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追憶の色彩

 その絵を描き終えた時、自分はもう、いつ死んでもいいとさえ思えた。

 だが同時に、勿体無いと。そう思ってしまった。



「……暇ねぇ」

 スタイラはカウンターで突っ伏しながらぼやいた。

 今日は珍しく手が空いていて、マイラも岬に行ってしまっている為、話し相手も居ない。

 客が来れば話は別だが、こんな時に限って誰も来ないものだ。

 依頼品の残留物整理でもしようかと思い始めた時である。

 ちりん、と音がして扉が開いた。

「!」

 やっとマイラが帰宅したかと思いきや、入ってきたのは腰の曲がった男性の老人。

 内心がっかりしつつも、せっかくの客だ。

 スタイラはいつも通り「いらっしゃい」と告げる。

「おお、お前さんが思い出のオルゴールを作れるという店主か?」

「ええ。もちろんタダではないけれど」

「む、失敬な。金ならあるわい」

「なら、そこに座って。今、お茶を用意するわ」

 こうして、スタイラの暇な時間は終わった。

 改めて話を聞くと、この老人――ハイルは昔、画家だったらしい。しかも高名な。

 しかも、王室の御用達でもあったそうで、異国に嫁いだ王女の肖像画なども描いたそうだ。

 興奮気味にハイルはその当時を伝える。

「あの王女殿下の愛らしさといったら! それを絵に起こす方が余程苦労したわい。あの感動だけは忘れられん」

「へえ……」

 あの我儘王女をそこまで褒め称える人間を、スタイラは初めて見た。が、口にはしないでおく。

「で、それが残したい思い出?」

「いんや?」

 本題に入ろうとしたスタイラは、あっさり肩透かしを喰らう。

 がくりと脱力して、深いため息をついた。話し相手は欲しかったが、こういうのは求めていない。

「すまんすまん、じゃが、オルゴールにすれば忘れてしまうじゃろ? そうではなく、思い出したい思い出が別にあるんじゃよ」

「じゃあそれを教えてもらえるかしら」

 話し好きの人間は、スタイラの好みではない。マイラならば根気強く付き合うだろうが。

 ハイルは咳払いをして、やっと本題に入った。

「わしがまだ駆け出しの頃じゃ。近所のとある娘さんが、モデルを申し出てくれた。わしは喜んでお願いしたんじゃ」

「そう。それで?」

「娘さんは美しく、何枚描いても飽きん程じゃった。私服から礼服まで、練習も兼ねてわしは熱心に娘さんを描いた」

 ハイルは、おもむろに持っていたカバンを探り、一本の細い絵筆を出す。

「ある日、最後に描いて欲しいと頼まれたのは……花嫁衣装じゃった。その時にわしは、初恋が破れたと思ったんじゃよ」

「あなたも初恋の話なのね……まぁいいけど」

 ここに来る者は大抵が初恋絡みだ。よほどその初恋というものは大事にしたい思い出らしい。

 と思いきや、ハイルは首を横に振った。

「ところが、これは娘さんのサプライズでな。今はわしの妻じゃ。わっははは」

「……あのねぇ」

 またしても脱力感に襲われたスタイラは、こめかみを押さえる。

「じゃがの。その姿を絵に起こしていくうちに、わしは気付いてしもうた。わしはあの瞬間、確かに人生で最高の絵を描いていた。最後の仕上げを惜しんでしまう程にの」

「それとこの絵筆の関係性は?」

「……筆先に、絵の具が付いてるじゃろ」

 手に取ってよく見ると、筆の穂先に白い絵の具が確かについていた。

「完成した瞬間には、人生に悔いなし、と思ったがの……。この色を洗い流すのが、勿体なく思えてしまったんじゃよ」

「白い絵の具なんて、散々使ったでしょうに」

「特別な白、じゃ。これでどうか、作ってもらえんか?」

「まぁ出来るけど……いいの? 一時的にとはいえ、忘れるわよ」

 確認するスタイラに、ハイルはまっすぐな目で頷く。

「こればっかりは、嫁さんにも知られたくないんじゃ。恥ずかしいじゃろ」

「ふぅん、よく分からないけど、そういうものなのね。……わかりました。あなたの思い出、音箱にしましょう」

 そうして記憶を預かると、ハイルは首をひねった。

「何じゃ今のは……。ひとまず、よろしく頼むぞい」

「勿論。そうね……一ヶ月後にまた来て」

 詳しくは教えないままにそう伝えると、ハイルはそのまま店を去った。

 それからしばらくして、マイラが戻り、依頼の話をすると苦笑して頷いた。

「分かった。面白いおじいさんだったんだね」

「勘弁して欲しいわ、全く……」

 出来ればその手の客はあまり増えないでもらいたい。スタイラの負担がかかるから。



 一ヶ月後、予定通り来たハイルは、隣に年老いた女性を連れていた。

「あら、その方が話に出ていたお嫁さんかしら」

「うむ! どうじゃ、美人じゃろ?」

「ちょっとあなた、他所様の前ではやめてって言ってるじゃない」

 ハイルの嫁である老婆は、恥ずかしそうにハイルを小突く。

 甘い空気に、やってられるか、とスタイラはオルゴールを出した。

「ご注文の品よ。これは依頼人しか開けられないし、思い出も本人にしか思い出せないから、安心して。さ、どうぞ」

「おお! なかなか趣のあるデザインじゃな。では……」

 ハイルが喜んでオルゴールの蓋を開けると、美しい音色が響いた。

 隣で聴いていたハイルの嫁は、驚いた顔をしている。

「まぁ……素敵な音」

「う……うむ! 我ながら、良き思い出じゃな……」

 赤くなったハイルは、そのままオルゴールの蓋を閉じてしまう。

 それをラッピングしながら、スタイラは何となく察していた。

(まあ、たまにいるものね。思い出を恥ずかしがる人)

 そういう人は大抵、後は聴かないようなのだが、捨てられてないだけまだマシでもあった。

 支払いも済ませた夫婦は店を立ち去り、だが少しして嫁の方が戻ってきた。

「ねえ、あの人は何を残したの?」

「申し訳ないけど、依頼内容は誰にも教えられないわ。いつか本人から聞いてみたらどうかしら」

「あら、そうなのね。……そのうち、私も来ようかしら」

 たまにこうして、依頼人の身内や関係者が、話を聞き付けて暴こうとするのだが、守秘義務があるスタイラ達には教える事など出来ない。

 嫁である老婆の言葉にも、スタイラは相好を崩す事なく言った。

「ええ、本当に残したい思い出があれば、私達は歓迎するわ」

「ありがとう。それじゃあね、小さなお嬢さん」

 そうして客が今度こそ居なくなった店内で、はあ、とスタイラはため息をついた。

「小さなお嬢さん……ねえ。あーあ、本当に……失敗しちゃったわ。私達」

 思い出すのは遙か彼方に残る記憶。思い出とすら呼べないそれは、いつまでもこの身をこの店に縛り付けている。

 あの夫婦のような幸せな老後は、二度と望めない。

 客が来ないのを確認したスタイラは、陰鬱な気分を紛らわす為に、マイラが戻るまで、マイラの持ってきた部品の選別を行う事にしたのだった。



 それから何十年も先の話。

 とあるオークション会場で、不思議なものが落札された。

 それは昔も昔、有名な画家が描いた花嫁の絵と、それに付随していたオルゴール。

 落札したのは、その画家の末裔だった。

 だがそれよりも不思議な事に、誰一人開けられなかったオルゴールを、彼だけが開けられたという――。

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