第二十六話 ダンジョン教会設立
政府からダンジョン開放が発表されてから、2週間が経った。
あれ以降追加の発表はなかったが、今朝のニュース番組で、政府から正式にダンジョン開放の日時と『ダンジョン武装探索許可書』の試験開始日が発表された。
開放日は8月12日の日曜日。今日は8月5日で、ちょうど1週間後だ。
ダンジョン武装探索許可書の年齢制限は満18歳以上。未成年を規制している。
俺としても、この年齢制限は妥当だと思う。車の運転ですら18歳からなのに、それ以上に危険なダンジョンを未成年に許可するわけがない。
SNSではこの年齢制限に不満を持つ声も多いが、大半は18歳未満の者たちが文句を言っているに過ぎない。
対して大人たちはこの年齢制限を支持する意見が多く、テレビでも『妥当』との見解が示されていた。
ちなみに、玲奈はまだ17歳の未成年だが、政府から『聖女』として特例許可を受けている。
そして今日、俺は聖女の衣装をまとった玲奈を連れて街を歩いていた。
なぜ玲奈をこの格好にさせているのかというと、世間への宣伝活動の一環と、ダンジョン教会の本部として使用する建物を借りるためだ。
以前から涼太の協力を得て、ダンジョン教会の本部となる物件を水面下で探していたが、ついに見つけたのだ。それが、新宿駅と西武新宿駅の間にあるビルの一室。ここを本部として借りることにした。
さらに数日前、申請していた宗教法人の審査が通り、正式に宗教法人として法的に認められた。
このことでSNS上でも宗教法人設立を発表し、同時に資金集めを開始。税金の免除を活用して集まった4000万円で、このビルの一室を借りたのだ。
俺たちは契約を済ませ、内見のために借りた部屋に来た。
広いが何もない、すっからかんの空間がそこには広がっている。
借りたばかりなので仕方がないが、このままでは『ダンジョン教会本部』としての威厳も何もない。
将来的には本部として使用する予定なので、それなりの内装が必要だ。
俺はすでにその準備を進めており、内装業者に連絡を取って工事を依頼済みだ。明日から工事が始まる予定である。
「では、私はこれで失礼します。何か問題がありましたらご連絡を」
そう言って立ち去ったのは、不動産の担当職員だ。
俺たちは軽く礼を言い、2人きりになった。
「「…」」
2人だけになると、しばし無言の時間が流れる。
そんな静寂な中、聖女の衣装を着た玲奈が肩を震わせ、笑い出した。
「…フフ」
「なんだよ、玲奈」
小さく笑う玲奈に俺はジト目を向け、問いかけた。しかし玲奈はそれに反応せず、俺の姿を見て笑い続けている。
玲奈が笑う理由は明白だった。そう、それは俺の格好が原因だ。
黒い長髪のウィッグに、黒ジャージを着た女の姿。決して各部は大きくはないが、女性らしいシルエットがある。そう、俺は女の姿に変装していたのだ。
この格好をしている理由は、聖女の付き人として、目立たず行動するためだ。
髪はウィッグ、服は地味なジャージ。そして顔と体はスキル〈夢幻泡影〉で変えている。ただし、残念なことに声だけは変えられない。
ボイスチェンジャーの性能は低いものばかりで、現状では声を変えることは諦めざるを得ない。
結果として、外見は完璧な変装だが、男の声が出てしまうという違和感のある姿になっているのだ。
「いや、正吾さんが女装して、さらに男の声が混ざるなんて……フフフ」
「そんなに笑うなって。俺だって恥ずかしいんだぞ」
「そこがまた面白いんですよ!」
玲奈は腹を抱えて笑い続けている。こんな風に笑う玲奈を見るのは珍しく、少し貴重な光景だ。
玲奈が楽しそうなので、まあいいかと思いながらも、俺は室内を見回すことにした。
この部屋は広く、約20平米ある。
地方なら普通の広さだが、新宿のような都心でこれだけのスペースを確保するのは大変だ。
家賃は月100万円。年間1200万円と高額だが、都心の一等地に本部を構えることを考えれば安いだろう。
室内を見回した限り、古びた印象はなく、建物自体もしっかりしている。全3部屋あり、最初の本拠地としては十分だと感じた。
