第三十二話 ソロボス討伐
ダンジョンから帰った後のことを考えて鬱状態になっている俺とは違い、玲奈は次の予定について聞いてきた。
「正吾さん。これからどうしますか?」
玲奈が言う『予定』とは、ダンジョン6階層に進むか、それとも帰還するかを指しているのだろう。さて、どうするべきか。
俺としては、5階層のボスモンスターをソロ討伐した報酬が気になっている。
それに、6階層を見てから帰るというのも悪くない。ただ、玲奈が嫌だと言えば帰るしかない。
「そうだな……俺的には、ボスモンスターのソロ討伐報酬が気になるんだ。ほら、3階層の時もあっただろ?」
「ええ、ありましたね」
「それに、6階層の様子だけでも確認するのはアリだと思う。ただ、玲奈が嫌なら、引き返すのもアリだ」
「それって、結局私に決めさせるってことじゃないですか?」
そうとも言う。
でも言い訳をさせてほしい。俺がパーティーリーダーであるのは事実だが、2人だけのパーティーなんだから、どちらが決めても変わらないだろう。
それに、正直言えば、俺が決めるのが面倒くさいというのもある。
「まあ、そうですね。一度帰るというのも悪くないですが、その前に5階層のボスをソロで倒してみましょうか。それができないようでは、6階層は無謀でしょうから」
「確かにな。じゃあ、それで行こう。……でさ、さっきから言おうと思ってたんだけど、玲奈、顔半分が返り血で真っ赤になってるけど、それ、いつ拭くつもりなんだ?」
「……? え……っ!」
ジェネラルゴブリンを倒してから45分ほど経過している。あれから俺も特に気にしていなかったが、いつになったら返り血を拭くのか疑問に思っていた。
玲奈自身も完全に忘れていたのか、俺に指摘されると恥ずかしそうに後ろを向き、ポケットから取り出したハンカチで顔を拭き始めた。水筒の水でハンカチを濡らし、必死に顔を擦る。
その様子が面白く、つい見守ってしまったが、鏡が無いせいか、時折『正吾さん!もう血は取れてますか?』と尋ねてくるのが、それが何とも可愛らしい。
「あーもう、見てられない。貸してみろよ」
俺は面倒くさくなり、玲奈からハンカチを受け取ると、自分で拭いてやった。その時、何故か心臓がドキドキと高鳴ったのは、もちろん秘密だ。
「ほい、これで終わりだ」
「……ありがとうございます。でも、正吾さん、なんで直ぐに教えてくれなかったんですか?」
玲奈は顔を伏せながらそう聞いてきた。その声は平坦だったが、妙に怖い。
「い、いや、ほら、俺はトイレ行ってたし……」
「その前にも教える機会はありましたよね?」
言えない。玲奈の顔があまりに魅力的で、どぎまぎしてしまい言い出せなかった、とは。
「……ファッションかと思ったんだが……それでもダメか?」
「ダメですね。これは帰ったら『話し合い』が必要です」
「…………ひゃい」
その『話し合い』が物理的かつ精神的に厳しいものであることを悟った俺は、しぼんだ背中で5階層のソロ討伐の準備を始めた。
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最初にソロ討伐をするのは俺だ。パーティーを解散したことを確認し、門を開く。どちらが先でも良いので、順番はじゃんけんで決めた。
「……さて。さっきは2人だったけど、俺1人で倒せるか?」
先ほどは玲奈がとどめを刺した。しかし、今回は1人でやらなければならない。
正直、倒せるか不安だが、何事も挑戦だ。
一歩踏み出してボス部屋に入ると、ジェネラルゴブリンが俺を見つめる。
3メートルの巨体に赤い瞳が恐怖心を煽ってくるが、一つ息を呑むとボス部屋へ一歩踏み出した。
数十メートルの距離が離れて始まった戦い。どちらから動くこともなく、相手の様子を伺い合う。
「「……」」
しかし、どちらかが仕掛けなければ、勝負はつかない。故に、俺が最初に動いた。
最初に牽制として〈神通力〉を使い、ジェネラルゴブリンの動きを封じようとする。
上から重力を思いっきりかけるイメージで放った〈神通力〉は、見事ジェネラルゴブリンの動きを止め……そのままジェネラルゴブリンをぺちゃんこに潰した。
「…………へぇ?」
≪確認しました。一定量の魔素の吸収を確認しました。レベルアップを実行します。……確認しました。レベルアップしました≫
≪確認しました。世界初の5階層ソロダンジョンボス討伐を達成しました。スキル〈瞑想〉を取得しました≫
