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初恋欠片

 忘れたくて、投げ捨てたのに。

 今もまだ、忘れられないでいる。



 静かな工房では、かちゃかちゃという小さな音だけが響いている。

 持ち主が迷子な音箱を、一人の幼い少年が組み立てている音だ。

 彼の名前はマイラ。この工房の主の片割れ。そして音箱の箱を作る役割を持っている。

 無心に、無言で、ひたすらに小さな部品を緻密に正確に組む姿は、まるで歴年の職人だ。否、事実そうである。

 そして歯車一つで狂ってしまう繊細な音を作るのは、もう一人の店主である双子の妹。

 その妹は出かけていた。日用品の買い物である。

 組み立てが一区切りしたところで、マイラは手を止めた。

 休憩の為ではない。来客のベルが聞こえたからだ。

 呼び声がしないのは、店に陳列されたものに魅入っているか、戸惑っているからか。

 だが、もう一つの可能性も思い出して、マイラは腰を上げた。

 カウンターに出ると、やはり、品物を手にしている女性が居た。

 こちらに気付かず、開かないかと試しているようだ。

 マイラは苦笑し、女性の近くまで歩み寄り告げる。


「お客様。それはお客様のお求めの品ではございませんよ」


「きゃあっ」

 驚いた女性が短い悲鳴をあげて、手にしていた商品であるオルゴールを取り落とす。

 マイラはすかさずそれをキャッチし、棚に戻しながら問いかける。

「お客様、このお店にいらしたのは、どういった御用ですか?」


「……探しに来ましたの。あたくしの、初恋の音を」


 困惑と恥じらいを混ぜたような表情で、女性はそう答えたのだった。



 音箱屋、という店がある。そこはとても小さな店で、ショーウィンドウすらない。

 だが、いつの間にか、いつからか、その店は当たり前に存在していた。そう噂されている。

 その店は名前の通り、オルゴールを商品にしている。だが、ただのオルゴールではない。

 この店のオルゴールは特別なのだ。一つの箱につき、一つだけ、思い出を音にして残す。思い出の品を部品にして。

 その代わり、持ち主は思い出を忘れてしまう。それはオルゴールを開いた時だけ、思い出せるようになるのだ。

 そして持ち主以外は箱を開ける事も出来ない。たとえ音を聴いても何も感じない。そう、今しがた開けられない音箱を開けようとしていた彼女のように。

 そんな彼女は、名をリモネと言った。

「ずっと昔、あたくしは叶わぬ恋をしておりましたの。お相手は、家庭教師のお方でしたわ」

 話を聞く為に一旦店を閉めたマイラは、スタイラが戻るまで話を聞く事にした。

 リモネはとある貴族で、嫁いで十年だという。

 今は里帰り中らしい。そこでこの店の噂を聞いて、訪れたようだった。

 マイラは話の続きを待つ。

「当時のあたくしはまだ十二ほど。恋に夢中になり、勉学が疎かになりがちでしたわ。そんな中、気晴らしにと、かのお方は街へお忍びに連れて来て下さり、ブローチをお一つ買って下さったのです」

 だが、それは手元に無い、とリモネは続ける。

「程なくして突然、家庭教師を辞めるとかのお方に言われましたの。……結婚を、するからと」

 当時まだ幼さの残る少女には、無慈悲な失恋だったに違いない。影を落とすリモネは、手をぎゅっと握りしめて言った。

「あたくし、あまりの辛さに……ブローチを、海に投げ捨ててしまったのですわ。ご存知かしら。思い出を捨てる場所として有名な、街はずれの岬を」

「ああ、よく足を運びますよ。……お客様のように、後から取り戻したい方も居ますから」

 マイラの箱作りの部品は、それこそ大半が、捨てられても浜に打ち上げられた装飾品や小物だ。それを使って、腕が鈍らないように持ち主不明の箱を作っている。

「では、あたくしのブローチも、もしかしたら……」

「いえ、それは保証しかねます。捨てたのはずっと昔なのですよね? 当方がたまたま拾って、というのは滅多なことではありません」

 マイラはリモネにそう言いながら、一度立ち上がって店の中を示す。

「しかし、探す事は出来ます。……妹が居れば、ですが」

「そ、それはどういう事ですの?」

 詳細は教えられないが、妹は思い出を音にする役割が故に、マイラには出来ない事が出来る。

 ちょうどその時、店の扉が開いた。


「帰ったわよ、マイラ。……あら、お客様が居たのね。どうりで閉めてると思ったわ」


 腕に抱えた荷物を運びながら、妹は言う。

「スタイラ、良かった。ちょうど君の力が必要なんだ」

「私の? ああ、そういうことね。これを置いたらすぐ戻るわ」

 ぞんざいな口調で妹のスタイラは奥に一度入り、少ししてからまた戻ってきた。

「さて、それじゃあ探し物の記憶を教えてくれる?」

「え、ええ」

 困惑気味に頷いて、リモネは先ほどと同じ内容を伝える。

 スタイラはしばらく考え込んでから、棚の一つに向かった。

「ここね」

「あったの? 驚いたよ、まさか見つかるなんて」

「いいえ。元より不完全な音だったもの。呼んでいたんじゃない?」

 ガラスの棚から取り出されたのは、複雑な色合いを持つ石が嵌め込まれた、上品な外装をしたオルゴール。

 それを見たリモネが、はっと息を呑んだ。

「その石は……! あたくしが貰ったブローチの……!」

「どうぞ、開けてみて」

 思い出の持ち主ならば、開けるはずだ。

 果たしてそれは、容易く蓋を開けた。

「……! あ、あぁ……!」

 リモネは膝から崩れ落ちて泣き出した。

「これだわ……あたくしの、初恋よ」

「そう。だけど、これじゃお渡し出来ないわ」

 スタイラはあっさりと箱を取り上げる。

「あなたの思い出。それが無いと、このオルゴールは完成しないの。まあもちろん、不完全でもいいなら話は別だけど」

「どういう……?」

「このオルゴールには、思い出が足りない。つまり、持ち主に未練が残っている状態なの。その未練も組み込んで音を直して初めて、完成したと言えるのよ」

「……あたくしは、昔の初恋を捨てきれていないのです。この十年、夫は優しいけれど、子供はどうしても作れず……。一年、三年、五年……いつかは、と思ってもうこんなにも……」

