第八話 欠けている人間
時は少し流れ、ダンジョンが現れてから1週間が経った。
SNSは相変わらずダンジョンの話題で持ち切りだし、テレビでも連日、ダンジョン内での死傷者や政府の対応について報道されている。
俺も時間を見つけてはSNSを確認し、情報を追い続けているが、いまだに3階層に到達したという話はどこにも見当たらない。
「誰も到達していない、ってことはないだろうが……」
単に言わないだけかもしれないが、それにしても1人くらいはネットで話題にするものだ。
100人も攻略した奴がいるなら、そのうちの1人くらいは投稿するだろうと考えれば、3階層にたどり着いた人間はせいぜい数十人程度かもしれないな……。
そんなことをぼんやり考えつつ、俺は涼太に進捗状況を確認するため、メッセージを送った。
『今どんな感じ?』
そう送れば、直ぐに返事が返ってきた。
『BOTを大量に動かしているけど、実際のところそれが必要ないくらい、ダンジョン開放の声は大きくなってるよ。野党も国会でダンジョン開放を要求し始めたし、経団連もその動きに便乗しているみたいだね』
お?どうやら起きているようだ。
涼太は体内時計が完全にくるっているせいで、連絡が取れる時間が不定期になっている。
今回のようにすぐに返信が返ってくるのは珍しい。
『なるほど。それなら早めに開放されそうだな』
『正確な日時は分からないけど、解放されるのは間違いないと思う。アメリカの方でもダンジョン封鎖が憲法違反だって訴えられてるから、そっちが先に動くんじゃないかな』
『アメリカが鍵か……』
まあ、そうなるのが自然か。何かと対応の遅い日本は、確実にアメリカの後を追うだろう。
これからは、日本よりもアメリカの動向を気にした方が良いかもしれない。
『そうだね。おそらくアメリカがダンジョンを開放した後、日本も追従する形になると思うよ。あと、ちょっと話は変わるけど、面白い情報があるんだ』
『何? もったいぶらずに言えよ』
『これはアメリカのニュースなんだけどね。ダンジョンのゴブリンを解体したら、人間でいう心臓の位置に赤い石が見つかったんだって』
『赤い石?』
『そう。その石を水に入れると、表面積によって反応速度は変わるけど、どんどん水温が上がって沸騰するらしいんだ。そして、石の色が赤から黒い黒曜石のように変化すると、反応が弱まっていくんだって。論文によると、その石は次世代のエネルギーになる可能性があるとかで、実験が進んでいるらしい』
『……それは確かに面白いな』
似ている所で言えば、生石灰だろうか?
その反応率や、熱効率にもよるけど、確かに興味深い内容であることには変わりない。
『だよね。エネルギー問題を解決できる可能性がある石なんて、喉から手が出るほど欲しいだろうし、経団連も相当な圧力をかけているみたいだよ。この調子なら、アメリカのダンジョン開放を見た日本も早々に動くだろうね』
前も言った通り、ダンジョンはブルーオーシャンだ。
もちろん利益追求団体である経団連も手を出すのは、自然な流れだろう。
『まあ、そうなるだろうな』
『あともう一つ、重要な話がある』
『何だ?』
『ハッカーの友人から聞いたんだけど、アメリカの特殊部隊が3階層に到達したらしい。ただ、そこでかなり苦戦しているって』
『特殊部隊が苦戦……?』
『そう。どうやら銃火器がほとんど通用しないらしいんだ。原理は分からないけど、ダンジョン内では何かのエネルギー場が働いていて、銃弾の威力が弱まっているらしい。それで、3階層のボスにはほとんどダメージが通らないってさ』
なるほどな。アメリカの軍隊でさえ3階層を突破できていないということか。……それなら4階層はまず絶望的だろう。
『情報ありがとう。引き続き頼むよ』
『任せて。こういう非日常的な状況、楽しくて仕方ないからね』
涼太とのやり取りを終えた俺は、スマホを置いて軽くストレッチを始めた。
最近はダンジョンに通い詰めていることもあって、体を柔らかく保つことの重要性を改めて実感している。
「ふぅ……」
ちなみにだが今の時刻は15時だ。朝の8時からダンジョンに入っていたから7時間も潜っていた。
そう思えば俺は毎日何時間潜っているのだろう?
