第五十三話 神域
涼太から耐久テストのGOサインが出たことで、俺は待機していたディアノゴスのリミッターコードを解除した。
その瞬間、体から大量の魔力が一気に吸い取られる。〈世界樹の翼〉で即座に魔素を回復させたが、それでもディアノゴスは容赦なく魔素を吸い続けていく。
「……常時吸われるのはキツイな」
このリミッターコードは、パイロットの安全を守るためのものだ。ディアノゴスが魔素を吸い過ぎないように制御する役割を果たしている。
しかし、今回の耐久テストは異なる。機体の限界を検証し、データを元に新しい改良案を作り出すのが目的だ。
「こちらスイキョウ。リミッターコードを解除しました」
『……ザザッ…』
報告はしたものの、強いノイズに遮られて涼太の返答は聞き取れなかった。
「……強い魔素が電波を遮っているのか?」
推測ではあるが、可能性は高い。とはいえ機体に異常はない。このままテストを続行することにした。
「各部位の数値は正常。ACSも問題なく稼働しているな……よし、涼太が趣味全開で作ってた魔法を起動してみるか」
涼太が作業に没頭する姿をこっそり覗いたことがある。完全に目が逝っている彼は、小声で『これはいい……魔素消費量さえ無視できれば完璧だ』とつぶやいていた。
あの涼太が『消費が異常』と言うのだから、尋常ではない魔素量が必要なのだろう。俺の魔素量で行けるか分からないが、試す価値はある。
『えっと……これだな』
すでにリミッターコードは解除済み。あとは隠された裏コードのACSを起動するだけだ。
4つ目の魔道スクリプトに魔素を流し込むと、瞬間的に尋常ではない魔素が吸い取られた。意識が持っていかれそうになるのを何とか堪え、〈世界樹の翼〉を全開で稼働させて魔素供給を維持する。
「っ……! これは……キツイ!」
頭は酔ったような気持ち悪さに包まれ、全身から冷や汗が噴き出す。今すぐやめたいが、せっかく涼太が童心に帰って開発した魔法だ。限界までは付き合いたい。
「ふぅ……我慢できないわけじゃない。大丈夫……大丈夫」
自己暗示をかけながら、コックピットのレバーを強く握りしめた。
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……まさか、正吾があれを起動するとは。
僕はタブレットを見ずとも、空間が歪んで見える程の魔素に冷や汗をかく。
あれは冗談半分で作った魔法だ。そもそもこの魔法は、時間が余ったので趣味で作った。使う事なんて想定していない。想定できるはずもない。
あれを起動するのに必要な魔素量は、魔石純エネルギー炉換算で1000個を超える。
それこそ机上の空論で、『突然ロボットが覚醒したらカッコよくね?』と言う感じで、想像上で楽しむような魔法なのだ。
そんな想像上で机上の空論であったあの魔法の名前は『神域』。自分の支配する空間内を掌握する魔法だ。
僕は考えていた。魔素、魔法、ダンジョン、ステータス。これらは何なのか?と。
一見すればファンタジーそのものだが、確実にそこには法則やルールがあるはずだ。
そこで、僕は魔素や魔法について徹底的に研究を始めた。そして、いくつかの仮説にたどり着くことができた。
まず、魔法とは何か?
