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反転した呪い

 どうして、と嘆く声が出ない。

 こんな自分は嫌だと心が軋む。

 それでも、現実は残酷なままだった。



 街中にひっそりと佇む音箱屋。

 ここは一歩店内に入れば、静かな空気と時間に包まれる。

 ……今日も、そのはずだった。


 チリリン!


 乱暴に扉が開かれ、ベルが高い音を鳴らす。

 入ってきたのは、メイドを伴った華美な装飾の令嬢。

「失礼するわ!」

「本当に失礼な来客ね」

「まあまあ。……いらっしゃいませ、お客様。当店の扉は頑丈ではございませんので、もう少し静かにお願いします」

 珍しく二人で店側に出ていた店主の双子が、彼女たちを出迎えた。

「あら、これしきで壊れる扉なら必要無いのではなくって?」

「お嬢様、あまりお話しになられませんよう。依頼を断られでもしたら、どうなさるのですか」

 メイドがたしなめると、令嬢は小さく鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

「なら後はあなたが言えばいいわ」

「承知致しました。……改めて、失礼致します。こちらのベルシオンお嬢様の侍女を務めさせて頂いております、私はティノンです。本日はお噂の『思い出のオルゴール』をご依頼しに参りました」

 ティノンというメイドが深々とお辞儀をする。

 付き添いが入って来れる仕組みにはしてないはずなのだが、それはさておき、客ならば対応しなければならない。

 マイラもスタイラも、顔を見合わせて頷いた。

「畏まりました。では、こちらにお掛けになって、少々お待ちください」

「あら、あたくしを待たせるなんて……」

「お嬢様」

 文句を言おうとしたであろうベルシオン令嬢を、すかさずティノンが遮る。

 そして数分後、お茶を用意して双子も席に着くと、ベルシオンがお茶を一口含み、ため息混じりに言った。

「所詮は庶民のお茶ね。平凡な味だこと」

「あっそう。そりゃあ舌の肥えたご令嬢の口には合わないかもしれないけど、わざわざ言わなくて結構よ」

 淹れたスタイラが毒を吐くと、メイドが首を横に振った。

「いえ、今のはお嬢様の最高級の賛辞です」

「どこが!?」

「何とか言えてもここまでが限界なのです。私はいわば、通訳としてここに居ます」

 通訳、と聞いて双子は首を傾げた。

 ティノンは言葉を続ける。

「お嬢様は、現在……呪われているのです」

「では、先に呪いの話を聞かせてもらえますか?」

 メイドの通訳が無ければ会話も成立しない呪いとは厄介だ。内容によっては、依頼を検討する必要も出てくる。

 マイラの言葉に頷いて、ティノンが口を開いた。

「お嬢様は本来、真逆の方なのです。身に付ける物も言葉遣いも、性格さえも。そして今、お嬢様には婚約者がおります」

「その呪いをかけたのが婚約者、とかじゃないわよね」

「いえ、これは……どうでしょうか。お嬢様は婚約者の為に黒魔術を行使し、このようになってしまったので」

「黒魔術……。反転の魔術でも使ったんですか?」

 マイラの予想は当たりのようで、ティノンは頷く。

 そして顔を両手で覆った。

「その日からお嬢様は別人のようになり、親しかった者も離れつつあります。本来のお嬢様は、細やかな気配りができる、淑女のお手本のような方でしたから」

「その婚約者は、何が嫌だったわけ?」

「……『まるで人形のように振る舞う姿は、生きているように思えない』ですってよ! あたくしはどう見ても人間ですのに!」

 ベルシオンが唐突に口を挟んだ。思い出して苛立っているのだろうか。

 つまるところ、婚約者とやらはベルシオンの清廉な生き方が気に入らなかったようだ。婚約者にそれを言われては、この先も辛いだろう。だから黒魔術に手を染めたのかもしれない。

