閑話 とある大学生の3階層攻略
「ふぅ……」
重い息をつきながら、刀を鞘に納めた。
足元を見れば、無惨にも転がる複数のゴブリンの死体が目に映る。
「……少しは、戦いにも慣れてきたな」
血にまみれた手をじっと見つめながら、俺は最初の戦闘を思い出す。
最初の頃の俺は、戦い方は知っているが、その覚悟は素人以下だった。
長年稽古して身に着けた剣術も、初めての戦いの前では、棒を振り回している程度の実力しか発揮できなかった。
あの時は、たまたま刀がゴブリンに当たり何とかなったが、それを思えば、こうして冷静に敵を切り伏せられるようになった今の自分に、わずかながら成長を感じる。
けれど……雫の姿を目にすると、そんな成長も取るに足らないものに思えてしまう。
彼女は、初戦闘の時から既に冷静だった。そして、戦闘を重ねるたびに、その技のキレは目に見えて鋭くなっている。
「……みんな、お疲れ様。怪我はない?」
胸の内にある嫉妬心を抑え込みながら、俺はパーティーリーダーとして声をかけた。
「おうよ! 無傷だぜ!」
一番危険な前衛役を務める俊介が、元気な声で答える。
「なら、大丈夫だね」
俊介がそう言うのなら問題ない。俺たちは休む間もなく、ダンジョン2階層の奥へと進む。
~~~
「……この階段、3階層に続いてるよな?」
楽勝……とまではいかないが、順調に進んでいた俺たちは、ついに3階層への階段にたどり着いた。
少しずつダンジョンが攻略され、情報がネットに拡散され始めている。
そして、3階層のボスモンスター『ホブゴブリン』に関する情報も流れてきていた。
まだ情報は少ないが、最前線の攻略者たちは、口を揃えて『3階層のホブゴブリンは格別だ』と言う。
その理由は様々だが、特に注目すべき点は『体格』『力』『知性』の全てが、ゴブリンとは一線を画しているということだ。
「……なぁ、一応聞くけど、3階層に挑むか?」
俺はパーティーリーダーとして口火を切り、みんなに問いかけた。
こういう時、俺たちは多数決で方針を決めることにしている。
最初に答えたのは、咲子だった。
「……私は反対ね。聞いた話によると、ホブゴブリンってかなり強いらしいじゃない? もう少しレベルを上げてからでもいいんじゃないかしら」
もっともな意見だ。しかし、それに反対したのは雫だった。
「……私は挑戦してみるべきだと思う。私たちのレベルは16。無謀な戦いではないわ」
確かに、その意見もわかる。
レベル16の5人パーティーならば、ホブゴブリンを倒せる可能性は十分にある。
「俺も賛成だぜ」
「……私も賛成かな」
俊介とレミも賛成のようだ。
「じゃあ、3人賛成ね。咲子もそれでいいかな?」
「……はぁ、仕方ないわね。それでいいわよ」
こうして、パーティーメンバー全員の意見がまとまった。
「それじゃあ、気を引き締めて行こうか」
〜〜〜
3階層へと続く階段を降りると、ささやかな光が目を刺す。
2階層は整備が行き届いておらず、電球が20メートルおきに置いてあるだけで、全体的には暗い洞窟だった。
しかし、3階層には小さな電球があり、ボス部屋前の小さな部屋を明るく照らし出している。
そして、電球の光に照らされ3階層の名物の門が露となった。
その門は、3メートルほどもある大きさに、無骨ながらも人を引き付ける魅力を放っている。
「……まるで、地獄の門みたいね」
咲子が言った言葉に、俺は小さく頷いた。
確かにこの門は、上野の国立西洋美術館に飾られている『地獄の門』のような雰囲気を感じる。
そして、そんな部屋には、俺たちよりも少し年上に見える4人組のパーティーが座り込んでいた。
大学生と言うよりかは、オフィスで働いている社員のような彼らは、壁にもたれ掛かって休んでいる。
「こんにちは」
こちらから声をかけると、大人っぽい雰囲気の女性が笑顔で返してくれる。
その柔らかな表情は、どこか日常にいる『若妻』を思わせ、ダンジョンの殺伐とした空気には到底似つかわしくはなかった。
「あの……もしかして、これから3階層に挑戦するつもりですか?」
「はい、そのつもりです」
俺が答えると、彼女は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑みを浮かべた。
「そう……お気をつけてくださいね。私たちも3回挑戦しましたが、3回とも撤退する羽目になりました」
その言葉に思わず身構える。
俺たちよりも早く3階層に到達しているであろう4人組のパーティーが、3回も撤退を余儀なくされる相手。それがホブゴブリン。
そんな相手に俺たちは、果たして勝てるのだろうか?
