音箱屋へようこそ
どこかの国の小さな街に紛れて。
その店は、そっと、そこにある。
※
明るい昼下がりの通りを、喪服姿の少女が歩く。
黒いワンピースに黒いヴェールハットは、道ゆく人々が一度は振り返る程に浮いた格好だ。
その少女――ミモリザが足を止めたのは、小さな店の前。
ショーウィンドウも無く、シンプルな看板には、『音箱屋』と書かれていた。
扉を押し開けると、チリン、とベルが鳴る。
その店内は、オレンジの灯りで満たされていた。
「あ、あの!」
ミモリザが声を上げると、奥からパタパタと小さな足音がやってきて、カウンターの後ろにある扉が開いた。
ミモリザはその足音の主に驚く。
「いらっしゃいませ、お客様」
にこっ、と笑って口を開いたのは、まだ幼いとすら思えるほどの、少年。
「ご、ごめんなさい。ここの店主さんにお会いしたいのだけど」
「店主なら僕と妹ですよ。お姉さん」
噂は本当だったのか、とミモリザは唖然とした。
『この街には、ずっと前から不思議な店がある。その店の主人は幼い双子の兄妹らしい』
その双子はずっと幼いままらしく、魔物か何かではないか、という疑惑まであるほどだ。
それよりも、とミモリザは気を取り直して、懐から小さな髪留めを出しながら口早に用を告げる。
「あの、ここでは、思い出を形に残し続けられるって、聞いて……」
「出来ますよ。けれど、まずはお客様のお話を聞いてもいいですか?」
少年は片手を突き出して言う。
「少々お待ち下さい」
そうしてカウンターから出てから扉を一度開けて、すぐ戻ってきた。
「依頼人を何人も受け持ちは出来ないので、来客が居る時は閉じてるんです。さあ、こちらで座って下さい」
お茶の用意をするからと、少年はまた奥に行く。
ミモリザは一人がけのソファに座ると、改めて店内を見渡した。
雑然とはしておらず、壁の方にいくつかのショーケースが置いてある。一番近くに見えるのは、豪奢な装飾の箱だった。
ここに並べられているのは、主を待つものばかりらしい。これもまた、噂だが。
(すごい装飾……。こんな物が作れる職人なんて、そうそう居ないわ)
手に取りたい衝動を堪える。開けて、音を聞いてみたい。
だが、それは叶わない事も理解していた。
『あれは本来の持ち主の為に存在してるから、他人じゃ開かない。……そんな事を言われたらしいよ』
この店に来た事がある人間の言葉も、噂と共に流れてくる。
依頼の受け方が特殊な為に、客人は表に出ないのかもしれない、とミモリザはぼんやりと思う。
その時、扉の音と共に足音が二つ響いた。
やってきたのは、男女の、まさしく双子と呼べるほど瓜二つな二人。
「お待たせしました、お客様。こちら、紅茶になります」
「マイラ、もう敬語やめなさいよ。どうせすぐ剥がれる皮でしょ」
「スタイラ、最初だからこそ丁寧に接客しないと。……すみません、お姉さん。どうぞ」
「あ、ありがとう。いただくわ」
湯気の立つ美しいカップを持ち上げ、その香りにほっとする。
一口啜れば、いい茶葉と淹れ方をしているのがすぐ分かった。
「おいしいわ。いい腕ね」
「本当? それは嬉しいわ。……さて、話を聞きましょうか。あたしはスタイラ。音を作ってるわ」
「改めて、挨拶が遅れてごめんね。僕はマイラ。箱を作ってるよ」
あの緻密な装飾はこの少年が手掛けていたようだ。小さく細い指先は、とても器用なのだろう。
「私はミモリザよ。よろしくね」
カップを置き、ミモリザも名乗る。
そして、先ほどは一度しまった髪留めを再び出して、テーブルに置いた。
「この髪飾りは、私の親友の形見なの」
あしらわれた宝石は、彼女の髪色だった、薄い金色のシトリン。
「これはね、私と彼女……ハネイアとの、最初の思い出なの。二人で初めてお祭りに行って、お揃いで買ったのよ」
自分の方は、今でも髪に着けている。それを示すと、双子は無言で頷いた。
そこからは流れるように、ミモリザは思い出を口にする。
「お互いの髪の色の髪留めを買って交換してね。二人で出かける時はいつも一緒に着けてたの。そう、約束したから。……でも」
親友の証だった。おばあちゃんになっても着けていようと、約束した。それなのに。
「あの子は……先に、神様の所へ行ってしまったの……! 病気になって、私だけ、置いて……!」
枯れたと思っていた涙が流れる。葬式から三ヶ月経った今でも喪服のような格好なのは、忘れたくない為だ。
「もう私は、喪服を止めろと言われたの。でないと、お見合いが出来ないだろうって。この髪留めも、やめないなら捨てるって言われて……! だから、捨てられるくらいなら、って思って、ここに……!」
