約束を守る方法
人は、忘れるから思い出す。
だが忘れなければ、覚えていられる。
交わした約束の『絶対』を、忘れたくなかった。
※
工房の中で、オルゴールの音が鳴り響く。
完成前の最終チェックだ。
音箱屋のオルゴールは、持ち主と、作った双子だけが、開けて記憶を読み取れる。
なのでここで失敗すると、一からやり直しになるのだ。
もっとも、失敗したことはほぼ無いのだが。
「……うん、問題ないね」
「ええ。これで完成だわ」
双子は頷き合ってオルゴールを閉じる。
双子の作るオルゴールは蓋を開け閉めするタイプで、ゼンマイを巻いて音が流れるものだ。
それだけなら普通だが、双子のオルゴールは不思議なことに、途中で音を止めても次に開ける時は最初から流れ出す。
記憶を中途半端に思い出さない為の措置だった。
ラッピングの箱を用意していると、マイラの耳に微かな来客の音が聞こえた。
カウンターに出ると、予想通り、依頼人がやって来ていた。待ちきれずにそわそわしている。
「お待たせしております。今、品を持ってきますね」
そう言って、マイラは一度奥に引っ込んでから、オルゴールを持って戻る。
「こちら、ご確認ください」
そっと蓋を開けると、さっき聴いたメロディーが流れ出した。
途端に依頼人が泣き崩れる。
「あぁ……そうだわ、私はあの人と約束したの……幸せになろうって……なのに、年を重ねるごとに、そんな事も置き去りになって……」
依頼人の女性は、夫との不仲に悩んでいた。結婚式でつけたイヤリングを元に、せめて当時の綺麗な思い出を残したかっただけのはずが、交わした約束まで思い出したらしい。
何年も昔の思い出だと、こういう事も起きる。
その後、綺麗にラッピングされた箱を大事に抱えて何度も頭を下げて出て行った依頼人は、気持ちばかり多めの支払いをしてくれた。
ほくほく顔のスタイラは、お金をしまいながら言う。
「正直、こういう依頼が一番楽よねー」
「スタイラ……。僕たちはお客様を選べないんだから、文句は言えないよ」
マイラは苦笑して道具を片付ける。次の客が来るまでは、また忘却の岬に出向いてもいいかもしれない。
――そんなマイラの耳に、またも来客のベルが届いたのだった。
※
「噂は知ってる。趣旨もズレてるかもしれない。けど、お願いだ! オレの記憶を、オルゴールにしてくれ!」
「……だって、マイラ。どうする?」
「うーん、詳しく話を聞かないと何とも……」
まだ少年だが、そろそろ大人へとなりつつある見た目の依頼人は、ベロフと名乗った。
彼は思い出の品であるというカフスボタンを置いて、話し出す。
「オレには、小さい頃から将来を誓い合った相手が居るんだ。これはその約束の品だ。けど、そいつが今度、遠くに行っちまう。だからオレ、怖いんだ。あいつが居なくなって当たり前の日常で、約束を忘れやしないかって。あいつは覚えてるって言ってくれたけど、オレはそんな保証なんてない。何より、約束を果たせるのが何年先になるかも分からない。不安で仕方ないんだ!」
ベロフの話に、双子は腕を組んでそれぞれ考え込む。
依頼自体は言ってしまえばよくある話だ。ただ、ここに来るのが正解かと問われたら、違う。
そもそも約束をオルゴールにしたところで、聴き返さなければ思い出せもしない。かえって忘れてしまう事で揉める原因になったりもするのだ。
「お客様。当店のオルゴールは、記憶をそのままオルゴールという形に残すものです。忘れてしまえば、オルゴールを聴かない限り、思い出せません。お客様が忘れても、当店は一切の責任を負いません。それでもですか?」
マイラが丁寧にリスクを伝えると、ベロフはあからさまに狼狽えた。
本来、ここに来る客は覚悟がある意味決まっている者ばかりである。そんな中で、彼はまだ揺らいでいるようだった。
ここは一度、考え直してもらった方がいいかもしれない、とマイラが思ったところで、ベロフが不意に頭を抱える。
「うっ……!」
「お客様?」
そのまま動かなくなって少しした頃、ふとベロフは顔を上げた。
「……なあ、オレどこまで話した?」
「!?」
「待って。まさかあなた、記憶を維持出来ないの?」
さすがにスタイラも顔色を変えた。
問いかけにベロフは頷く。