嫌な想像をしてしまう俺たち。
わずかに張り詰めた緊張感が漂うが、その想像を後押しするように、男が口を開いた。
「ホブゴブリンはただ強いだけじゃない。今までのゴブリンよりも頭も回るからな。……特に後衛は気を付けろよ」
男は、俺たちの中でも特に小さく、明かに後衛だと分かるレミを見ながら言った。
その不穏な言葉に、レミだけでは無く、咲子までもが体を震わせる。
「……後衛を狙ってくるってことですか?」
問い返す咲子に、男は重く頷いた。
「そうだ。俺たちも一度目の挑戦でそれを食らった。こっちの防御陣を見抜いた上で、ヒーラーを真っ先に狙ってきた。あの時は……運良く逃げられたが、もう少し遅れていたら全滅してたよ」
女の方が少しだけ目を伏せる。
その表情はきっと、そのときの事を思い出しているのだろう。
「……あいつは、私たちを見てくるわ」
ぽつりと呟かれたその言葉が、門の前の空気をさらに重くする。
『私たちを見てくる』。それはただ戦うだけではない。観察し、分析し、こちらの弱点を突いてくるということだ。
「……わかりました。忠告、ありがとうございます」
俺は礼を言い、頭を下げる。
彼らの目をまっすぐに見返しながら、自分の中の恐怖を押し込めるように。
その姿を見ていた雫が、小さく笑った。
「……やっぱり、リーダーに向いてるわね。あなたは」
「……どういう意味だよ、それ」
肩をすくめて返すと、雫はくすっと笑いながら、門の方を見た。
「私は……行くわよ。どんな相手でもね」
言葉の裏にあるのは、戦える自分への渇望か、それとも恐れの否定か。彼女の瞳は、今もその答えを探しているようだった。
雫が一歩、門に近づけば、彼女に引っ張られ、俺たちも自然とその背に続く。
俺たちは、それぞれ武器を構え、心を整える。
いよいよ、だ。
「行こう。俺たちの力を試すときだ」
俺の声が、薄暗い部屋の空気を振るわせる。
雫が門に手をかけた。
~~~
重々しい音が響き、門は徐々に開いていく。
扉の向こうから湿った空気が流れ込み、酷く澱んだ空気は心の中にある不安を煽る。
そして、門が開ききると、部屋の奥には仁王立ちするホブゴブリンの姿が目に映った。
写真や動画では何度も見たことはある。だが、こうして目の前に立つその巨体は、写真や動画で見る姿とは、まるで別物のように感じられる。
「(ゴクリ)」
緊張した面持ちで門をくぐり部屋の中に入れば、暗く湿った空間に異様に音が反響する。
部屋の壁には松明が立てかけられており、今までとは違う不気味な雰囲気が全身を襲った。
「……」
そして、何よりも存在感を放つホブゴブリンが未だに動かない事が不気味でならない。
徐々に間合いを詰めていく俺たちを見据えるだけで微動だにしないのは、どこかおかしい。
「……」
心臓の鼓動が高鳴り、耳の奥で鼓動音がうるさい。
周囲の音が遠のき、耳鳴りのような沈黙が支配する。
その瞬間だった。
「ッ!」
次の瞬間、地響きが鳴り響くほどの力強い一歩を踏み出し、俺たちに向かって一直線に駆け出してきた。
「っ! 俊介!」
「おうよ! 任せろ!」
名前を呼べば、俊介が素早く前に出て、防護盾を構える。
盾を構えながら飛び出して来た俊介に向かって、ホブゴブリンは手に持つ棍棒を叩きつけた。
瞬間、とてつもない衝撃音が響き、防護盾は無惨にも砕け散る。さらにその衝撃は俊介の腕にも伝わり、容易に骨を砕いた。
「ぐぅ、ああ!」
「グゴォ!」
俊介の悲鳴と、ホブゴブリンの雄たけびが部屋に響き渡る。
俊介は痛みで完全に硬直し、その隙にホブゴブリンは棍棒を振り上げた。
「(まずい!)」
