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第九十五話 一ノ瀬麗奈

九十五話



 私の生まれた家は政治家を代々排出している名家と言われる家です。


 私の曽祖父はかつて総理大臣を務め、祖父も父も政治の道を選んできました。

 そんな名家に生まれた私は、何の不自由もない生活を送ってきたのです。


 お金は在ります。格式もあります。しかし、この家には『愛』だけは在りませんでした。


 そんな家に生まれた私ですが、唯一『愛』と言う物を受けた記憶が微かに残っています。

 それは幼い3歳の時の記憶でした。


 まだ母親が生きていたころ。父は選挙区で負け、初めてとなる落選を味わっていました。

 元々家庭内暴力は在りましたが、その時は特に激しかったのを覚えています。


 何百万もする花瓶が割れ、高級な椅子が3本足で転がっている。

 そんな父が母に手を出すのは至極当たり前と言って良いでしょう。


 2階からは母の苦しそうなうめき声と、あえぎ声が響いてきました。

 その時、私は何が起こっているのかは理解できませんでしたが、それがとてもつらい事だと言う事は、幼いながらに分かっていたのだと思います。


 行為が終わった後に母親の元に行けば、ただただ無言で、涙を流しながら抱きしめてくれたのを肌で覚えています。

 しかし、そんな中で一度だけ母が口にした言葉があったのを、私は鮮明に覚えていました。


『あの人は、本当はすごく弱い人なの。だから自分を守る為で、あの人自身も辛い事なのよ』


 この時の私は、母の言っていることを理解できませんでした。

 ですが、この時に確かに母は父の事を愛しているんだな、と感じました。


 そんな日々は、元々病弱だった母親には堪える事だったのでしょう。

 日を追うごとにやせ衰えていくのを、子供ながらに心配していた記憶が残っています。


 そして、母は死にました。


 家庭内暴力で弱っていた母は、風邪に負け、あっさりと死んでしまいました。

 まだ3歳だった私にとって、母との別れと言う事が、真の意味では分かってはいなかったのです。


 母を探して家を探し回っても、誰も居ません。

 母の部屋に行っても、微かに残る母の匂いがするだけでした。


 そして、4歳の誕生日。

 誕生日は何が何でも一緒に過ごしてくれた母が居ない事を見て、一段と大人びて賢かった頭は理解したのです。


『母はもういないのだ』


 ただただ、そんな事を思ったのを覚えています。


 母が居なくなってから、父の暴力は私に向き始めました。

 最初は軽い無視や、暴言でしたが、次第に手が出るようになっていったのです。


 流石に4歳の子供を殴る様な事はしませんでしたが、軽い平手打ちや暴言は、日常になってしまう程浴びたのを覚えています。


 私は子供ながらに逃げようとしたのでしょう。

 父の顔色を伺う様になり、機嫌の悪いときには近寄らない様に注意していました。


 それでも、父からの暴力が止まる訳ではありません。

 平手や暴言を浴びた時、私はただ黙って母の部屋に閉じ籠ったのを今でも覚えています。




 あれは小学3年生の6月の時でした。


 朝起きて、制服を着て、傘をさして学校へ行き、退屈な授業を受けて、下校する。

 そんないつも通りの変わらない日だったことを覚えています。


 いつも以上に土砂降りの雨を見ながら、傘をさしての帰り道。

 道路に貯まる水たまりを車が舞い上げ、前に居た男の子たちの服を汚していきました。


 私は、仲良さそうに騒ぐ彼らを避けて、青信号になった歩道を渡った時です。

 とても明るいライトが私の体を照らしました。


 ライトの光だったのか、それとも衝撃だったのかは分かりませんが、視界が一瞬で真っ白になった後、私は道路に倒れていたのを覚えています。


 駆け寄ってくるおじさんを視界の片隅に、私は体を起こそうとしました。

 しかし、言う事を聞いてくれず、ただただ私の体が痙攣していた感覚が今の体にも残っています。


 雨の音と周囲の悲鳴が遠くに聞こえる中、私は地面に広がる赤い液体に目を奪われていました。


 その時、私は息を飲んだのを明確に覚えています。


 綺麗だったのです。ただただ、地面に広がっていく赤色が綺麗でした。

 どんな美術館に行こうとも、こんなにも綺麗で、生き生きしている赤なんて見れない。


 この時、私は痛みを忘れて、自分の流す血に目を奪われていました。


 その後は、応急処置と、すぐに駆け付けた救急車のおかげで、私の命は一命を取り留めましたが、私の中には、あの赤い血がこびりついて離れませんでした。




 中学校に進学すると、私の『異常性』を肌で感じるようになってきました。


 小学生の時は、周りの知能が足りないだけで、私がズレていると言う感覚は在りませんでした。

 ですが、流石に中学生ともなると、私が周囲とズレている事を何となく感じ取り始めたのです。


 ですが、皮肉な事に、父の暴力から逃げる為に養った『ヒトの感情を見る』スキルが私を中学生活から守ってくれました。


 なるべくみんなに『合わせる』様に、なるべく『優等生』であるように。

 そんな風に中学生活を送っていました。


 この時は、父も政治がうまく行っており、暴力が無くなっていた事も、幸いしたのでしょう。


 私の異常性が表に出る事は無く、中学生活は進んでいったのです。

 



