一夜限り、奏でて
あれは過ちだった。
否、あれは果たして過ちなのか。
答えは出ないまま、彼女は舞台に上がる。
※
「……で、これが『アノールの紹介状』なわけね」
封筒をひらひらと振るのは、呆れた目をしたスタイラだ。
まだ開けてないのは、嫌な予感しかしないからである。
しかし、マイラは苦笑してその封筒をスタイラの手から引き抜いた。
「諦めよう、スタイラ。アノールの悪戯好きは今に始まった事じゃないよ」
そう言って、封を開ける。アノール手製の封蝋が一瞬、赤色に輝いた。
中から出てきたのは、普通の手紙。
『やっほー双子達! 元気ー? 今回の依頼客、そっちのが向いてると思って紹介状出しといたから、後はよろしくねー! あ、今度余った部品もらいに行くからー!』
友達にでも出すようなノリで書かれたそれは、マイラとスタイラが目を通すと煙のように封筒ごと消えた。
「証拠を残すのが嫌なら、客もちゃんと受け持ちなさいよ。そのうち査問官に来られたらどうするつもりなのかしら」
「スタイラ」
今その話はするな、と強く思わせるマイラの呼びかけに、スタイラが頭を軽く振って頷く。
「そうね。で、あなた」
「はっ、はい! レイデンと!」
呼びかけられた青年は、まだ若く、いかにも好青年といった雰囲気だ。
そんな事は関係なく、スタイラが続ける。
「ええ、それで、どんな思い出を残したいの? 言っとくけど、うちはオルゴールしか作らないわよ」
「はい! え、ええと……その、実は……子供の君達に言っていいか分からないけど、一夜限りの過ちを犯してしまってね」
既に椅子に座り茶と菓子が用意された席で、レイデンという青年は多少ながら過激な事を告げた。
スタイラが、呆れた眼差しを今度は青年に向ける。
マイラは苦笑して頷いた。
「大丈夫ですよ。続きをどうぞ」
「あ、ああ。その相手が……最近流行りの歌姫でね。知ってるかい? アイラという名前なんだが」
「知ってるわ。けどその人、男を取っ替え引っ替えしてるって噂でしょ。一晩くらいよく遊ぶんじゃない?」
「い、いや、その、実は……その噂、僕との後から出てきた噂なんだ」
うなだれるように、レイデンが俯く。
「もしかしたら、僕のせいなのかと思ってね。それまで彼女には、浮いた噂が無かったんだ。けれど、それ以降からどんどん有名にもなり始めた。僕は彼女が駆け出しの頃からファンだったから、急に遠くなった気がして」
「よくある話じゃない。これからも応援してあげたら? それとも、出来なくなった?」
「応援は、今でもしてる。ただ……彼女は忘れたんだろうな、って。僕との事なんて、とっくに」
「それで、自分だけでも覚えていたい、と?」
「ああ。お願い出来ないだろうか? 確か……これを渡せば、作ってもらえるんだろう?」
ポケットを探って取り出したレイデンの手には、ネクタイピンがあった。
「記念の夜に、プレゼントされたんだ。彼女も酔ってたし、僕は要らないと最初は言ったんだけど……押し切られてね」
なるほど、と双子は顔を見合わせた。要するにこの青年は、未練を断ち切りたいのだろう。
「よろしいのですか? 余った分は返せませんが」
「あ、ああ。……僕には、過ぎた代物だからね」
「分かったわ。それじゃ、引き受けるわね。マイラ、期日は?」
「うーん、三週間かな。お客様も、それでよろしいですか?」
「も、もちろん! お願いするよ!」
そうして、青年は何度もお辞儀をしながら店を後にした。
片付けをしながら、スタイラが怪訝そうに呟く。
「そういえば、アノールはあの依頼、何で断ったのかしら。錬金術師なんだから、似たような物くらい作れるでしょうに」
「うーん、確かに。僕らでも作れるなら、彼女も作れると思うけど、何かあったのかな」
マイラもスタイラの疑問に同意する。
アノールは「時柩屋」であるクロッカーと同じように、自分たちの『お仲間』だ。どこぞに工房を構えて、錬金術師をしているらしい。
稀にこうして客を紹介状付きで寄越されるのは、大抵、終わった後にその理由が分かる。
今回も何となく、そうだろうな、と二人はぼんやり思うのだった。
※
連日で客が来るのは珍しい。しかもそれが有名人なら、尚更だ。
アイラと名乗った女性は、妖艶な雰囲気を纏い、優雅に椅子に座る。
