第八十六話 開戦前夜2
令和11年1月1日・4時30分。
まだ夜空が白み始めてもいない様な時間に、陸上自衛隊・第一空挺団は、輸送機の前に整列していた。
「……」
昨日の夜までは、緊張と不安で眠れるかどうか心配していたが、実際に戦場を前にした今、その感情すらも薄れている。
まるで、自分が現実の世界にいるのか、それとも夢の中にいるのか、そう言った事が分からなくなるような感覚だった。
「……おい、拓真」
不意に肩を叩かれ、ハッと我に返る。
振り向くと、隣には先輩が立っていた。
「拓真、ぼーっとしているぞ。大丈夫か?」
「すみません。ちょっと現実味が持てなくて……」
「その気持ちは分かるが、集中しないと、命を落とすことになるぞ」
先輩は苦笑しながらも、肩を軽く叩いてくれる。
しかし、その動きはぎこちなく、内心では自分と同様に怯えていることが、伝わってきた。
「……でも、いよいよ始まるんですね」
「ああ、そうだな……」
2人の間に、言葉にならない沈黙が流れる。
寒空の下、白い息がゆっくりと夜の闇へ溶けていくのを、ただ見つめていた。
しばらくの間、無言で待機していると、第一空挺団の隊長が天幕から姿を現した。
「第一空挺団、整列!」
早朝とは思えない、張りのある号令が響き渡る。
その声に体が反射的に反応し、隊員たちは一斉に姿勢を正した。
拓真も慌てて背筋を伸ばし、拳を握りしめる。
周囲の隊員たちも同じように、緊張感を帯びた表情を浮かべていた。
隊長は隊員たちをゆっくりと見渡し、静かに口を開く。
「これより、アルカディア人工島への降下作戦を開始する。敵の詳細な戦力は不明。だが、我々は第一空挺団だ。日本最強の空挺部隊として、誇りを持ち、確実に作戦を遂行する!」
隊員たちの間に、ピリッとした空気が走る。
「この作戦の目的は、敵拠点の制圧および橋頭堡の確保だ。お前たちの役目は、敵に我々の存在を知らしめることにある!」
隊長の言葉が、鋭く胸に突き刺さる。
「そして、私から一つお前たちに伝えておきたいことがある。『死ぬな』絶対に生き延びて帰れ。それが何よりも重要な任務だ!」
その言葉に、隊員たちの顔つきが少し引き締まった。
死ぬ覚悟はできていても、やはり生きて帰ることが何よりも大切なのは変わりがない。
「「「はい!」」」
「では、搭乗準備!」
号令と同時に、隊員たちは一斉に動き出した。
装備を確認し、パラシュートを背負い、最終チェックを行う。
拓真も装備を確認しながら、震える指先を隠すように拳を握りしめた。
「……絶対に、生きて帰る」
自分に言い聞かせるようにつぶやいた言葉は、決意というより『祈り』に近い。
そして、そう呟かなければ、自分が狂ってしまうような予言めいた予感があった。
「よし!隊列を組んで乗り込め!」
隊長の言葉と共に、戦場へと向かう鉄の門が開く。
輸送機のハッチが音が音を立てて下ろされ、プロペラ機特有のエンジン音が、不気味に空気を揺らす。
隊員たちは唾を一つ飲み込むと、無言のまま整然とした列を組んで機内へと乗り込んでいく。
拓真もそれに続き、足を一歩踏み出した。
地面から足が離れる感覚に、現実味が徐々に強まっていく。
そして、コンクリートの地面と鉄の輸送機の境目で、拓真は一瞬躊躇したように足を止めた。
しかし、一つ息を呑むと、深い深呼吸と共に車内へと足を踏み入れる。
その瞬間に、もう引き下がれないと直感が感じ取った。
輸送機の内部に入れば、外のプロペラ音が弱まり、微弱な振動と無言の空間が広がっていた。
座席に腰を下ろせば、布一枚の簡素的な椅子が、拓真の体を支える。
カチャリとシートベルトを締める音が、やけに耳に残り、不安が心の底から徐々に溢れてきた。
誰もが言葉を発さない。
いや、誰もが話すことを恐れていたのかもしれない。
『ザ……ザザ……』
突然、機内スピーカーがざらついた音を立てる。
『これより、アルカディア人工島上空へ向かう。ETA(到着予定時刻)は06:15。降下準備を整えておけ』
短く、淡々としたパイロットの声が機内に響いた。
それだけで、全員の背筋が無意識に伸びたのを視界の端で捉える。そして、それは拓真も例外では無く、冷や汗と共に背筋を伸ばしていた。
いよいよ、戦いが始まる。戦争が……始まる。
そんなざわついた気持ちが喉の奥まで広がり、ゲロと共に口から出そうだった。
ゲロとも気持ちとも分からないモノをこらえていると、輸送機が動き出す。
