第八十三話 統合作戦司令部
神奈川県・市ヶ谷にある防衛省庁舎。
その最奥に設けられた統合作戦司令部には、何十人ものオペレーターが集い、各所に設置された大型モニターが暗い室内を照らしていた。
部屋の中央には、最新式のタブレット式作戦地図が配置されており、相模湾とその周辺の衛星画像がリアルタイムで映し出されている。
薄暗い室内で各種機器が淡く点滅する中、統合作戦司令部の扉が静かに開いた。そこから姿を現したのは、1人の男だった。
齢63。未だ黒々とした髪をオールバックに撫でつけ、隙のない軍服を着こなしたその佇まいには、微塵の緩みもない。
統合幕僚長・遠藤正樹。
彼が足を踏み入れた瞬間、室内の空気はさらに引き締まり、緊張感が一段と高まる。
遠藤の鋭い眼差しが室内を一掃すると、幕僚たちは無意識のうちに背筋を伸ばしていた。
「全員、揃っているか?」
低く落ち着いたが、確かな威圧感を帯びた声。すかさず一人の幕僚が応じる。
「は、はい。もうすでに集まっております」
「……そうか」
遠藤はふっと視線を上げ、天井を仰いだ。
その姿は、一瞬、何かに祈りを捧げているようにも見える。
数秒後、ゆっくりと目を閉じた遠藤幕僚長は静かに目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整える。
そして、再び目を開いたときには、そこにためらいは残っていなかった。
遠藤は腕時計に目を落とすと、その場にいる全員が聞き逃せぬよう、明確な声で命じた。
「令和11年12月26日14時00分。これよりアルカディア掃討作戦を開始する!各自準備せよ!」
その号令を合図に、統合作戦司令部が一気に動き出した。
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「遠藤幕僚長、作戦について、私が説明させていただきます」
名乗りを上げたのは、肩に二つの金色の星を掲げた男だった。
肩章を見ただけで、彼が陸将補であることが分かる。
「現在、人工衛星および無人偵察機を用い、アルカディア人工島の偵察を実施しました。その結果……無人機に対する敵の迎撃は確認されていません。また、衛星画像でも大きな人の動きは見られず、懸念されていた一般市民の存在も確認されませんでした」
手元のタブレットを操作し、衛星画像と無人偵察機が撮影した画像が、中央のタブレット式作戦地図に映し出される。
様々な角度から取られた画像には、人影どころか兵器と思わしき物すら1つも映っていない。
それが不気味に感じながらも遠藤幕僚長は、画像を凝視しながら陸将補に問いかけた。
「相模湾一帯の民間人避難状況はどうなっている?」
陸将補は、資料を表示させると即座に答える。
「現在、避難対象区域の民間人避難率は41.3%。日々着実に進んでおり、29日までには全域完了の見込みです。現場の警察および消防と連携し、無理のない範囲で誘導が続けられています」
「そうか……」
遠藤幕僚長は小さくうなずき、肩の力を抜くように息を吐く。
そんな些細な遠藤幕僚長の表情に気が付かない陸将補は、作戦概要を続けて説明した。
「本作戦の目的は、アルカディア人工島の完全制圧、および敵指導者である『セイント』並びに『スイキョウ』の殺害または捕縛です」
タブレットに触れると、作戦地図上にセイントとスイキョウの顔写真がポップアップし、これまでの経歴や身体情報などのプロファイルが表示される。
「作戦開始予定時刻は、元旦の令和11年度1月1日午前06:00となります。本作戦は全4フェーズで構成されております。順を追って説明いたします」
陸将補はタブレットを操作し、作戦地図に戦闘機、イージス艦、戦車などの3Dシミュレーションを投影した。
