墓標の一輪
真新しい、一つの墓標。
そこにだけ黒い百合が咲くのは、呪われているからだと。
上辺の話しか知らない人々は、そう噂する。
※
音箱屋、と書かれた看板を見つめて、少女――リアネは息を小さく吐く。
そして、意を決してその扉を開いた。
「ごめん、くださいな……」
か細い声で言いながら中へ入ると、小さな店の中はオルゴールだらけだった。
壁や店の真ん中のショーケースには、大小様々なオルゴールの箱が収められている。
しかし店内は驚く程に静かで、自分の心臓の音さえ聞こえそうだった。
所在なく店内を見渡していると、カウンターから声がした。
「いらっしゃいませ、お客様」
振り向くと少年がいつの間にかそこに居た。自分よりも幼いこの少年が、店主なのだろうか。
リアネは緊張しながら、声を掛ける。
「あっ、あの……思い出を、オルゴールにするお店……で、合って、ますの?」
少年は軽く微笑んで頷く。
「はい。思い出の品を使って、たった一つの思い出を形に残す店ですよ」
噂の通りだ、と安堵したリアネは、手にしていた物を差し出して言った。
「で、では、これで、オルゴールを作ってもらえないかしら!」
「生花……ですか。可能ですが、全てを使う事は出来ませんよ」
「いいの。この花を使う事こそが、重要だから」
「それでしたら、まずはお話を伺います。どうぞ、あちらに座ってお待ち下さい」
少し奥まった場所に、対面の椅子とテーブルがある。リアネは頷いて素直にそこへ向かった。
ややして、少年だけでなく少女も出てくる。
少女が出したお茶はいい香りがした。
「どうぞ。……じゃあ、思い出を聞かせて」
「え、ええ。この花は、お姉様と、その恋人が眠る墓標に咲いているの。それも、一輪じゃなく、たくさん。誰が植えたわけでもないのによ」
「それはまた、奇妙な話ですね。ところで今、聞き間違いでなければ、そのお墓には二人分のご遺体があるという事になりますが」
「そうなの。……二人は、死んでも互いを離さなかったのよ」
テーブルに置いた花を見つめる。
黒い百合。まるで死後も二人を見守っているかのように咲き誇る花々。その中から一輪だけ持ってきた。
これが白ければ、また意味は変わったのかもしれない。だが、顛末を知るリアネにとっては、黒い方が相応しいと分かっていた。
「二人は、許されない恋をしていたの。周りの誰からも反対されて、忌避されるような……。でも、私は違った。その恋を、美しいと思っていたもの」
仲睦まじい様子を、何度も見た。
触れ合って、抱き合っているところも。
だが、それは決して、周知されてはいけなかったのだ。
「誰かが噂を流して……あっという間に広まって、二人は糾弾されたの。その一ヶ月後には、二人で屋上から飛び降りて……」
訃報を聞いた時はショックだった。そして、落ち込んだ。自分の無力さを恨んだりもした。
だが、死んだ時の二人の様子に、悲しみよりも安堵が勝った。
――ああ、これで二人の恋は永遠なのだ、と。
「私は、二人の恋を覚えていたいの。いつか私がしたいわけじゃないわ。でも、あの美しさが薄れていくなんて……嫌なの」
ぎゅっと手を握り、膝の上で力を込める。
そう、あれを忘れるなんて、とんでもない。
リアネにとっては最上の思い出だ。
「分かりました。記憶を預かるので、オルゴールが完成するまでは忘れる事になりますが、よろしいですか?」
「ええ。オルゴールさえ聴けば、いつまでも鮮明に覚えていられるのよね?」
「そうだけど、よくあるのよ。記憶を預かる事で、オルゴールを作った事も忘れられる事が」
「それなら、大丈夫だわ。思い出の為にオルゴールを作りに来たのだもの」
思い出したいのは、生きていた頃の二人だ。今ではない。
はっきりと答えると、少女は鷹揚に頷いた。
「なら、いいわ。あなたの思い出、預かりましょう」
ふっと何かが抜けていく感覚が、一瞬だけ起こった。
だが次には、喪失感のような何かが胸を満たす。
「あ、あら?」
ぽろぽろと、涙がこぼれた。ハンカチで拭っても、なかなか止まらない。
「よっぽど執着しているのね。三週間ほど、でいいかしら?」
「うん。では、お客様。三週間後にまた、当店へお越し下さい。代金と引き換えにお渡し致します」
「は、はい……うぅ、っ……」
涙はなかなか止まらず、しばらくしてやっと店を出る事ができた。
泣き腫らした顔をあまり見られたくなくて俯きながら歩く。
今も悲しくて仕方ない。大事なものを失くしたかのようだ。
オルゴールが出来るまでの辛抱だ、と自分を慰めながら、リアネは帰路をふらふらと歩く。
その背を、夕焼けが寂しく照らしていた。
※
マイラは、黒い花びらを丁寧に細工していく。ただ花を装飾にするだけでは駄目だからだ。
美しく妖しい花は、その形を変えられてもなお、損なわれない。