 一見安泰にも思える中学生活において、唯一と言って良い問題が現れたのです。

 それは、周囲の男からの『好意』でした。


 中学校に入ってから、明らかに男子からの目線が変わるのを肌で感じ取る様になりました。

 まるで、私と言う存在そのものを品定めするかのような視線が、たまらなく不快だったのを覚えています。


 私は無意識の内に防衛本能からか、周りから向けられる視線の感情を理解しようとし始めたのです。

 そして、私の目は、徐々に向けられる視線の意味を理解し始めました。


 それは『好意』や『愛』と呼ばれるものでした。


 最初の方は勘違いとも思っていましたが、同級生はもちろんの事、上級生や高校生までもが私に告白をしてきたのです。


 その時の私は、告白の持つ意味など、本当の意味では分かってはいませんでした。

 しかし、その向けられる感情がひたすらに『嫌』だったことを覚えています。


 毎日の様に告白される私を周囲の女子は嫌い始めました。


 この時は理解していませんでしたが、確かに好きな男が他の女の事を好きなのは、気分が悪いですね。


 徐々に私から離れていく友達を見て、私は小学生と同じように、1人になり始めました。

 ですが、これまでの経験を活かし、『優等生』として振る舞う事で、一歩違う立場としての地位を築き上げたのです。


 それからの私は、告白されれば家の方針を理由に、申し訳なさそうに断り、男たちに期待させない様に『誰とも付き合わない』と明言をしました。


 そのおかげもあり、男子は徐々に諦めていき、それと同じように告白の数も減っていきました。


 こうして、私の平穏で苦痛な中学生活は過ぎていったのです。




 それは、中学3年生の冬の事でした。


 私はピアノの習い事から帰ってきましたが、いつも以上に部屋が荒れている事に気が付きます。


 最近は安定していたハズの父に何かがあったのかと思い、部屋に退避しようとしました、が。

 急に私は手を後ろに引っ張られました。

 あまりにいきなりだったので、それがだれかを確認するよりも早く、私はどこかの部屋に連れ込まれたのです。


 薄暗いランプだけが灯る中、私を引っ張った犯人を見ました。


 それは……父でした。


 いつもはオールバックに整えているハズの髪は、掻き毟ったかのように乱れ、目は赤く充血していました。

 明らかに荒い息遣いが私の顔にかかっていた事を何となく覚えています。


 いつもとは違う事に驚いていると、父は急に私の服を強引に破り始めたのです。

 何十万もする服が裂かれた事に、私は一瞬理解が出来ませんでした。


 父はいくら暴力を振るおうとも、私に性的な暴力を振るう事は無かったのです。


 しかし、何故か今日、襲われている。


 そのことに混乱する私でしたが、私の体は無意識の内に動いていました。


 近くに転がっていたワイン瓶を手に掴み、思いっきり父の頭部に向かって降り下ろしていたのです。


 大きな破砕音と共に、ガラスが周囲に飛び散りました。

 ガラスに混じり、所々を赤く染める血が、カーペットを汚していたのを鮮明に覚えています。


 父は私が反撃してくるとは思ってはいなかったのでしょう。


 驚いた様な顔になった父でしたが、一瞬にしてそれは怒気へと変貌しました。


 何語とも分からない叫び声と共に、私の上にのしかかってくる父を、私は冷え切った脳内で見ていたのです。


 襲い掛かってくる父の股間に向かって蹴り放ち、近くに落ちていたガラス片で腕を刺しました。

 痛みにうめく父を横目に逃げた私は、バックから財布だけを持ち家を飛び出していたのです。


 何キロ走ってきたのかは分かりませんが、止まった時には白い息が私の視界を埋めました。


 足元も見て見れば、急いで出てきたせいで靴すらも履いていません。血だらけになった足でしたが、不思議と痛みは感じていませんでした。


 頬から流れ落ちる水滴を手でなぞれば、赤い液体が指先を染めます。

 そして、私は、指先に着いた血を、舌で舐めました。


 そん時の血の味を私は忘れる事は無いでしょう。


 その後、警察によって発見された私は、救急車で搬送されて治療を受けました。

 警察からは『なんで血だらけの状態で、あんな場所に居たんだい?』と言う質問に合いましたが、私は不思議と父の事を話す気にはなりませんでした。


 それは、心のどこかで母の『あの人は、本当はすごく弱い人なの。だから自分を守る為で、あの人自身も辛い事なのよ』と言う言葉が残っていたからだと思います。




 高校に上がれば、私の環境もガラリと変わりました。