ファンタジー世界の産物のように思えるが、魔道演算スクリプトを構築できるのなら、そこには何らかのルールが存在しているはずだ。
僕がたどり着いた仮説は、こうだ。
『魔法とは『世界の一部を書き換える』行為である』
根拠がないわけではない。様々な状況的証拠があるのだ。
例えば火球魔法だ。僕は火球を使えないので、記録映像を徹底的に分析した。
映像では、手のひらに突然火球が現れ、それをモンスターに投げつけて命中するシーンが映っていた。
だが、これには幾つもおかしな点がある。
まず、火球が手に現れる時点で物理的にあり得ない。そして、もっと奇妙なのは『熱を感じない』という事実だ。
通常、これだけ大きな火の塊なら、手に火傷を負って然るべきだろう。
だが、魔素があることで火球は現実世界の火とは異なる『現象』に変化するのだ。
火球魔法が発動するプロセスを整理するとこうなる。
1.魔素を魂から手元に集める。
一応魂から魔素を集めるとは言っているが、魂を観測できた訳じゃない。だけども〈物質創造〉を使った時、感覚的に理解できた。
確かに肉体ではない場所から、エネルギーを取り出せる事を……。
2.魔素に『火』のイメージを送る。
イメージとは言っているが、どんなに魔素を手元に集めても火が付く事は無い。これにはいくつか仮説があるが、一番の違いと言えばスキルの有無だろう。
3.魔素の情報が現実を一部書き換え、火球が出現する。
上の2つをクリアして、やっと火球を出現させられるのだ。
もちろんだが、火球は魔素で構成されていて、自分の魔素で作り出した魔法で怪我を負う事は無い。
これが、火球が現れる仕組みと、熱さを感じない理由だ。
では、魔素とは何なのか?
その答えは正吾のスキルを手掛かりに、多少解明することが出来た。
魔素とはエーテルから作られる。
生命の根源器官である魂がエーテルを吸収し、植物が光合成するように魔素を生成するのだ。
しかし、魔素は非常に不安定な物質で、約1カ月で崩壊しエーテルに戻ってしまう。
そんな不安定な魔素だが、長時間保存できるのが『魔石』だ。魔石に入った魔素は安定し、約10年間保存が可能だ。
もちろん電池の様に徐々に漏れ始めるが、それも非常に緩やかで微々たる変化に過ぎない。
そんな優秀な魔石は、魔素を熱に変換する事もできる。
魔石内にある魔素は非常に安定しているが、それも小さくなるにつれて不安定になっていく。粉末状まで細かくすれば、魔素は急激にエーテルへ変換される。その時の反応は強く、大量の熱を発生させるのだ。
未だ魔素をそのままエネルギーとして利用できない各国は、魔石を粉末状にして発電をする方法を模索しているが、世界のニュースでは魔石発電機の試験運用すら目にしない。
ただし、魔素の真価は単なる発熱ではない。魔素が持つ本質的な力は『現実の書き換え』だ。
正確には『情報の改変』と言った方が正しいだろう。
『自身の意思と情報を基に、魔素というエネルギーを媒介にして世界を部分的に改変する』
これが魔法の根本原理だ。
魔素には他にも興味深い性質がある。
生成された魔素は魂の『器』に貯められるが、器が満杯になると余剰の魔素が体外に漏れ出す。
この微量な魔素が特殊な力場を生み出し、銃弾や物理攻撃を逸らすのだ。
では、なぜ銃の効きが悪いのに、近接武器は有効なのか?
それにも魔素が関係している。魔素同士が接触するとエーテルに還元されるという性質がある。それが原因だ。
つまり、剣などの近接武器は魔素を中和し、防御場を突破することができると言う事だ。
そして、研究の中で、僕はひとつの疑問を抱いた。
『この魔素を大量かつ高密度に集めたら、どこまで世界の書き換えが可能なのだろう?』
世界を書き換えるには条件がある。
『意思の強さ』×『魔素の量』×『魔素の密度』によって書き換えられる範囲や強度が決まるのだ。
ならば、魔素の量と密度を限界まで高めた場合、どこまでの書き換えが可能なのだろうか?
