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第三十六話 商談




 熱海の旅館で1泊2日を楽しんでから2週間が経った。


 あれから、ダンジョンの探索や、聖女としての配信を行い、平穏とは言えないものの、いつも通りの日常を過ごしている。


 ダンジョンが解放されて3週間ほどが経過し、政府の公式発表によると、この間に試験を受けた人の数は1週間で5万人、2週間で8万人を突破したらしい。


 さらに、ダンジョン探索に必要な武器を販売する店舗も次々と開店し、新宿にはすでに10店舗以上の武器屋がある。


 俺としては、ナイフより金属バットの方が扱いやすいと思うのだが、どの店を見ても売れ筋は圧倒的にナイフのようだ。


 ナイフとは存外扱いが難しい。力任せに振るっても切り裂くのは難しく、初心者のうちは、突きぐらいしかまともに行えない。


 もちろんだが、ナイフ以上に刀や刃渡りが長い刀剣類は、それ以上に難しい事は言うまでもない。

 それこそ、刀を買うヤツは、知能が乏しく、サル程度の思考力しかなく、無駄に金を持っているヤツだけだ。


 そんな難しい刃物類よりも、刃筋を気にする必要のない鈍器の方が、圧倒的に初心者向けだろう。

 もっとも、戦うのは俺ではないし、他人がどんな武器を選ぼうと関係ないのだが。


 俺は、刀をキラキラとした目線で見ている少年らに哀れな目を向けながら店を出る。


 店を出れば、すぐさま熱い熱気が肌を焦がし、皮膚に存在する水分を蒸発させていく。

 ただでさえ、人が多くて暑苦しいというのに……本当にやめていただきたい。


 内心で愚痴を吐くが、それで暑さが変わる訳では無い。だから、一刻も早く退避するために、次の目的地である武器屋に駆け足で向かう。


「いらっしゃいませ」


 店員の明るい声と共に、クーラーの効いた店内がお出迎えしてくれる。


 何と素晴らしきかな文明は!

 人類の発展で地球温暖化になったが、また人類が生み出した文明で快適さを得る。まさに、背徳的快楽といえるだろう。


 内心で考えている事を表には出さず、俺は店内を見て回る。


 棚やショーケースには、様々な武器が飾ってあり、まるで中世の世界観をこのまま現代に持ってきた様な異質さがある。


 もちろん男の子としては、ワクワクせざる負えない光景である事は、言わずもがな分かるだろう。

 それは、俺も、店内にいる男の子も変わらない。


 何ともソワソワした男どもの雰囲気が充満しているのだが、それをしらけた目で見ているのが女性陣だ。

 彼女らはこの素晴らしさが分からないのか、それとも生体自体が根本的に違うのかは分からないが、男性陣に冷たい目線を送っている。


 しかし、そんな目線も気にせずに武器に夢中になっている男たちに、心底同意しながらも、俺も自身の目的の為に武器へ目線を落とした。

 

