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墓標の一輪

 真新しい、一つの墓標。

 そこにだけ黒い百合が咲くのは、呪われているからだと。

 上辺の話しか知らない人々は、そう噂する。



 音箱屋、と書かれた看板を見つめて、少女――リアネは息を小さく吐く。

 そして、意を決してその扉を開いた。

「ごめん、くださいな……」

 か細い声で言いながら中へ入ると、小さな店の中はオルゴールだらけだった。

 壁や店の真ん中のショーケースには、大小様々なオルゴールの箱が収められている。

 しかし店内は驚く程に静かで、自分の心臓の音さえ聞こえそうだった。

 所在なく店内を見渡していると、カウンターから声がした。

「いらっしゃいませ、お客様」

 振り向くと少年がいつの間にかそこに居た。自分よりも幼いこの少年が、店主なのだろうか。

 リアネは緊張しながら、声を掛ける。

「あっ、あの……思い出を、オルゴールにするお店……で、合って、ますの?」

 少年は軽く微笑んで頷く。

「はい。思い出の品を使って、たった一つの思い出を形に残す店ですよ」

 噂の通りだ、と安堵したリアネは、手にしていた物を差し出して言った。

「で、では、これで、オルゴールを作ってもらえないかしら!」

「生花……ですか。可能ですが、全てを使う事は出来ませんよ」

「いいの。この花を使う事こそが、重要だから」

「それでしたら、まずはお話を伺います。どうぞ、あちらに座ってお待ち下さい」

 少し奥まった場所に、対面の椅子とテーブルがある。リアネは頷いて素直にそこへ向かった。

 ややして、少年だけでなく少女も出てくる。

 少女が出したお茶はいい香りがした。

「どうぞ。……じゃあ、思い出を聞かせて」

「え、ええ。この花は、お姉様と、その恋人が眠る墓標に咲いているの。それも、一輪じゃなく、たくさん。誰が植えたわけでもないのによ」

「それはまた、奇妙な話ですね。ところで今、聞き間違いでなければ、そのお墓には二人分のご遺体があるという事になりますが」

「そうなの。……二人は、死んでも互いを離さなかったのよ」

 テーブルに置いた花を見つめる。

 黒い百合。まるで死後も二人を見守っているかのように咲き誇る花々。その中から一輪だけ持ってきた。

 これが白ければ、また意味は変わったのかもしれない。だが、顛末を知るリアネにとっては、黒い方が相応しいと分かっていた。

「二人は、許されない恋をしていたの。周りの誰からも反対されて、忌避されるような……。でも、私は違った。その恋を、美しいと思っていたもの」

 仲睦まじい様子を、何度も見た。

 触れ合って、抱き合っているところも。

 だが、それは決して、周知されてはいけなかったのだ。

「誰かが噂を流して……あっという間に広まって、二人は糾弾されたの。その一ヶ月後には、二人で屋上から飛び降りて……」

 訃報を聞いた時はショックだった。そして、落ち込んだ。自分の無力さを恨んだりもした。

 だが、死んだ時の二人の様子に、悲しみよりも安堵が勝った。


 ――ああ、これで二人の恋は永遠なのだ、と。


「私は、二人の恋を覚えていたいの。いつか私がしたいわけじゃないわ。でも、あの美しさが薄れていくなんて……嫌なの」

 ぎゅっと手を握り、膝の上で力を込める。

 そう、あれを忘れるなんて、とんでもない。

 リアネにとっては最上の思い出だ。

「分かりました。記憶を預かるので、オルゴールが完成するまでは忘れる事になりますが、よろしいですか?」

「ええ。オルゴールさえ聴けば、いつまでも鮮明に覚えていられるのよね?」

「そうだけど、よくあるのよ。記憶を預かる事で、オルゴールを作った事も忘れられる事が」

「それなら、大丈夫だわ。思い出の為にオルゴールを作りに来たのだもの」

 思い出したいのは、生きていた頃の二人だ。今ではない。

 はっきりと答えると、少女は鷹揚に頷いた。

「なら、いいわ。あなたの思い出、預かりましょう」

 ふっと何かが抜けていく感覚が、一瞬だけ起こった。

 だが次には、喪失感のような何かが胸を満たす。

「あ、あら?」

 ぽろぽろと、涙がこぼれた。ハンカチで拭っても、なかなか止まらない。

「よっぽど執着しているのね。三週間ほど、でいいかしら?」

「うん。では、お客様。三週間後にまた、当店へお越し下さい。代金と引き換えにお渡し致します」

「は、はい……うぅ、っ……」

 涙はなかなか止まらず、しばらくしてやっと店を出る事ができた。

 泣き腫らした顔をあまり見られたくなくて俯きながら歩く。

 今も悲しくて仕方ない。大事なものを失くしたかのようだ。

 オルゴールが出来るまでの辛抱だ、と自分を慰めながら、リアネは帰路をふらふらと歩く。

 その背を、夕焼けが寂しく照らしていた。



 マイラは、黒い花びらを丁寧に細工していく。ただ花を装飾にするだけでは駄目だからだ。

 美しく妖しい花は、その形を変えられてもなお、損なわれない。