そんな気迫にも動じないスタイラは、お茶を出してマイラと話を聞く事にした。
「これ、分かる?」
アイラが出してきたのは、久しぶりに見る記録媒体だった。
しかしアイラは生身の人間である。どういう意図で作ったのか。
「ええと、記録媒体……ですね」
「何が入ってるの?」
「あたしの歌よ。それも、駆け出しの頃の」
双子は揃って目を瞬かせる。彼女が残したい思い出にこれを使いたいのは分かるが、返す事は出来ない。
「あの、お客様。申し訳ありませんが、これを後に返すのは……」
「ああ、いいわそれで。もう聴く事も無いから」
あっさりと捨てるかのように言うアイラは、本当に思い出を残したいのだろうか。
「それともう一つ。オルゴールのメロディーはこの歌にして」
「!?」
さすがに今の言葉には、スタイラがぎょっとした。
ここでの暗黙の了解として、メロディーに口出しをしない、というのがある。
初見だし知らないのだろうが、これにはスタイラも黙ってられない。
「それは難しいわ。あなたの思い出を音にするのが私の仕事なの。無理矢理別の音に変えたら、記憶が歪むわよ」
「もう歪んでるかもしれないから、構わないわ。何しろ最初の一人目の事だったから」
「最初の……って、あの噂は本当なんだ……。じゃなくて! 元からある音楽で作っても意味は無いのよ。それこそただのオルゴール屋に頼んで」
マイラも眉を寄せて記録媒体を見ながら言う。
「お客様は、思い出を形に残したいのですよね。僕達が作るのは、唯一無二の、それこそ代えがないオルゴールです。必然的に、音にもその影響は現れます。この記録媒体を使ったとしても、お客様の望み通りの品になるかは明言出来ません」
「何よ、出来ないって言うの?」
「この記録媒体を再生する機械もありませんし、あったとしても、作成した場合、その通りのメロディーになるとは限りません。音を取るか、思い出を取るかのどちらかです」
「正直に言えば、これを聞いて思い出せるなら、ここに来る必要はないって事よ」
スタイラの直球な発言に、アイラは顔をしかめた。
「それじゃもう、限界なのよ。これを聴く暇も無いほど歌わされて、やってらんないの。人気だから何? 男と遊んでるのは、酒も煙草も禁止されてるあたしの、唯一の発散方法なのよ!」
「そうですか。では、オルゴールを聴いてる暇も無いでしょうに、今ここに居ますがそれは?」
「抜け出してきたのよ! あぁもう、この際音は何でもいいわ! 出来ればそこだけ残したかったけど、時間が無いの。作って!」
だんだんとアイラの語気が荒くなる。どうやら、思い出をどうしても残したいらしいのは伝わったので、双子は肩をすくめた。
「分かったわ。返品とかは受け付けないから、よろしく」
「それでは、こちらはお預かりいたします。一ヶ月半……その頃においで下さい」
そう告げると、明らかに安堵した顔でアイラは立ち上がった。
「そう、じゃあ頼んだわよ! 半端な物作ったら、承知しないんだから!」
そうしてバタバタと店を後にするアイラを見送り、双子は同時にため息を吐く。
「めんどくさい客ねぇ……。おまけにうるさかったし」
「たまには居るよ、そんなお客様もね。さ、片付けて作業に入ろうか。少し忙しくなるよ」
「そうね。それにしても、奇妙な縁もあったものね。一晩の過ちを犯した男女がそれぞれ来るなんて」
もっとも、鉢合わせる事は無いだろうが、と双子は片付けをしながら考えていた。
※
それからおよそ一ヶ月半。
マイラもスタイラも、確認作業をしながら顔を見合わせていた。
「これ、偶然かしら」
「それは無いと思うよ」
先に作った青年のオルゴールとほぼ同じメロディーが、あの歌姫のオルゴールからも流れたのだ。
「じゃあ、二人とも同じ気持ちだった、って事?」
「多分? 僕達は作っただけだから……」
関係ある人間達が別々にやってきても、こうも音が似たりする事は稀だ。
それくらい、あの二人にとっては忘れられない夜を過ごしたのだろう。
「……ま、まあ、たまにはあるわよね、たまには」
「珍しい、としか言えないな。さて、あの歌姫さんは来れるのか……」
音の確認もしたし、と待っていると、チリン、とドアが開く音がした。