 俺は店内を見回りながらも、棚に並んでいる武器を片っ端から〈鑑定〉してみる。


「……ダメ…か」


 だが、期待していたようなダンジョン産の武器はどれも置いていない。


 ダンジョンが解放されてから3週間が過ぎ、そろそろダンジョン産アイテムが市場に流れ始めていると思っていた。

 だけども、予想とは反してダンジョン産アイテムはどこにも売られていなかった。


 店舗まで武器が降りてきていないのか、それとも、ダンジョン武器自体の流通が少ないのかは分からないが、6店舗回った中にダンジョン産アイテムは無かった。


「はぁ……」


 少しがっかりとしながらも、俺は店を後にした。


 

~~~



 店を出てスマホで時間を確認する。時刻は、午後2時になる数分前だ。


 そろそろ待ち合わせの時間と言うこともあり、俺は……新宿駅のバリアフリートイレへと足を向けた。


 バリアフリートイレに入ると共に、乱雑にカバンを置く。

 時間も無いので、素早くチャックを開けると、中から黒いジャージを取り出して着替える。髪の毛には、ネットを被せ、その上からウィッグを被り、櫛で自然に見えるように整えた。


 脱いだ服を適当にカバンの中に押し込むと、俺は〈黒幕〉を発動させる。


 鏡越しに自分の姿が変わっていくのが見える。

 どんなに変装しようとも、女装でしか無かった俺の姿が、女のシルエットへと変わっていく。


 そして、〈黒幕〉によって完全に変わった俺の姿が鏡に映し出された。

 その姿とは、黒髪ロングのジャージ姿の女……スイキョウの姿だ


 幻影ではなく、実体のある体。胸もちゃんとついている。その代わりに、男の象徴たる『息子』は完全に消滅した。

 少し物寂しい気がしなくもないが、この変化にも慣れてきた。


 ちなみに〈黒幕〉は全身を変えるだけでなく、一部分の変化も可能だ。ふたなりだとか、そういう漫画的なことも……いや、やらないけどな。


 変身が完了したことを確認すると、俺はカバンを持ち、バリアフリートイレを出た。

 新宿の街中で黒ジャージ姿は少し目立つらしく、人々の視線を感じるが、それをすべて無視して目的地へと向かう。


 新宿駅から南へ歩き、一つのビルに入る。借りている部屋の前に着くと、スーツ姿で眼鏡をかけた男が立っていた。


「お疲れ様です」

「お疲れ様です」


 軽く挨拶を交わし合う。


 社会人としての社交的なご挨拶をしたいのだが、こんな熱い中でやることもない。


 俺は鍵を差し込み扉を開けると、部屋に入った。


 リフォームを頼んでいた部屋は注文通りに仕上がっており、ゴミ一つない状態で整えられている。

 もちろんだが、業務用のクーラーもついており、点けてまもないのに涼しい風を送ってきていた。


 そんな涼しくなった室内で、俺とスーツの男は向かい合って座り、社交辞令的挨拶を交わす。


「本日はよろしくお願いします」

「よろしくお願いします」


 男は名刺を差し出してくる。そこには『橋本 太郎』と書かれていた。


「……橋本さんですね。今日はよろしくお願いします」

「はい、……えっと、貴方は何と呼べば……」

「ああ、すみません。今名刺などは無い物で。私の名前はスイキョウと申します。以後、そのように呼んでください」


 スイキョウ。これは俺が女の時の名前だ。

 水橋をただ音読みしているだけの名前だが、身バレ防止ならばこの程度で十分だろう。


「では、早速ですが商談と参りましょうか」


 そう言って前談も無くビジネスの話は始まった。


「では、今回の工事の話からしましょうか。……前回の話で概算の予算は出しましたが、全ての施工が終わった事で、明確な金額の算出ができました」


 そう言いながら電卓を差し出してくる。そこには4700万を少し超える金額が書いてあった。


 本当ならば、工事の前に金額のやり取りはするのだが、時間第一に考えた俺は、金額の事は後ででもいいので、工事を頼んでいたのだ。


 早めの工事と言う事もあり、金額は割増だが、今は金よりも時間の方が大事だ。必要な出費と言う事で、痛い金額を支払う事もやぶさかではない。


「金額は分かりました。この値段でいいでしょう」


 俺は相手の提示する言い値を素直に了承した。

 値段交渉も可能ではあっただろう。けれども、値段交渉がめんどくさい事を知っている俺は、素直に了承したのだ。


「では、こちらの書類に印鑑を」


 俺は、しっかりと書類の内容に目を通した後に印鑑を押していく。

 複数枚の書類に印鑑を押し終わると、橋本は大事にカバンの中へと閉まった。


 これで、この部屋の工事費の話は終わった。時間にして30分も掛かっていないが、これからが時間のかかる商談になる。


「では、次の話ですね。電話で内容を伺っていますが、再度の確認を。スイキョウ様はOOTEMORLのテナントの契約とおっしゃっていますが、お間違いないでしょうか?」

「はい、間違いありません」


 OOTEMORLとは、東京駅の近くに在るオフィス兼商業施設だ。地下が商業施設として利用されているのだが、そこの一角が最近開いたのだ。

 前々から東京駅近くのビルを探していた俺からしてみれば、棚から牡丹餅で、すぐに契約したいと持ち掛けていたのだ。


「スイキョウ様にはすみませんが、そのテナントは他の会社さんからも入りたいと言ってまして……」

「……それは、私とは契約できない。と、そうおっしゃっているのですか?」

「い、いえ。そう言う訳ではありません」


 橋本は汗を拭きながらもそう答えた。


 どうやら、競合相手はかなりの大手らしい。こういったコネがある相手は厄介だ。金額を積んでも、コネの方にひっくり返る場合がある。


「……失礼ですが、その競合相手とはどちらさんですか?」

「……それは、コンプライアンスで……言えません」

「そうですか」


 っち、この反応はめんどくさい。多分だが5大商社のどれかだろう。そうでなくとも、かなりの規模を誇る会社である事には違いない。


「まあ、いいでしょう。では、そのテナントの一角ですが、どの程度の金額がするのですか?」

「……それは、もう一つの商社さんと相談しなくては……」


 ……はぁ、ボロが出過ぎだ。なんだよ『もう一つの商社さんと相談しなくては……』って。普通ならば、そのフロアの平均的な貸し額を言うだろう。

 これは不動産会社が、もう方針として決めたな。やはり、こういった事にはコネが無いとだめだな。


「……はぁ。もういいです。今日はこのフロアの契約が締結した事で満足することにします」

「………ありがとうございます」


 こういった事で、やはり、まだまだ俺たちは小さい事を思い知らされる。


 橋本は気まずいのか、すぐに片付けると、そそくさとこのフロアから去っていった。

 一応大人の対応として、下に降りるまでは見送ったが、さっき貰った名刺はビリビリに引き裂いて捨てた。


 こういった一度不義理で不公平な事をしてきた相手とは、絶対に取引をしてはならない。


 もしもそれが会社の存続に必要とか、そう言った事ならば話は変わるが、この世界に不動産屋なんて、いくらでもある。

 一度不義理を働いた相手と取引をすると、足元を見られかねない。そうなったら、損を被るのはコチラになってしまう。


「……思ったよりも早く終わったな」


 俺は気分を悪くしながらも、もうその事は忘れることにして、帰ることにした。