我が父ながら、いくらなんでも酷いと思う。だが父は有言実行だ。抗わなければ本当に捨てられてしまうから、ここへ来た。
「だから、お願いします……! 大事な形見を捨てられたくないの。あなた達の手で、永遠の思い出にして下さい!」
ミモリザは深く頭を下げた。たとえお金をふっかけられてでも、今のミモリザには必要だから。
――ややして、口を開いたのはスタイラだった。
「あなたの望みは、どちら? 親友を忘れたくないのか、親友との綺麗な思い出に浸りたいのか」
「え、ええと……?」
質問の意味がよく分からず困惑するミモリザに、マイラが補足する。
「スタイラ、先に仕組みを説明しないと答えられないよ。お姉さんは、ここについてどれだけ知ってる?」
「噂で、思い出の品を使ったオルゴールを作ってくれるって事と、それは絶対に壊れない事……くらいね」
「うーん、やっぱり説明しないとね。まず、絶対に壊れない物じゃない。形になって存在するものは、等しく壊れる。これは理として覆せない。僕達のオルゴールも、その気になれば簡単に壊せる。勿論、その修理も承ってるよ」
「えっ」
「そしてもう一つ。対価は思い出の記憶も含まれる」
こっちの方が重要だ、とマイラは告げた。
「思い出の品だけでは、依頼人の思った通りの品にならない。それに付随する依頼人自身の思い出が必要なんだ。品を差し出してしまったら、君はそれにまつわる思い出を忘れる事になるよ」
「忘れる⁉︎ そんな!」
マイラの説明に、思わずミモリザは立ち上がる。だが、それを宥めるように彼は続けた。
「忘れるのは、その品に関する重要な記憶だけだ。君の場合、どうして買ったのかを忘れる。人は忘れたら気にするから、僕らの音箱を開く。そうすれば、音楽が流れたら一時的に思い出せるんだ。理屈は分かってもらえた?」
「……ええ、何とか……」
「で、その時に流れる音楽が、記憶の再生なんだ。スタイラが知りたかったのは、思い出した時に、写真を見返すようなものなのか、それともその時間に心ごと引き戻されるのか。似て非なる感覚だから、重要なんだ」
思い出の中身をどうしたいか、と問われているのだと、やっとミモリザは理解した。
人の記憶は徐々に風化していくという。ミモリザが最も嫌だったのは、完全にハネイアを忘れる事だ。
だからこそ、思い出して繋ぎ続けたい。あの日の瞬間を、たとえまた忘れても、いつでも思い出せるように。
ならば、答えは決まった。
「忘れても思い出せるなら、その時の想いごと」
きっぱりと告げる彼女を見て、双子は顔を合わせて頷くと、揃って立ち上がり、一礼して告げた。
「承知致しました。必ずや、お望みの品をご用意します」
「ご依頼、ありがとうございます。では、この品とあなたの思い出をお預かり致しますね。一ヶ月後にご来店をお待ちしております」
「……ええ、よろしくね」
髪留めを預け、ミモリザは店を立ち去る。
帰宅した後、自分の髪留めを外したミモリザは、何かを忘れたような気持ちになった。
髪留めは確かに今も大事な物だが、何故かはっきり思い出せない。あの店で言われた事は、本当だったようだ。
(でも、これで前へ進める。明日からは普通の服を着よう)
そう思いながら、ミモリザはアクセサリー箱に髪留めを入れ。
そして髪留めはそのまま、箱から持ち出される事は無くなった。
※
一ヶ月後、ミモリザの家にある品が届いた。
差出人は『音箱屋』からだという。
「あら? そうだったわ。私ったら、すっかり忘れていたなんて」
早速、中身を確認する。それは小さなオルゴール箱で、装飾は眺めているだけでも美しく、手触りもいい。
何より、とても目に付く位置に、親友だった少女の宝石が煌めいている。
そして箱を開けた途端――オルゴールの音色が煌めいて、髪留めの記憶を鮮烈に呼び覚ました。
「あ、あぁ……!」
涙が溢れて止まらない。どうして忘れていたのだろう。こんなにも愛しい記憶を。あの感動を。
否、その為にこれを作ったのだ。何度忘れても、またこうして思い出したくて。
音楽が終わった後、ふと箱にあったカードに目を向けた。
『お引き取りに来られなかった為、送らせて頂きました。今後はお気を付け下さいませ』
そういえば、あの双子に身元は明かしていない。どうやってこの家を知ったのだろうか。
だが、そんな事は正直どうでも良くて、ミモリザは箱を抱きしめる。
「ありがとう……」
もうこれで、ハネイアとの繋がりは誰にも切れないだろう。
その安堵に今はただ、浸っていたいのだった。
※
とある国のとある街には、小さな店がある。
箱のマイラ、音のスタイラ。その店の名は『音箱屋』。
彼らの作るオルゴールは、唯一無二のものばかり。
今日もまた、一人の客が扉を開く――。