「居る? 引き取りに来たわよ」
「お客様、ちょうど準備が終わりました。ご確認下さい」
マイラがオルゴールの蓋を開くと、メロディーが流れる。
それを聴いたアイラは、ぽろ、と涙をこぼした。
「な、何よ……出来るじゃないの……」
「そうだったのですか?」
「ええ。間違いなく、あたしのあの歌よ。……初めてだったの。『ファンです』って真っ赤な顔で言われて」
ハンカチを目頭に当ててアイラは語る。
「その男は、純粋にあたしの歌を好きでいてくれてた。この顔や体目当ての奴らと違って……ああ、だからこそあの夜は……」
「特別になったのですね」
「そうよ。男遊びも、あれ以上の情熱的な夜は無いの。なのに、記憶はどんどん忙しさで薄れていって……忘れたく、なかった!」
わっと泣き崩れたアイラが、嗚咽混じりに言葉を紡ぐ。
「もう、男遊びなんて、やめるわ。無意味だもの。このオルゴールさえ、あれば……それで……!」
「オルゴールの修理は、いつでも承っておりますよ」
ラッピングを終えたマイラが静かに声を掛ける。
「あぁ、お代がまだだったわね……。はい、これくらいでいいかしら」
涙を拭いたアイラが立ち上がり、金貨をざらりと出す。それを見て、マイラは苦笑しながら告げた。
「少しばかり多いですよ」
「迷惑料よ。悪かったわね、みっともない姿を見せて。それと、お礼も兼ねてるから」
遠慮なく受け取って、と返すアイラはオルゴールを手にして、店から去っていった。
予想外の収入に半分苦笑、半分上機嫌になったマイラは、お金をしまうと奥へ向かう。
その外では、奇妙な邂逅がある事も知らずに。
※
「やーっほー、親愛なる双子達ー!」
「うげ……来たわね」
「部品の交換だね? こちらは袋にまとめてあるよ」
「助かる! うちのはこっち。ダメなのはクロッカーにでもやっちゃって!」
後日、手紙の宣言通りに突然来たのは、赤い髪と目をした白衣の女性だった。彼女こそアノールである。
「いやぁ、街中でも引きこもりだと、情報に疎くてね! 知ってるかい? 絶賛人気の歌姫が結婚だってよ!」
「それ三日前の情報じゃないの」
スタイラが苦い顔で突っ込むが、当人はあっけらかんとした様子だ。
「お相手は一般人の男性! 写真見て、コーヒー吹きそうになったよね! 何せ、うちらのとこの客だったんだから!」
「あー、そういえばあの男性、そっちの紹介状からよね。何でだったの?」
スタイラがマイラと共にずっと疑問だった事を尋ねると、アノールは手をヒラヒラと振ってあっさり答えた。
「いつもの勘!」
「また!?」
「ああ、なるほど……。君がお得意な勘なら、確かに間違いなくうちが適任だったね」
スタイラが呆れ声を上げるが、マイラは納得したように頷いた。
「そゆこと! じゃ、またね! うちはここから地味に遠いからさ」
「あっそ。じゃあね」
「うーん、スタイラちゃんのその対応、必死で好き!」
「はぁ!?」
袋を手に、アノールは足取りも軽やかに店を出て行った。
アノールが持ってきた袋をマイラが軽く覗くと、そこそこにいい物も混ざっている。あとは使えるかどうかだ。
「必死じゃないし! 本当に他の奴らは腹立つわね!」
「まあまあ、スタイラ。もっと余裕のある態度を持てって事だよ。……どうせ、これ以上の成長はしないんだから」
「そうは言うけど、マイラは子供扱いに腹立たしくならないの?」
「ならないよ。見た目通り、子供だしね。それに、変わらない事を憤っても仕方ない」
兄の言葉に、スタイラは引っかかるものを感じた。
マイラのそれは、おそらく『諦念』。彼はもう、子供である事を、成長しない事を諦めている。
抗う自分とは正反対のその感情に、スタイラはやるせなさを感じて唇を噛み締めると、少しして頭を軽く振った。
「たまにはお茶でも飲みましょ。その後で、アノールの部品を見繕えばいいわ」
「うん、そうだね」
現状を深く考えてはいけない。きっと、そうしたら兄のようになってしまうから。
奥に向かいながら、スタイラは今後も自分を変えない事を深く決めたのだった。
※
歌姫の記録媒体は、日に日に売れている。
そんな彼女を支えるのは、真っ先に彼女の歌を見初めた男。
今日もどちらかのオルゴールが、夜の部屋に鳴り響く――。




