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第十六話 スタンピード




 5月16日、世界は再び大きな変貌を迎えることになる。


 日本の時刻で19時12分。太陽はすでに沈み、街を照らす光は自然のものから人工灯に切り替わり、夜の街はきらびやかな光で満たされていた。


 人々はそんな街中を普段と変わらない様子で歩き、1か月前にダンジョンが現れたという出来事などまるでなかったかのように、日常を過ごしていた。



~~~



 最初に異変を察知したのは、ダンジョン探索中のSAT隊員たちだった。

 彼らはいつも通りダンジョンに入り、探索を始めたが、どこにもモンスターの姿がない。


 1匹のゴブリンにも遭遇せず、不自然な静けさが2階層に到達しても続いていた。その不気味さに緊張を覚えたその時だった。


 遠くの奥から、重く響く音が聞こえ始めた。

 最初は小さな音だったそれは、徐々に大きくなり、隊員たちは身構えた。


 そして、音の正体を目にした時、全員が驚愕する。


「ゴブリンの群れだ…!」


 そこには、無数のゴブリンが押し寄せる光景が広がっていた。隊員たちは慌ててMP5をゴブリンたちに向け、連射を始めた。

 前方のゴブリンを数体倒すことはできたが、次から次へと波のように押し寄せるゴブリンたちは、仲間の死体を踏み越えて進んでくる。

 焦った隊員の1人はリロード中にマガジンを落としてしまう。その音が地面に響いたのと同時に、隊長が叫んだ。


「撤退しろ!」


 隊員たちは一斉に1階層へと駆け戻った。ダンジョンから脱出するや否や、急いで上層部に異常を報告するが、情報が錯綜しているせいで、指示は混乱し、なかなか適切な対応が取れない。


 焦燥感を募らせる隊長だったが、指示が下りるよりも先に、事態は動いてしまった。ダンジョンから、ゴブリンたちがあふれ出してきたのだ。


「そんな……モンスターがダンジョンの外に……!」


 それまで、ダンジョンからモンスターが外に出たという報告は一度もなかった。その現実に、隊長は一瞬状況を理解できなかった。しかし、長年の経験が、彼に瞬時に指示を下させた。


「遅滞戦闘に移れ!周囲の住民を避難させろ!」


 だが、隊員たちはダンジョンの外では武器を外しており、すぐに行動に移れなかった。準備が整わないまま、ゴブリンの波に飲み込まれ、SAT隊員たちは壊滅した。



~~~



 内閣は、全国から寄せられる『ダンジョンからモンスターが氾濫している』という情報に大混乱していた。


 あまりに急な事態に、対応が全く追いついていなかったのだ。次々と錯綜する情報が飛び交い、内閣は機能不全に陥りかけていた。


 この状況下で、緊急閣僚会議が開かれる。しかし、その場では責任の所在を巡っての激しい非難が飛び交うばかりだった。


「これはどういうことだ!誰がこんな事態を想定していたというのか!」


 1人の大臣が激昂して怒声を上げた。緊急時において、このような感情的な発言は本来望ましいものではないが、誰もそれを止めようとはしなかった。


 今回の問題は、ダンジョン氾濫への対応が完全に機能停止していること、そして、その責任がどこにあるのかが曖昧であることだった。


 前々から『ダンジョンからモンスターが出てくるのでは?』と言う事は言われていた。

 しかし、一度として出てきていない事と、もしも出て来たとしても近くの警察署か、駐屯地から人員を派遣させると言う事しか伝えられていなかった。


 この対応案は各所に事前通達されていたものの、今回のダンジョン氾濫は全国各地で起こっていた。どの部署が何処のダンジョンに行けば良いのか分からず、上に判断を聞こうにも混乱してそれどころでは無かった。