 外部進学が開かれる高校からは、違う学校から上がってきた同級生たちで、クラスの半分以上が知らない人間で埋まっていたのです。


 これまで築き上げてきた私の地位でしたが、外部からの人間はそのことを知りません。

 故に、中学校の最初の頃みたいに、私への告白が増えたのでした。


 私はうんざりとしながらも、中学生活での慣れの事もあり、簡単に断る事が出来るようになっていました。




 その日は夏休み前の7月の事でした。


 もう何人断わったのかも分からない頃、私は1人の男子生徒に呼び出されたのです。

 指定された体育館裏に行けば、私を呼び出した男子生徒が1人立っていました。


 その男子生徒は金髪にピアスを開けていて、不良と言う事が一目で分かる様な身だしなみをしていました。


 ですが、このような男に告白された事は何度もあります。

 そう言った人を断わる術も知っている私は角を立てずに断ろうとした時、急に男子生徒が私の腕を掴み、体育館裏へと引っ張られていきました。


 抵抗する私ですが、180センチ以上もある大柄な男に、腕力で勝てるはずもありません。


 体はズルズルと男子生徒に引っ張られて行きましたが、心のどこかで冷静な私が状況を見ています。

 ついに人目につかない場所まで連れ込まれましたが、私は冷静に言いました。


『あなたも、そうなのですね』


 次の瞬間、私は思いっきり振り上げた足で、男子生徒の股間を蹴り上げました。


 グシャ!と潰れる音と共に、男が倒れていきます。

 痛みで悶絶している男子学生に、私は近寄っていき、ポケットに入っていたカッターで…………男の耳を切り取りました。


『ギャァーー!』


 痛みからか、途轍もない悲鳴と共に暴れまわる男の顎に蹴りを入れます。


 強い衝撃が脳みそを揺らし、気絶した事を確認すると、男を仰向けにしました。


 そして、私は手に持っているカッターで、男の汚物を切り取ったのです。


 その痛みで起きた男は、先ほどとは比べ物にならない叫び声をあげました。

 あまりの声で周りの人たちが集まってきましたが、私は男から流れ続ける赤い血を興味なさげに見ていたのです。


 そこからは、あまり覚えていません。


 のちに聞いた話によれば、男が無理やり連れ込もうとしていた所を、他の生徒が見ていたようで、私には正当防衛が認められました。

 相手は裁判を起こそうとしたようですが、先に刑事告訴したことで、裁判は取り消しになったそうです。


 色々めんどくさい事になりかけた事件でしたが、私からすると告白してくる人数が減った事は不幸中の幸いだったでしょう。


 ですが、あの事件以降、父からの性的暴力は無いものの、暴言や暴力の頻度は増えました。

 しかし、私は父からの暴力に耐えながらも、ある事を思い出していたのです。


 それは『血』です。


 私は男子生徒の事件の時、あの鮮やかで綺麗なはずの血を見たはずなのに、全くと言っていいほど興奮しなかったのです。


 それよりかは、父に性的暴力をされかけた日に見た、自分の血の方が100倍綺麗でした。


 そこに何の違いがあるのか、私は疑問に思っていましたが、ある一つの仮説が思いついたのです。


 『自分と血縁の血ならば、自分の血のように興奮するのではないか?』と言うものでした。


 気になった私は、気がついたら寝ている父の前に立っていました。

 右手には包丁を持っていて、この包丁を寝ている父の胸に差し込めば、今までに見たことがない量の血が溢れ出てくる所を想像していました。


 緊張からか、興奮からかはわかりませんが、高鳴る心臓と、荒い息は自分のものでは無いと感じるほどに、自分の制御から外れています。


 私は急ぐ心を落ち着かせるために、包丁で父の腕を、小さく切り裂きました。

 ツーと血が溢れ出し、シーツを赤く染めていきますが……私が見た血に、私は驚くほど興奮しなかったのです。


 さっきまでの高鳴りは何だったかと言うほどに、心臓は落ち着いていきました。


 あまりにも何も感じない事に、私は気づいてしまったのです。


『生死の境で見る血が、一段と美しいのだ』


 その瞬間、私は包丁を投げ捨て、家から出ていきました。


 気がついた時には、ビジネスホテルのベッドに寝そべっていました。


 私は、現代社会において、不適業者の烙印を自分自身に押し、これから先、絶対に満たされる事のない罰を背負って生きてくのを1人、悟ったのでした。





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