に引き受けるんですか? 随分と記憶の扱いが雑なんですね」
「もちろん、大事な客人には丁寧な対応をするとも。そちらがどうかは知らんがね」
さあさあ、と背中を強く押して少年を追い出したパニーショは、定位置のカウンターに座り、ため息をついた。
「とんだ子供だ。特別な店は一つでいいのだよ。潰れようが知った事か」
小さい独り言は、店のざわめきに掻き消えて。
「すみません! あの、記憶をオルゴールにしてくれるんですよね? 是非、お願いしたいのですが」
カウンターに来た若い男性に、パニーショは少年の事など即座に頭から消え失せて、満面の笑顔で頷いた。
「おお、いらっしゃいませ! どんな記憶ですかな?」
「つ、妻と結婚した時の記憶を……!」
パニーショは男性の顔をじっと見つめる。すると、結婚式の記憶が見えてきた。
幸せそうに誓いを交わす二人を、鐘の音が祝福する。
なるほど、と頷いてメモを取った。
「はい、十分ですよ。ただ、今はこの通り繁盛してましてね。お時間を頂きます」
「は、はい! あ、お値段は……」
「そうですな。お客様の場合ですと、このくらいかと」
こそこそと金額を囁くと、男性はぎょっとした。
「そ、そんなに!?」
「ええ、何せ特別ですからね。嫌なら仕方ないですが」
「いえ! は、払います! ですから、お願いします!」
「いいでしょう。お名前をこちらに」
予約名簿を差し出すと、男性はそこに署名して帰っていった。
それからも似たような依頼を受けながら、パニーショは自身の成功に内心でほくそ笑むのだった。
※
それから一ヶ月後。パニーショの店には完成を待っていた人々が押し寄せた。
「はい、順番ですよ! ええ、こちらになります。毎度あり!」
そう言いながらオルゴールを売り捌くパニーショを見ていた裏方の人間達は、げっそりしていた。
当然である。特別な力を持っているパニーショ自身は、大口の依頼しか取り扱わず、その他大勢の依頼人の分が一気に彼らに押し寄せてきたのだから。
ろくな食事も睡眠もとれなかった彼らは、怨嗟を吐く。
「何が特別だ……!」
「俺らでも作れんのなら、そんなの、何の意味もねぇだろうがよ」
「さも自分が頑張ったような振る舞いしやがって……」
パニーショが広告なんて出さなければ、まだマシだったのに。そう口々に彼らは言う。
しかも、極めつけはオルゴールの難易度だ。
適当なメモだけで一人一人の音楽を作る事が、どんなに大変だったか。
そのくせ自分だけは、大口依頼人のしっかりしたメモを取って作っていた。量どころか質さえも違うのである。
それでも、この一ヶ月を乗り切ったなら、と彼らも今回は口を噤む事にした。
それから先が地獄だとも知らずに。
※
『当店は、広告を出しておりません。ご留意下さい』
そんな貼り紙の付いた扉を、一人の男性が開けた。
「あ、あの……!」
「はい、いらっしゃいませ」
たまたまショーケースの整理をしていたマイラが立ち上がる。
それを見た男性は、唐突に泣き出した。
「うっ、うっ……騙された! この店しかもう、無いんだ……!」
「落ち着いて下さい。一体、どういったご用ですか?」
ショーケースを元に戻したマイラが近付くと、男性はマイラの小さな肩を掴んで膝から崩れ落ちる。
「俺の妻との思い出を、間違えられたんだ!!」
「……どういう事ですか?」
彼はここの客ではないが、思い出、と聞いては黙ってもいられない。
恐らくはあの店の客だったのだろうが、何があったのか。
「二ヶ月前に、俺はリンフォークスってオルゴール屋に行ったんだ。そこで、妻との結婚式の記憶をオルゴールにしてもらったんだが、いざ出来上がった音を聴いても、何も思えない。それどころか、自分のものじゃないって思えたんだ」
説明しながら、男性は懐からオルゴールの小さな箱を取り出す。手のひらに収まるサイズのそれを開けると、音が流れた。
「……? 何だか、歪な音がしますね」
マイラにとって、それはただの音の羅列だった。音楽ですらない。
「そんなもんかと思ったんだが、妻がこれを聴いて、不愉快になってしまったんだ。こんなのじゃない、って」
「これだけ不協和音が混ざれば、そう思うかと」
「それで、俺、あの店に行ったんだ。本当に俺のなのか。そうしたら、あの店主……!」
『おやおや、もしかしたら、うちの職人が間違えたのかもしれませんな』
「あっさりと、自分が作ってないって認めたんだ! なのに返品も返金もしないと言われて、ふざけるなって思ったら、この店にでも行けばいい、と言われたんだ!」
なるほど、とマイラは納得した。そして、すぐに危惧した。
「まいったな……」
――近いうちに、似たような客が何人も訪れるかもしれない。
そしてそれらを一々引き受けていたら、それこそマイラ達の手が回らなくなる。忙しくなるにも限度があるのだ。
しかし今、目の前にいる客人まで追い返すつもりは無い。
「お客様は、その記憶をどうしたいんですか?」
