恋に堕ちた音
恋は落ちるものではない。落とすものだ。
そう自分は信じていた。
※
「今期の活躍も目を見張るものがありますね。リーヴェ」
「ありがとうございます」
上司からの言葉に、笑顔でリーヴェは答える。
「引き続き、運命に結ばれし人々を導くのですよ」
「はいっ!」
上司や自分の使命、仕事は「人間の恋を成就させる事」だ。
その数が多いほど、昇進の機会も増える。
人はその知られざる存在を「キューピッド」と呼んだりもしていた。
定例報告も済み、回廊を歩いていると、ばったりと仲間に出くわした。
「……キュイロ」
人との恋を繋ぐ役割を持ちながら、どこか鬱々とした雰囲気の同僚も、別の上司への定例報告が終わったのだろう。
「その様子だと、絶好調か。いいな、何も考えずに言われた通りやってりゃいいだけの奴は」
ギスギスした気持ちを隠しもせず、キュイロは吐き捨てるように言う。
その言われようにムッとして、リーヴェは言い返した。
「私達の仕事は、人間の恋を繋ぐ事でしょ。嫌々やる理由なんかどこにあるのよ」
「優等生には分からねえか。俺は俺達の在り方に疑問しかねえんだよ。神様に許されてるからって、何やってもいいもんか、ってね」
「神様が私達にそれを使命として与えたんだもの。正しいに決まってるわ」
はっ、とキュイロが鼻で笑う。彼はきっと、その使命を忠実にこなしてなくて、上司からも散々説教をされたばかりなのだろう。うんざりした顔をしている。
「大体、疑問を持つ事自体がおかしいのよ。私達は仕事をしているだけなのに、どうして疑問なんて持つの?」
「おかしくない。お前は見てないのか? 俺達の仕事が、人間にどんな影響を与えているのか」
「見てるわよ。私が射った矢が刺さった彼らが、真実の愛に目覚めて恋に落ちているわ」
「……本当にそれだけなら、俺は疑問なんて持たなかったんだよ」
キュイロが俯いて、背を向ける。
「お前も一度、本当の意味で見てみろよ。上の奴らが言う『恋は落とすもの』の意味が理解できるさ」
そう言ってキュイロは立ち去った。その背を見つめながら、リーヴェは眉を寄せる。
「何よそれ。意味分からないわ」
※
「……それで、急に光ったと思ったら、彼はもう、その場に居た別の女性に一目惚れしていたの。女性の方も同じで……こんなのって、あんまりだわ!」
「……うちは恋愛相談所じゃないんだけど」
「まあまあ、スタイラ。その話がここに来た理由なんだから」
音箱屋は今日も客が来ていた。しかし、とても記念的な思い出話とは思えない内容である。
マイラもスタイラも、それがどんな仕様かは理解していたが、口にはしない。
「だから、もう恋なんてこりごり。彼がくれたネックレスを使って。私、告白されたあの瞬間の楽しさだけを思い出に生きていくわ」
「……本当によろしいのですね? 仮に不要になって廃棄などなさった場合、二度とここには来られなくなりますよ」
いつも通りマイラが釘を刺すが、女性はこくこくと頷いた。
そこからはいつもの流れである。スタイラがネックレスを手にした途端、女性の記憶はスタイラに預けられ、一ヶ月後にまた、と約束が交わされ、客は帰っていく。
それにしても、と嘆息したスタイラが呟いた。
「キューピッドの奴ら、相変わらずね。運命の相手ならいいってものじゃないでしょ」
「彼らの仕事だし、それは仕方ないよ。むしろやらないと怒られてしまうんじゃないかな」
「それで傷付く人間はどうでもいいっていうのが、気に入らないのよ」
「うん、そこは同意かな」
先ほどのような人間も生み出す、キューピッドの存在。彼らは悪気など一切無い。ただ、正しいと信じて仕事をしているだけだ。
もっとも、強制力で繋がれた運命など、幸せかどうか甚だ疑問ではあるが。
※
リーヴェは人間界の空を飛びながら、仕事を探していた。
運命を待つ者は数多いる。だから、暇で困ることは無い。
ただ、少し前のキュイロの言葉は少し引っかかっている。
「本当の意味で、か……。あっ、発見!」
この仕事は、成功させる条件がある。
一つは、運命で繋がれた二人が揃う事。
もう一つは、その二人に矢を刺す事だ。
近くに行くと、そこには運命ではない者同士が仲睦まじい様子を見せていて、もう片方の運命の相手は関心すら向けていない。
「どうしてこんなに近くなのに分からないのかしら。分からないから、私達が導くんだけど」
金色の弓と矢をつがえ、狙いを定める。彼らの胸めがけて、鋭く矢が刺さった。
瞬間、運命が繋がれた事を示す光が放たれる。
「よっし、これで――」
ぐっ、と拳を握ったリーヴェだが、次の瞬間、違和感を抱いた。
「ど、どうしたの!? ねえ!」