笑いから復活した玲奈も、俺と一緒に室内を見て回る。
「かなり良さそうですね」
「ああ、十分だ」
俺と玲奈は部屋を一通り見終えると、どのようにこのスペースを使うか話し合いを始めた。
「まず、一室は面会室のようにしたいよな」
「そうですね。面会室は必要です。それと、執務室も必要ですよね?」
「ああ。ただ、執務室というより、聖女の配信部屋兼執務室にするのがいいかもしれない」
「確かにその方が合理的ですね。ホテルを借りる必要もなくなりますし」
話し合いはスムーズに進む。
そして、最後に残ったのは、このフロアで最も広い部屋だ。
この部屋の内装はもうすでに決めている。
「で、この部屋だが、ここはオークションの為に使う」
「……オークションですか?」
「ああ、ここで受付や鑑定をするつもりだ」
一番大きい部屋は、出入り口が付いており、受付にピッタリな位置にある。これを利用しないわけが無い。
ここの部屋だけはイメージ図を書いてきていたので、その絵を玲奈に見せた。
「正吾さん、絵なんて描けたんですね」
「お遊び程度だけどな」
決してプロレベルとは呼べないが、ちゃんと構図や縮尺が整えられている。
これは後で業者に渡し、イメージをしっかりと伝える為に使うのだ。
「よし、これで内見は終わりだな。玲奈、次の場所に行くぞ」
「はい」
俺は不動産屋から渡されていた鍵で扉を施錠し、部屋を後にした。
~~~
ビルを出た俺たちは、新宿の街中に降り立った。
俺はもちろん〈夢幻泡影〉を使い、自分の姿を女の姿に変えている。玲奈は聖女の衣装を纏い、街を歩き始めた。
玲奈が姿を現した瞬間、街中の人々の視線とカメラが一斉にこちらへ向けられたのを肌で感じる。
居心地の悪さを覚えつつも、表情には出さず無言で玲奈の後ろを歩く。
日本人特有の遠慮深さなのか、誰も玲奈に直接手を出す者はいないが、皆スマホのカメラを玲奈に向けた。
それでも、話しかける者はおらず、それどころか、まるでモーセが海を割るように、人々は自然と道を開けている。
玲奈は何も喋らないが、皇族のように上品に手を振っている。まさに『聖女』という雰囲気そのものだ。
聖女の存在感に圧倒され、人々は遠巻きに見守るだけで近づこうとはしない。彼女の進む道は、自然と開けた『聖域』と化していた。
それから、新宿の街中を人々が作り出す道を優雅に歩く。
新宿と言う町はさほど大きくはなく、手を振りながらゆっくりと歩いたとしても、直ぐにトー横ダンジョンに着いた。
玲奈が現れた瞬間、トー横ダンジョンの警備にあたっていた警官までもがセイントの存在に気付き、敬意を払うように一歩距離を取る。
玲奈は、警察官が退いた事で出来た空間で立ち止まると、俺が持ってきた土台の上に乗る。
人だかりに隠れて見えなかった遠くの人々も、土台に乗った事で玲奈の存在に気が付き、足を止めた。
俺は付き人としてカバンから配信機材を取り出し、準備を整える。
Wi-Fiルーターを繋げ、カメラをセットし、事前に立てておいた配信枠を開始した。
すでに視聴者数は30万人を突破している。玲奈は観衆とカメラ越しの視聴者に向かって軽くお辞儀をすると、堂々と背筋を伸ばし話し始めた。
「皆さん、ごきげんよう。初めて私を見る方もいるかと思いますので、まずは自己紹介を。私の名前はセイントと申します」
マイクを使っていないにも関わらず、玲奈の声は不思議と広場全体に響き渡っていた。
なぜか?その理由は簡単だ。
誰もが彼女の言葉を一言も漏らさないように耳を澄ませて、静かにしていたからだ。
「今日、私がこの場に立ったのは、2つの重要な発表を行うためです」
玲奈は小さく指を折り、2という数字を強調する。
「まず一つ目。私はこの場を借りて『ダンジョン教会』の発足を正式に宣言します」
玲奈がそう話すと、群衆の間にざわめきが広がった。しかし、玲奈が手を軽く上げると、それだけで全員が静まり返る。
この発足の発言は、国会で行った物とは少し異なる。