「執念とは、怖いものだね。スタイラ」
「何よマイラ。怖いに決まってるじゃない。失ったら気が触れてもおかしくないのよ?」
思い出を音に起こしながら、スタイラがマイラの言葉に返す。
「正直、早く終わらせたいわ。杜撰な仕事はしないけど、気が重いもの」
「君は殊更にそうだろうね。僕でさえ感じ取れるんだから」
記憶そのものを預かるスタイラの方が、今回の依頼は苦しいだろう。
花の細工を続けながら、あの少女は大丈夫だろうかとふと思う。
「それこそ、気が触れてなければいいな」
何しろ、仮にとはいえ記憶を失ったせいであれだけ泣いていたのだ。今も泣き暮らしているかもしれない。
だが、だからこそこれは完成させて、少女の手元に返さなければ。
そう心で呟いて、マイラはまた作業に集中した。
※
『同性で恋なんて、気でも違ったか⁉︎』
『よりにもよって、あの家の娘となんて!』
そう、二人は女性同士で恋に落ちていた。
しかも、仲の悪い家同士でもあった。
『絶対に認めん! 許さんぞ!』
父の怒号。頬を腫らした姉の姿。それでも、姉は引き下がらなかった。
『私は、自分の気持ちまで欺けません』
そうして、恋人と二人でどこまでも落ちたのだ。
墓に二つの名が刻まれたのは、仕方のない事だった。
死んだ二人の手が死後硬直も含めて固く結ばれていたこと。どちらかの手を切り落とすのは、互いの家が認めなかったこと。
ならば、と、最後の情けのように、墓地の片隅にひっそりと二人まとめて埋葬された。
そこに黒百合が咲くようになったのは、いつの頃からだったか。
最初は誰も気にしない程度だった。だが、数が増えるにつれて、墓標を囲むようになって、噂を知る者達は口々に「二人の恋路を阻んだ呪いだ」と囁くようになっていた。
それ程までに異様な光景となったその墓には、親族はおろか、友人だった者たちさえも近寄らなくなっていた。
リアネだけが、見舞いの花ではなく、じょうろを手にして、百合の増長を促していた。
『もう、誰にも邪魔されないわ。永遠に……』
くすくすと笑いながら水をやる姿を、誰も止めなかった。いや、止められなかったのかもしれない。
仲の良かった姉を失った、可哀想な娘だから。
だが、リアネの真実は違う。
禁じられていようが、敵対していようが、それでも恋を選んだ二人を、とても愛していた。恋をする二人に、恋をしているような気持ちだった。
だから、二人が一緒に死んで嬉しくもあった。死後に引き裂かれる事もなく、安堵した。
葬式で笑みを堪えるのが、どれほど大変だったことか。
そしてリアネは、今日も水を撒きながら呟く。
「ふふ、お姉様、先輩、私はずうっと見守っているわ……」
そこでふと、違和感に気付く。
「あら……白い百合?」
黒百合に混ざって、ひっそりと、ぽつんと、一輪だけの白い百合が咲いている。
今までは咲かなかったのに、どうして、とリアネは困惑した。
引っこ抜いてしまおう、と手を伸ばす。
ぱきり、と音がして、白百合は手折られた。
※
依頼から三週間後、少女は約束通りやってきた。
確認も兼ねてオルゴールを鳴らすと、途端に少女はオルゴールを抱きしめる。
「あぁ……っ、これだわ、これなのよ……これしかないの!」
喜んでいるのだろうが、そこには狂気も混ざっていて、マイラはどうしたものか、と苦笑を浮かべる。
「代金をお支払い頂けたので、もう大丈夫ですよ。後は帰って、ゆっくりお聴き下さい」
とりあえず退店を促すと、少女は何度もお辞儀をして店から出て行った。
オルゴールを鳴らしたままで。
「こっわ……。やっぱりちょっと、気が触れてない? 彼女」
奥から出ていたスタイラが、引き気味に呟く。
もしかしたら、そうかもしれない。だが、手遅れとまではいかないだろう。多分、恐らくは。
「まあ、依頼は完遂したし、考えるのはやめておこうか」
「そうね、それがいいわ」
当分はあの手の客はごめんだわ、とスタイラがぶつぶつ言う。
マイラも、それには同意だった。
※
「あぁ、また咲いてる……邪魔しないで、ねぇ」
墓標の前で呟くリアネは、その手にオルゴールとじょうろを持っている。
「何度消しても、咲くなんて。お姉様と先輩の為のお墓なのよ。ねぇ」
オルゴールを鳴らしながら、じょうろで水を撒く。
その行動を見た者達から、噂が広まるのは耳にしていた。
『例の墓の家族である妹は、気が触れたらしい』
思い出に浸りながら百合の世話をしているだけなのに。
本当に、上辺しか知らない人間は憶測しか話さない。
だが、リアネはそんな噂はどうでも良かった。
ぽつんと咲き続ける異質な白百合を排除しなくては。
それが叶わないと知っても知らなくても、彼女は今日も、それを手折る。
墓標に咲く、たった一輪の白百合を。