~~~



 ビルを出ると、新宿の雑踏が広がっていた。人の多さに少しうんざりしつつも、この活気と、ダンジョンが解放されたことによる異質な空気感は新鮮で楽しい。


 すれ違う人々の中には、これからダンジョンに向かうのだろうと一目で分かるような装備をした人もちらほら見かける。


 新宿のダンジョン……トー横ダンジョンは、今や冒険者たちのたまり場になっているようだ。

 遠くから眺めているだけでも、臨時パーティーを募集する人々や、仲間たちと和気あいあいと準備をする者たちが目に入る。その様子は、まるでファンタジー中世の酒場そのものだ。


 俺は今の環境や生活に満足しているけれど、こういう雰囲気の場所で友達と騒ぐのも、きっと楽しいんだろうなと、少しだけ昔を思い出した。


「そういえば、クラブで知り合ったあいつ、元気にやってるかな?」


 ふと思い出した顔が頭に浮かぶ。


 久しぶりに連絡を取ろうにも、以前使っていたスマホは証拠品として押収されたままだし、連絡先もすべて 失ってしまった。それに、今の俺の生活には、友人と会う時間すらないのも事実だ。


 賑やかな人々を横目に見ていると、少しだけ寂しい気持ちになる。もう少しバカなことができる友達がいれ ばいいと思わないわけでもないが、現状がそれを許してくれないのが現実だ。