 そして、今回の対策案の責任の所在が全く持って明らかでは無かった。

 もしもダンジョン担当大臣が居れば責任の所在は明らかだったが、まだ大臣は選定されておらず、そんな者はいない。


 普通ならばダンジョンの警備をしている警察庁に責任があるのだが、今回の氾濫は警察がどうにかできる範囲を完全に超えていた。


 そもそも警察は治安組織であって、戦いを主とする組織では無い。

 つまりは、警察庁長官を超えて、内閣の誰かの首を犠牲にしなければ収まりの付かない状況になっていたのだ。


 本来はそれよりも先に対策を話し合うべきなのだが、悲しい事に日本の政治家は腐敗していた。


「そう言えば今回の対策案を作り上げたのは防衛省では無かったですかな?」

「それを言うならば法務大臣!国会に提出している『ダンジョン特別措置法』はどうするのだ!」


 ダンジョン特別措置法案。

 2日前に国会での本会議において採決されてしまった。まだ上院の会議は行っていないものの、法案が施行される一歩手の状況だ。


 この法律の何が問題かと言うと『ダンジョンは国の保有する国土として認定する。また、ダンジョン内は国の感知しないものとする』この法案の中で問題なのが『国の保有する国土』と言う物だ。


 もしもこの法案が通ってしまったら、今回と同じようにダンジョン氾濫が起きた場合に責任が全て国に行ってしまう。それが問題だ。


 利権を最大化しようとして作った法案だったが、それが裏目に出てしまったのだ。

 