国会の宣言は、ダンジョン教会を立てると言っただけだが、今回はちゃんと事実と実績が伴うのだ。
故に、こんな事が出来るようになった。
「このダンジョン教会ですが、信者の募集を本日より開始いたします」
これまではWEBサイトでの会員と言う形で信者を集める形態をとっていた。
しかし、それは一つの大きな問題点を抱えてしまっている。
『税金』だ。
宗教法人は、収益事業以外の全ての税金を免除してくれる。例えばだが、お布施として会員料を貰っても非課税になるのだ。
他にも、不動産関連も非課税になったり、中には差し押さえを受けないなんてものもある。
言ってしまえば、高いツボやお布施をしたとしても、それが犯罪になる事も、財産を差し押さえされる事もない、まさに我が世の春なのだ。
「ダンジョン教会に入信するためには、以下の3つの条件を満たす必要があります」
しかしながら、ダンジョン教会は無差別に勧誘したり、受け入れたりはしない。
なぜならば、それはリスクだからだ。
ダンジョン教会は、ダンジョン攻略を推進するという名目で活動している。
故に、ダンジョンに潜れない者までも入れてしまうと、不祥事が起こったときに飛び火しかねない。
しかし、ダンジョン武装探索所を所持している場合、話しが変わる。
ダンジョン武装探索所の中には、
『死亡・重症時の免責。
ダンジョン内での死亡や重症について、国は一切の責任を負わない』
と言う条項が入っている。国が責任を負わないのであれば、もちろん民間が責任を負う義務は無いのだ。
だから、玲奈はその場に集まる民衆と、カメラの向こう側に居る人々にに向かって、条件を伝えるのだ。
「1つ目、『ダンジョン武装探索許可書』を所持していること。
2つ目、ダンジョン教会の誓約書および利用規約に署名を行うこと。この誓約書および利用規約書は、ダンジョン教会公式ホームページから確認およびサインが可能です。
そして3つ目、ダンジョン内で『ダンジョン教会』という言葉を発すれば、入信の意思を示すことができます。この3つの条件を満たした方は、ダンジョン教会に入信可能となります」
玲奈の発言に、観衆たちは静まり返った。
3つ目の条件が不可解と皆は思った事だろう。しかし、お行儀のいい日本人は、説明がなされるまで、静かに聞き続ける。
「さらに付け加えると、ダンジョン教会は自由な組織であり、入信を強制するものではありません。もしも脱退を希望される場合には、ダンジョン教会の公式ホームページから『脱退』の手続きを行うことができます」
今回の宗教でこだわったのはここだ。
ダンジョン教会は『自由』で『気軽』な組織。
こういった印象を抱かせる事で、人々の『警戒心』を解き、多くの人間を『勧誘』することが出来る。
そして、何より勧誘をするために必要な『餌』も豪華に用意してきた。
「そして次に、ダンジョン教会に入信することで得られる3つのメリットについてお話しします」
玲奈は指を3本立て、ひとつずつ順序立てて説明を始めた。
「一つ目のメリットは、ダンジョン情報の閲覧および共有が可能になることです。私や他の探索者が得た情報を閲覧できるだけでなく、あなた自身が持つ情報を共有し、コミュニティ内で広めることも可能です。これにより、より安全で効率的な探索が期待できます」
これは以前涼太に頼んでいた情報共有サイトの事だ。このサイトは、もう完成していて会員限定サイトにも掲載している。
ダンジョン教会の名義で大きなサーバーを借りる事ができ、大人数の閲覧にも耐えられる様に涼太がしてくれた。
マジで涼太には頭が上がらない。
「二つ目のメリットは、ダンジョン内で得たアイテムの売買やオークションの利用が可能になることです。
こちらは現在開発中で、2週間後には実装される予定です。このシステムが完成すれば、探索者たちは得たアイテムを効率よく取引することができるようになります」
涼太に聞いたところ、ダンジョンオークションサイトは、書類や審査と言った所だけの様で、後はそれを待っている状況らしい。