「なんか浮気してそうね、その男」

 何気なく呟いたスタイラの言葉に、ベルシオンの表情がすっと消えた。

「……ええ、ええ! あたくしは見たの。夜会で、バルコニーの陰で、他の女と睦まじくしていた姿を!」

 次いで吐き捨てるように言う。

 ティノンはそれに補足した。

「お嬢様は非常に嘆き、それで黒魔術に手を出しました。証拠を集めれば訴えられる、と申し上げたのですが、聞いてはもらえず……」

「で、結局今の状態は成功したの? 失敗したの?」

 気になっていた所をスタイラが訊くと、少しの沈黙の後「失敗でした」とメイドが答える。

「色々と試したのですが、お礼を言おうとすると罵倒になり、静かにしようとする程に乱暴な動きになり、ご覧の通り、服やお化粧なども派手なものを選ぶように……。こうなりたかった訳では無いことは、私がよく存じ上げております」

 言われてみれば、ベルシオンの姿はどこか無理をしているように見える。

 今もどこか、じゃらじゃらしたイヤリングを鬱陶しそうに弄っていた。

「この姿を見て、例の婚約者は何て?」

「ふん、『以前の清らかな君とは大違いだ。がっかりだよ』ですってよ! ああ、忌々しい!」

「それはまた、我儘な方ですね……」

 マイラですら遠い目になる。前の姿も今の姿も気に入らないなら、もう婚約など止めた方が良いのではなかろうか。

「あたくしはもう、このままでも構わないわ。婚約破棄はどうせ出来ないでしょうけれど」

「元に戻りたいお気持ちは分かりますが、解呪方法が分かりませんと……」

「政略結婚の餌食なんて、お気の毒ね」

 そこで、はて、とマイラは首を傾げた。

 この状態になってまで、残したい思い出とは何なのだろうか。

「すみませんが、そろそろ本題に入っても大丈夫ですか?」

「はい。長々とすみません。お嬢様はこの呪いについてはもう、諦めていらっしゃいます。ですが、過去にあった本来の自分だった時の幸せな記憶を、覚えていたいようなのです」

