閑話 DSTの葛藤
『アルカディア、テロ組織として認定!』
そのようなニューステロップが地上波を覆い、街頭ビジョンに繰り返し映される。
その映像を横目に見ながら、俺はこの国が、そして世界が確かに変わり始めていることを、全身で感じていた。
DST隊員(ダンジョン特殊部隊)とは、本来はスタンピードの鎮圧や、スキルを悪用した凶悪犯罪への対処を目的とした組織だ。
しかし今、俺たちは『アルカディア支持者のデモ鎮圧』という命令を受け、車両で現場へ向かっている。
元警察官として、心にモヤモヤを感じるが、命令は命令。
割り切って行動しなければならない。
自分にそう言い聞かせながらも、握りしめた拳は強張っていた。
~~~
『到着まであと5分だ』
エンジン音しか聞こえない無言の車内で、部隊長からの無線が静寂を破る。
張り詰めた空気の中、緊張をほぐすために、腰にある剣をそっと撫でれば、いくばくか緊張も解ける。
そんな無言な車内の中で、隣に座っていた新人隊員が、不意にぽつりと呟いた。
「……今回の任務、なんかおかしくないっすか……?」
普段の新人隊員は、軽口が目立つ奴だったが、今は見る影もないほどに緊張で肩が上がっていた。
さらによく見れば、口元が固く結ばれ、目は緊張のあまり焦点が定まっていない。さらには、手は一目で分かるほどに震えていた。
「任務に私情を挟むな。命令は絶対だ」
車内の最年長で、武装経験も豊富なベテラン隊員が静かに言い放つ。
低く、抑えた声には説得力があった。
だが、それでも、どこか不安な声色が滲んでいる。
「でも……相手は丸腰の一般市民なんすよ?武器もスキルも使ってない。ただ集まってるだけなのに……俺たち、DSTっすよね? 対魔災用の部隊が、何してんだって話っすよ」
新人隊員の言葉は、誰もが心のどこかで思っていた疑問だった。
政府は『暴動を起こす危険分子の鎮圧』と言っているが、聞いた話によれば、集まっている人のほとんどが一般人。
多少のデモ程度ならば、警察官の仕事だし、暴徒となってもDSTに任務が回ってくることは無い……ハズだ。
「市民でも、暴徒になる前に止める。それが、俺たちの仕事だ」
ベテラン隊員の声には、一切の迷いがなかった。
確かにベテラン隊員が言った事は正論だ。任務に感情を挟めば命取りになる。
けれどその『任務』が、『本来守るべき市民』に銃口を向ける行為だったとしたら、話しは180度変わってくる。
俺の中の『警察官だった頃の自分』と、『組織からの命令』が激しくせめぎ合っていた。
気が付けば、いつの間にか強く握っていた盾には汗がジワリと滲んでいる。その感触が気持ち悪く、嫌に記憶に残った。
~~~
車両が停止した瞬間、外の雑音が耳に飛び込んできた。
怒声にも似た人々の重なり合う声は、あまりに多くて、何を言っているのか聞き取ることすらできない。
エンジンが止まると、その喧騒はさらに大きくなり、あたりは異様な空気に包まれていた。
「全員、展開。隊列を組め!」
車外に出た俺たちに、隊長の鋭い声が飛ぶ。
周りの騒然とした雑音にも負けない声量に、俺たちはすぐに前に集まり、命令通りに動き出した。
どれほど内心で動揺していようとも、訓練通りに密集陣形を取りながら並ぶ。
盾を構え、暴徒鎮圧のための隊列を組み、俺たちはゆっくりと大通りへと進んだ。
その瞬間、より一層大きくなる怒声とともに、数百人におよぶ群衆が視界に入る。
