継承輪音
耳に残ったままの音がある。
それが消えたら、全部終わりに出来る。そんな気がしていた。
※
音箱屋の店内は、いつも静かだ。
置いてあるオルゴールは閉じられたまま、音を奏でない。それは特殊な理由からだが、訪れる客人には関係の無い事だ。
「……で、このオルゴールを部品にしたい、と」
「そう。出来るかい?」
テーブルに置かれたのは、マイラ達が昔作ったオルゴールだ。
何でも、目の前の少女ことノエルの、父親の遺品らしい。
ノエルの父親は先日、不幸な事故で亡くなったばかりだそうだ。
「あたしが開けようとしても開かないし、聴けないなら意味は無いからね」
「はい、そのようにお作りしてますので。ですが、よろしいのですか? 形見では?」
「いいんだよ。使える形見にしてくれ」
オルゴールを『使える』という言い方はなかなか無いが、マイラ達にも言いたい事は分かった。
ただ、問題はここからだ。
「ですが、お客様。ここは思い出をオルゴールにする店です。どの思い出にするかは、決めてますか?」
問われたノエルは、一瞬、ぽかんとした。
だが、すぐに我に返り、頷く。
「……死んだ親父は、こればっかり聴いてた。あたしを構うでもなく、こいつを聴く度に泣いて、そんで曲が終わったらいつも通りで。そんな親父しか見てこなかったから、それが思い出って事でもいいかい?」
「お客様が本心から残したい思い出でなくてはなりません。ですので、よくお考え下さい」
「えぇ? ダメって事かい?」
「それでいい、ではなく、それがいい、なので」
念押しをマイラがすると、ノエルはしばらく考え込んで、やがてぽつりと呟いた。
「……子守歌」
「子守歌、ですか」
「あぁ。小さい頃から、親父はそればっかり歌っててよ。今じゃあたしも歌えるようになっちまった」
ノエルは肩をすくめて、苦笑する。
「思い出って言うくらいだ。幸せな気持ちになってなんぼだもんな。親父がよく歌ってた子守歌が思い出さ。どうだい?」
「それですと、難しくなりますね。歌の場合は、記録媒体が必要になりますし、このオルゴールもお返しになるかと」
「はは、それはねえよ。オルゴールの音楽と子守歌のメロディーはほとんど同じだからね」
マイラはスタイラと顔を見合わせた。スタイラは肩をすくめつつも頷いてみせる。可能、という事らしい。
「……分かりました。では、こちらのオルゴールを元に、お客様のオルゴールをお作りします。重ねて言いますが、残った部品などはお返し出来ません」
「構わないよ。じゃあ、よろしく頼むね」
「ええ。記憶を預かるわよ」
スタイラがいつも通りに相手から記憶を借りる。ふっと一瞬だけ、ノエルの目から光が消えてすぐに戻った。
「……今のが不思議な力かい。奇妙な感覚だ」
ノエルはそう呟いて、オルゴールを指差す。
「なぁ、あんた達ならこれを開けられるのかい?」
「出来ますが……」
「開けるのはダメよ。おかしな副作用が出ても困るわ」
「やっぱりかい。まぁいいや、よろしくね」
そう言ってノエルは店を出て行った。
マイラはオルゴールを手にして呟く。
「何でだろう。あまり気乗りしない気がするよ」
「同感。なーんかあの子、適当なのよね。父親が死んだってのに、悲しむ素振りも無いし」
「そこもなんだけど、何だろうね。雰囲気かな。……何かが、引っかかるよ」
今回の依頼がどう転ぶかは、まだ分からない。
※
帰宅すると、荒れた室内が出迎えた。
父親の葬儀が終わってから、ろくに片付けも掃除もしていない。する気になれないままだ。
ノエルは子守歌を歌おうとして、気付く。
「はは……本当に思い出せねえでやんの、子守歌」
散々、父親が歌っていたし、オルゴールでも聴いていたのに、ぽっかりとそこだけ穴が空いたようだった。
だが、それでいい。やっと終わりに出来る。
乱れたシーツの広がるベッドに寝転び、ノエルは涙で滲む目を乱暴に擦る。
「親父、ごめんな。弱い娘で」
ぽつりと呟く声は、部屋に吸い込まれて消えた。
傍のテーブルには、遺書と長いロープが置かれている。これから使われる為に。
――それから数時間後。一人の少女が、瀕死の状態で発見されたという。
※
「違和感の正体が、希死念慮だったとはね」
一ヶ月後、依頼を終えたマイラが呟く。
「投げやりにもなるわけだ。父親が心の拠り所だったんだから」
「迷惑な話だわ、全く! まあ、奇跡的に助かったし、オルゴールも引き取ってもらえたから今回だけは良しとするけど!」
スタイラは自分達の力を利用されたことに怒り心頭だ。オルゴールを作成する前に死なれたら、預かった思い出は空中分解しかねないのである。
そういう意味では、マイラも別に許してはいない。やはり、気乗りしない依頼は断るのがいいのだろう。
紅茶で喉を潤しながら呟く。
「しかし、本当に偶然とはいえ、近所の幼馴染が見つけたというのは幸運だったよ。もう少し遅かったら死体となっていたわけだし」
「本当ね。まあ、死んだ父親が知らせたのかもしれないんじゃない? うら若い娘を早死にさせたくはなかったでしょうから」
「そうだね。今回は亡くなったお父さんに免じて、ってところかな」
もっとも、件の少女は出禁である。当然だが、当人にも言い渡した。
『やっぱり、楽な道を選ぶと碌なことにならないね。悪かったよ、迷惑かけて』
ノエルはそう言って、オルゴールを手に店を後にした。
付き添いの青年が居たようだが、その人物が助けた幼馴染なのかもしれない。
だが、全て終わった事だ。
「さて、次の仕事に入ろうか」
「ええ。次の依頼主はまともそうだから安心ね」
双子は今日もオルゴールを作る。思い出の詰まった唯一無二を。
※
それから数年後。オルゴールが鳴り響く部屋の中で、歌声が重なっていた。
子守歌と母親が呼ぶその歌を聴きながら、幼い少女がソファで眠っている。
それを見ていた父親が、そっと少女に毛布を掛けた。
それは小さな、確かな未来の幸福。
終わりのその先にあるものだった。