「ああ……。日常生活にそこまで支障は無いけど、記憶量が一定を超えると、直前の会話を忘れるんだ。だから、いつか約束も忘れそうで」
「スタイラ、引き受けよう」
「ええ……それしかないわね」
事故なのか生来のものなのかは知らないが、確かにこれでは覚え続けているのも難しいだろう。
双子はベロフの依頼を引き受けて、一ヶ月後に取りに来れるようメモも取ってもらった。
「昔の事は覚えてて良かったわ。でないと作れないし」
「確かに、綺麗さっぱり忘れてしまった感じがしたね。あれは、君でも手に負えないと思うよ」
工房に戻りながら、二人は少々厄介な依頼にため息を禁じ得なかった。
※
ベロフには、困った問題がある。
記憶が残せない。この一言に尽きた。
それでも忘れたくない一心で、今日も彼女に声をかける。
「よう。元気か?」
「あら、ベロフ。ええ。もうじき離れ離れになってしまうけれど、心配だわ」
「そうだな。お前には何度も約束してもらってる」
「いいのよ。将来の為だもの。待っててね。私、ちゃんと戻ってくるから」
「ああ。手紙も書くよ」
この会話さえ、じきに消えてしまう。だから忘れたくないものだけは、メモを取る癖がついた。
分厚いメモは使い込まれていて、色んなページに大事な事が書いてある。
新たなページに「彼女に手紙を書く」と書き込んだベロフは、少し前のページをめくる。
そこには日付と共に「一ヶ月後にオルゴールを取りに行く」と書かれていた。
「……? 何でオルゴール?」
何か注文しただろうか、と首を傾げるベロフの記憶に、不思議なオルゴール屋の記憶はとうに無かった。
「どうかしたの?」
「あ、いや、何でもない。見送りは絶対するから」
「それもメモしてよね」
大事だから、と念を押されたが、メモはとうに書いてあった。
それでも、ベロフは新たにメモを取る。常に記憶は新しいものにしなければならないから。
そして半月後、無事に彼女の見送りを済ませたベロフは、改めてメモを見返した。
「オルゴール……何だっけなあ。てか、そろそろ一ヶ月じゃね?」
忘れたとしても「音箱屋」と書かれた名前の看板を探せば分かるはずだ。
丁寧に誰かの字で金額も書かれている。
「底値からの言い値なんて、安く買い叩かれそうだよなあ」
街の中を歩き、一軒一軒の看板を見る。
そしてやっと小さなその店を見つけて、中に入った。
目に優しい照明、並べられたオルゴール。そしてカウンターに出てきたのは、幼い少年。
「無事に来れたようで何よりです。商品も完成してますよ」
「な、なあ、オレ達、前も会ったか?」
困惑するベロフに、少年は苦笑して頷く。
「一ヶ月前、お客様はここで大事な約束を思い出として残したい、と仰り、依頼されました。……こちらが、それになります」
出されたオルゴールは手のひらに収まるサイズだが、装飾は文句なく美しい。
そして蓋を開けたオルゴールは、綺麗な音色を奏で始めた。
『ねえ、ベロフ。約束しましょ』
『約束?』
『大人になったら、結婚するの。指輪はその時までとっておいて、今はこのカフスボタンをあげる』
『いいの? オレ……すぐ忘れるのに』
『約束は何回でも出来るわ。何回だってしてあげるから』
『うん……オレも、約束する。結婚しよう、大人になったら』
「うぁ……あ、そうか……オレは……」
ベロフは両手で顔を覆って泣いた。
幼い頃の約束。忘れてしまった、大事な思い出。
そして、思い出すという感覚を、ベロフは初めて知った。
「思い出すってのは……鮮やかなんだな、こんなにも」
「お客様は、忘れたくない、忘れても思い出せるようにと、ここに依頼をしに来ました。いかがでしたか?」
「あぁ……ありがとう。これは……何度でも聴くよ。約束が果たされるまで、毎日でも」
ハンカチで涙を拭ったベロフは、分厚いメモ帳に「毎日オルゴールを聴く」とメモした。
そして丁寧にラッピングされた箱を手に、店から出る。
「はは……早く帰らないとな。忘れちまう前に」
そう呟いて、帰路についたのだった。
※
部屋にオルゴールの音が流れる。
その部屋には、二人の男女。
「約束を果たしにきたわ、ベロフ」
「ああ。今度はオレから言わせてくれ」
長い時間をかけた約束が、今、果たされる。
「結婚しよう」
ベルベットの箱に入った銀の指輪が、昼下がりの陽光に煌めいていた。