「隊列!前進!」
隊長の掛け声とともに、俺たちは歩幅を揃えて前進する。
遠くに見えていた群衆の姿は、徐々にはっきりと見えてきた。
プラカードを掲げる若者、ベビーカーを押す母親、老人に手を引かれた小さな子ども、そしてスーツ姿の会社員風の男たち。
どう見ても、『武装勢力』にも『危険分子』にも『暴徒』にも見えなかった。
むしろ、ここにいる誰もが『普通の生活をしていた人たち』にしか思えない。
だがそれでも、隊列は止まらない。
まるで『ただプログラム通りに動く機械』のように、規律正しく前へと進み続ける。
距離が縮まるにつれ、群衆の一人ひとりの顔がはっきりと見えてきた。
そのたびに胸が締めつけられるようで、目をそらしたくなる。
けれど、それでも俺は現実を見続けた。見なければならないと思った。
なぜならば、それが自分の仕事であり、使命であると信じているからだ。
その時、群衆の先頭にいた中年の男が一歩前に出て、マイクを手に訴え始めた。
「なぜ我々の自由を奪うのか!?」
「「「「「なぜ我々の自由を奪うのか!?」」」」」
「なぜ我々の言論を奪うのか!?」
「「「「「なぜ我々の言論を奪うのか!?」」」」」
「なぜ我々の行動を奪うのか!?」
「「「「「なぜ我々の行動を奪うのか!?」」」」」
リーダーらしき男の声に続いて、群衆が声を上げた。
一人一人の声は小さくとも、数百人も集まればスピーカーに負けない音量になる。
そして、そんな群衆を見て、彼らの大義が分かるからこそ、自分の立場が苦しくてたまらない。
「アルカディアを返せ!」
「日本政府は腐敗している!」
「俺達には選ぶ権利がある!」
怒りに満ちた叫び声が、空気を切り裂くように響く。
けれど、その怒声はただの罵声や暴言ではないことが分かってしまう。
なぜなら、俺自身、立場さえ違えば、彼らの側に立っていただろうからだ。
そして元警察官として、彼らの行動が法に触れるものではないことも理解している。
それがわかっているからこそ、どうしようもない罪悪感が心を蝕んでいく。
だが……。
「『暴徒』を鎮圧しろ!」
そんな心の葛藤とは裏腹に、隊長の命令が飛んだ。
指示通りに周りの隊員たちは、次々と警棒を抜いていく。
ただ1人。自分だけが唯一遅れて、警棒を抜いていなかった。
だが、それが分かっても、自分は抜こうとは思わなかった。思えなかったのだ。
「突撃!」
その号令とともに、彼らは前方へ駆けだしていった。
だけども、俺の足は、動かなかった。
動かそうとすればするほど、体が硬直してしまう。
まるで時間が遅くなったかのように、そのすべてがスローモーションで流れていく。
隊員たちは訓練通りに、まず最前列のデモ参加者を押し返し、盾で群衆を分断しようとしている。
だが、デモ隊も必死だった。
男たちは手に持っていたプラカードを振り回し、女性たちは泣き叫びながら子どもを抱きしめ、逃げようとする。
誰かが、転倒した。
誰かが、押し倒された。
誰かが、警棒で打たれた。
「やめろ!」
「暴力をやめろ!!」
「こっちは武器なんか持ってないんだぞ!!」
群衆の中から悲鳴と怒号が交錯する。
俺の目の前で、若い男が警棒で殴られ、地面に倒れ込んだ。
彼は頭から血を流し、かすれた声でこう呟く。
「こんなのが……法かよ……」
その言葉が、胸の奥深くに突き刺さった。
これが本当に、俺たちのやるべきことなのか?
この命令は、本当に正しいのか?
