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第八十二話 開戦準備




 静まり返った会議室に、セイントの最後の言葉が重く響く。


『もう一度言いますが、これは最後の警告です。この意味をしっかりと理解した上で判断をしてください』


 画面が暗転し、配信が終了する。

 部屋に残るのは、かすかな電子音と、重苦しい沈黙だけだった。


 照明が再び灯ると、会議室内の顔ぶれが明らかになる。

 そこにいるのは政府の首脳陣、自衛隊の高官、そして自衛隊を統括する統合幕僚長。


 しかし、その誰もが、しばらく口を開くことができない。


 そんな重苦しい静寂を破ったのは、一番の交戦派でもある防衛大臣だった。


「……これは、明確な脅迫だ」


 低く、押し殺したような声が辺りに響く。

 手元の書類はグシャグシャに握り潰され、怒りからか握る拳は赤を通り越して白くなっていた。


「最後の警告……だと?ふざけるんじゃない!」


 あまりの怒りで血が通っていない拳で、机を強く叩く。

 誰よりも人情が熱く、人一倍愛国心がある防衛大臣だからこそ、怒りを抑えることができない。


「テロリストが、国の存亡を脅かすだと?バカも休み休みにしろ!」


 だが、その『テロリスト』に、国民の多くが心を寄せているという事実が、さらに彼の苛立ちを煽る。


「気持ちは分かるが……少し落ち着きたまえ」


 そう犬塚総理が静かな声で諭せば、防衛大臣は荒い息を吐きながら背もたれに身を預ける。

 しかし、それでもまだ怒りが収まらないのか、眉間に深いシワがよっていた。


 防衛大臣が一応の落ち着きを取り戻したのを確認し、犬塚総理は静かに口を開く。


「……これで、アルカディアの態度は明確になった。戦争は、避けられない」


 犬塚総理の言葉に、外務大臣が苦々しい表情で口を開く。


「しかし、今戦争を起こせば、我々の国際的な信用は地に落ちかねません」


 声には明らかな躊躇と焦りがにじんでおり、今回の戦争で起こりうる危惧を口にした。


「我が国の国際的信用は、確実に傷つきます。特に、あの配信が既に英語・中国語・フランス語と様々な言語で字幕付きで、拡散されています。国際世論は、我々にとって圧倒的に不利な状況です」


 外務大臣の言葉に、犬塚総理も防衛大臣も少しだけ不快気な目を向ける。

 しかし、そんな目にもひるまずに外務大臣は続けた。


「アルカディアを反政府組織として断定したとはいえ、国民感情がここまで傾いてしまった状況で、我々が自衛隊を動かすことを、果たして各国は『正当な自衛権の行使』として見てくれるでしょうか?」


 外務大臣が問うた『正当性』は、今の政府に一番大事な物だ。


 もしも今回の戦いで勝ったとしても、後から『正当性』を突かれれば政権どころか、新たな革命が起きてもおかしくはない。

 さらには国際社会で今回の戦いが『人権侵害』や『市民弾圧』と取られた場合、経済制裁を受ける可能性もある。


 ただでさえ経済的ダメージが計り知れない現在において、それはあまりにも致命的だ。


「総理、今一度ご再考をお願いします」


 外務大臣の言葉に、犬塚総理は逡巡するが……。


「その話は、もはや今の議題ではない」


 そう冷たく遮ったのは、内閣官房長官だった。


「国際世論はどうせ口だけで、国内事情まで手出しはしてこない。そして、なによりも今は国の存続の危機なのだ。もはや国際世論を気にしている段階にはないのだよ」


 その言葉に外務大臣が口を開こうとするが、官房長官はさらに言葉を重ねた。


「そんな事よりも今重要なのは外では無く……『内』だ。……遠藤幕僚長、君はどう考えるかね?」


 官房長官の要領の得ない質問に、統合幕僚長・遠藤正樹は、会議中常に閉じていた目をゆっくりと開いた。

 その瞳には、この会議への不満が見て取れるが、それを口にすることは無い。


 そして、固く結ばれていた口を開いた遠藤幕僚長は、その低く鈍い声で言った。


「……正直に申し上げて、今回のセイントの配信は、自衛隊にとっても無視できない影響を与えます」


 遠藤幕僚長の言葉に、会議室には沈黙が落とされた。

 もう聞きたくもないネガティブな報告に、犬塚総理は眉をしかめながら問う。


「影響とはなんだね……?」


 その問いに、遠藤幕僚長は深く息を吸い込んでから、慎重に言葉を選ぶように口を開いた。


「先ほどのセイントの配信により、多くの国民と自衛隊員の心がぐらついています。なにせ、自衛隊にとってほとんどが初めての実戦です。そして、なによりもセイントが最後に言葉にした警告。これは自衛隊員に『本当に命を失うかもしれない』と言う実感と恐怖心を与えるには十分すぎるものでした」


