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第七十九話 日本政府




 冬の寒空は高く、青く澄み切っていた日。

 もうすぐ聖夜だというのに、世間にも、そして首相官邸にも重苦しい雰囲気が漂っていた。


「「「……」」」


 誰一人として口を開かない。

 明るい照明の下、十数人の大臣たちはただ机を見つめ、身動きひとつ取らない。


 下を向いた大臣たちは、自分たちがいかに無力で、追い詰められているのかを、このわずか1ヶ月足らずの間に痛感させられた。


「「「……」」」


 どんなに過去を悔いても、過去が変わるわけではない。

 それが分かっていても、『もしもあのとき……』と考えることをやめられない。


「「「……」」」


 もう何分、この沈黙が続いているのか。

 あまりの静寂に耐えきれず、か細い声が会議室を打ち破る。


「……皆、黙っていても物事は解決せん」


 そう声を発したのは、犬塚総理だった。


 彼の言葉に、大臣たちの視線が一斉に集まる。

 しかし、誰も何も言わない。言えない。


「……状況を整理しよう」


 犬塚総理は深いため息をつきながら、机に肘をついた。

 その顔には、総理になった頃の覇気も威厳も残ってはいない。


「我々政府は、この1ヶ月で急速に力を失った」


 その言葉に、誰も反論できない。


「物流の混乱、経済の停滞、治安の悪化……我々が手をこまねいている間に、アルカディアは支配領域を拡大し、国民の信頼を得てしまった」


 苦々しい表情を浮かべる大臣たち。

 アルカディア。あの正体不明の新勢力が、今や日本の半分を掌握しつつある。


 当初、政府は彼らを『一時的な反政府組織』として甘く見ていた。


 しかし、彼らは違った。武力だけでなく、統治能力すら持ち合わせていたのだ。

 日本政府が何もできない間に、国民の生活を支え、政府の機能を奪っていった。


「……アルカディアは、もはやただの武装集団ではない」


 犬塚総理は、忌々しげに吐き捨てるように言う。


「『もう日本政府はいらない』そんな声が国民の間で広がっているのを、諸君らは知らないわけではあるまい」


 その言葉に、大臣たちはギクリと肩を震わせた。


 機械音痴とは言え、彼らは知っていた。

 耳を塞いでも、SNSや報道で国民の声が入ってくるのだ。


『アルカディア政府に統治を任せた方がいい』

『政府は何もしてくれない』

『もう終わりだ』


 そんな声が、日増しに大きくなっている。


「我々はこれからどうするのでしょうか、総理?」 


 重い沈黙を破ったのは、財務大臣だった。

 彼は眼鏡の奥の目を鋭く光らせ、答えを問う様に犬塚総理をじっと見つめる。


「……このままでは、日本政府は崩壊するだろうな。手を打つにしても、円が使えない以上、打てる手は限られている」


 犬塚総理の言葉に、会議室の空気がさらに重くなる。


 円が使えない。その現実が、日本政府の無力さを象徴していた。

 かつて、日本経済の中心だった円は、今やアルカディアの発行する『ダンジョンコイン』に取って代わられつつある。


 政府は円の信用回復を試みたが、物流が滞り、商業が崩壊する中で、企業や国民は政府よりもアルカディアの経済圏を頼るようになっていた。


 こんな状況では、経済的なコントロールが一切出来ない。それどころか、警察などを介した治安活動でのコントロールも、企業が冒険者を雇った事で無力化されつつある。


「……我々に残された選択肢は一つか」


 犬塚総理は、防衛大臣へと視線を向けた。

 それだけで、何を言いたいのか察した大臣たちは息を飲む。


「ま、待ってください!」


 最初に声を上げたのは法務大臣だった。

 彼は立ち上がり、額に汗を浮かべながらも犬塚総理を止める。


「本気でそれをお考えですか? そんなことをすれば、日本は完全に内戦状態に陥ります!」


 口にはしないが、実質的な軍事行動。

 それが何を意味するのか、ここにいる誰もが理解している。

 しかし、それを決断しなければならない時が迫っているのも、また事実だった。


「法務大臣、少し落ち着かれてはどうか?」


 冷静な声で言ったのは、防衛大臣だった。


「いえ、言わせてください。武力行使よりも先に、……そうです!外交でアルカディアを抑える事は出来ないでしょうか?アメリカや、国際社会に訴えれば……」


 法務大臣は目を泳がせながら必死に代案を考える。

 しかし、その代案も犬塚総理の言葉で潰された。


「それは無理だな。国際社会は内政に手を貸してこない。アメリカに至っては、非公式ながらアルカディアを支持している始末だ」

「あ……」


 法務大臣は言葉を詰まらせてしまう。

 他に方法が無いかと探す手は、震えている。あまりの緊張からか、汗が一滴零れ落ちた。


 そんな法務大臣を見た防衛大臣は、飽きれてため息を吐く。

 