「うるさい、僕は今、運命をこの人に感じたんだ!」
「そ、そんな、酷いわ! 私を捨てるの!?」
「捨てるだなんて。僕は今まで間違っていただけだ。さよなら」
「うああああ! 嫌よぉ!!」
「……あれ?」
今までは達成感と共に、嬉しさしか生まれなかった。
だが、今はちっとも嬉しくない。
さっきまで仲睦まじかった人間達が、今度は仲違いをしている。
そんな光景はいくらでも見てきたはずだった。
「なんで、だろ?」
モヤモヤとした気持ちを抱えながら、リーヴェはその場から飛び去る。
その後も成功はしたものの、さっきの光景がずっと頭に引っかかって、気持ちは晴れなかった。
天界に戻ったリーヴェは、キュイロとまた出くわした。
「どうした? いつもと違って浮かない顔だな」
「ね、ねぇ、キュイロ。今から仕事?」
「……一応な」
「あの、私もついてっていい? 今日の仕事分は終わったけど、まだ時間あるし」
彼と一緒ならモヤモヤの正体が分かるかも、と期待を込めてリーヴェは彼に言う。
キュイロは少し考え、「仕事に勝手に手を出さないなら」と要求を呑んだ。
そして再度、人間界へと降りたリーヴェは、キュイロの後をついて飛ぶ。
彼はいくつかの運命の繋がりを無視し、仕事を進める。それがまず、リーヴェには不思議に見えた。
「ねえ、彼らは放っておくの?」
「あれでいいんだ。勝手にやるなよ」
「うん……」
言われた以上、手出しはしない。だが、何か意味があるのかと思ってよく観察していると、ある事に気付いた。
(あ……まさか)
仕事が一区切りついたところで、木の上で休みながらリーヴェはキュイロに尋ねた。
「あなた、既に相手が居る人間には矢を射たないのね」
「やっと気付いたか。ああ、俺はそう決めた。運命だけじゃ、人間は幸せになれない」
「……矢を射った瞬間、人間は容易く心変わりしてしまう。それが嫌なんでしょ」
「ああ。俺もそれに気付いてからは、それを見たくなくて、選別する事にした」
キュイロの言葉に、リーヴェは目を瞑る。
「そっか……。私も今日、何となく嫌だなって思ったの。運命の人が両方揃えばいいのに、って」
そんな奇跡はなかなか起きない。そう分かっていても、誰か一人だけが不幸に陥るのは、気鬱になってしまった。
だが、そんな選別なんてしていたら、いつまでも仕事はろくにこなせないはずだ。今日だって、結局彼は二桁以上の運命を見過ごしている。
「でも、やらないと。だって、やれなかったら私達……」
「ああ、長くはもたないやり方だって、分かってる。けど、俺が決めた事だからな」
ぽろ、と涙がこぼれる。彼が居なくなるのは、寂しい。嫌だ。
「だめだよ。我慢して、やろうよ。少しだけでもさ……!」
「やらない。俺は、お前みたいに優等生にはなれない」
仕事の続きだ、と彼は羽ばたく。
リーヴェもついて行こうとしたが、彼には止められた。
「この程度で泣かれていたら、ただでさえやれる仕事が減る。邪魔だから帰れ」
さすがに邪魔は出来ない、とリーヴェはそのまま泣きながら天界へと帰ったのだった。
※
それから数ヶ月後。
「いらっしゃいま……え?」
音箱屋に訪れたリーヴェは、泣きながら一枚の羽根を両手で持って言った。
「お願い……これで、思い出を形に残して」
ついに、その時が来たのだった。
彼が断罪される時が。
リーヴェは彼を庇った。だが、あまり庇うと同罪とされる、と言われ、最後にこの羽根一枚だけを持つ事を許された。
もう、彼はどこにも居ない。あれから何度も行動を共にし、互いを理解し合えると思った矢先の出来事だった。
「……ここの制約はご存知ですか?」
「知ってるわ。だからこそ、お願いしたいの」
「分かりました。持ち歩けるような大きさがいいですね。二週間ほどになります」
「ありがとう……」
「そう思うなら、誰彼構わずくっつけるの、やめたら? 地味に客は増えるから、こっちとしてはありがたいけど、同じくらい捨てられてるのよね」
「ごめんなさい……。逆らえないの。逆らったから、彼は……」
背任、と決め付けられ、断罪された絶望は大きい。
だがそれ以上に、彼の言葉が大きかった。
『リーヴェ。お前は……俺の分もよろしくな。優等生』
彼の後を追う訳にはいかない。だが、このままでいいとはもう思ってなかった。
長い時間がかかるだろう。もしかしたら、途中で失敗するかもしれない。
それでも、変えたいと思った。今の、自分達のやり方を。
運命だけではない、人の繋ぎ方を。
※
どこかでまた、新たな噂が流れる。
誰も居ないはずの場所で、もしもオルゴールが聴こえたら。
近くに誰かの為のキューピッドが、居るかもしれない、と――。