≪確認しました。ダンジョンボス討伐により中級宝箱を出現させます≫
≪確認しました。初めての5階層ソロダンジョンボス討伐により特級宝箱を出現させます≫
鳴り響いた通知音を聞いて正気を取り戻す。
「……マジかよ。まさか〈神通力〉がこんなに強いとは……」
「……正吾さん」
後ろから、何とも言えない感情が込もった声が聞こえた。
振り返ると、玲奈が呆れた表情で立っている。明らかに『なんでさっき使わなかったの?』という感情がジト目から伝わってくる。
「ち、違うんだ玲奈。俺も〈神通力〉にこんな威力があるなんて知らなかったんだ」
「はぁ、まあそう言うのであれば、本当にそうなのでしょう。それよりも、その豪華な宝箱を開けてみてはどうですか?」
……忘れていた。
確か通知では特級宝箱だったっけ?これまでに出現した宝箱で一番レア度が高かったのは上級宝箱だ。
そうなると、特級はその一個上か。
「そうだな。じゃあ開けてみるよ」
まずは中級宝箱から開けた。期待とともにゆっくりと蓋を持ち上げると、そこには柔らかな質感の羽衣が入っていた。
ーーー
〈風の羽衣(中級)〉
・着用者の周囲に風を発生させ、動きを軽快にさせる。
ーーー
ふむ。何とも言えない程、微妙なスキルだ。
使えない訳じゃないのだが、俺が羽衣を纏うと変な感じになる。
「……玲奈、この羽衣着るか?」
「冗談言わないでください。絶対動きの邪魔になるじゃないですか」
まあ、そうなんだよな。
3メートルのマフラーを巻いて戦うのと同じことだもんな。
「……じゃあコイツは倉庫行きだ」
バックパックに〈風の羽衣〉を入れると、俺はワクワクした気持ちで特級宝箱を開けた。
ーーー
〈樹精霊の巻物(特級)〉
・神話時代に作られた伝説の巻物。
・巻物に魔素を流し込むと、精霊を呼び出す事が出来る。
ーーー
「……ん?これ、なんだ?」
巻物が出てきた瞬間、期待値が一気に急降下する。
アイテムとしての存在感はあるが、説明文があまりにもシンプルすぎて、どう使うのかさっぱり分からない。
「正吾さん、この巻物の効果は何ですか?」
「……なんか精霊を呼び出せるんだとよ」
「……?え?それだけですか?」
「ああ、それだけだ」
「ま、まあ、使ってみるまでは効果分かりませんから。使ってみたらどうです?」
「そうだな。じゃあ使ってみるか」
俺は巻物を手に取ると、指先から魔素を注ぎ込む。
巻物がゆっくりと輝き始め、ふわりと宙に浮かび上がる。そして、解かれるようにして一文字ずつその中身が現れたかと思うと、部屋全体が眩しい光に包まれた。
目を細め、光が収まるのを待つ。数秒後、視界が戻ったとき、そこに立っていたのは……。
緑の髪をなびかせ、木を模したドレスを纏った女性だった。
整った顔立ち、透明感のある肌、そしてどこか神秘的な雰囲気を纏ったその姿。まさに『ドライアド』という言葉がぴったりだ。
「……お主か。我を呼び出したのは?」
妖艶な声でそう問いかける彼女……いや、精霊は、周囲の空気を揺らし、足元に小さな草を芽吹かせた。
「おい、聞いているのか?お主が我を呼び出したのかと聞いておる!」
「あ、ああ、俺だ」
「ふむ、のろまな奴じゃの」
初対面から随分な物言いだ。
「まあよい。……ん?」
急に黙り込んだ精霊……彼女は目を細め、俺の顔をじっと見つめてきた。そして、突然俺の頬に手を伸ばし、顔を近づけ瞳を覗き込む。
「……これは……。お主、いや、そうか。だから我の巻物がここに現れたのか」
独り言のように呟きながら、彼女は一人で納得しているようだった。
「おい!勝手に納得してんじゃねーよ!」
俺は頬を掴まれていた手を払いのけて言った。
「……お、おう。すまんのぅ。じゃが、お主は面白い人間じゃ。なかなか『世界の種子』を持つ人間などおらぬ。面白い奴じゃ。だから、我からお主に加護を与えようぞ」
「加護?だと?」
「そうじゃ。この加護はお主を高みに導いてくれるハズじゃ」
「いや、具体的にどういう効果があるんだよ?」
ざっくりしすぎた説明に不満を感じながら尋ねるが、彼女はどこ吹く風で、俺の問いを無視した。
「我の名はアリシア。覚えておくがよい」
色々気になる所はあるが、名乗られたのなら名乗り返すのが大人の礼儀だ。
「アリシアか。俺の名は……」
「正吾じゃろう?さっきお主の記憶を覗いて知った」
「おい!勝手に覗くな!プライバシーどこ行ったんだよ!」