「執念とは、怖いものだね。スタイラ」

「何よマイラ。怖いに決まってるじゃない。失ったら気が触れてもおかしくないのよ?」

 思い出を音に起こしながら、スタイラがマイラの言葉に返す。

「正直、早く終わらせたいわ。杜撰な仕事はしないけど、気が重いもの」

「君は殊更にそうだろうね。僕でさえ感じ取れるんだから」

 記憶そのものを預かるスタイラの方が、今回の依頼は苦しいだろう。

 花の細工を続けながら、あの少女は大丈夫だろうかとふと思う。

「それこそ、気が触れてなければいいな」

 何しろ、仮にとはいえ記憶を失ったせいであれだけ泣いていたのだ。今も泣き暮らしているかもしれない。

 だが、だからこそこれは完成させて、少女の手元に返さなければ。

 そう心で呟いて、マイラはまた作業に集中した。



『同性で恋なんて、気でも違ったか⁉︎』

『よりにもよって、あの家の娘となんて!』

 そう、二人は女性同士で恋に落ちていた。

 しかも、仲の悪い家同士でもあった。

『絶対に認めん! 許さんぞ!』

 父の怒号。頬を腫らした姉の姿。それでも、姉は引き下がらなかった。

『私は、自分の気持ちまで欺けません』

 そうして、恋人と二人でどこまでも落ちたのだ。

 墓に二つの名が刻まれたのは、仕方のない事だった。

 死んだ二人の手が死後硬直も含めて固く結ばれていたこと。どちらかの手を切り落とすのは、互いの家が認めなかったこと。

 ならば、と、最後の情けのように、墓地の片隅にひっそりと二人まとめて埋葬された。

 そこに黒百合が咲くようになったのは、いつの頃からだったか。

 最初は誰も気にしない程度だった。だが、数が増えるにつれて、墓標を囲むようになって、噂を知る者達は口々に「二人の恋路を阻んだ呪いだ」と囁くようになっていた。

 それ程までに異様な光景となったその墓には、親族はおろか、友人だった者たちさえも近寄らなくなっていた。

 リアネだけが、見舞いの花ではなく、じょうろを手にして、百合の増長を促していた。


『もう、誰にも邪魔されないわ。永遠に……』


 くすくすと笑いながら水をやる姿を、誰も止めなかった。いや、止められなかったのかもしれない。

 仲の良かった姉を失った、可哀想な娘だから。

 だが、リアネの真実は違う。

 禁じられていようが、敵対していようが、それでも恋を選んだ二人を、とても愛していた。恋をする二人に、恋をしているような気持ちだった。

 だから、二人が一緒に死んで嬉しくもあった。死後に引き裂かれる事もなく、安堵した。

 葬式で笑みを堪えるのが、どれほど大変だったことか。

 そしてリアネは、今日も水を撒きながら呟く。

「ふふ、お姉様、先輩、私はずうっと見守っているわ……」

 そこでふと、違和感に気付く。

「あら……白い百合?」

 黒百合に混ざって、ひっそりと、ぽつんと、一輪だけの白い百合が咲いている。

 今までは咲かなかったのに、どうして、とリアネは困惑した。

 引っこ抜いてしまおう、と手を伸ばす。


 ぱきり、と音がして、白百合は手折られた。



 依頼から三週間後、少女は約束通りやってきた。

 確認も兼ねてオルゴールを鳴らすと、途端に少女はオルゴールを抱きしめる。

「あぁ……っ、これだわ、これなのよ……これしかないの!」

 喜んでいるのだろうが、そこには狂気も混ざっていて、マイラはどうしたものか、と苦笑を浮かべる。

「代金をお支払い頂けたので、もう大丈夫ですよ。後は帰って、ゆっくりお聴き下さい」

 とりあえず退店を促すと、少女は何度もお辞儀をして店から出て行った。

 オルゴールを鳴らしたままで。

「こっわ……。やっぱりちょっと、気が触れてない? 彼女」

 奥から出ていたスタイラが、引き気味に呟く。

 もしかしたら、そうかもしれない。だが、手遅れとまではいかないだろう。多分、恐らくは。

「まあ、依頼は完遂したし、考えるのはやめておこうか」

「そうね、それがいいわ」

 当分はあの手の客はごめんだわ、とスタイラがぶつぶつ言う。

 マイラも、それには同意だった。



「あぁ、また咲いてる……邪魔しないで、ねぇ」

 墓標の前で呟くリアネは、その手にオルゴールとじょうろを持っている。

「何度消しても、咲くなんて。お姉様と先輩の為のお墓なのよ。ねぇ」

 オルゴールを鳴らしながら、じょうろで水を撒く。

 その行動を見た者達から、噂が広まるのは耳にしていた。


『例の墓の家族である妹は、気が触れたらしい』


 思い出に浸りながら百合の世話をしているだけなのに。

 本当に、上辺しか知らない人間は憶測しか話さない。

 だが、リアネはそんな噂はどうでも良かった。

 ぽつんと咲き続ける異質な白百合を排除しなくては。

 それが叶わないと知っても知らなくても、彼女は今日も、それを手折る。


 墓標に咲く、たった一輪の白百合を。

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