頭の中が焦りでいっぱいになる。だが、体は思うように動かない。
今から動いても間に合わない……そう直感してしまった俺は、目をつぶり、親友が棍棒に押しつぶされる瞬間を想像してしまった。
だが……。
そんな俺とは違い、雫は即座に動いていた。
雫の刀が閃き、神速の抜刀術がホブゴブリンの振り上げた腕を切り飛ばす。
「グォオ!」
切断された腕から吹き出る血に悲鳴を上げるホブゴブリン。その隙に、雫が俊介を抱え、後方へと下がる。
「俊介……大丈夫?」
「あ、ああ。問題ないぜ」
そう言う俊介だが、左腕から骨が飛び出しており、その痛みに顔を歪めている。
「……レミ、回復を」
「OK、任せて!」
レミは〈癒術師〉として、俊介の治療を始める。
だが、その間にホブゴブリンは体勢を立て直していた。
俊介とレミは動けない。咲子は魔法を準備している途中だ。
ここは、俺と雫で耐えるしかない。
「雫!」
「ええ、わかっているわ!」
震える体を奮い立たせ、俺はホブゴブリンに向かって駆け出す。
ホブゴブリンは左手で棍棒を拾い、雫に向かって振り下ろした。
だが、完全に間合いを見切っていた雫は、棍棒が鼻先をかすめる寸前で動きを止め、華麗にかわす。
その瞬間を狙い、俺はホブゴブリンの背中に刀を振り下ろした。
不意を突かれたホブゴブリンは避けることができず、背中に深い傷を負う。
「グゥゴォ!」
苦痛にのたうち回るホブゴブリン。だが、すぐにその目が鋭さを取り戻し、俺を捉えた。
「っ!」
その目の威圧感に恐怖を感じ、俺の足は止まってしまう。
もしあの棍棒を食らえば、自分がミンチになる未来が容易に想像できた。
「準備できたわ! 2人とも退いて!」
だが、遠くから聞こえてきた咲子の声に我に返った俺は、反射的にその場を飛びのく。
次の瞬間、咲子の放った巨大な火球がホブゴブリンに直撃した。
俺ですら熱を感じるほどの火球だ。直撃したホブゴブリンは、暴れ狂いながらもやがて動きを止め、倒れ伏した。
焼け焦げたホブゴブリンの死体からは、異臭が立ちこめている。
「……倒せたのか?」
俺がそう呟いた瞬間、どこからともなく天の声が聞こえてきた。
≪確認しました。一定量の魔素の吸収を確認しました。レベルアップを実行します。……確認しました。レベルアップしました≫
≪確認しました。初めての3階層ダンジョンボス討伐を達成しました。スキル〈身体強化〉を取得しました≫
≪確認しました。ダンジョンボス討伐により下級宝箱を出現させます≫
≪確認しました。ダンジョンボスクリアにより、地上への帰還門を開放します≫
「……ふぅ」
どうやら倒せたみたいだ。
安堵する傍ら、俺は俊介の事を思い出した。
「……!俊介は大丈夫か!?」
俺は俊介の事を思い出し、直ぐに俊介の元へと駆け寄った。
「大丈夫か俊介?」
「ああ、レミの治癒が効いてる」
「こら!俊介黙って。この傷かなり深いから時間が掛かるんだよ」
俊介はこう言うが、かなり重症なようで顔には脂汗が浮いている。
「無理するな俊介。もう今日は戦闘は無いから」
「…ああ、……すまないな」
「謝る事は無い。俊介が一撃を止めてくれたおかげで、俺たちは勝てたんだから」
そう言う俺だったが、内心では悔しい気持ちでいっぱいだった。
俊介が危ない時、俺は動けなかった。
完全に委縮して動けなかったのだ。
だけど、雫は動いた。動けていた。
自分の情けなさに自分を殺したくなる気持ちでいっぱいだったが、パーティーリーダーとして、そんな感情を表に出す事はしない。
それから数分間、レミの治療をただ見つめる。