俺の抗議を気にも留めず、アリシアはクスクスと笑う。
「ふむふむ、正吾、なかなか面白い記憶を持っとるな。玲奈よ、お主も知りたいか?」
「ええ、ぜひとも!」
俺の抗議も虚しく、玲奈が食いついた瞬間、アリシアは記憶の暴露を始めようとする。
「正吾は――」
「黙れえええええ!」
慌てて〈神通力〉を発動し、アリシアの口を物理的に塞ぐ。
衝撃で吹き飛ばされたアリシアは壁に激突し、地面に崩れ落ちた。
「……正吾さん?」
「いや、悪い。本能が先走った」
その後、アリシアは時間切れのようにふわりと霧散し、消えていった。だが、ステータスを確認すると〈アリシアの加護〉というスキルが新たに追加されていた。
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アリシアの件は一度横に置いておいて、玲奈のソロボス討伐に戻る。
既にリポップが完了しており、本日3度目となるジェネラルゴブリンが、変わらず部屋の中央で仁王立ちしていた。
「じゃあ、気を付けろよ」
「ええ、大丈夫です」
玲奈なら問題なく討伐できる。そう確信している俺は、軽い気持ちで送り出した。
玲奈は上品に手を振りながらボス部屋に入ると、〈断罪の細剣〉を抜き、〈神の加護〉と〈神懸かり〉のバフを一気に重ね掛けした。
ジェネラルゴブリンは玲奈の姿を認識した途端、全身の筋肉を収縮させるように動かし、今にも突撃してきそうな体勢を取る。
しかし、ジェネラルゴブリンよりも早く、玲奈は動いた。
矢のように駆け出した玲奈は、まず〈神術魔法〉を発動させ、眩い光を放つ。
目をくらむような閃光は、一瞬にしてジェネラルゴブリンの網膜を焼く。
スタングレネードを魔法によって再現する作戦は、事前に聞いていた。
故に、俺は目をつぶって回避することが出来たが、ジェネラルゴブリンにとっては完全なる不意打ちだ。故に、フラッシュバンよりも明るい閃光に焼かれた目を抑えてもだえ苦しむ。
そんなジェネラルゴブリンに向かって、玲奈は一切の躊躇なく突進する。
俊敏な動きでゴブリンの懐に入り込むと、その太い右腕の腕関節を狙って一閃。次いでそのまま二太刀目で首元を狙う。
だが、ギリギリで視界を回復したジェネラルゴブリンは、首への一撃を手のひらで防いだ。
右手を切り飛ばす事には成功したが、まだまだジェネラルゴブリンは健在。もちろんだが、ジェネラルゴブリンの射程内にいる玲奈に向かって左拳が振るわれる。
しかし、玲奈は反撃が来ることは読んでいたようで、危なげなく躱すと距離を取った。
「流石に硬いですね」
玲奈は焦る様子も見せず、呟く。
ジェネラルゴブリンも致命傷には至っていない。軽症では無いが、重症でもない傷を無視し、玲奈に向かって構えを取る。
完全なカウンター体勢のジェネラルゴブリンに対し、玲奈も真っ向から戦う姿勢を見せた。
「「……」」
緊張の糸。
どちらが先に動くのか分からない状況に、俺は唾を飲み込んだ。
ポツン。
何かの音が反響した次の瞬間、どちらからともなく動き出した両者は、相手をただ見据えて駆ける。
まさに、正面衝突するかと思われた瞬間、自身の身体の影に隠してあった〈神術魔法〉を地面に向けて放つ。
本来、ジェネラルゴブリンの堅い皮膚に弾かれる程度の威力しかない魔法だ。
しかし、ジェネラルゴブリンが耐えられる威力でも、地面が同じとは限らない。
〈神術魔法〉によって抉られた地面。それに足元を取られたジェネラルゴブリンが体勢を崩す。
ジェネラルゴブリンは、何とか右手で体制を整えようとしたが、……忘れている。自身の右手が無い事を。
切断された右手では、自身の体重を支える事は出来ず、完全に体勢を崩してしまう。そして、それはジェネラルゴブリンにしてみれば、致命的すぎる隙だった。
完全に停止してしまったジェネラルゴブリンの喉元に、勢いの乗った玲奈の一撃が突き刺さる。
完璧に正中線の喉に突き刺さった〈断罪の細剣〉は、固い筋肉を貫き、頸椎を砕いた。
神経系がすべて壊されたことにより、ジェネラルゴブリンは体を動かすことなく倒れ込む。
しかし、脳と直接つながっている目だけは死んでおらず、玲奈の事を睨みつけていた。
だが、そこは玲奈。ジェネラルゴブリンの睨みに怯えるどころか、楽しそうな笑みを浮かべて目玉を刺す。
片目を潰されたジェネラルゴブリンが叫び声を上げようとするが、頸椎を壊されているために叫べない。
