第四十二話 ポーションオークションの行方
久しぶりにダンジョンへ行った翌日。今日もまた仕事が入っている。
最近、休日らしい休日を過ごしていない気がする。
そう言えば、最後の休日っていつだったけな?確か……熱海の温泉だったか。あれは3週間と少し前だったから……。
「……四捨五入すれば、ほぼ1カ月休みなし、か」
自分で気づいて驚く。
そろそろ本気で休日を作らないと、健全な精神状態で仕事ができなくなるかもしれない。気を付けよう。
だが、今日はまだ仕事が控えている。ポーションオークションの対応だ。
オークションの設定期間は10日。今日がその締切日で、日本時間の午後5時に終了する予定だ。
「……まあ、時間もあるし、午前はゆっくりするか」
とは言え、仕事は午後からだ。午前中は休暇?になっている。
ホテルでだらだら過ごしているのも魅力的だが、そろそろ髪の毛が気になってきた。そう言えば最後に切ったのっていつだっけ?
「……」
やばい、思い出せない。
この5か月間が濃厚過ぎて、それ以前の記憶が曖昧だ。
「……ま、まあいい」
どうせ思い出せなくても支障はない。俺は気にしない事にして美容室へと向かった。
〜〜〜
「スッキリした」
短く刈り込まれた髪を撫でながら、俺は満足げに鏡を見る。
そこに伊達メガネをかければ、2年前の自分によく似た姿がそこにいた。
友達からは『優秀な営業マンか、詐欺師みたい』と言われたが、自分では結構気に入っている。
「ちょうどいい時間だな。そろそろ玲奈と合流しますか」
腕時計を見ると、ちょうど午後1時を回っていた。合流にはいい時間だ。
集合場所は、新宿のダンジョン教会オフィス。
今日はダンジョンオークションは休業日で、アルバイトも客も誰一人としていない静かな空間だ。
そんなオフィスに聖女の衣装を着た玲奈と、スイキョウの姿をする俺が、1つのモニターを眺めていた。
「す、すげぇ……いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、おく……30億円!?」
ゼロの数をひとつずつ数えながら、スイキョウの演技が完全に抜けるほど驚愕する。
なんと1個のポーションだけで30億円の金額がついていたのだ。
今回は10個オークションに出品しているため、合計落札額は300億円。
当初予定していた金額よりも3倍ほど高い金額にびっくりするが、これが世間が思うポーションの価値なのだろう。
「……正吾さん、すごいですね。うちの父も政治家でそこそこ稼いでいますけど、300億円なんて稼いだことありませんよ」
「まあな。俺も100億円までは稼いだことがあったが、300億円はさすがに初めてだ」
「……前から思ってましたけど、正吾さんって地味にすごいですよね」
「地味ってなんだ。まあ、過去に犯罪で稼いだ金は全部没収されたけどな」
「でも今回は違うじゃないですか」
「……そうだな」
今回は正真正銘、合法な手段で300億円を稼いだ。しかし、それを自分の実力だとは思っていない。
ただ時代と運が味方した。それだけだ。
もしダンジョンがなければ、玲奈と出会っていなければ、この金額を稼ぐことなど到底不可能だっただろう。
だから……。
「ありがとな、玲奈」
「……急にどうしたんですか?」
「いや、お前と出会ってなければ、ここまで来れなかったと思う。だから感謝してる」
「……な、なんですかそれ。ちょっと気恥ずかしいですけど、嬉しいです」
玲奈が俺の肩にもたれ、嬉しさをアピールしてくる。
こういう計算高いところも彼女の可愛い部分だ。
俺は玲奈の頭を撫でながら、オークションの終了時間が近づくにつれて更新される金額をじっと見つめた。
そして、午後5時。オークションは1個45億円で幕を閉じた。
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世間でも大いに注目されていたポーションオークションは、4つはアメリカの企業、1つはアメリカ合衆国、2つは中国の企業、2つが個人資産家、1つが日本政府によって落札された。
これから落札者たちへの連絡が控えているが、問題がひとつある。
それは目の前に座るCIA職員、キャサリンの存在だ。
「お久しぶりですね、キャサリンさん」
前の一件以降、接触は無かった。だが、今回は急に接触をしてきた。
普通ならばポーションの件だと思うだろう。だけども、このタイミングで接触してきた意味が分からない。