「……はぁ。私も、こんなことは言いたくない。しかし、現実問題として、このまま政府が何もせずにいれば、アルカディアに日本を乗っ取られるのは時間の問題だ」


 防衛大臣が言う事が正しい事が分かってしまうが故に、法務大臣は下を噛むしかない。


 しかしながら、安易に軍事行動をするべきではないと思っている法務大臣は、苦しいながらも反論を口にした。


「……それは分かっています。 しかし、武力でアルカディアを排除しようとすれば、日本国民まで巻き込むことになるのですよ!? もはや彼らは一部の反乱勢力ではなく、多くの国民の支持を受けているのです!」


 その言葉に、誰もが黙り込む。


 確かに、アルカディアは単なる武装勢力ではない。アルカディアは『政府』として機能し始めている。

 そして、多くの国民がアルカディアを支持し、ダンジョンコインで新たな経済圏を作り出している。


 そんな彼らを力ずくでねじ伏せる事が、果たして可能なのだろうか?


 そんな疑問が、会議室にいた全員の脳裏によぎった。


「だが……」


 そんな沈黙を破ったのは、防衛大臣だった。


「だが、戦わねば、我々が亡びるのは時間の問題だ。ならば、どうすれば最小限の被害で済むのかを考えるべきではないか?」

「つまり……?」

「『特殊作戦』を実行するのだ」


 その一言で、会議室の空気が変わった。

 犬塚総理が、腕を組みながら問いかけると、防衛大臣は資料を机の上に置く。


「軍事行動と言っても、正面から全面戦争を仕掛けるのではない。それは国内、国外問わず批判を浴びるし、政府への支持も完全に失う事になる」


 防衛大臣は資料をめくり、説明をし始めた。


「そこで、私が提案するのは、ピンポイントでの軍事作戦だ。アルカディア人工島だけに的を絞り、集中的に攻撃することで、民間人への被害を避ける事が出来る」


 資料には、詳細な作戦が書かれている。

 各自に配られた資料に目を通す大臣だったが、顔色が次第に変わっていく。


「……これは本当なのか?」


 犬塚総理がそう問うのも仕方がないほどに、資料に書かれている作戦は非常識だった。


「はい、間違いありません」

「しかし、……全戦力の2割を使用すると言うのは、あまりにもやり過ぎなのではないかね?」


 『アルカディア人工島・殲滅作戦』


 そこに書かれている作戦は、予備兵力含め2割の戦力が、投入される作戦案だった。

 自衛隊員だけで、4万人もの人間が作戦にかかわると言えば、その規模の大きさが分かっていただけるだろうか?


 そんな作戦書には、文句の一言や二言が当然飛ぶ……ハズだった。


 普通の環境ならば、『ありえない』『現実的では無い』と言う言葉で否定される作戦案。しかし、今の状況を考えれば、この作戦に文句を言う者は1人もいなかった。


 誰しもが黙る中、犬塚総理だけが、一言問う。


「……この作戦は本当に実行可能なのか?」


 蜘蛛の糸にも思える文字の線を掴む様にして問われた質問に、防衛大臣は明確に返答した。


「必ずや遂行して見せます」


 その言葉は会議室に重く響き渡った。



~~~



 始まりは、自衛隊統合幕僚長に入った一通の電話だった。


 それは政府首脳陣との極秘会議を終えた防衛大臣からの直接の指示。

 短く、しかし重みのある一言だった。


『作戦を準備せよ』


 電話を受けた統合幕僚長、遠藤正樹は、静かに受話器を置き、目を閉じた。


「……とうとう、ここまで来てしまったか」


 遠藤は、自衛隊のトップに立つ者として、政治とは距離を置き、あくまで防衛のために動くというスタンスを貫いてきた。


 しかし、今度ばかりは違う。


 政府はすでに追い詰められていた。

 そして、日本という国そのものが、2つに分裂するかもしれない危機に直面している。

 それを防ぐために、彼は軍人として最も望まない決断、国内での軍事作戦の指揮を執ることを選ばざるを得なかった。


 遠藤はゆっくりと立ち上がり、部下に指示を出した。


「陸・海・空の各幕僚長を直ちに招集しろ」


 それが、日本政府の最後の一手『アルカディア人工島・殲滅作戦』の幕開けだった。




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