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季花の散る頃に

 薄紅の美しい花が咲く。

 格子窓の中からそれを見上げるのは、あの日が最後だった。



「セリシャ、どこへ行くのかね」

 夫となった男が尋ねる。

 セリシャは柔和な笑みを向けて答えた。

「ちょっと、街にある雑貨屋へ。そんなに長くは出掛けませんわ」

「そうかい。門限までには帰ってくるんだよ」

「ええ、もちろん」

 そうしてセリシャは門を出る。

 セリシャがここを出るのには条件があった。

 行き先を夫に告げる事。

 門限を守る事。

 買い物をしたら品と明細を全て見せる事。

 人と会う時はその相手と目的を告げる事。

 他にも細々とした条件はあるが、これを破る事は許されない。

 結婚したらそうしなければいけない、と最初から分かっていた事でもある。

 着慣れた東洋の衣服に身を包み、セリシャは街の中にあるという店を探す。

 程なくして、そこは見つかった。

「音箱屋……ここなら」

 小さな看板と扉しかないその店に入ると、まるで街中とは別世界のようだった。

 外の喧騒からは切り離され、静かな店内にはオルゴールが並んでいる。

 どれも個性的なデザインで、興味をそそるものばかりだ。

 それらを眺めていると、声を掛けられる。


「いらっしゃい」


 振り向くと、まだ幼い少女がすぐそこに立っている。にこりともしない彼女は、続けて言った。

「初めての客ね? ここの事はどう知ったの?」

「あらあら……。お客様には愛想良くした方が繁盛するわよ?」

 元は商売をする側だったセリシャも、さすがに苦言を呈する。しかし少女は首を横に振った。

「大抵が一度きりの客を相手に? そんなのは兄がやれば十分よ。ま、今は居ないけど」

「それでやっていけてるなら、いいけれどね。思い出の品を使ってオルゴールを作る店、で合ってるかしら?」

「ええ。あなたは何を持って来たの? そこで話を聞かせてちょうだい」

 奥まった場所にあるテーブルを示され、セリシャはそこに座る。

 少女は入り口やら奥やらに行って、最終的にはお茶を運んできた。

「はい。その見た目だと、東方からわざわざ? お茶も合わせてあげたわ」

「あら、博識ね。それに、懐かしい香りだわ」

 出されたのはティーカップだが、中身は緑茶と呼ばれる、薄緑色のお茶だ。甘さと苦さのバランスが調和していると、上質とされる。

 それを一口含むと、懐かしい思いが湧き起こった。

「……そうね、こちらに嫁いで、何年かしら。もう、このお茶を飲む事も無くなったわ」

「ふうん。取り寄せくらいすればいいのに」

「出来ないのよ。主人の束縛が強くて」

「束縛?」

 流石に茶菓子は焼き菓子だった。マドレーヌをかじり、セリシャは苦笑する。

「ええ。そもそも私は身請けされたの。私を欲しがって大金を出した、主人の元にね」

「遊女だったんだ。育ちのいいお嬢様の出かと思った」

「育ち良く見えるように、躾けられるからね。ただ、教養は良くても、金にはちょっとばかり強欲な人間に育てられたのよ」

 身請け話も、セリシャの合意など無かった。

 全てが決まってから、セリシャには伝えられたのだ。

「身請けの時に名前も変えさせられてね。元は八重、って呼ばれてたのよ」

「ヤエ? 不思議な響きね」

「その名前を持つ花はとても綺麗でね。故郷では春に咲くのよ。……その頃に私は、とある客と恋仲になったの」

 お金はあまりない男だった。だが、気持ちは通じ合っていて、いつか身請けする、と約束していた。

 だがそれよりも早く、身請けされてしまったのだ。

 八重の手元に残ったのは、もう果たされない約束と、密かに贈られた簪だけ。

 そうして八重はセリシャとなった。男には何も伝えられないまま。

 セリシャは簪を懐から出して、テーブルの上に置く。

「これで、私と彼の約束を思い出に残してくれないかしら」

「いいわよ。時間は……一ヶ月くらいね。取りに来れないなら送るけど」

「いえ、絶対に私が取りに来るまでは置いておいて」

「……どういう事?」

「これだけは、主人の手に渡す訳にはいかないの。絶対に」

