第二十五話 玲奈の配信
時は少し遡り……。
正吾と別れた玲奈は無人ロッカーから配信機材一式が入ったカバンを取り出し、予約していたホテルに向かっていた。
配信のやり方は、事前に正吾から教わっていたため、特に手間取ることもなく配信枠を立てる。
そして、洗面台で身だしなみを整え、聖女の衣装に着替えた。
聖女の衣装に着替え終わった玲奈は、ベール越しに見る自身の姿にため息を吐く。
「…………はぁ」
玲奈自身、この純白の衣装には少なからず嫌悪感を抱いていた。
玲奈からしてみれば、この白く純白な聖女と言う物は好かないのだが、世間受けはこっちの方が良いらしい。
玲奈的には完全にして潔白。正義にして清楚な人間なんて、この世の中に居ないと思っている。故に自分の姿が違和感でしかない。
しかし、演劇の中の様に、シナリオの中ならばそんな人間も居るのだろうと、自分を納得させて演技に望んでいる。
もっとも、自分と正反対とも思える役柄はストレスが多く、あまりしたいとは思えない。
しかし、惚れた弱みとはよく言ったもので正吾さんのためならば、このぐらいの事はいくらでもしてあげたいと思ってしまう。
「……はぁ」
もう一度ため息を吐くのと同時に、自身の中でスイッチを切り替えた。
自身の感情を全て切り離し、目的と役柄だけを脳内に残した状態でカメラの前に座ると、配信開始ボタンを押した。
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「こんにちは。あるいはこんばんは。私の名前はセイントです」
これが玲奈の配信における定番の挨拶だ。初めて考えたときから変えるのが面倒で、そのまま定着している。
配信が始まると、あっという間に視聴者数は1万人を突破。さらに5万人に到達した。
チャット欄には英語や見慣れない外国語のコメントが混じっていることから、海外からの視聴者も少なくないようだ。
「さて、今日は予定外の配信ですが、本日午前7時に行われた政府放送について、私から意見をお話ししようと思い、急遽枠を立てました」
玲奈がこう切り出すと、チャット欄は『待ってました!』『やっぱりその話題か』といったコメントで埋まる。
まだ平日の昼間だというのに、こんな配信を見るとは、世の中には暇人しかいないのでは?と玲奈は思う。
しかし、それを口にも顔にも出す事はしない。なぜならば今は『聖女セイント』だからだ。
一呼吸おいて視線をカメラに向ける。
少し間を取る事で、視聴者の意識を強引に引き付ける。そして、最高潮に意識が向いたその瞬間に、玲奈は口を開いた。
「……今回の政府放送では、ダンジョンの開放が正式に宣言されました。その内容は、大きく分けて2つ。まず、ダンジョンに潜るための免許証の発行。そして、ダンジョンの力を使った犯罪に対応するためのSDT(特別対策部隊)の設立です。開放日についてはまだ発表されていませんが、免許証の公式試験開始日と同時期になると予想しています」
これを聞いた視聴者の反応はさまざまだった。すでに知っている人もいれば、初めて知る人もいるようだ。ダンジョンに興味がある人が多い配信だけに、コメント欄には多くの質問が飛び交っている。
「さて、ここからは私の意見と見解を述べながら、これらの放送内容について解説していきたいと思います。
先ほど申し上げた通り、私の見解ではダンジョン開放日は公式試験開始日と同じになる可能性が高いと考えています。
このダンジョン免許書の法的枠組みは、ダンジョン特別措置法によって整備されています。さらに、政府が国民に対して情報を周知していることからも、ある程度の目途は立っていると言えるでしょう。
これはあくまで私の予想ですが、遅くとも3か月後にはダンジョンが開放されるのではないかと思います。早ければ1か月後ということもあるでしょう」
私が知りうる限りの情報から組み立てた予想を説明する。
この程度の事ならば、ダンジョンに興味がある人間には分かっている事だろう。
しかし、このメッセージは情報強者にでは無く、情報弱者に向けて放った言葉だ。
「次にダンジョン武装探索許可書についてですが、これに関して特に付け加えることはありません。私もこのダンジョン免許書には賛成の立場であり、余計な犠牲者を減らす効果が期待できると考えています。
そして最後に、SDT部隊の設立についてですが、いくつかの問題点を抱えているといえるでしょう。現時点では情報が不足している部分もありますが、まず第一に挙げられるのは規模の問題です。
例えば、SATの構成員は300人、11部隊で構成されています。これは銃を基準とした凶悪事件に対応するには十分な人数と言えるでしょう。
しかし、ダンジョンではその理論が通用しません。素手で人を殺せるような力を持つ相手が存在するのがダンジョンです。これは潜在的に銃を所持しているのと変わらない人間を制圧・抑制する必要があることを意味します。