 防衛大臣が苦々しく顔をしかめる。


「つまり……士気が落ちると?」

「はい、総理がおっしゃる通りです。しかし、私たちが注意しなければならないのは、その士気の低下は既に始まっていて、今もなお落ち続けていると言う点です」


 遠藤幕僚長は静かに、だが明瞭な口調で断言した。

 その場にいた全員が言葉を失う中、遠藤は一拍おいて、さらに重い言葉を続ける。


「もしもこのまま何の対処もしなければ、開戦予定の1月1日を迎える前に、現場の統制が崩壊する可能性すらあります」


 その一言は、あまりにも斬新でありながら致命的な事態の予言でもあった。


 そして、そんな事を言った張本人である遠藤幕僚長は、この場に居る面々が思い表情を浮かべる中、真面目な顔には似つかわしくない皮肉気な一言を放つ。


「自衛隊員が『逃げて』軍が崩壊したとなった日には、現代国家で初めての醜態と、教科書に記される事になるでしょう」


 その言葉に、会議室内の空気が一瞬にして凍りついた。


「き、貴様!何を言うかと思えば、それでも自衛隊を統括する統合幕僚長か!」


 防衛大臣が机を叩きながら立ち上がる。その瞳には、侮辱された怒りを称えていた。

 しかし、そんな形相にも遠藤幕僚長は一切怯まずに姿勢を正して言い直す。


「……これは防衛大臣、失礼いたしました。しかし、忘れていただいては困る事ですが、私も、そして自衛隊員たちも1人の人間であります。どんなに職務を全うする良き兵士でも、彼らには自由意志があり、それらを縛る事は誰にもできません」


 それは、自衛隊の長としての意見であり、1人の人間としての意見でもあった。

 故に、その言葉の重みは凄まじく、先ほどまで怒っていた防衛大臣ですら、拳を下げて椅子に座り直す。


「……遠藤幕僚長、先ほどの発言は無かったことにしよう。それよりも、今は対策を練るのが先決だ。……遠藤幕僚長、脱走兵を削減する案はあるかね?」


 犬塚総理の問に、遠藤幕僚長は静かに頷くと、厳しい表情で答えた。


「まず、脱走兵の定義から話しますと自衛隊刑法・第5条で『所在を正当な理由なくして離れたとき』と定義されています。そして現在の『戦時状態』の場合ですと、5年以下の懲役に処される事になるわけですね」

「……そんな事は知っている」


 防衛大臣は、回りくどい遠藤幕僚長の話に、不快気な態度を示す。

 しかし、そんな防衛大臣を無視して話を続けた。


「しかし、この法律が今の状況で十全に効力を発揮するとは、考えない方が良いでしょう」

「…………どういうことかね?」


 犬塚総理の冷静な問いに、遠藤幕僚長は落ち着いた声で返す。


「仮に脱走兵が現れたとして、その者たちを即時に拘束・処罰できる環境が今の自衛隊に整っているでしょうか? 現場の指揮官たちには、敵を相手にする以上のプレッシャーがのしかかっている。加えて、部下の『逃亡』にどう向き合うか、その判断が全ての士気に影響を与えるのです」


 遠藤幕僚長は続ける。


「さらには、5人10人程度でしたら対応可能でしょうが、50人100人の規模の脱走兵が大隊から出た場合、指揮系統が麻痺するほかに、残った兵士たちの士気は最低まで落ちるでしょう。最悪の場合、大隊が丸々1個崩壊してもおかしくはありません」


 その統合幕僚長の言葉は、現状の自衛隊の惨状と醜態をただ淡々と語っていた。


 それに怒りを覚えたのは、防衛大臣だけでは無いだろう。

 彼らからしてみれば、そんな状態だったことなど知らなかったし、そんな兵士を育てていた統合幕僚長に文句を言いたくなるのは必然だ。


「ハハ!バカげた事だ!我らは、そんな頼りない兵士に育てろと命令を出したことは、一度も無かったはずだが?!」


 先ほどの皮肉の仕返しとばかりに、皮肉に満ちた声で防衛大臣が言う。

 だが、その言葉にも遠藤幕僚長は表情を一つ変える事無く、いつも通りの真面目そうな顔を防衛大臣に向けた。


「……何とも耳が痛い話ですが、私から一つ言わせていただくと…………防衛大臣、命令を絶対に聞く兵士など、それは理想論です」


 遠藤幕僚長は下士官からの叩き上げだ。

 だからこそ、最前線に立つ兵士たちの心の動き、現場の空気というものを肌で知っている。


「兵士は、機械でもAIでもありません。命令を出せば必ず動くという保証など、どこにも無いのです。彼らは家族を持ち、友人を持ち、恋人を持っています。それらを守る為に、必死に生きて働いている彼らにとって、大事なのは『政治的』な大義よりも、大切な『人々の安全』なのです。それが彼らにとっての『正義』であり『大義』でもあります」