……考えるのはやめよう。多分だがブラック企業並みに働いている事になりそうだ。過労死まっしぐらである。
閑話休題。
それはともかく、俺は髪を乾かして久しぶりに髪をセットする。
前に髪をセットした俺に向かって友達が『お前その髪型はカリスマの営業マンか、詐欺師のどっちかだわw』と笑われたことを思い出した。
まあ、実際に詐欺師だったのは事実だから反論は出来ないのだけれど…。
身支度を整え、お気に入りの外套を羽織る。まだ春先を脱しきれず、外の風は少し肌寒い。
準備を終えてラブホテルを出ると、手ぶらで横浜駅に向かって歩き始めた。
~~~
せっかくなので横浜駅まで歩いてきた。
大した距離は無いにせよ、レベルアップの影響か〈身体強化〉の恩恵かは知らないが、一切疲れを感じない。
今日はせっかくの休みと言う事もあって、行きたい場所を事前にピックアップしている。その中から一番近い横浜美術館をスマホのマップでピンを刺した。
もともとそこそこ良い生まれだった俺は、絵を見る機会は一般人よりかは多い認識がある。
まあ、だからと言ってセンスがあるかどうかは、別なお話なんだけど。
急いでいる訳でもないので、ゆったりと歩きながら横浜美術館に来た俺は、チケットを買った。
どんな美術品が飾られているのか知らない俺は、ワクワクとしながら横浜美術館に入る。
美術館に入れば、直ぐに広い空間と、美術館の雰囲気でくつろぐ人々が見える。
真っ白なロビーは、目が痛くなりそうになる。しかし、それも美術品を目立たせる配色になっていると思えばこそ、気になる事は無い。
さて、これからゆっくりと館内を見回ろうか。
そう思った時だった。……すぐに回れ右をして帰りたくなる存在を見つけてしまった。
別に俺がその人物と知り合いなわけじゃない。しかしながら、あの女を見た瞬間に関わってはいけない人間であると言う事が分かってしまったのだ。
「まあ、玲奈さんはよくここに来られるのですか?」
「ええ、ときどきですが」
そう会話を交わしている3人の女子高生。
黒を基調にした上品なセーラー服を着ていて、その仕立ての良さから、上流階級の出身だということがひと目で分かる。
多分だが一般人が見れば彼ら3人を微笑ましく見るのだろう。
しかしながら、俺の目から見た3人組の中央に居る玲奈と言われた一人の女は、生粋の殺人鬼にしか見えなかった。
なぜそう思ったのか?それは簡単で、俺もその玲奈側の人間だからだ。
あの玲奈とかいう女は完璧だ。
これは推測になるが勉学、運動において完璧に近い成績を収めている事だろう。
それは私生活も完璧に近く、欠点が一切ない様に思える。
しかしながら、まともな人間において完璧な人間など居ない。
では、どういう人間が『完璧な人間』になるのか?
