第六十五話 ダンジョン教会の指名手配
今日の出来事を一言で表すなら、まさに『霹靂一閃』という言葉がふさわしい。
いつも通りの朝。ホテルの天井をぼんやり眺めていた俺は、寝ぼけた頭を冷やすためにシャワーを浴びることにした。
冷たい水が背中を伝い、眠気が消える。
少しずつ回り始めた脳は、今日のやるべきことのタイムシフトを組み立て始めた。
もうルーティーンになっている朝の水シャワーを終えた俺が浴室を出ると、外からテレビの音声と、玲奈の硬い声が聞こえてくる。
「正吾さん……これ、見てください」
タオルを肩にかけたままリビングに戻ると、玲奈がテレビを指さしながら驚愕の表情で固まっていた。
指さすテレビを見てみれば、そこには大きなテロップで『速報!ダンジョン教会!巨大兵器を開発か?警察が強制調査へ』と映し出されていた。
「……嘘だろ」
濡れた髪を拭くのも忘れ、ポタポタと水滴が床を濡らす。
しかし、そんな事よりも、今はテレビの方が大事だった。
『本日早朝、警察庁とDSTが合同で、民間団体『ダンジョン教会』に対する家宅捜索を実施。違法兵器の製造および国外輸出に関する疑いが……』
アナウンサーが現状を解説しているが、そんな事は耳に入ってこない。
俺はただ、新宿にあるダンジョン教会本部のビルを、空の上から映し出す画面を見ているだけだった。
「なんだよこれ……」
未だ能が理解できずに思考が硬直しているが、無意識の内にリモコンでボリュームを上げる。
それと同時に、報道ヘリの空撮から、地上カメラへと切り替わり、現場のリポーターが緊迫した声で状況を伝える。
『現在、DSTがダンジョン教会の施設前に展開しております。ご覧のように、剣と盾を装備した隊員たちが慎重に建物を包囲しており、突入の準備が進んでいる模様です!』
現地リポーターが必死に喋る後ろには、警察官や報道陣が映り込み、さらにその奥側には武装したDST隊員たちの姿すら映っている。
そして、DSTが次々とダンジョン教会本部のビルに入っていくのが、カメラマンのズームインで映し出された。
そして、次の瞬間。
バン!と小規模な破砕音とともに、突入班が専用の破壊工具でドアを吹き飛ばす様子が、煙と音だけで知らされる。
『い、いま!突入が開始されました!DSTの部隊が、ダンジョン教会の施設内部に突入しました!煙が……煙があがっています!』
突然の事態に、現地リポーターの声が若干うわずる。
しかし、プロとしての根性でパニックのまま解説を続けた。
『く、繰り返します!現在、ダンジョン教会に対して、警察庁とDSTによる強制捜査が進行中です!』
映像にくぎ付けのまま、立ち尽くす。
テレビには、剣と盾を装備したDST隊員たちが、次々とダンジョン教会本部の建物内に突入していく様子が映し出されている。
心臓が一段と速く打つのを感じながら、俺は思わず呟いた。
「……まずいな」
徐々に状況を飲み込み始めた脳が、今後の対応を考える。
そして、すぐさま一つの結論に至った俺は、スマホを手に取り涼太の連絡先をタップした。
コール音が数回鳴った後、眠たげだが落ち着いた声が返ってくる。
『……どうしたの?こんな朝から』
「テレビ見てるか? ダンジョン教会に警察が突入してる」
『は?……どういう事?』
涼太は、あまりにも唐突な事に間抜けな声を上げる。
しかし、そんな涼太をバカに出来ない状況なのが本当に笑えない。
「……原因はまだ何かは断定できないが、見ている限り『ディアノゴス』の件がバレたようだ」
『……今、テレビをつけた。……マジか、これは……相当ヤバいね』
涼太の声から焦りの籠った声が電話越しに伝わってくる。
『僕たちの動きは完全に読まれてたってこと?それとも……』
「いや、読まれたにしては動きが早すぎる。多分だけど、情報漏洩の線が濃厚だと思う。こんな規模の強制捜査は数日前から準備しなきゃ無理だ」