この疑問から生まれたのが『神域』だ。
『神域』は重量魔法と比べ物にならないほど簡素で単純な魔法だ。
単に魔素を吸い取り、凝縮して繋ぎ止める。ただそれだけ。だが、その効果は絶大なものになる。
まだ理論上の話でしかないが、僕の予想が正しければ『神域』という名に相応しい効果を持つはずだ。
「な!なんだあれは!」
ジョニーは驚きすぎて愕然とした表情を浮かべている。信じられないものを見た、という目だ。
玲奈も顔には動揺を出していないが、よく見ると微かに手が震えている。
僕も自覚しないうちに、拳を強く握りしめていた。
僕たちが見据える先。そこには、ディアノゴスを包み込む様に空間が球状に歪曲している。
目に見えない境界線が周囲を包み込み、空気すら異質な物に変わる。風はディアノゴスの支配する領域に入る事が出来ず、吹き荒れる砂はデタラメに動いていた。
「……リョウさん。私もあれについて何も知らなかったのですが」
玲奈が小声で聞いてくる。周囲の軍人たちはディアノゴスに釘付けで、玲奈が僕に話しかけたことには気づいていない。
「……あれは『神域』という魔法です。しょう…………スイキョウには説明していませんでした。まさか起動するなんて…」
僕は動揺から正吾の名前を言いかけてしまった。
「『神域』とは、どんな効果の魔法なんですか?」
「……あまりの魔素消費量で、実際に使ったことはありません。僕の予想では、正直…何も起こらないと思います」
「……何も起こらない?」
「はい。『神域』は本来、戦闘で絶対的な優位性を確立するために作りました。だから、戦闘以外の場面では過剰な代物です」
そう、そうなのだ。『神域』は戦いでは最強の魔法になるだろう。しかし、ただの実践テストでは、あまりに過ぎた代物なのだ。
「……それは…スイキョウは知らないのでしょうね」
「そうだと思います。そもそも『神域』はスイキョウには説明してませんから…」
玲奈はベールで顔の大部分は隠れているが、その見える口元だけで呆れているのが伝わってくる。
まあ、僕が説明していないのが悪いのだが、教えても無い魔道スクリプトを起動させたのは正吾だ。もしもコックピットで苦しんでいても自業自得だ。
〜〜〜
4つ目の魔導スクリプトを起動させた俺は、頭痛、吐き気、倦怠感に襲われながらも、コックピットのレバーを握りしめた。
この魔法がどんな効果を持つのかは知らない。だが、尋常じゃない魔素消費量からして凄まじいものだということだけは分かる。
「…しっかし、この魔法でいったい何が変わったんだ?」
各部のセンサーを確認するが、目に見える変化はなかった。ただ、魔素の流入量が膨大すぎてミスリルが魔素飽和を起こしている。
モニターはイエローゲージを警告しているが、涼太から『ディアノゴスは壊しても構わない』と言われているので気にせずレバーを押し込んだ。
次の瞬間、魔石純エネルギー炉では到底不可能な加速力で、ディアノゴスが踏み出した。
その一歩で地面は大きく陥没し、一瞬にして時速100キロへ到達する。
しかし、その『一歩』以降、ディアノゴスは二歩目を踏み出すことはなかった。
なぜなら……。
「……飛んでる!?」
ディアノゴスは地上数メートルを飛行していた。羽も翼もジェットエンジンもないのに、確かに機体は浮いている。
まるで空気抵抗すら無視するかのような感覚で、俺は機体の軽さを感じた。
しかし、その快感は長続きしなかった。
「……もう限界か」
ミスリル金繊維がレッドアラートを鳴らしている。もう機体が持たない。俺はゆっくりと減速し、地面に着陸させた。
着地の衝撃で『ブチブチ』とミスリル金繊維が切れる感触が伝わってくる。
「……止まった」
俺は魔素供給を停止し、ようやく体が軽くなるのを感じた。吐き気と倦怠感からも解放され、深い息をつく。
〈世界樹の翼〉のおかげで魔素は急速に回復していった。
気分もだいぶ良くなった俺は、コックピットのハッチを開けて外に出た。
「……これは……」
外に出た俺の目に飛び込んできたのは、ディアノゴスが突進してきたであろう直線の大地だった。
抉られた地面は延々と続き、その距離は2キロメートルにも及んでいる。
遥か遠くには涼太たちの姿が小さく見える。
「……やっちまったな」
誰に言うでもなく、俺はつぶやいた。
その言葉は、ただひとりの砂漠に虚しく響いたのだった。