そんな思考がグルグルと渦を巻いて、脳に絡みつく。
「おい!お前!何をやっている!動け!!」
その時、部隊長の怒鳴り声が背後から響いた。
だが、それでも俺の体は動かない。
俺は……元警察官だ。
人々を守るためにこの仕事を選んだはずだ。
なのに今、自分が手に持っているのは盾と警棒。
守るべき相手に向けるはずのそれが、今は武器になっていた。
「貴様、命令に従え!!」
隊長の声が鋭く響く。
その瞬間、群衆の中から別の声が飛んだ。
「撃てよ!お前らは、政府の犬なんだろ!!」
怒りに震える声の主は、20代ほどの若者だった。
拳を振り上げ、涙で濡れた顔に、凄まじい怒気を宿している。
「日本政府に従うくらいなら、死んだ方がマシだ!!」
その声に呼応するように、群衆の一部が警官たちに向かって押し寄せた。
石が飛び、ペットボトルが投げつけられる。
それまで冷静に抗議していた者たちも、暴力の波に飲み込まれ始めた。
そして……。
「武器を持っているぞ!!」
隊員の誰かが叫んだ瞬間、俺の視界が揺れた。
群衆を見渡せば、1人の男がクロスボウを持っている。明らかに目は充血しており、まともな様子ではない。
そんな男がゆっくりとクロスボウを構えた。
「アルカディアのために!!」
その男が引き金を引こうとした、その瞬間……。
バンッ!!
一発の銃声が、俺のすぐ隣から響いた。
何かが焼けるような匂いと、鼓膜が破れそうな衝撃音。
隣を見た。
……新人隊員が、拳銃を両手で構えたまま、震えて立っていた。
明らかに一瞬。世界から音が消え、完全に無音になった。
誰しもが動きを止め、クロスボウを持つ男を見る。
男はクロスボウを地面に落とし、苦し気に胸を抑え込んでいた。
そこからは致死量の血。明らかに助からないであろう血があふれ出していた。
悲鳴。誰かの悲鳴。自分の心の悲鳴。
誰しもが、悲鳴を上げた事だろう。しかし、それは一瞬にして怒気へと変貌する。
「殺しやがった!」
「奴ら、俺たちを撃ったぞ!」
「ふざけるな!」
「てめーら警察官だろうが!」
たった一つの弾丸。たった一発の発砲。それらは明らかに、一線を越える引き金へと変わる。
怒りと恐怖に支配された群衆は、その瞬間から本物の『暴徒』へと変わった。
「こいつが撃った!」
「撃ったのはあいつだ!!」
「殺せえええ!!」
その叫びを皮切りに、群衆が一斉にこちらへ突進してくる。
怒りの奔流は凄まじく、それはダンジョンでレベルを上げ、訓練を重ねた人間であろうと、止める事は出来ない。
「……クソッ!」
俺は咄嗟に盾を前に構え、足を踏ん張った。
だが、まるで津波のような群衆の勢いは予想以上で、容易く盾の壁は崩れ去る。
部隊は暴徒の波によって分断され、孤立する者たちまでもが現れ始めた。
その混乱の中で……。
「全隊、撤退だ!!」
部隊長の怒声が響いた。
後から思えば、この判断は正しかったと思う。
もはや『制圧』ではなく、命を守るための『撤退』だった。
しかし、撤退だからと言って無造作に逃げる事はしない。それが最も愚策である事を、訓練で叩きこまれているからだ。
故に、俺たちは訓練通りに後退の陣形を取りながら、盾を構えて下がっていく。
新人隊員はまだ放心状態だったが、俺が彼の腕を引いて無理やり立ち上がらせた。
後退しながらも、耳に飛び込んでくるのは、怒りと絶望が混じった群衆の叫び声だった。
「これが国のやることか!!」
「もう信じられねえよ!!」
「守ってくれないなら、俺たちで守る!!」
その声はまるで呪いのようだった。
盾の外側に投げつけられる物理的な攻撃よりも、心に突き刺さる。
『これが、本当に正義なのか?』『これは本当に、俺たちが守ろうとしてきた秩序と平和なのか?』
言葉にならない想いが、心の中で渦巻く。
『自分は今、誰のために戦っている?』
そんな問いの答えが出ないまま、俺たちは群衆の怒声の中を抜けて、静かに撤収していく。
そして、この時を思い返しても、未だに分からない。
正義と命令。どちらが正しくて、どちらが重いのか。俺は、まだ答えを見つけられてはいない。