警察が動くためにはいくつもの書類が必要になる。
その中でも裁判所からの『捜索差押許可状』が必要になるのだが、この令状には『捜索令状』と『差し押さえ令状』が必要だ。
そこまで難しい手続きでは無いものの、どれだけ急いでも、1日以上はかかる。
「だが、問題はこれからだ。政府の動きが表沙汰になった今、ダンジョン教会も黙ってはいられない」
『……どうするきなの?』
「前に頼んでいた『例の物』は出来てるか?」
『……それってどっち?2つあったでしょ?』
「両方だ」
~~~
ホワイトハウスの執務室には、まだ夜が明けきらぬ時間なのにも関わらず、緊迫した空気が漂っていた。
大統領は深くソファーに腰を沈め、モニターに映し出されたニュース映像を無言で睨みつけている。
そのモニターには、日本の新宿区で行われたダンジョン教会への強制捜査の様子が、繰り返し映し出されていた。
そして、この事件は日本にとどまらず世界中でニュースになっており、他でもないアメリカ国内でも特別報道として特番ニュースになっている。
「……まさか、我々の不手際で情報が流出するとはな」
大統領は、今日何ど吐くのか分からないため息を吐き、眼前にあるモニターの電源を落とした。
「…はぁ、……『DIA(国防情報局)』は何をやっていたんだ?」
怒りを抑えて、背後に立つ男を問いただす。
「……申し訳ありません、大統領。我々はダンジョン教会内部のデータを監視していたのですが、システムに侵入した痕跡などは在りませんでした。凄腕のハッカーか、衛星での監視かは分かりませんが、全ての記録上には、覗かれた痕跡は存在していません」
国防情報局長官は歯切れ悪く報告する。
その回答に不快気にする大統領は、机をトントンと叩きながら言う。
「つまり、それはどこから洩れたかすら分からない。……そう言う事かね?」
「はい。率直に言えば、その通りです」
全く濁さない国防情報局長官の言葉に、それでも大統領は怒鳴り返すことはなかった。
確かに、自分が人事を決めた各局長は、みな実直で誠実な人間たちだ。言い訳も言い逃れもしない、そういう気質で選んだのは他でもない、自分自身だった。
だからこそ、か。
濁しもせず、いい訳もせず、真正面から『分からない』と言い切った国防情報局長官の姿に、大統領は皮肉にも苦笑するしかなかった。
苛立ちと諦めの入り混じった感情を、ひとつ大きく息を吐いて押し殺すと、彼は静かに口を開いた。
「……もう下がってよい」
「は!」
敬礼しながら退室していく国防情報局長官の後姿を見ながら、デスクにある電話機に手を伸ばした。
受話器を取り、緊急専用回線のボタンを押せば、すぐさま対応する職員が出る。
「日本の首相官邸につないでくれ」
そう一言発した後、直ぐにアポイントメントを職員がとり、10分後には、日本首脳との電話会談が繋がった。
「大統領、お久しぶりです」
通信がつながると、犬塚総理の落ち着いた声が届いた。
その余裕ぶりが、大統領の神経を逆撫でする。
「……ダンジョン教会への強制捜査。あれは、どういう意図だ?」
抑えた声で問う。だが、返ってきたのはあまりにも無色透明な一言だった。
「はて、何のことですかな?それは司法当局の判断による通常の措置かと存じますが……」
「……」
大統領は言葉を失った。まるで外交辞令の教科書から抜き出したような応答。
だがそれは、『アメリカの関与には口を挟ませない』という明確な意思表示でもあった。
「……つまり、総理。あなたはこの事態について関知していないと?」
少し語気を強めるが、犬塚総理の声色は変わらない。
「我が国の法は、いかなる団体に対しても平等に適用されます。違法性が確認された以上、相応の措置が取られるのは当然のことです。……それが、法治国家というものでしょう?」
語尾にうっすらとした皮肉がにじむ。