 空になったリモネの手には、見えないはずの『未練』が見えた気がして、マイラは目を細める。

「完成させる事で、未練は思い出に昇華出来ます。いかがなさいますか?」

 そう問えば、リモネは顔を上げた。

 そして縋るように言う。


「お願い致しますわ。あたくしの醜い未練を……どうか、どうか、美しい思い出にして下さいまし!」


 マイラとスタイラは顔を見合わせ、一礼する。

「かしこまりました。では、お客様のお望みのままに」

「お客様の初恋の記憶、お預かり致します」

 一週間後に、と約束を交わしてリモネは店を去った。

「やれやれ、急ぎの仕事が入っちゃったわね」

「ありがとう、スタイラ。僕じゃ探せないから助かったよ」

「いいわよ、仕事だもの。さ、支度しなくちゃ。一応店は時間まで開けておくわ」

 そう言ったスタイラが扉の外から戻った時、奇妙な事に新たな客を連れていた。



 それから一週間、店は開けられなかった。急ぎの注文が二つも入ったからだ。

 しかも厄介な注文な為、マイラのみならずスタイラまでもが缶詰状態になった。

 その甲斐あって、文句のつけようが無い完成品が出来上がったのだが。

「さて、今回のお客様は来てくれるかしらねー」

「届けるのは少し手間だからね。来てくれた方がありがたいな」

 店を開けてしばらく待つと、ベルの音がして扉が開いた。

 入って来たのは、リモネ。

「ごめん下さいまし。注文の品を受け取りに来ましたわ」

「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」

 マイラはにこりと微笑み、彼女のオルゴールをカウンターに出す。

「こちらになります」

「あら? 前と装飾が少し変わりましたのね」

 彼女の言う通り、丸ごと使っていた石が半分の形になっている。他にも宝石の欠片が一つ増えていた。

 今日で里帰りは終わりらしく、急いでいるのか、品を受け取り代金を支払ったリモネは、扉で誰かとぶつかりかけてしまっていた。

「あっ、申し訳ございませんわ」

「いえ、こちらこそすまない」

 そして入れ代わりに入って来た男性は、まっすぐカウンターへ来て問うた。


「注文の品を受け取りに来た。出来ているかね?」


 マイラが頷いて品をカウンターに出す。

 その蓋には、リモネの装飾に使われていた石のもう半分が使われていた。更に、小さな石の欠片も埋め込まれている。……先ほどと同じ石が。

「はあ、よかった。ありがとう。……すまないね、急がせてしまって。代金は多めに置いておくよ。それじゃ」

「ありがとうございます。またいつか、ご入用の際はご贔屓に」

 慌ただしく去った男性。それは、リモネの初恋の相手だった。


『ずっと昔に慕ってくれていた少女が居てね。僕に婚約者が居なければ、彼女を選んでいたかもしれないね』


 その彼女が里帰りしたのを偶然知った彼は、当時の彼女の恋心に気付いていたという。

 独善的ではあるが、大人が嵌めるには小さな指輪を用意し、それを使ってオルゴールにしてくれと頼んできたのである。しかも、彼女が聴けるように、と追加の注文までして。

 本来ならば、持ち主以外はオルゴールが開けないが、今回は特別にどちらでも開けるようにした、というのが顛末だ。手の込んだこの仕組みを生み出すには、リモネのオルゴールも彼が開けるようにした方がいい、と考えて二人はそう細工したのである。

 普段はやらないだけに、今回は流石に疲れた、と双子はお互いを労う。

「あのオルゴールがどうなるかは知らないけど、『忘却の岬』に投げ込まれない事を祈るわ」

「それは同感だよ。稀に見つかると、寂しくなるからね」

 この店が作るのはあくまでも「思い出す為の品」であって、記憶を捨てる為ではない。

 それでも、居るのだ。勘違いして、記憶として捨て去ってしまう者が。もちろんその人間は出禁である。

 それはともかく、一仕事終えて安堵の息をついた二人は作業場に戻り、作りかけていたオルゴールに手を付けた。

 今作っている物にも、いつか持ち主が現れるだろうか。

 その日を待ちながら、マイラもスタイラも、オルゴールを作り続けている。



 ――オルゴールの音が流れている。

 部屋にはゆりかごと、その中で眠る赤子。

 その近くでうたた寝をする母親は、夢を見ていた。


『ねえ先生、あたくし、思い出が欲しいですわ!』

『記念にかい? それはいいね。僕に選ばせてくれないだろうか』

『まあ! 嬉しいですわ! それでは、このお店で探しましょう!』


 ――それは、かつての少女の初恋。叶わぬ想いを切り取って、煌めきに変わった思い出。

 けれど、この思い出は彼女のものではない。

 彼女があの日買ったオルゴールは今、もう一つの初恋の元にあるのだから。


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