レミの癒しの魔法が静かに俊介の傷を包み込んでいくと、徐々に骨が元の位置に戻っていき、傷口が閉じていく。
そして、俊介の傷が完全に治りきったのと同時に、部屋に漂っていた緊迫した空気がほんの少し和らいだ。
俊介の傷が治り切り、安心した俺は、もう一度ホブゴブリンの死体を見やる。
あの巨体。あのモンスターが動かなくなった今でも、その存在感は重く、視線を逸らしづらかった。
ふと、あの時の自分の動けなかった瞬間が、再び頭をよぎる。
雫がいなければ……いや、咲子やレミがいなければ、俺は今ここに立っていなかった。
悔しさを胸の奥に押し込めるように、俺は深く息を吐いた。
「……初めて倒せたし、新しいスキルも手に入った。少し落ち着いたら、ステータスを確認してみようか」
俺はそう呟きながら、メニュー画面を開いた。
ーーー
種族:人
名前:天光光輝
職業:剣術士(0/20)
レベル:18
スキル:〈二連撃(8/10)〉〈剣閃(10/10)〉〈剣の構え・剛〉〈剣の構え・迅〉〈身体強化(0/10)〉
ポイント:0
パーティー(5/6):俺らダンジョン冒険隊
フレンド:〈柳生雫〉〈藥井俊介〉〈鳴瀬怜美〉〈目野咲子〉
ーーー
他4人のステータスを確認してみるとこんな感じだった。
ーーー
種族:人
名前:柳生雫
職業:剣聖候補(0/50)
レベル:18
スキル:〈剣閃無双(0/10)〉〈空斬歩(0/10)〉〈剣舞(0/10)〉〈剣聖の加護(0/10)〉〈剣聖の刃〉〈剣の魂〉〈斬撃の極意〉〈剣の系譜〉〈身体強化(0/10)〉
ポイント:18
ーーー
ーーー
種族:人
名前:藥井俊介
職業:騎士(0/10)
レベル:18
スキル:〈挑発〉〈防御力上昇(8/10)〉〈鉄壁の盾(0/10)〉〈忠誠の守り〉〈身体強化(0/10)〉
ポイント:0
ーーー
ーーー
種族:人
名前:鳴瀬怜美
職業:癒術師(0/20)
レベル:18
スキル:〈治癒(10/10)〉〈リジェネヒール〉〈状態異常回復(0/10)〉〈魔素回復上昇〉〈身体強化(0/10)〉
ポイント:8
ーーー
ーーー
種族:人
名前:目野咲子
職業:魔法使い(8/10)
レベル:18
スキル:〈火魔法(10/10)〉〈魔素回復上昇〉〈身体強化(0/10)〉
ポイント:0
ーーー
こんな感じだ。
見た感じ雫が飛びぬけてスキルが多い。
それに劣等感を感じないと言えば嘘になるが、友達を妬んでもしょうがない。
俺たちは帰る前にポイントを振り、それぞれがそれぞれのレベルを上げた。
ポイントを振り終えた俺たちは、宝箱に目を向ける。
「……俺たちの初めての宝箱だな。…それで……誰が開ける?」
俺は宝箱を見ながらもみんなに問いかけた。
「…それは、パーティーリーダーである光輝で良いと思うわ」
雫がそう言ってくれる。
まあ、確かにパーティーリーダーとして俺が開けるか。
「分かった。じゃあ開けるよ」
俺は緊張しながらも下級宝箱を開けた。
その中には……。
「……指輪?」
宝箱の中には指輪がちんまりと置いてあった。
別に期待していた訳では無いが、宝箱のサイズに比べてあまりに小さく感じる。
「……そう言えば、誰も鑑定持っていないんだよな。……ダンジョン教会まで持っていくまで分からない……か」
俺がそう言った瞬間、俺も含め5人全員が微妙な雰囲気になった。
なぜならば、ダンジョン教会には毎日の様に行列が並び、待ち時間が1時間を切る事は無い。
真夏の中、そんな所に並びたいと思う人間は居ないが、今日は初めての3階層突破と言う事もあり、この後行く事にした。
「それじゃあ、帰るか」
俺たちは帰還門に乗り、地上に帰った。