いくつにも連なる輸送機がゆっくりと進み、滑走路へと侵入していく。
そして、強いGと共に輸送機が加速し、10秒後には宙に浮いた。
ふわりと浮き上がったと思った瞬間には、下側への強いGが発生し、座席に体を押し付けられる。
どんどんと上がっていく輸送機の窓から外を見れば、真っ暗な中にポツポツと光る街明かりが見えた。
少しだけ目線を上げれば、東京と思わしき光が煌々と煌めいている。
これから戦場に向かうとは思えないほど神秘的な夜景に見入ってしまう。
世界がこの様に綺麗であれば良かったのに……そう拓真が思った瞬間、輸送機が雲の中に入り、綺麗な夜景から真っ暗な世界へと変わる。
まさにその暗闇が、自分たちの進む未来なのだと、拓真は無意識の内に感じていた。
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第一空挺団が飛び立ったのと同時刻。
前線の仮設天幕には、新たに『統合作戦司令部』が設営されていた。
その中には、遠藤幕僚長を始めとする幕僚たちの顔ぶれが居る。
「まずは状況を報告しろ」
遠藤幕僚長がオペレーターに聞けば、直ぐに回答が返ってきた。
「はい、05:00に第一空挺団がアルカディア人工島へ向けて離陸しました。輸送機6機に分乗し、目的地点へ向かっています。ETA(到着予想時刻)は06:15です。その他の部隊も準備を完了しております」
オペレーターの報告を受け、遠藤幕僚長は小さく頷いた。
「了解した。……海上自衛隊は?」
そう問えば、別のオペレーターがすぐに応じる。
「海上自衛隊、第一艦隊・第二艦隊・第三艦隊は、アルカディア人工島を包囲するように展開完了。おおすみ型輸送艦は、3隻とも陸上自衛隊と合流し、上陸準備を進めております」
「……航空自衛隊の状況は?」
また別のオペレーターが答えた。
「……現在、F-35戦闘機部隊が偵察飛行中。敵の対空レーダーに感知された反応は在りません。また、赤外線での監視、偵察において、アルカディア人工島に目立った動きは在りません。
今現在、無人機、電子戦機は、アルカディア人工島から20キロ離れた、三浦半島付近で待機飛行中です」
タブレット式作戦地図には、衛星からのライブ映像と、F-35によって撮影された赤外線映像の2つが映し出される。
「……しかし、どうにも不自然だな」
遠藤幕僚長は、2つの映像を見て、疑問の顔を浮かべた。
「…なにがでしょうか?」
「いやな。あまりにも反応が無さ過ぎる。普通ならば、兵器の1つや2つ見えても良いのだが、アルカディア人工島には、何の変化も無い」
「…そう…でしょうか?」
幕僚たちは眉をひそめて、アルカディア人工島を見る。
彼らは遠藤幕僚長の言葉に理解しながらも、納得感の得ない表情だ。
「……オペレーター、1週間前のアルカディア人工島の画像と、昨日の画像を並べてくれ」
「了解しました」
オペレーターが迅速に作業を進め、モニターには2枚の衛星写真が映し出された。
幕僚たちは食い入るように画面を見比べ、確かに目立った変化がないことを確認する。
「……確かに変化は無いですね。ですが、アルカディアに準備するだけの物がないだけじゃないですか?」
警戒し過ぎと、1人の幕僚が指摘するが……。
「忘れるな。相手はあの大型人型兵器『アストレリア』を作り出したダンジョン教会だぞ。何をしてくるのか分からん」
「……そうでした…ね。失礼しました」
幕僚は敬礼し、すぐに自身の不用意な発言を訂正する。
「しかし、相手がまだ動いていない以上、コチラが取れる行動も無い」
今は、計画通り作戦を遂行することが最優先だ。
「……我々は、ただ時を待つだけしか出来ないのか」
不安という名の影が、幕僚たちの胸の奥にじわじわと広がる。
その不安と言う悪魔は、徐々に彼らを蝕んでいった。
~~~
令和11年1月1日・5時50分。
自衛隊は、一人一人が準備を進め、刻一刻と時間が進んでいく。
そして、作戦開始までの時間は10分を切り、各自はすべての準備を終わらせ、所定の位置についていた。
誰しもが時計を見ずとも時間を把握し、心の秒針が一つ、また一つと刻まれて行くのを感じていた。
あまりにも張り詰めた緊張感は、寒い気温をさらに凍り付かせたかのように感じさせる。
重苦しい緊張が喉の奥に絡みつき、熱くも無いのに冷や汗が一つ零れ落ちた。