「出来るなら、今度こそ俺と妻の思い出をオルゴールにして欲しい! 金は……足りなければ工面する! いくらだ!?」
「まだ引き受けるとは言ってませんよ。第一、肝心な物がありませんよね」
この店でオルゴールを作るには、記憶だけでは足りないのだ。きっと、それも逐一説明しなければならなくなる。しかも、短時間にいっぺんに来る客、一人一人に。
そう思うと、いくらマイラでも既にうんざりだった。
「肝心な物?」
「はい。お客様の思い出にまつわる、大事な品が無ければ、当店では作れません。それに、記憶もお預かりします」
「そ、そうなのか? その、思い出の品と、記憶さえあれば、作ってくれるのか!?」
「ええ、あとは少々お時間を頂く事になります。僕達の仕事は、ここまで雑ではありませんので」
男性の手にあるオルゴールを見ながらマイラが言うと、男性は立ち上がって顔を袖で拭った。
「そういう事なら……! 明日にでもまた、店に来ます!」
「分かりました。お待ちしております」
男性は、明るい様子になって店を去った。
それを見送ったマイラは、スタイラの所へ行く。
「スタイラ、しばらく忙しくなるかもしれないよ」
「何だかうるさかったわね。どうしたの?」
「向こうの店がしくじったみたいだ。皺寄せが僕達に来るかもしれない」
「はあ!? 冗談じゃないわよ、他所の店の尻拭いなんて!」
「僕としても望まないけれど、この店を求めるお客様まで門前払いする訳にはいかないよ」
そんな会話をしている間に、ドアのベルが聞こえてきて。
『すみません! 店主さんは居ますか!』
今度は若い女性の声。切羽詰まった様子に、二人は顔を見合わせてため息をついた。
※
あの広告を出してから四ヶ月。今や店の中には、客など居なかった。
代わりに店の外からは怒号が聞こえてくる。
『店主は出て来て謝罪しろ!!』
『大事な記憶を踏み躙りやがって!』
『金返せ! 詐欺師!!』
――そう、今や、パニーショの店は開けられる状態ではなくなっていた。
抱えていた職人達も全員辞めてしまい、出資者も手を引き、店を開けたが最後、苦情と怒りを抱えた客達が殺到するだろう。
「何故……何故だ。私の特別な力で、成功したはずだったのに」
呟きに返る答えも無い。
パニーショはひたすら店の中に閉じこもって、夜が更けた頃に裏口からこっそり帰る日々を送っていた。
どこで間違えたのか分からない。ぐるぐると巡る思考の中、ふと思い出したのはあの少年。
「……そうだ、あの子供の呪いなんだ、これは」
薄ら寒い笑みを浮かべて自分を見ていた少年。記憶を覗いていたら、何が見えていたのか。今となっては知る術もない。
「私は呪われたのだ、あの少年に! 呪いだ! あれは子供の姿をした化け物だったのだ!」
そう自分を納得させたパニーショは、また夜が更けるのを待って裏口から逃げ出す。そして自分の家に帰ると、持てるだけの財産をかき集めた。
「逃げてやる。こんな、呪われた街から!」
必死の形相で荷物を抱えたパニーショが外に出ると、そこには。
「パニーショ氏ですね? あなたを、詐欺の容疑で拘束します。抵抗しないように」
――複数の警邏人が待ち構えていたのだった。
※
「彼、捕まったらしいよ。詐欺罪だってさ」
朝食のパンを齧りながら、マイラが新聞をスタイラに向ける。
「へー。ま、あんな雑な仕事してたら、当然よね」
依頼客の一人が、もう要らないからと言って、例の店のオルゴールをくれたので、スタイラが分解してみたのだ。
それは何の仕掛けもない、しかも適当な仕事としか思えない造りのオルゴールだった。
しかも高値で売り捌いていたのだから、客達の怒りは最もだろう。
おかげで二人は、当分仕事には困りそうにない。
「記憶は繊細なものなのよ。片手間で扱おうなんて、ふざけてるわ」
「彼には分からなかったと思うよ。いや、大半の人間は分からないんじゃないかな。記憶がどれだけ大事なものなのか」
パンを食べ終え、マイラは言う。
「一時を永遠にするには、代償が伴う。彼はその代償の価値さえも分からなかったんだろうね」
「そうね。私達でさえ、終わってから知ったもの」
今日も少し早いが、仕事が詰まっているので作業を始める。これから半年は予約が入っているのだ。客人達も、よく待てるものである。時間を犠牲にしてでも、大事な思い出を形に残したいのだろう。
「さ、しっかり頑張ろうか。スタイラ」
「ええ、マイラ。私達はきっちり仕事をするんだものね」
もう、扉の貼り紙はもう必要無い。あるのは『音箱屋』の看板だけだ。
※
「私は呪われているのだ……この力も呪われた……」
薄暗い牢の中、独り言が響く。
「呪われた国から出してくれ……。私は悪くない……」
看守が、ちっ、と舌打ちをして男の居る檻を叩く。
「黙れ!」
だが、男は意に介さず、ぶつぶつと呟いているままだ。
「助けてくれ……あの化け物が追ってくるんだ……あの不気味な笑顔で……」
「イカれやがって。詐欺師のくせに」
虚ろなままで、男は嘆き続ける。後悔する。
一人の少年と出会った事だけを。