それらがアルカディア人工島を取り囲む。それを用いて陸将補は説明を始めた。
「フェーズ1では、航空自衛隊の戦闘機による先制爆撃、および海上自衛隊のイージス艦からの巡航ミサイル攻撃、自走砲・戦車・榴弾砲による長距離飽和砲撃を同時展開します」
映像上、無数の爆撃ラインが描かれ、人工島の全体に赤いマーカーが点灯する。
「対象はアルカディア人工島全域とし、特定の防御拠点が不明である為に、満遍なく砲撃を行います。フェーズ1の攻撃時間は約10分間とし、アルカディア人工島が沈んだ場合、そこで作戦が終了します。沈まなかった場合にはフェーズ2へと移行します」
その言葉と共に、大型輸送機の3Dシミューレーションが現れ、アルカディア人工島の上空に配置される。
「フェーズ2では、第一空挺団による空挺降下作戦を敢行します。同時に、特殊作戦群が高速装載艇を用いて海上からの強行上陸を試みます」
モニターに、夜明け前の暗闇を切り裂くように降下するパラシュート部隊の3Dと、高速艇が海上を滑る様子が表示される。
「両部隊の目標は、アルカディア人工島中央部に位置する巨大建造物『世界樹』の偵察と制圧。そして、フェーズ3に向けた橋頭堡を確保することです。これが成功しなければ、後続部隊の展開は不可能となります」
画面には、世界樹を中心に複数の矢印が集中する。
成功すれば、作戦全体の流れが大きく開けるが、失敗すれば人工島と言う環境故に、撤退することが出来ずに全滅の危険を伴うフェーズだ。
「フェーズ3では、陸上自衛隊の主力部隊が『おおすみ型輸送艦』を用いて本格的な上陸を開始します。フェーズ2で確保された橋頭堡を足掛かりに、戦車部隊、機動歩兵部隊が連携して人工島の制圧を進めます」
作戦地図には、おおすみ型輸送艦が海上を進み、次々と兵士を送り込むシミュレーションが映し出された。
「最終フェーズとなるフェーズ4では、特殊作戦群による首脳部への直接攻撃を実施します。標的は『セイント』および『スイキョウ』の殺害、または捕縛が任務となります」
再び、セイントとスイキョウの顔写真が画面に映し出される。
「現在、両名の所在は未特定ですが、人工島中央の『世界樹』内部に潜伏している可能性が極めて高いと分析されています。情報部隊と特殊作戦群が連携し、最短での捕縛を目指します」
作戦計画の説明が終わると、統合作戦司令部内に再び沈黙が訪れた。
全てのフェーズの説明は明確で、何か質問するような事は無い。
しかし、遠藤幕僚長は椅子の背もたれに少しもたれ掛かりながら、静かに問いかけた。
「……作戦の成功率は?」
その問いに、陸将補は一瞬だけ視線を落とす。
どのように言葉を伝えるのかで迷っているようにも見える陸将補は、一瞬の思案の後、顔を上げてハッキリと告げた。
「……敵戦力の詳細が未確定である以上、正確な数値を出すことは困難ですが、現時点での戦力分析から推定すると、成功率はおよそ70%と見積もられています」
「70%か……」
遠藤幕僚長は目を細め、顎に手を添える。
一般的な軍事作戦において、成功率70%というのは決して低い数字ではない。
だが、それはこれまでの常識での話だ。
アストレリアと言う名の人型ロボットを、半年ほどで開発できる技術を有するアルカディアに、これまでの常識は通じないだろう。
それこそ、アストレリアが複数体出てくることも十分に考えられる。
あまりにも未知の要素が多すぎる以上、この70%と言う数字はなんの当てにもならないだろう。
「……そうか、では、戦力に着いて教えてくれ」
「はい」
陸将補はタブレット式の作戦地図を操作し、自軍の戦力が示された画面を表示する。
そこには各部隊の編成、兵力、装備が詳細に記載されていた。
「今回の作戦に参加する自衛隊の総兵力は、およそ4万2000人です」