「……では、一つ問いたい。その違法性とやらの情報はどこから得たものなのか。もしもその証拠が確実性の無い物であった場合、君の言う法治国家としての在り方が問われる問題だぞ」
「大統領。我々は、国内の治安を脅かす可能性のある存在に対し、必要な調査と対処を行う義務があります。
……貴国の立場も尊重いたしますが、主権国家としての線引きは、明確にさせていただきます」
言葉は柔らかいが、内容は鋭い拒絶そのものだった。
ここまで明確に突っぱねられるとは。アメリカ大統領として、屈辱的ですらある。
「……なるほど。では、今後の展開についても、御国が自主的に判断されると理解していいわけだ」
「ええ、もちろん。ですが……」
犬塚総理は一拍置き、わずかに声を落とした。
「……今回の件は、日本だけでなく、多くの国々が注視しております。大統領のご理解とご協力を賜れることを、心より願っております」
その言葉に含まれていたのは、遠回しな忠告。
『この問題は、すでに日米間だけの話ではない』という、冷徹な現実の提示だった。
そして、これを聞いた瞬間にレイモンド大統領は理解してしまった。この裏に中国が居る事を。
「……そうか。分かった」
大統領は短く返し、静かに受話器を置いた。
怒りではない。深い失望と、警戒の入り混じった沈黙だった。
デスクの向こうに立っていたソフィアに視線を向ける。
「……ダンジョン教会に繋いでくれ」
~~~
俺たちは急いで支度を済ませ、部屋を出ようとしたその時、不意にスマホの着信音が鳴った。
「っち!こんな急いでいる時に誰だ!」
急いではいるが、確認しない訳にもいかない。
ポケットから取り出して確認すれば、ディスプレイには見慣れない番号。
いたずら電話かと思ったが、国際通話特有のプレフィックス『+011』が表示されているのを見て、すぐに思い当たる。
「……011って……まさか!」
俺はそのかけ主に直ぐに気が付くと、急いで電話に出た。
『もしもし、私だ』
たった一言。その声で、すべてを理解した。
「……大統領ですか」
俺はすかさずスイキョウの声に変えながら答える。
スイキョウの声で応じた瞬間、隣の玲奈が動きを止める。
彼女もこの声とやり取りの雰囲気で、電話の相手が誰なのかをすぐに察したのだろう。
『…今回の件、本当にすまなかった』
それは政治家のそれではなく、個人としての、純粋な謝罪だった。
立場を越えて、感情がにじみ出た声。その一言に、ほんの少しだけこちらの怒りが和らぐ。
確かに今回の強制捜査は、アメリカ側から情報が漏れた可能性が高い。
だがそれは同時に、こちらにとって好機でもあった。
だからこそ、俺はゆっくりと口角を上げて言葉を返した。
「……その謝罪、貸しと言う事でいいですか?」
『…ああ、そう取ってくれて構わない』
「では、早速ですが、貸しを返してもらってもいいですか?」
『………なんだね?』
「ある事をお願いしたいのですけれど……」
~~~
報道各局は、朝から蜂の巣を突いたような大騒ぎだった。
その理由は明白。あの『ダンジョン教会』に、警察による家宅捜索と逮捕状が出されたからだ。
しかも、それは日本国内のみならず、すでに国際ニュースとして扱われており、全世界の注目がこの騒動に集まっている。
テレビ局の報道フロアでは、いつもの何倍もの緊張が張り詰めている。
そんな中、メインスタジオを統括する神崎プロデューサーは、手元の視聴率速報に思わず頬を緩めていた。
瞬間視聴者率30%越え。
「……悪くないわね。っていうか、これゴールデン超えじゃない」
その口元に浮かぶのは、完全に視聴者数と数字だけを見据えた、プロの笑み。
そこへ慌てた様子の若いディレクターが、手に書類を持って駆け寄ってきた。
「神崎P!追加の情報が入りました!」
「なに!? 今すぐアナウンサーに回しなさい!」
「い、いえ……あの、内容を確認した方が……」