そのため、最低でも1万人、多ければ3万人ほどの規模が必要になると考えられます」
私は落ち着いた声でネガティブな意見を述べた。
私がダンジョン開放を推進したい立場でありながら、こうして、わざとネガティブな発言をする理由は『信頼性』の問題だ。
これは詐欺などでもよく用いられる手法だが、あえて弱点となる部分を指摘することで、相手に『この人は真実を語っている』と錯覚させる効果がある。
私の場合、既にダンジョン開放の方針が固まっている以上、どれだけネガティブなことを話しても問題はない。
「さらに、問題となるのは隊員のレベルです。私の感覚で言えば、SDT部隊の隊員には最低でもレベル100が必要だと思います。レベル100に到達すると『転生』という項目が解除され、転生が可能になります」
私がさらっと新しい情報を出すと、コメント欄は『え?』で埋め尽くされた。
この『転生』に関する話は正吾さんから事前に許可を得ている。アメリカがダンジョンを開放したことで、いずれこの情報は公になる。
それならば、今のうちに出しておくことで、こちらがより多くの情報を握っていることを暗に示すことができるのだ。
「転生についての詳細は、また後日、何らかの形でお話しする予定です。さて、この転生の件は一旦置いておいて、なぜレベル100が必要なのか説明します。
レベル100は、安定的に4階層のモンスターを単独で効率よく倒せるようになる最低ラインです。現在、レベルの上限が明らかになっていない状況では、各隊員が民間の探索者と協力しながらレベルを上げる必要があります。
そうでなければ、凶悪な事件に対応することは難しいでしょう。そのため、効率的に4階層のモンスターを狩れるレベル100が、ダンジョン関連の事件に対応できる最低ラインだと考えています」
私の説明に、コメント欄では『なるほど』や『さすが聖女様』といった反応や、『最低がレベル100って、ハードすぎないか?』と言った意見が続々と寄せられる。
配信を始めてから20分ほどしか経過していないが、同時接続者数は既に30万人を超えていた。
私はネットの事情に詳しくないが、聞くところによると、同時接続者数が10万人を超えるだけでもかなりの反響があるらしい。20万人を超えることは滅多にないとのことで、30万人というのはかなりの数字なのだろう。情報を広めたい私にとっては、非常に好都合でしかない。
「さて、ここまでネガティブな話をしてきましたが、今度はポジティブな話をしましょう。
先ほどは、ダンジョン開放に伴う治安の悪化について触れましたが、ダンジョンの開放には経済的な好影響も期待できます。
例えば、現在注目されている新エネルギーとして『魔石』という物質があります。これはモンスターの体内、ゴブリンで言うと心臓の部分に存在することが確認されています。また、ダンジョンではポーションという医療の概念を根本から変えうる物も発見されています」
これらの情報はすでに多くの人が知っていることだ。テレビでも魔石について大々的に取り上げられており、これがダンジョン誘導のためかは不明だが、『新たなエネルギー』として期待を煽っている。
確かに魔石は新エネルギーになる可能性はある。
だが、現時点ではまだ実験段階であり、実用規模の発電施設すら存在しない。
エネルギーの抽出すら完全には成功していない現状で、それにも関わらず、魔石を新エネルギーとして煽るテレビの姿勢には感心するしかない。
「このように、ダンジョンが現れてからわずか3カ月半で、これほど有用なものが発見されています。今後も同様の有益な発見が続く可能性が高く、ダンジョンがもたらす経済効果は非常に大きいと言わざるを得ません。
さらに、アメリカがダンジョンを開放した際には新しい企業が次々と立ち上がり、銃器や武器を扱う企業の株価が急騰しています。こうした事例を見ると、ダンジョンは『戦争のない戦争特需』とも言えるでしょう」
この35年間、経済が停滞、さらには衰退してきた日本にとって、景気が上向くことは非常に喜ばしいことだ。
それこそ、危険だと承知したうえで、その危険度をある程度無視できるほどに。
「私は経済学者ではありませんので、ダンジョンが日本にどれほどの経済効果をもたらすかは正確には分かりません。
しかし、停滞していた経済が上向くことは間違いないでしょう。ただし、いくつか注意が必要です。
まず、ダンジョンに対して過度な重課税を課した場合、ダンジョンによる経済効果は十分に発揮されない可能性があります。
この35年間、増税が経済にどれほどのダメージを与えたかは誰の目から見ても明らかです。また、ダンジョンに対して過剰な規制を行うことも、経済効果を抑制する要因となるでしょう」
私自身、経済について詳しいわけではないが、この35年間を振り返ると、停滞の大きな要因は増税であることは明白だ。
何らかの税を引き上げれば消費が減少し、売り上げもまた落ち込む。