「安心して。持ち主以外は箱も開けられないから」

 何がそんなに心配なのか、と言いたげな少女に、セリシャはぎゅっと膝の上で拳を握る。

 ただのオルゴールだと言って手元に置くには、自らの手で買わねばならない。

「そうではないの。主人は非常に嫉妬深いので、出どころが不明なオルゴールならば、たちまち壊されてしまうわ」

「それは困るわね。分かったわ。でも、出来るだけ引き取りの日は守ってね」

「よろしくね。これさえ失ったら、私は、どうなってしまうか」

 す、と簪を手にした少女を見ながら、大事な何かが薄らいでいくのを感じる。それでも先ほどのやりとりは鮮明に覚えていて、セリシャは立ち上がった。

「それじゃあ、一ヶ月後に」

「ええ、確かに承ったわ」

 店を出て、家に帰る。それを思うと憂鬱な気分になった。

 帰ったら、報告をしなくてはならない。たとえ何も買わなかったとしても、だ。

 大枚をはたいて手に入れてもなお、その妻を信じられない。ある意味ではそれもまた、強欲だろう。

 門限までの時間も少ない中、セリシャはそっと人混みの中でため息をついたのだった。



 その一月後、セリシャは目の前でオルゴールが壊されるのを見て愕然とした。

「不気味な、噂のある、店から、こんな物を、買った、など! 一体、誰とのどんな、思い出と、やらをっ!」

 床に叩きつけるでは飽き足らず、何度も踏みつけて主人は吐き捨てる。

「や、やめて!! やめて下さい!!」

 半ば開いたオルゴールは、歪んだ音を鳴らす。

 セリシャは主人の足にしがみついて破壊を止めようとしたが、それを振り払われた。

「ワシを裏切る、つもり、かっ! お前を、せっかく、買ってやった! この、ワシを!」

 そして攻撃の矛先は、セリシャに向いた。

 ところ構わず蹴られ、杖で殴られ、セリシャは呻いた。

「ひっ、酷い、ですっ。たった、一つきり、の、思い出、をっ」

「やかましいっ! お前に、男が、居たのは、知っていた! だからっ、先にっ、買ったのだ! なのにっ、貴様はっ、貴様はぁっ!」

 繰り返される殴打の音が、静かな屋敷内に響く。誰も主人を止めず、誰もセリシャを助けない。

 やがてそれが止まる頃、何もかもが静まり返っていた。

 セリシャは身動き一つせず、オルゴールは修復不可能なほどにひしゃげて音を止めている。

 ただ、主人の荒い息だけ。

「はぁっ、はぁっ……はぁっ……」

 足元も杖の先も床も、血に塗れて汚れている。

 それを床に叩きつけると、主人はふらふらと自室に戻って行った。

 そこでやっと、息を潜めていた使用人が動き出す。

 セリシャは手当てをされて寝室で寝かされた。

 枕元には、破片も集められた、壊されたオルゴールが置かれて。


 ――その更に一ヶ月後、セリシャはオルゴールと共に屋敷から姿を消した。



 新聞の見出しには、大きな文字が並んでいる。


『大富豪の主人、病死か!?』


 それをちらっと見たスタイラは、小さくため息をつく。

「女を怒らせると、怖いのよ」

「まあ、僕達は依頼されてオルゴールを作っただけだしね」

 マイラも苦笑してそう返す。

 結局、あのオルゴールは修復できなかった。

 それを聞いてがっかりしていたセリシャだったが、それでも理性をしっかり保っていたのはさすがと言うべきか。

 怒りを向けるべき相手が誰なのか、よく分かっていたらしい。

 今頃は船にでも乗って、故郷に帰っている頃だろうか。

 壊されたオルゴールはもう聴けない為、処分しようかとスタイラ達から願い出たが、彼女はそれを拒否した。戒めとして持ってるらしい。

 何にせよ、終わった話だ。

 新聞を畳むマイラは、コーヒーを飲み干して軽く伸びをする。

「さて。今日も仕事があるから、頑張らないとね」

「今度は壊されないといいわねー」

「そうそう無いと思うよ? 多分」

 片付けて、またいつもの日常だ。彼らは今日も、オルゴールを作る。



 薄紅の美しい花が散る。

 その中を、指を絡めて歩く男女が居た。

 そこに居るのはセリシャという女性ではない。

 隣の男から愛おしげに、八重、と呼ばれた女性だった。

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