ポーションの落札の金を渡しに来たのだとしたら、それらしきアタッシュケースが無い。それに45億円を直ぐに準備できるとも思えない。
つまりはポーションの件で来たのでは無い。
「……ええ、セイントさんもお元気そうで何よりです」
体面に座る二人は笑顔だが、その内心では探り合いが繰り広げられている。
「それで、キャサリンさんはポーションの代金を持ってきた、と言う訳では無いご様子」
「ええ、その通りです。今日はポーションの事でお伺いしたわけではございません。と、言ってもポーションに関わりのある話ではあるのですが……」
ポーション自体の話では無い?だけども、ポーションにはかかわる話。……分からないな。情報が少なすぎる。
「……我々CIAは聖女セイントにダンジョン攻略の援助を依頼したい」
「援助…ですか?」
「はい。現在のアメリカではダンジョン攻略に苦戦しています。それこそ後にダンジョンを公開した日本に追い抜かれるほどに」
アメリカが苦戦しているのは事実だ。
日本よりも先行してダンジョン開放をしたアメリカ。
元々銃社会と言う事もあり、必然的にダンジョンが解放された際も、銃を持ち込んで攻略に挑んだ。
だが、ダンジョンで銃の使用は悪手。それこそ、素手で戦った方が良いとまで言われるほどに……。
その事実にアメリカの探索者は遅まきながら気が付くが、気が付いた時にはあまりにも遅かった。
ガンナー系の職業に就いたせいで、魔法や身体強化のスキルは皆無。
2階層までならば、それでも大丈夫だが、3階層のボスモンスターでは話が変わる。
ガンナー系の職業で、いくら銃の威力を強化するパッシブスキルを持っていても、何故か銃の効きが悪いのだ。
5.56mmはもとより、7.62mmの弾丸ですら倒す事は出来ない。
やっと、12.7mmの対物ライフルで撃破できるのだが、それも4階層になれば、一切効かなくなる。
その結果として、アメリカの探索者は諦めてダンジョン攻略を止めるか、割り切って銃を捨てる者に分かれた。
しかし、それでもダンジョン攻略はきつく、大したスキルがない状態でのボスモンスター討伐で多くの死者と脱略者を出している。
そうした諸々が重なり、当初に比べ探索者数とダンジョン市場は伸び悩んでいた。
「……つまり、私たちがアメリカのダンジョン市場を回復させろ、そう言いたいのですか?」
「さすがにそこまで図々しくは言いませんが、そのような認識で構いません」
キャサリンは相変わらず冷静な口調で応じる。
「……その依頼は難しいと思いますね。いくら私が日本の、ひいては世界のダンジョン業界を賑わせたとしても、それがアメリカの市場回復につながるとは限りません」
「……理由を聞いても?」
「キャサリンさん、ダンジョンに行く人ってどんな人だと思います?」
「……正直、そこは詳しくはわかりません」
キャサリンは正直に分からない事を告げる。
しかし、その眼には隠しきれない好奇心が滲んでいた。
「ダンジョンに行く人。それは…『何もない人』です」
「…何も…無い人?」
「はい。正確に言えば『失うものがない』と思っている人たちですね」
玲奈は淡々と続けた。
「日本のダンジョン試験の合格者数と年齢層のデータを見ると、10代が20%、20代が65%、30代が10%、40代以上は5%です。つまり、合格者のうち約85%が10代と20代。そして、実際にダンジョンに潜った人たちを考慮すると、90%以上が若者だと言えるでしょう」
「……肉体年齢や自由時間の問題ですか?」
「それも理由のひとつでしょう。でも、本質的な理由は別にあります。それは『失うものがない』という感覚です」
玲奈の目は真っ直ぐキャサリンを捉えていた。
「家族を養う人や会社に勤める人は、安定した生活を捨ててまで命の危険がある場所へ行こうとは思いません。でも、大学生や若者たちは違います。特に日本では非正規雇用が拡大し、明日働く場所すら見つからない若者が多い。そうした中、ダンジョンはバイト感覚で始められ、成功すれば一攫千金も狙える場所として認識されています」
「……なるほど」
「つまり、彼らは命をチップに一攫千金を夢見るのです。だからこそ、日本ではダンジョン市場が成長したんです」
「……日本の現状は理解しました。でも、なぜアメリカの市場回復が難しいんですか?アメリカだって『何もない人』はいます」
「それは、大きく3つの要因があります」
玲奈は話を区切る為に一呼吸置いた後、話し始める。
「……まず一つ目は、文化の違いです。アメリカは銃社会です。個人防衛の意識が強く、子供ですら銃を持っています。……キャサリンさんも例外ではありませんね」