これは市場原理的に当たり前のことで、データにも明確に表れている。
そして、35年の衰退を招いた張本人である自民党であれば、ダンジョンという経済活性化の鍵に過度な増税を課すことも十分にあり得るだろう。
「さて、ここまで色々とお話しましたが、総じて言えるのは、ダンジョンというものには多くの危険がある一方で、それを上回る経済効果をもたらし得る新たな産業であるということです。ただし、ダンジョンはあくまで危険な場所です。可能な限り情報を集め、万全の準備をしてダンジョンに挑むよう心がけてくださいね」
私は穏やかな声で、視聴者に気遣うような言葉を添えた。
聖女らしい振る舞いにコメント欄では『聖女様!』という書き込みが溢れていたが、彼らがどれだけ何も見 えていないのかを思うと滑稽に感じる。
その後、無難にコメントに返事をしながら配信を終えた。
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配信機材をきれいにバッグに詰め終えると、私は既定の場所にバッグを片付けに行った。
ホテルを出ると、空はもう暗くなりかけており、夕方というよりは夜に近い雰囲気だった。
少し歩いて無人ロッカーに機材一式をしまうと、正吾さんに連絡を取った。既読はついたものの、なかなか返信が来ず、もどかしい気持ちでスマホを見ていると、3分ほどして返信が届く。
『ごめん、バイクに乗ってた。今そっちに向かっている』
どうやらバイクに乗っていて返事ができなかったらしい。
正吾さんがこちらに向かっているとのことなので、私は『ホテルの前で待っています』と返信を送り、ホテルへと戻った。
ホテルの前でしばらく待っていると、正吾さんのバイクが視界に入る。
ウィンカーを点けながら、私の目の前でバイクが停まった。
「お待たせ」
正吾さんは、ヘルメットを外しながらそう言う。
夏の暑さで汗が滲み、髪が湿っているが、なぜだろう?私の目には、そんな正吾さんが少しイケメンに見えてしまう。
そんなことを内心思いながらも、その感情を外には出さず、正吾さんからヘルメットを受け取った。
「…それじゃ行くぞ。ヘルメットは被ったか?」
「はい」
私はバイクの後部座席に座り、正吾さんに軽く抱きつく。
一瞬ビクッと肩を震わせた正吾さんの反応を見て、内なる小悪魔が『もっと密着しちゃえ』と囁いてくる。
けれども、私はグッと抑え、控えめに抱きつくだけに留めた。
そして、抱き着かれている正吾さんは、何かを振り払うかのようにバイクを軽く吹かすと、一気に加速させた。
約1時間ほど走った後、いつも泊まっているラブホテルに到着した。
最初に来たときは毎日泊まるなんて思っていなかったけれど、今では慣れてしまい、まるで我が家のような感覚になっている。
正吾さんは少し離れた場所にある駐輪場へバイクを停めに行き、私は彼が買っていた荷物を持ちながらホテルの中に入った。
合鍵を持っていない私は、〈無錠の鍵〉を使って扉を開けると、玄関近くに荷物を置こうとした。しかし、置く前に、好奇心が少し疼いてしまったのだ。
正吾さんが何を買ったのか気になり、紙袋の中をちらりと覗いてみると……。
「これは……ウィッグ?」
中には、女性でも長いと感じるスーパーロングのウィッグが入っていた。それを見た私はそっと紙袋を閉じ、何も見なかったことにした。
きっと正吾さんなりの理由がある買い物だろうと自分を納得させ、紙袋をベッドの横に置くと、自分の部屋に戻って聖女の衣装を片付ける。
ついでにシャワーを浴びてさっぱりした後、〈気配感知〉で正吾さんが戻ってきたのを確認する。
今日はもう外出する予定もないので、寝間着に着替えると、正吾さんの部屋へお邪魔することにした。
最初の頃は嫌がっていた正吾さんだが、最近では無反応になった。どうやら『言っても無駄だ』と慣れてしまい、どうでもよくなったようだ。
私は『押しかけ妻理論』で、少しずつ正吾さんを攻略するつもりだ。
いつも一緒にいるのが自然なことだと思い込ませるため、毎日のように顔を出している。まあ、隣の部屋に住んでいるだけなんだけど。
それはさておき、そろそろ夕食の時間だ。
どうやら正吾さんもお腹が空いているようで、私に夕ご飯の内容を尋ねてきた。
「玲奈、夕ご飯は何がいい?」
「そうですね……。では今日はお寿司がいいです」
「寿司か。OK、分かった。それで、出前にする? それとも食べに行く?」
「私、もう寝間着に着替えてしまったので、出前でお願いします」
「分かった。頼んでおくよ」
正吾さんはスマホを操作して、お寿司を注文した。
横目でちらりと画面を見た感じでは、どうやら有名な高級寿司店らしい。値段は2万円を超えていた。随分と高い寿司だが、出前ならこんなものかと納得する。
それからしばらく待つと、お寿司が配達された。
流石に高級寿司店だけあって、見た目も美しく、味への期待が高まる。
正吾さんと二人でテーブルを囲み、高級寿司を堪能した。