「……戻るか」


 トー横ダンジョンを離れ、足を向けたのは隣接する歌舞伎町。

 徒歩1分ほどしか離れていないのに、その雰囲気はガラリと変わる。


 さっきまでは中世の酒場のような冒険者たちの集いだったのに、ここはまさに『不夜城の昼間』といった趣だ。


 昼間の歌舞伎町は人通りも少なく、目につくのはうんざりするほど貼り出されたイケメンホストたちのポスターばかり。


 ホストやホステスにまったく興味のない俺にとって、この街を歩いていて面白いと感じることはほとんどない。

 それでも、こういった場所を歩くこと自体が、普段の生活では味わえない感覚を得られるので、これはこれで悪くない気がする。


 そんな風にのんびり歩いていると、少し先に人だかりができているのが見えた。

 何もない昼間の時間帯に、なぜこれほどの人が集まっているのか。気になった俺は、その人だかりに近づいていった。


 人々の隙間から覗いてみると、耳をつんざくような金切り声が聞こえてくる。


「ねえ!昨日、他の女と寝たでしょ!」

「だから寝てねえって言ってんだろ!」

「嘘よ!だって昨日連絡したときも既読すらつかなかったじゃない!」


 そこには、ホストらしき男と、地雷メイクにゴスロリ服という100点満点の地雷女が、激しい言い争いをしている光景があった。


 他人の痴話喧嘩など興味の欠片もないが、見世物としてはこれ以上ないほどに面白い。

 もしもこれが大道芸として行われているのなら、1万円くらいは投げ銭してもいいと思えるほどだ。


「じゃあ証拠を見せてやるよ!ほら、これが昨日の夜、マネージャーとやり取りした記録だ!これで文句ないだろ!」

「そんなの証拠にならないわ!もしマネージャーとやり取りしてたなら、私の連絡にも既読がついてなきゃおかしいじゃない!」


 おっと、これはなかなか見応えのある展開だ。

 男が逆ギレするか、それとも巧妙に逃げ切るか……どちらに転ぶか見ものだな。


「っち!だからしつこいんだよ!俺は寝てねえって言ってるだろ!もうそれでいいだろ!」


 結局、男は逆ギレを選んだようだ。


 正直、このホストが昨日寝たのかどうかなんて俺には分からないが、ホストをしている以上、他の女と寝ている可能性は限りなく高いだろう。


「もういい!お前は明日から来なくていい!」

「……え?……」

「じゃあな」

「ま、待って!私が悪かったから!ねえ、待ってよ!」


 捨てられると思った地雷女は、ホストの腰にしがみついて引き留めようとした。


 だが、男の方が力が強いのは当然で、彼女はそのままズルズルと引きずられていく。

 最終的には、足にしがみつく形になった彼女は、懇願するような顔で泣きながら言った。


「ご、ごめんなさい。私が悪かった。だから、ねえ、私を捨てないでよ」

「……それでいいんだよ。今日はラスソン、俺にしてくれたら許してやる」

「……うん」


 うわ、エグい。

 ホストが言う『ラスソン』とは、ラストソングの略。その日に売り上げトップを記録した者が一曲歌う権利を得るというホストクラブのイベントだ。

 それを達成するには、最低でも数百万、場合によっては数千万の金が必要になる。


 もちろん、彼女にそんな金があるわけもなく、最終的にはツケ払いに。

 そのツケを売春で返す……そんな最悪な未来が容易に想像できる。


 俺も宗教詐欺で人の心を操ったことがあるが、売春まで強要するような外道な真似はさすがにしなかった。


 トー横事件でこういった悪事への規制は厳しくなったとはいえ、まだまだ世の中にはこういうことが蔓延しているのが現実だ。


 だが、女がどうなろうとホストがどうなろうと、俺には関係のない話だ。

 俺は見世物としては一級品の『痴話喧嘩ショー』に満足し、その場を後にした。


 


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