 責任のなすりつけ合いが続き、議論はただただ空転する。今この瞬間も、現場では人々が命を落としているというのに、彼らは自分の首を守ることばかりを優先していた。



~~~



 その頃、新宿の歌舞伎町では、夜の喧騒に包まれた街がいつもと変わらない賑わいを見せていた。


 そんな中、1人の少年がクラブへ向かう途中、友人との待ち合わせまでの時間を潰そうと歩いていた。


 スマホで時刻を確認すると、19時15分を少し過ぎたところだった。集合時間まであと数分あるが、遅刻癖のある友人のことを考えると、待つ間に座れる場所を探したほうが良さそうだと、少年は思った。


「どこか座れる場所、ないかな…」


 少年は周囲を見渡し、ふと目に入ったのはトー横ダンジョンだった。


 歌舞伎町の片隅にあるこのダンジョンは、最近では『トー横ダンジョン』としてネット上で話題になっていた。

 観光名所として注目されることも多く、ダンジョンの入り口は警察官たちによって厳重に警備されている。少年は特に用事があったわけではなかったが、暇つぶしにダンジョン前へ行き、手すりに腰掛けた。


 スマホを取り出してSNSを眺めていると、周囲の音や人の動きは気にならなくなり、少年は画面をスワイプし続ける。その時だった……。


「キャーッ!」


 突然、女性の悲鳴が響いた。少年は驚いてスマホから顔を上げ、視線を叫び声の方向に向けた。そこで目にしたのは……あり得ない光景だった。


 ダンジョンの入り口から、無数のゴブリンたちが次々と湧き出てきたのだ。


 最初、少年はそれを現実の出来事だとは思えなかった。


 ゴブリンの姿はテレビやネットの映像で見たことがあったが、まさか目の前に本物が現れるとは考えもしなかった。

 少年の脳裏には『これはアトラクションか何かだろう』という考えがよぎる。


 だが、その考えはすぐに打ち砕かれる。ゴブリンたちが次々と警察官に襲いかかり、群衆に向かって進んでいく様子は、とても作り物には見えなかったからだ。


「何だこれ……嘘だろ……」


 少年はスマホのカメラモードを起動し、ゴブリンたちの姿を撮影し始めた。周囲を見回すと、他にも数人の若者が同じようにスマホを向けて撮影していた。


 警備中の警察官たちは、ゴブリンの出現に一瞬驚いたものの、すぐに拳銃を取り出して構える。しかし、その瞬間、巡査長らしき老年の警察官が大声で叫んだ。


「バカ!撃つな!周りには一般市民がいる!警棒で対応しろ!」


 拳銃をホルスターに戻し、代わりに伸縮警棒を取り出した若手警官たちは、必死にゴブリンと戦い始めた。

 

 最初のうちは何とか押し返しているように見えたが、ゴブリンの数は圧倒的で、徐々に警察官たちの防衛線を突破し始めた。


 ついには、ゴブリンたちは群衆の方へと流れ込む。

 逃げ惑う人々の間をすり抜けるように走り回るゴブリンたちは、次第に標的を定め始める。その中の1匹が少年を見つけ、飛びかかってきた。


 その時になって、やっと危機感と言う感情が湧いてきた少年は、慌てて逃げようとしたが、足を縺れさせて横転してしまう。


「っぐぅ!」


 地面に強く体をぶつけた事で、身体が動かない。

 そんな身体を必死に動かして立ち上がろうとするが、やはり体は思うこと動かない。

 その間にもゴブリンたちが迫り、1匹が少年の足に噛みついた。


「ぐぅあああああ!」


 ふくらはぎに走る激痛に、少年は思わず悲鳴を上げた。


 手足をバタつかせてゴブリンを振り払おうとするが、力では到底かなわない。

 周囲の大人たちは恐怖で立ちすくむか、既にその場から逃げ去ってしまい、助けに来る者はいなかった。


 少年はこのまま死ぬのだろうと、そう感じ、走馬灯が脳内を駆け巡った時、事態は変わった。


 何かが光ったと思った瞬間、ゴブリンたちの頭を光が次々と貫いた。


 鋭く輝く光の矢が、正確無比にゴブリンの頭部を射抜いていく。何が起こったのか分からない少年は、ただ呆然とその場に座り込んでいた。


 光の方向に目を向けると、そこには……。


 白いローブを身にまとい、顔をベールで覆った『女神』のような人物が立っていた。


 女神のようなその姿に、少年は目を奪われる。


 顔はほとんど見えないはずなのに、その存在感と雰囲気が圧倒的だった。

 その存在感にゴブリンたちも彼女の方へと視線を向ける。


 やがて、ゴブリンたちは本能的に彼女が危険な存在であると悟ったのか、何十体もの群れを成して彼女に襲いかかった。だが、しかし……。


 彼女が軽く手を振ると、何もない空中に光の矢が数十本出現する。そして、その矢が一斉に放たれ、ゴブリンたちの頭を次々と射抜いていった。


 その光景はまさに神々しいもので、周囲の人々は誰一人として目をそらすことができなかった。


 たった数秒だ。その数秒で、なん十体ものゴブリンを屠って見せたのだ。


 現実離れした状況に、少年の意識は痛みを忘れて、ただただ呆けるように見ているだけだった。


 そして、その神のごとき存在感を放つ女は、倒れ伏している少年の元に向かって歩み始める。


 一歩歩けば、天使が舞い降りたかのように光が降り注ぎ、祝福するかのように、彼女を照らし出していた。


 彼女は、倒れた少年の元へ歩み寄ると、静かにしゃがみ込み、傷ついた少年の足にそっと手を置いた。それだけで……。


「っ……」


 次の瞬間、彼女の手から淡い光が広がり、少年のふくらはぎにあった噛み傷がみるみるうちに消えていった。

 痛みすら完全に消え去り、傷が治癒されたことを理解した少年は、ただ彼女を見つめることしかできなかった。


 それは奇跡と呼ぶしかない。少年は心の中でそう思った。

 水をワインに変えたように、海を割ったように、奇跡とはこういうことを言うのだろう。


 女神は少年の傷が治った事を確認すると、未だダンジョンからあふれ出てくるゴブリンに目を向ける。


 その瞬間、先ほどと同じ光の矢をゴブリンの残り数と同じ32本を作り出した。


「……天使のつばさ」


 その光の矢は、彼女の後ろで待機され、天使の翼のようだった。

 あまりにも美しく、あまりにも神々しい。それ以外に形容のしがたい彼女は、ゆったりと手を持ち上げると、ゴブリンたちに手を向けた。


 その時だ。天使の翼のような光の矢が放たれる。

 光の矢の一本一本に意志があるのかと見紛う程、それぞれの起動を描いて飛んでいった光の矢は、正確にゴブリンの頭を貫いていく。


 それは、天使が下賤な人間に天罰を下すようだと、後に少年は思った。


 しかし、今はただ、その神々しい光景に思考が停止する。

 誰しもが彼女に目を奪われ動けない。


 彼女の一挙一動を覚えておかなければ、もしも忘れれば天罰が下る。そんな切迫感が彼らを襲う。


 しかし、だ。

 瞬きすら躊躇するほど彼女の事を見ていたハズなのに、次の瞬間には、まるで誰も居なかったかのように忽然と消えていた。


「……え?」


 本当にそこに居たのか?

 先ほどまで一番近くで見ていたハズの少年ですら疑いたくなるほど、唐突に姿を消したのだ。


 だが、確かに彼女は存在した。なぜならば、ゴブリンに噛まれたふくらはぎの傷は、しっかりと治癒していたからだ。


「……女神さま」


 少年が無意識に発した言葉。それを皮切りに、ざわめきが広がっていく。


 まるで幻の用だった彼女は、何者だったのだろうか?

 いや、何者でも良い。少年にとっては『女神』に違いはないのだから。