玲奈は鋭い視線をキャサリンの腰に向けた。
「……気づいていましたか」
キャサリンは苦笑し、腰のホルスターから拳銃を取り出してテーブルの上に置いた。
「失礼しました。このような場に無粋なものを持ち込んでしまい……」
「いいえ。弾は入っていないのでしょう?」
「……ええ」
キャサリンは諦めたようにマガジンを抜き、コッキングを引いて薬室を開けた。マガジンには一発は弾が入っていない。
「アメリカでは、銃はキリスト教のように信じられているようなものです。でも、時代は変わっています。
銃は今やダンジョンでは威嚇以上の価値を持たない。キャサリンさんもそれを理解しているでしょう?」
「……はい」
「しかし、アメリカ人は銃の頼もしさを知りすぎていて、なかなか捨てられません。それがダンジョン攻略の足枷になっているのです」
その言葉にキャサリンは何とも言えない顔になる。自分も時代に取り残されかけている1人なのだから。
「そして、二つ目は医療制度です。アメリカでは、社会保険制度での医療制度がありません。これにより、怪我のリスクが高いダンジョンは、医療費によりプラスどころかマイナスになりかねません。なにせ、アメリカでの自己破産の66%が医療関係なのですから……」
「……」
そう、アメリカの破産申請の約3分の2が『医療費の支払いが困難』と言う理由だ。
そんな医療制度なのにも関わらず、わざわざダンジョンに行こうとは思わない。特に……。
「お金を持った人になればなるほど、ダンジョンには行きたくないでしょうね」
「……」
金があるならば、わざわざ危険なダンジョンには行こうと思わない。
そして、お金が無くとも、上等な教育を受けているのであれば、その危険性を十分に理解できる。
逆説的に言えば『お金がない人になればなるほど、ダンジョンに行く』と言う訳だ。
「三つ目なのですが、言葉の壁です。アメリカでは、英語の他に、スペイン語、中国語、タガログ語、ベトナム語、アラビア語、フランス語、etc。と、様々な言語が話されています。特に、スラム街や教育が行き届いていない地域では、言葉の壁が発生します」
日本の場合、日本語が話される。もちろんのことながら、ほとんどの国が母国語として1つの言語を主体としている。
しかし、アメリカは移民国家だ。故に、言語が多様化してしまった。
「もちろんですが、スラム街の人間の治安など、最悪以外の何物でもありません。それこそ、ダンジョン内で無くとも、殺し合いなど日常茶飯事でしょう」
「……そう……ですね」
キャサリンの顔は苦しそうだ。
祖国の裏側を他人から言われるのは、誰だって気分は良くない。
「そんな状況で、州が50個にも分かれている。銃社会、医療制度、社会格差、言葉の壁。こう言った見えない分断があるアメリカで、ダンジョン市場が育つと思うのであれば、それはずいぶんとハッピーな脳みそなことでしょう」
「……アメリカはダンジョン市場に適していない、と?」
「そうです。それこそ、この世界で共産主義国の次にダンジョンに向いていないでしょう」
コミ―の次に向いていないと言われるのは、アメリカにとって屈辱以外の何物でもない。
しかし、事実としてアメリカはダンジョン市場に最悪と言っていい。
故に、玲奈はキャサリンに警告を出す。
「これは忠告ですが、無理に背伸びをすれば転ぶどころか、周囲を巻き込んで転落しますよ」
「……肝に銘じておきます」
前回もそうだったが、今回も玲奈が完全にキャサリンを圧倒していた。
「さて、キャサリンさん。他に話はありますか?」
「そう……ですね。次のポーションオークションの日程を伺ってもいいでしょうか」
「明日です」
「随分と早いですね」
「私たちにとって、ポーションは無価値に近いアイテムですから」
「……そうでしたね。セイントさんは回復魔法が使えますものね」
キャサリンはテーブルに置いた拳銃をホルスターにしまい、立ち上がった。
「では、キャサリンさん。今回のポーション代金は後日と言う事でいいですか?」
「はい、代金を渡すのは私ではありません。一応私とセイントさんが接触した事は秘密ですので」
「なるほど、諜報機関らしい理由です」
キャサリンは握手を求めるように右手を差し出す。
玲奈はそれに応じて、2人の密会はここで終了した。
「では、私はこれで失礼します」
キャサリンは軽くお辞儀してから部屋を出ていった。
コミ―
共産主義者を指すスラング。私は幼女戦記で知った。