その答えは『それはどこか欠けている人間』だ。
何故それが分かるのかと言えば、俺も同様に欠けている。
例えばだが、俺は善悪感情と言う物がさっぱり分からない。今なお捕まった宗教詐欺についてはやり方をミスった程度にしか思っていない。
そう言った『どこか欠けている人間』は周りを見て『正しく』振る舞うようになるのだ。
そんな中でもあの玲奈とか言われた女は周りを見て『完璧』に振る舞っている。
そう、奴は全てにおいて『周りが思う完璧な自分』を演じているのだ。
しかしながら、俺と玲奈と言われた少女では決定的に違う物がある。それは、演じている割合だ。
確かに俺は善悪感情が分からないが、教科書に書いてあるようなお手本の善悪感情にのっとって行動すればいい。その部分だけを『演技』すればいいのだ。
しかし、玲奈と言われた少女は立ち振る舞いが完璧すぎる。つまるところ、彼女は全てにおいて周りを『見て』完璧を『演じている』のだ。
そして、完璧を演じると言う事はそのほとんどが欠けている人間に見られる特徴だ。そう、例えば歴史に名を残すような殺人鬼などに…。
俺は急いで美術館を出ようとしたが、焦った拍子に手に持っていたチケットを落としてしまった。そして……。
「落としましたよ?」
そうチケットを拾い上げたのは、他でもない玲奈と言う女だった。
拾い上げた体制で止まっている玲奈は、上目遣いで髪を耳にかける仕草をしている。
誰しもが恋に落ちるような完璧な体制。それが、ただただ気持ち悪い。
最悪だ。ミスった。と思ったが、目を付けられないようにするために『普通』に対応した。
しかしながら、これがミス行為だったことに直ぐに気が付いた。
玲奈も俺と同じように欠けた人間だ。欠けた人間は欠けた人間を直ぐに判別できる。
そう、この場においてあまりにも『平坦で普通』に返事してしまったのだ。
「ありがとうございます。私は用があるのでこれで…」
普通ならば恋に落ちても良いようなシチュエーション。それでも、何らキョドる事も無く、普通に対応した。
それが分かったのか、玲奈は俺だけにしか見えない角度で、口角を吊り上げた。
その笑顔は、完璧な天使の仮面の下に隠された、悪魔の顔を垣間見させる物であった。
「っ!」
ほんと、今日は少し休みを取ろうと思って楽しみにしていたのに。こんな事ならば素直にダンジョンでホブゴブリンをめった刺しにしておいた方がマシだった。
本当に災難な日である。
「ねえ、ちょっと来てくれないかしら?」
玲奈は俺にしか聞こえない声でそう言ってきた。
この女以外ならば喜んで付いて行くのだが、この女だけは嫌だ。どんなに刑務所から出てきた後で性欲がたまっていたとしてもコイツだけは嫌だ。本当に嫌だ。
「ごめんなさい。俺、ナンパとかはちょっと…」
「ふふ、こんな状況で冗談が言えるなんて……いいですね」
『いいですね』と言うところは小声だったが、俺にははっきりと聞こえた。
この時俺がどんな顔をしていたのかは知らないが、決して喜びの類に入る顔では無かった事は、確かであろう。
しかしながら俺は悟っていしまった。もう逃げられない事を…。
~~~
それから玲奈は、他の2人と別れてた後、俺を強引に連れて近くの喫茶店へと向かった。
こんなことなら美術館に来るんじゃなかったと、心の底から後悔している。だが、それも後の祭りだろう。
周囲の目にはどう映っているのかは知らないが、質感のいい外套を羽織った俺と、黒セーラー服姿の彼女が向かい合って座る様子は、どう見ても危ない関係に見えるだろう。
だが実際に危険なのは、少女の身ではなく、俺の命だ。
「それで、俺に何か用ですか?」
「いえ、ただ面白そうな『おもちゃ』が居ると思ったから、ですかね」
これである。
隠す必要のない相手にはおもちゃ発言ですか、そうですか。
……帰りたい。ポリスメン助けて。
「おもちゃ…ですか。なら帰っても良いですか。俺はこう見えても仕事が山積みなんだ」
「嘘ですね。だってあなた美術館に入ろうとしていたじゃないですか。仕事が山積みの人が絵を楽しめる時間なんてありませんよね?」
その通りである。その通りではあるのだが、俺が逃げたいと遠回しに言っている事を分かっているのか?
……多分だが分かっているな。分かっていながらも俺を逃がす気が無いようだ。
「…はぁ、あのさ、俺はお前から逃げたいって遠回りに言ってるの」
「そんな事分かっていますよ。だからちゃんと言ってあげます。…私は貴方を逃がす気はありません」
泣きたい。泣いて良いかな?