 ティノンが言うなら、これはベルシオン一人では話せない思い出なのだろう。何しろ言動が高慢かつ歪曲されているのだから。

「お嬢様の特別な思い出とは……幼い頃、ピクニックにご家族で行った時の事です。その際、こちらをお互いに贈り合った、と」

 ティノンはポケットを探ると、袋に丁寧に包まれた中身を取り出す。

 それは、ほぼドライフラワーのように乾燥した、花の指輪だった。

「おそらく、お嬢様にとっては一番幸せな時期でしたかと。そのすぐ後に婚約が決まりましたから」

「なるほどね。分かったわ。その思い出、引き受けましょう」

 スタイラが頷くと、マイラもそれに倣う。

「はい。完成は…呪いの関係上、一ヶ月くらいはかかるかと」

「なぜですか?」

「うちのオルゴールは特殊なの。呪いの力と拮抗しておかしな副作用が出たら困るから、その措置を取らせてもらうわ」

 なるほど、と説明を聞いてメイドは頷いた。

「あ、取りに来る際はお二人でお願いします。先ほどの話を聞くに、大事な持ち物も壊してしまいかねないでしょうから」

「くっ……本来なら不敬罪で縛り首にしたいくらいだわ!」

「ものすごく同意だそうです。では、参りましょうか。お嬢様」

 そうして、奇妙な主従は出て行った。

 いつも通り片付けながら、マイラが呟く。

「お茶は飲み干してあるね……。あの人はどこまで抗えてるんだろう」

「さあ? あのメイドのおかげで依頼は受けられたけど、何だか違和感があったわね……」

 スタイラもどこか浮かない表情だ。

 だが、仕事は仕事である。早速二人は、作業に取り掛かった。



 ベルシオン令嬢は本来、清廉潔白で礼儀正しい少女だ。

 幼い頃から家庭教師を付けられ、当人も多大な努力をした結果、文句の付け所が無い令嬢に仕上がった。


 ――だが、ティノンだけはそれを厭っていた。


 完璧な人間など居ない。必ずどこか、人間には穴があると。

 その思想はもはや呪いと同様にティノンに貼り付き、剥がれなくなっていた。

 完璧な令嬢に与えられたのは、これまた完璧な婚約者だった。

 ベルシオンに惚れ込み、彼女を全肯定し、欲しい物は何でも用意するといった溺愛ぶりだ。

 壊すならこれだ、とティノンは考えた。

 完全を不完全にすればいい、と。

 偽りを吹き込み、婚約者の不貞を工作し、人間不信にしてしまえ、と。

 果たしてそれは、成功した。

 二人きりの時に哀しそうに嘘の証言をして、婚約者への不信を与え、その直後の夜会でバルコニーのカーテンを利用して婚約者に近付き、そちらにも嘘を吹き込んだ。

 結果として、ベルシオンは黒魔術に失敗して呪われ、今の有様。

 婚約破棄も実のところは秒読みだろう。そのまま、人として壊れてしまえばいい。それを献身的に支えるだけで、自分は完璧で忠実なメイドの完成だ。


 ――そう、計画は完璧だった。計画は。


 ことん、と置かれた小さくも豪奢なオルゴールの音で、はっとティノンは我に返る。

「あなたがこれを依頼してくれたから、温情は少しばかりかけてあげるわ」

「お、お嬢様……何故」

「不思議なものね、このオルゴールは。聴いた途端に、頭から霧が消えていくようだったわ」

 確かに、あの双子は呪いがどうとか言っていた気がする。

 そして目の前の主人は、以前のような凛とした空気を纏っていた。

(どうして、何で、うまくいっていたはず)

 分からない。分からないが、今から自分は断罪されるのだと、ティノンは分かっていた。

「思えば不自然な事が多かったわね。わたくしを洗脳しようとして、しきれなかったから黒魔術に手を染めるよう仕向けたのでしょう?」

「け、けっして、そのような……」

「言い訳は要りません。荷物をまとめて、即刻、出ておいきなさい」

 予測通りの言葉がベルシオンから放たれ、ティノンは慄く。

「お、お許しを、お慈悲を!」

「わたくしが人を呼ぶ前に、消え去りなさい」

 冷徹な令嬢の態度は、変わることは無さそうだった。


 ――トランクを持って出ていく元メイドの背中を窓から見下ろしながら、ベルシオンは静かに泣いていた。


「あなたは……わたくしにどうなって欲しかったの……? 信じていたのに……」

 そう、信じたかった。オルゴールを聴いて、急に頭が冴え渡るようになってからは、思い返せばおかしな事ばかりで。

 唐突に婚約者が「こう言っていた」と哀しげに報告した事も、バルコニーで婚約者が誰かと親しげにしていた時に、側に居なかった事も。

 一度や二度ではなかったからこそ、確信に至り、彼女の本心が分からなくなった。

 だから断罪するしかなかったのだ。たとえ、冷徹であろうとも。

 元に戻った自分を、周りはどんな目で見るだろうか。失った信用は簡単には取り戻せないだろうが、また地道に積み上げていくしかない。

 婚約者にも謝らなくては。場合によっては解消だろうとも、ベルシオンは甘んじるつもりだ。

 これからやるべき事は沢山ある。静かに涙を拭って、ベルシオンはカーテンを閉めた。



「あの呪い、消えたみたいね」

「うん、それは僕も感じ取ったよ」

 互いに手を動かしながら、双子は話す。

「それにしても、迷惑なメイドだったわね」

「仕方ないよ。人間は固執するものが無いと瓦解しやすいから」

「だからって自分の主人を意のままにしようって発想は無いわよ」

 ベルシオンから記憶を預かった時に、スタイラが気付いたのは、楽しげに遊ぶ幼い主人を恨めしげに見つめていたあのメイドだ。

 恐らくだが、あのメイドは自分より幸福な人間、あるいは完璧な人間が疎ましかったのではなかろうか。

 今どうしているかは知らないが、呪いが解けたなら聡明な主人に何らかの沙汰が下されているだろう。

 二人が施したのは、思い出に触れる事で本来の自分に戻れる、といったような仕掛けだ。強い呪いなら何度も聴く必要があったが、失敗していた事でその心配も無くなった。

 晴れて仕事完遂、となったが、新たな客人の為に今はまた工房に籠っている。

 このオルゴールが出来上がる頃に、どこかの名家の令嬢が結婚したという記事が新聞に載るのは、まだ二人も知らない。

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