それがなお面白いのか、玲奈は、もう片方の目玉を貫くと同時に、〈断罪の細剣〉を脳へと届かせた。
まるでスープをかき混ぜるように、ジェネラルゴブリンの脳をかき混ぜている玲奈は、実に楽しそうだ。
「……玲奈、そこまでにしておけ」
もう宝箱が出現していて、ジェネラルゴブリンが死んでいる。だが、関わらず続けていた玲奈を、俺は止める。
流石に見ていて気分のいいものでもない。
「……すみません。ちょっと楽しくて」
玲奈は遅れて自覚したのか、軽く謝ってきた。
しかし、こんな事はよくあるので気にしていない。
「謝らなくていい。それよりもお疲れ様」
労いながらも玲奈の頭を撫でる。
だが、玲奈は嬉しそうにしながらも、どこか悔し気な表情を浮かべていた。
「はい。……ですが、悔しいですね。レベルが3倍以上もあるのに、楽勝とはいきませんでした」
玲奈は不満そうに〈断罪の細剣〉の刃先を確認しながらそう呟く。
まあ、それは仕方が無いだろう。
ジェネラルゴブリンは防御特化だったし、玲奈は万能とは言え、言い換えれば器用貧乏だ。
これは、玲奈を責めるのではなく、ジェネラルゴブリンを褒めるべきだろう。
「まあ、それは仕方ないだろ。ジェネラルゴブリンが防御特化だったってだけだ」
「……それも……いや、そうですね」
玲奈は軽く肩をすくめると、次の作業に取り掛かった。
「じゃあ、さっそく宝箱を開けてみましょうか」
「ああ、頼む」
玲奈は俺の時と同じく、中級宝箱から先に開けることにした。
ーーー
〈聖女の耳飾り(中級)〉
・一定範囲内の対象に対して、治癒の効果を上げる。
ーーー
「〈聖女の耳飾り〉か。悪くはないけど、可もなく不可もないって感じだな」
俺は鑑定結果をそう評しながら、玲奈の耳にそっと付けた。
玲奈は〈聖女の耳飾り〉にそっと手を当てて装着具合を確認する。
「……問題ないですね」
「そうか、それならよかったな」
玲奈は特に拒む様子もなく、気に入ったようだ。
「さて、いよいよ特級宝箱ですね……!」
玲奈は目を輝かせながら、特級宝箱の鍵を外し、ゆっくりと開けた。
ーーー
〈月狼のオーブ〉
・月狼の魂の欠片。
ーーー
なんだこれ?また説明文だけでは分からない物だな。
「〈月狼のオーブ〉だとさ。説明文を見る限り、用途はよく分からないな。とりあえず使ってみるしかないか」
「そうですね。でも使い方は書いてあるんですか?」
「……いや、特に書いてないな」
「……なんですかそれ。どうやって使えって言うんです?」
「〈樹精霊の巻物〉と同じで、魔素を注ぎ込めばいいんじゃないか?」
「……試してみますね」
玲奈が〈月狼のオーブ〉に魔素を注いだ瞬間、どす黒い煙が立ち込めた。
その黒煙はまるで夜の闇そのものを凝縮したようで、ただの暗さとは異なり、美しさすら感じさせるものだった。
その美しさに目を奪われていたせいか、俺は隣にいた玲奈の姿が消えていることに遅まきながら気が付く。
「……っ!玲奈!」
慌てて声を発したが、黒い霧が音を吸収しているのか、声が響かない。
不安がじわじわと胸を締め付ける中、次の瞬間、後ろから肩に手を置かれた感触があった。
「正吾さん、大丈夫です。私はここにいますから」
「……あ、ああ。……よかった。いきなり消えたからパニックになった」
玲奈が無事であることに安堵したが、すぐに一つの疑問が頭をよぎった。
「……玲奈、〈月狼のオーブ〉はどうなったんだ?」
先ほどまで彼女が手にしていたはずの〈月狼のオーブ〉が、どこにも見当たらない。
「それなんですが……。何というか、あの黒い霧が私に吸収されていったみたいなんです」
玲奈は少し困惑した表情を浮かべながら胸元に手を当てた。
「吸収……?お前、大丈夫なのか?何か変な感じがしたりしないか?」
「いえ、特に違和感はありません。むしろ、少し体が軽くなったような気がします……でも、一体何だったのでしょう?」
そう言われて、俺は周囲を見回した。確かに、あれだけ立ち込めていた黒い霧は完全に消えている。
「……よく分からんが、お前に害がないならそれでいい。何かあればすぐに言えよ」
「はい、分かりました」
とりあえずは大丈夫なようだ。心配な気持ちはあるが、玲奈が大丈夫と言うのであれば、大丈夫なのであろう。
胸をホっとなでおろした俺は、ジェネラルゴブリンや、不可解な事が立て続けに起きた疲労感から、少し休憩することにした。