そんな時だった……。
『ザ……ザザ……』
突然、静寂を破るかのように無線にノイズが走る。
何事かと思い、1人の隊員が無線に手を伸ばし、チャンネルの異常を確かめようとした、その瞬間……。
『……全兵士よ、私の声が聞こえるか?』
無線から聞こえてきたその声は、重く、静かで優しく、それでいて胸に鋭く響く声だった。
急な異変に隊員たちのざわめく声が、そこら中から聞こえる。
しかし、次の声を聞いた瞬間、彼らは一斉に動きを止めた。
『私は統合幕僚長、……遠藤正樹だ』
その名を聞いた瞬間、全隊員が息を呑む。
この場に居る誰しもが、このタイミングで自衛隊トップの声を耳にするとは思ってもみなかった。
だからこそ、彼らは遠藤幕僚長が何と口にするのか聞くために姿勢を正し、耳を澄ませる。
『我らは今、人生で最も困難な闘いを目前にしている』
低く、落ち着いた声。その声色だけで、遠藤幕僚長の人となりが分かる。
そして、そんな優しい声が無線機を通じて、一人一人の隊員に語りかけ始めた。
『この戦いから逃げたい者もいるだろう。だが、我々はこの戦いから逃げることはできない。なぜなら我々は『日本国を守る者』だからだ』
遠藤幕僚長の声は、静かでありながら確かな力強さを帯びていた。
故に、その言葉は戦場へと向かう隊員たちの心に深く突き刺さる。
『皆、思い出せ。なぜ君たちはここにいるのか。君たちは、ただの戦士ではない。我らは、『日本国を支える最後の盾』であり、『国民の未来を託された誇り高き守護者』なのだ』
無線越しでも分かる遠藤幕僚長の込められた思い。それは、聞くもの全ての心を揺らし始める。
『この国の名のもとに、我々は幾度となく訓練を積み、厳しい試練を乗り越えてきた。
それは、何のためだった?
それは、この瞬間のためだ!』
無線の音量は変わらないのに、周囲に響き渡るほどの声。
それに触発されるように、隊員たちはこぶしを強く握り締めていた。
『敵は狡猾で、強大だ。我々の規律を試し、揺さぶり、恐怖を植えつけようとするだろう。だが、恐れることはない』
『我々は、己の誇りに誓ってここに立っている。
我々は、己の信念を持って戦いに挑んでいる。
そして何よりも、我々には『守るべきもの』がある!』
『君たちが家を出るとき、何を見た?
家族の微笑みか、恋人の涙か、友の励ましか?
その全てが、君たちが守るべき『日本』そのものだ!』
その言葉に、誰かが小さく息を呑んだ。
誰しもが、誰かの顔を思い浮かべる。
そして、その誰かが死んでしまうところを幻視した。
『君たちの背後には、君たちを信じ、君たちに希望を託した1億2千万人の国民がいる!彼らは、我々がこの国を守ると信じている!ならば、我々はその期待に応えなければならない!』
だからこそ、誰かが命を賭けて守らねばならない。
そう無意識に感じさせるだけの信念と決意が、遠藤幕僚長の声には籠っていた。
『諸君!これはただの戦闘ではない!これは日本という『国家の存亡を賭けた戦い』である!』
故に、遠藤幕僚長の言葉に、一人、また一人と腹をくくり始める。
『私はここに誓う!
私は最後の最後まで、諸君と共に戦う!
私は統合幕僚長・遠藤正樹として、日本国を背負い、諸君らと共に、この戦場で命を賭ける!』
その言葉と共に、この無線を聞いていた者のほとんどの人が、誓う。
『だから諸君らも、誇りを持て!
己の信念を貫け!
そして…… 日本の未来を守るのだ!!』
奮い立った気迫が喉の奥からあふれ出そうになる。
『行け!勇敢なる自衛隊の戦士たちよ!!』
そして、遠藤幕僚長の言葉が終わったとき、自然と声があふれ出していた。
「「「「「おおおぉーーー!」」」」」
凄まじい雄叫びが周囲に響き渡る。
雄叫びは、やがて咆哮へと変わり、空を揺らすほどの力へと変わっていく。
それは命を懸ける者たちの叫びであり、誇りと恐怖を乗り越えた者たちの決意の証でもだった。
誰もが一人ではなかった。
背中には仲間がいる。
胸には守りたいものがある。
だからこそ、前を向ける。銃を握れる。命を賭けられる。
「……」
その微かに聞こえる雄叫びに耳を傾けながら、遠藤幕僚長は目を閉じた。
そして、誰にも聞こえないような声で、そっと呟く。
「……すまない。……ありがとう」
空はまだ暗い。
だが、確かに夜明けは近づいている。
希望か、絶望か。その先に何が待つのかは…………まだ誰にも分からない。