「……はぁ、分かったよ。で、何?用があるならさっさと言ってくんない?俺はお前から一刻も早く離れたいから」
「あら、こんな素敵なレディーとお茶を楽しむ機会が持てたんですよ?もっと大人の余裕を見せたらどうですか?」
やけに挑発的な目を向けてくる玲奈にイラっとするが、深呼吸を一つして気持ちを静めた。
「ごめんだけど、レディーと楽しむ余裕はあっても、殺人鬼と楽しむ余裕は持ち合わせていないんだ」
「ふふ、こう見えても私は『まだ』誰も殺したことは無いんですよ。どうです?あなたが最初になりますか?」
「………それは遠慮しておこうかな」
俺は頭を抱えて必死に心の中で叫んだ。
誰か……本当に……助けて…。
「まあ、冗談はこのぐらいにしておきましょうか。まずは最初は自己紹介ですね。私の名前は一ノ瀬玲奈。貴方の名前は?」
「…橋本大輔」
「…嘘ですね。…嘘は泥棒の始まりと言いますよ?…その口を縫った方が良いのかしら?」
「水橋正吾」
俺が恐怖から即座に名前を答えると、玲奈は微笑んだ。
その微笑みを見た瞬間、全身の神経が総毛立つのを感じる。
「いいでしょう。それで、正吾さんを止めた理由……それはそうですね。貴方が面白そうだったからですかね?」
顎に指を当てて考えるふりをするその姿は、一般人から見れば完璧な上品さを纏ったお嬢様に見えるだろう。
だが、俺にはその表情がたまらなく不気味だった。
「………」
「フフ、その苦虫を嚙み潰した様な顔、良いですね。……ゾクゾクします」
……涙。
「まあ、冗談はさておき。私と同じ匂いを持つ人間なんて珍しいですから、興味が湧いただけです」
「……それならばもう帰っていいかな?君の用は終わったんだろ?」
「ちゃんと玲奈と名前で言ってくださいね。……まあ、それだけじゃなくて、もう一つあるんですよ。貴方、3年ほど前に大きな事件を起こしませんでした?」
そっちの関係か…ああ、こんなことになるならば3年前の自分を殴り飛ばしてやりたい。
「まあ、…そうだね。ちょっと事件になったね」
「あの事件、私でも震えました。19歳と言う若さでありながら、1年と言う短期間であそこまでの事を成し遂げるなんて。まさに天才ですね」
「そんな大した才能じゃないよ。ただ、こんなことになるならば3年前の自分を殴り飛ばしてやりたいな」
「ふふ、そんなこと言っちゃって。こんな清楚で美人さんな女子高生に話しかけれるなんて、幸運でしかないじゃないですか」
「それマジで言ってる?」
「いいえ。でも、私が正吾さんを尊敬しているのは確かです。あの犯罪サプライチェーンを一人で作り上げた手腕には脱帽です」
「……そのことは世間には発表されていないが……まあ、お前ぐらいの金持ちならば知れる情報か」
「ええ、ですので、こうして直接会えた事が嬉しいんです」
俺は嬉しくない。
「ところでなんですけど、正吾さんは新しい『面白い事』を始めましたか?」
「いい…………や?」
……いや、待て。
この女……外見だけなら、完璧だ。長い黒髪にぱっちりとした目、均整の取れたスタイル。立ち振る舞いも上品そのもの。どう見ても、一般人には清楚な令嬢にしか見えないだろう。
ダンジョン教会を立ち上げる際に、象徴や偶像となる存在が必要だと考えていたが……この女ならどうだ?
当初は俺が教団の『神』として表に立つつもりだったが、彼女のほうがよほど適している。シンボルとして利用するには申し分ない逸材だ。
もちろんリスクはある。彼女が手に余る存在であることは分かっている。
だが、この女を取り込めば、当初の計画よりもスムーズに進められるだろう。
俺はニヤリと笑みを浮かべた。
「……ちょっと面白い話があるんだ」