「いいから早く渡しなさいって言ってんの!」
神崎は語尾を鋭く切りながら、手をひらりと振ってディレクターを促す。
「……は、はいっ!」
ビビりながらも、ディレクターは報道スタジオのカメラに映らぬように身を低くし、紙をアナウンサーに手渡した。
一瞬、アナウンサーの眉がピクリと動いたが、すぐにプロの顔に切り替えて原稿を読み上げ始める。
『……緊急速報です。ただいま、民間団体『ダンジョン教会』の公式SNSアカウントにて、声明が発表されました。内容によると、本日午後3時、葛西臨海公園・展望広場にて会見を行うとのことです』
その言葉を聞いた瞬間、報道スタジオの空気が一変した。
数秒だけ落ちた沈黙。しかし、その数舜後には、混乱が広がり始める、が……。
「……現場に記者班をすぐ手配しなさい!」
混乱が広がる前に、神崎Pの鋭い指示が飛ぶ。
その声に、混乱していたスタッフたちが応える様に動き出すと、報道スタッフたちは一斉に電話と無線を取り出して動き始めた。
「……大丈夫ですかね、これ。下手すればパニックになりますよ……」
「DSTが動いてる以上、何か仕掛けがあると思ったほうがいい……」
周囲のスタッフたちは緊張感の中でささやき合っていたが、手は止めなかった。
SNS上ではすでに『ダンジョン教会』『会見』『葛西臨海公園』といったキーワードが、世界中のトレンドを席巻していた。
その動きをモニター越しに確認した神崎は、舌打ち混じりに叫んだ。
「お前ら!他局に出し抜かれるんじゃないわよ!……おい、ディレクター!中継車の準備!私も現地に行くから!」
「か、かしこまりました!」
指示と怒声が飛び交う中、報道班は一丸となって動き出した。
~~~
葛西臨海公園はすでに人で埋め尽くされていた。
報道陣、野次馬、配信者にファン。そして何かが起きることを予感して集まった一般市民。
目の前の展望広場には、警察が設けたバリケードと、その奥に整然と並ぶDSTの特殊部隊の姿がある。
全員が、防弾ベストと近接装備に身を固め、緊張感を纏って配置についていた。
「……すごい数」
神崎プロデューサーは、息をつきながらその光景を見渡した。
少しでも良い位置で映像を押さえようと、カメラマンや中継スタッフたちが、肩と肩をぶつけ合いながら場所取りに必死になっている。
だが、警備のために立ちはだかる警察官やDST隊員たちが、報道の動線を制限しており、なかなかベストなアングルが取れない。
神崎は歯噛みしながらも、ぐいぐいと人波を押しのけ、ついには警備ラインぎりぎりの前列まで辿り着いた。
「(……ギリギリのラインだわ。でも……まあいい。日差しも悪くない、光量も十分。あとは主役の登場を待つだけだわ)」
彼女の指示のもと、カメラマンが三脚を立て、モニターに映像を通してフレームを合わせていく。
腕時計を見れば、会見の開始予定時刻まで、残りわずかだ。
いつ始まるのか分からない緊張感が、会場に居る全員の心臓を支配する。
そして、緊張が最高潮まで張り詰めた瞬間に、『彼女』は唐突に訪れた。
ざわめきが、海側の歩道から起こる。
それを皮切りに、人々の視線が、徐々に一点へと吸い寄せられていく。
その先に現れたのは、ただ1人の人物。
白を基調とした、柔らかくも荘厳な衣をまとい、まるで舞台の中央へ歩む女神のように、彼女は静かに歩を進めていた。
「……っ!」
神崎は無意識のうちに息を飲んだ。
ただ歩いてくるだけ。なのに、誰一人として声を上げることができない。
カメラのファインダー越しにも、それが特別な瞬間であることを、誰もが本能で理解させられる。
会見はまだ始まっていない。
だが、すでにこの場の空気は、彼女の手のひらに収まっている。
「……さあ、セイント。あなたは今、何を語るの?」
神崎は、静かにシャッターを押す。
その1枚が、歴史の表紙を飾ることになると、確信を抱きながら。