その自衛隊史上例を見ない程の大規模な人数に、統合作戦司令部には沈黙が広がる。
だが、陸将補はそれが分かっていても意図的に無視して続きを説明した。
「内訳としては、陸上自衛隊の主力戦力として第一空挺団2000名、特殊作戦群300名、機動歩兵師団8000名、戦車部隊100両300名、自走砲部隊50両300名、榴弾砲500両3000名。上陸部隊として5000名、他部隊の合計が1万名います。
陸上自衛隊の総兵力は3万人ほどです」
これまで聞いたことの無い兵力に、ここに居る上級将校全員が慄いていた。
まるで、第2次世界大戦並みの兵力を目の前にすると、太平洋戦争の将校たちの気分を感じられずにはいられない。
しかし、これがすべての戦力では無い。
「海上自衛隊からは、おおすみ型輸送艦3隻、イージス艦5隻、護衛艦10隻、潜水艦3隻。総兵力7000名が作戦に参加します」
ミッドウェイ海戦なみの戦力は、まさに中小国家と渡り合える戦力と言えるだろう。
だが、まだ航空自衛隊が残っている。
「航空自衛隊からは、F-35ステルス戦闘機30機、F-15J/DJ戦闘機100機、F-2A/B戦闘機70機、無人攻撃機20機、電子戦機3機、総兵力5000名を投入予定です」
自衛隊創設以来、陸・海・空の最大規模軍事作戦に、遠藤幕僚長と幕僚たちは改めてその重大さを再度認識させられる。
だが、本当に命を懸けるのは現場の自衛隊員たちだ。それを知っているからこそ、誰も泣き言は言わない。
「…戦力に関しては理解した。それを踏まえて問うが、アルカディアの攻撃の予想とシミュレーションはあるか?」
陸将補は問われた質問に、アストレリアの画像を出して返答した。
「未だ分かっていないことが殆どですが、ある程度の予想はできます。今現在において、確認されている兵器は、巨大人型兵器アストレリアだけです。しかし、ここまで巨大な兵器を100機も200機も作れるとは考えにくいでしょう。ですが、巨大人型兵器のように、オーパーツ級の武装を保有している可能性も否定できません」
遠藤幕僚長は眉をひそめる。
一組織が国家どころか世界の技術力を凌駕しているという現実は、にわかには信じがたい。
だが、実際に存在する以上、対応するしかない。
「……そのオーパーツ武器でどの程度の被害が出ると予想されている?」
遠藤幕僚長がそう問えば、聞きたくもない数字が返ってきた。
「……最低でも1万人の死傷者が出るのは覚悟すべきでしょう。最悪の場合、3万人を超える可能性もあります」
「3万人……」
平均値で言えば2万人前後の死傷者が出る可能性も十分にありゆる。
半分以上の死傷者が出れば、それは軍的用語で『全滅』を意味する数字だ。
「……それは、我々も覚悟しなければならない様だな」
遠藤幕僚長の言葉に、幕僚たちも同意するようにうなずいた。
前線で命を賭けて戦う兵士が居るのだ。いざと言う時には、我々の命を賭ける覚悟をどこかでしなければならない。
「……この戦いで、何人の兵士が死ぬのかは分からない。……だが、我々は指揮官だ。そのすべてに責任を負い、彼らの命を無駄にしない為にも、進まねばならん」
静かに紡ぎ出される遠藤幕僚長の独白は、静まり返った部屋にはよく響いた。
「……故に、我々は我々の仕事をしなければならん。それは、後世からなんと言われようとだ。……それが、アジアのナチスと言われようとも」
自らを貶める様な発言だが、誰一人として口を出すものは居なかった。
「……ここに居る皆の者、覚悟は出来たか?」
そう問えば、オペレーターも含め全員が頷く。
首を一周回して、全員の顔を確認した遠藤幕僚長は、堂々と言ったのだ。
「私と一緒に地獄へ落ちてくれ!」
その言葉に込められた遠藤幕僚長の気持ちは、統合作戦司令部全員の心を撃った。