ちなみに、オークションサイトの方は、宗教法人じゃなくて、普通の株式会社として運営していく予定だ。
「そして三つ目。これは何よりも大きなメリットだと思いますが……私のスキルを用いて、ダンジョン教会に入信している信者にステータスの10%分をバフとして付与することが可能です。このバフにより、探索中の安全性や効率性が格段に向上する事でしょう」
私のスキルとして紹介したステータスのバフだが、これは玲奈のスキルでは無く、俺の〈開祖〉と〈流転回帰〉のスキルによるものだ。
『自分の宗教を創設可能』と言う分かりやすいようで、分かりにくいスキル説明欄だったが、実際に創設してみていろいろ分かった。
ここで、一つずつ解説していっても良いのだが、それよりも過去回想した方が話が早い。
と、言う訳で、ここから脳内回想でーす。
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その日は、宗教法人が通った翌日の事だった。
書類上の宗教団体の立ち上げが終わったことで、時間的余裕が少しできた俺は、ダンジョンに来たついでに〈開祖〉で新しく宗教を創設しようとしていた。
時間が掛かると思った俺は、玲奈を先に返して1人ダンジョンの1階層に座りながら、〈開祖〉の説明欄を見ていた。
「自分の宗教を創設可能って、どうやればいいんだ?」
しかし、説明欄には創設の手順は書かれていない。
全く分からない状態だった俺は、試しとばかりに口で『宗教を創設する』と言ってみた。すると……。
≪確認しました。…水橋正吾による〈開祖〉のスキルを発動します。…確認しました。…名前の設定を行ってください…≫
どうやら、口に出すことで、創設が可能なようだ。名前の設定も口に出して言えばいいのだろう。
「ダンジョン教会」
そう口に出して言えば、天の声はしっかりと認識してくれた。
≪……確認しました。宗教名〈ダンジョン教会〉が設定されました。以後、新たな宗教に〈ダンジョン教会〉が使用されることはありません≫
≪続けて、〈ダンジョン教会〉の組織構造を選択してください。トップダウン型/ボトムアップ型≫
おお?組織の構造なんて選べるのか。
『トップダウン型』だの『ボトムアップ型』だの難しい事を言っているが、分かりやすく言うならば、トップダウン型が独裁政治で、ボトムアップ型は民主政治だ。
もちろん俺が選ぶのは……。
≪……確認しました。〈ダンジョン教会〉は〈トップダウン型〉の組織構造となります。水橋正吾をトップとして、幹部級、信者級に区分されます≫
この教祖、幹部、信者に分かれるのはカルト宗教によく見られる構造だな。前に立ち上げた宗教もこの構造形態をしていた。
≪……確認しました。〈開祖〉のスキルの設定が終了した事を確認しました。…連動して〈流転回帰〉のスキルを発動しますか?Yes/No≫
これはもちろんyesだ。
俺は躊躇することなくyesを押した。
≪……確認しました。〈流転回帰〉のスキルを発動します≫
……それから追加の通知が無い事を確認した俺は、ようやく終わった事を認識した。
自分的には実感は無いものの、ステータスにはしっかりと、〈ダンジョン教会教祖〉と書かれている。
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ここまでがダンジョン教会創設の回想だ。
現実社会の宗教法人よりも、圧倒的に早く終わった手続きに感銘を受けた。
本当に、無駄な書類とか、だるい審査とかを消してほしいわ。
なんて、俺が過去回想をしている間に、玲奈は話を終わらせ、最後の挨拶へと移っていた。
「さて、ここまで話して来ましたが、ダンジョン教会のルールに則り、楽しく安全にダンジョン攻略をしてください。では、これにて、ダンジョン教会に関する配信を終わらせていただきます」
玲奈は、美しくお辞儀をする。
そして、顔を上げた玲奈が、唯一見える口元に優しい笑みを浮かべた瞬間、配信を切った。