 その言葉は、まるで薄氷の上を歩くような静けさと重みを持って、会議室の空気を締めつけた。


 防衛大臣は口を閉ざしたまま、唇を噛みしめる。


 そんな首脳陣を見ながらも遠藤幕僚長は、『これで上が少しでも現場を理解してくれれば助かる』と、思っていた。

 自衛隊の殆どが、『国民を守る』や『国を守る』と言う意識で入隊してきている。そして、何を隠そう遠藤幕僚長もその1人なのだ。


 そして、だからこそセイントの言葉が心に刺さる。

 この場に居る首脳陣たちは、自衛隊員が恐怖して正常に動けていないと思っているようだが、本質はそこではない。


 そんな気軽な思いで入ってきている隊員は、教育期間中に自衛隊を去っているし、我ら一人一人は自衛隊に入るときに宣誓をしている。


 それだけの覚悟を持っている我らは、本当に『国民を守れる』のであれば、命すら投げ出す覚悟があるのだ。


「……くそが!」


 唾を吐くような口調だったが、それを咎める者は誰もいなかった。

 この場にいる全員が、それぞれの立場で、同じような焦燥と無力感を抱えていたからである。


 しばらく沈黙が続いた後、その空気を切るように官房長官が口を開いた。

  

「……遠藤幕僚長。そこまで言うのなら、何か具体的な対策はあるのかね?」


 その問いに、遠藤幕僚長はしばらく黙り込む。


 思考の渦の中で、軍人としての自分と、人としての倫理がせめぎ合っていた。しかし、ため息一つで統合幕僚長としての職責と割り切り、理性的に口を開く。


「……まずは、情報統制を徹底する必要があります。セイントの配信はすでに国内外で拡散され、多くの自衛隊員やその家族の耳にも届いているでしょう。これ以上、彼らの士気を下げる要素を増やさないためにも、政府として厳しいメディア管理を行うべきです」


 その提案に対し、総務大臣が難しい顔をする。


「だが、今の時代、完全な情報統制は不可能だ。我々が規制しようとしても、SNSや海外メディアを通じて拡散するだろう」


 総務大臣の苦言はもっともだった。


 情報というものは、もはや国家が一方的に制御できる代物ではない。政府が報道を封じれば封じるほど、国民の間には『何か隠しているのではないか』という疑念が広がる。


 今は、隠蔽よりも信頼をどう築くかが問われる時代なのだ。


「……ならば、我々も『言葉』を使えばいい」


 その沈黙を破ったのは、意外にも防衛大臣だった。


「セイントが『感情』に訴えてきたのなら、我々も『感情』で応じるしかない。論理や法律では人の心は動かないというのであれば、兵士たちが『戦う意味』を持たせてやるのはどうだろうか?」


 犬塚総理が眉をわずかに寄せながら問い返す。


「……具体的には?」

「自衛隊員の『誇り』を与える。『日本国を守るための戦い』という明確な大義を持たせる事が出来れば、自衛隊員が戦う意味になりえるだろう」


 その提案に、法務大臣は渋い顔を浮かべた。


「……つまり、政府側も『プロパガンダ』を仕掛ける、ということですか?」

「そういうことだ」


 防衛大臣は即答した。


「セイントは『戦争を否定する』ことで国民の支持を得ようとしている。ならば我々は『この戦いは、平和を守るための戦いである』と示さねばならん」


 会議室に微かなざわめきが生まれた。


 『プロパガンダ』という言葉に多少の抵抗感はあるものの、それが有用な事は分かる。そして今、政府はためらっている余裕は無い。故に……。


「……確かに、それ以外の道はないのかもしれないな」


 犬塚総理は、重い口調でそう認めた。


「戦争を正当化する気はない。しかし、我々にはこの国を守る責任がある。たとえ、どれほどの国民がアルカディアを支持していようとも、我々こそが『正当な日本政府』なのだ」


 その言葉に、誰もが黙り込む。


 『日本政府』。かつてそれは、揺るぎない存在だった。


 だが、今はどうだ? 国民の多くが政府への信頼を失い、アルカディアの理想に惹かれ始めている。

 このまま何もせずにいれば、政府そのものが崩壊しかねない。


 犬塚総理は深く息を吸い込む。


 この戦いが何処へ向かうのか?それは神のみぞ知る事だ。

 しかし、もしこの戦いに負ければ、確実に日本政府は終わる。

 それは、誰の目から見ても明らかな事実だった。


 彼らが本当に『悪』かどうかは関係が無い。自分の立場が自分の行動と決断を決める。


 たとえ、後世から弾劾されようとも……。


「……よし、プロパガンダを展開する。各自準備せよ!」


 犬塚総理の決断が下された。




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