~~~



 とあるダークウェブある裏掲示板。そこには過去最多となる来訪者数が記録されるほどに賑わう1日になった。

 


1:管理人(匿名)

 ここはダンジョンの情報を共有するスレだ。


 禁止事項

 外部への情報流出。

 荒らし。

 

 これら以外だったら何を言ってもOKだ。



55:匿名

 なあ、ちょっと気になるもの見つけたんだけど、いいか?


56:匿名

 なんだよ


57:匿名

 俺は日課のネットサーフィンをしてたんだけどよ、「明日ダンジョンからモンスターがあふれ出る。気負付けろ」てツイートを見つけたんだよ。


58:匿名

 嘘乙


59:匿名

 はい嘘


60:匿名

 いや、嘘じゃねーよ!

 あとそれだけじゃねーんだよな。俺もただこの一個のツイートだけならばイタズラだと思ったよ。だけど調べてみたら各国で同じ時刻に似たようなツイートが呟かれていた。イタズラにしては手が込み過ぎているとは思わねーか?


61:匿名

 確かにそれが本当なら手が込み過ぎているな。


62:匿名

 IPアドレスを辿ってみれば?


63:匿名

 暇だったからIPアドレスを辿ってみた。その結果分かったんだがTor networkトーネットワークが使われていて逆探知は無理だった。


64:匿名

 それは明らかに手が込み過ぎだな。わざわざイタズラにトーネットワークなんて使わんわな。自分からやましい事があります。って言っているようなものだな。


65:匿名

 そうなんだよな。世界中同じ時刻に投稿されている所からしてちょっと頭の中にとどめておいた方が良い情報かも知れない。


66:匿名

 確かにな。まあ、俺は何も起きない方に10万賭けるわ。どうせノストラダムスの大予言と同じだろう。


67:匿名

 言ったな?じゃあ俺は何か起こる方に秘蔵の情報を出してやる。


68:匿名

 よし、賭けが成立したな。



202:匿名

 ほらやっぱり起こったじゃねーか!予言されていた通りスタンピードが起きたぞ!


203:匿名

 マジかよ…。


204:匿名

 10万は俺のものだな。


205:匿名

 ちょっと横からすまない。お前らこの動画見てくんね。https://www.…


206:匿名

 え?何この女神様?めちゃかわなんですけど。顔見えないけど


206:匿名

 一瞬で矛盾してるの草。まあ、その気持ちは分かるけども。


207:匿名

 …なあ、一つ良いか。俺秘密でダンジョン潜ってるんだけどよ。あの女やべーわ。


208:匿名

 >207

 ヤバいって何が?


209:匿名

 俺30歳童貞で魔法使い(本物)になったんだけど、ゴブリンを複数体同時に倒すような魔法は難しすぎて使えないんだわ。


210:匿名

 色々パワーワードがあったが、それのどこが難しいんだ?


211:匿名

 ものすごく簡単に言えば複数の手足で絵を描くみたいな難しさがある。2つ3つ程度ならば、できんことは無いが10を超えるのは無理。


212:匿名

 あの聖女たんはそんな高等技術をやってたんか。


213:匿名

 ちょっと中の叔父さん臭が臭ってて草


214:匿名

 お、俺はまだ34だぞ!断じておじさんじゃない!


215:匿名

 完全におじさんで草


216:匿名

 上に同意


217:匿名

 これはおじさんだわ


218:匿名

 …今日は布団に入って寝る




トーネットワーク

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