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第八十九話 軍人として……人として




「はぁ、はぁ」


 息を切らせながら、走る。ただ真っ白になる思考は、『逃げる』と言う単一の意志のみによって、体を動かしていた。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 もう、あの悪魔の様な羽音も、爆発音も聞こえなくなっていた。


 いつ聞こえなくなったのかは分からないが、それが随分前と言う事だけは言える。

 なぜならば、片道1時間ほどかけて潜入した世界樹の外側に居たのだから……。


「…空」


 日が完全に登り切り、青白く染まる空を見上げた瞬間、自分が今どこにいるのかを思い出す。


 霞む視界を下げ、周囲に目をめぐらせると、同じように息を切らした隊員たちが、荒い呼吸をしながら地面に横たわっていた。


「……ぁ…ッ」


 遠くで誰かが話している声が聞こえる。

 だが、その声が誰のものかも分からず、やけに遠く感じることに、妙な違和感を覚えた。


「……ぁ…ッ」


 また、だ。

 また同じように誰かがしゃべっている。


「…ぁ…ぅ!」


 瞬間、自分の肩が強く引っ張られる。

 驚いて振り返れば、そこには小隊長が居た。


「ぁ…ぅ」


 何かを言っているように小隊長の口が動くが、その声が拓真に届く事は無い。


 そこで、ようやく気がついた。

 周囲の音が、まるで水の中にいるかのように曖昧で、聞こえていないことに。


「……すみません、小隊長。どうやら鼓膜が破れているみたいです」

「……ぁ」


 拓真の言葉に、小隊長は一瞬、表情を曇らせた。何か言いたげだったが、それを飲み込み、代わりに大きく頷く。


 そして、すぐに手を使って簡単な合図を送る。


(……待機、か)


 指で『W』を示し、手のひらを下げる動作。手話の知識はほとんどなかったが、それでも『待て』という意味であることは何となく察せられた。


 拓真は力なく頷き、その場に座り込む。

 胸が上下しながらも、ようやく呼吸が整い、脳に酸素が行き届いていく。


 しかし、それは拓真にとって良い事では無かった。


(俺は……生き延びた。生き延びて……しまった)


 空になった頭に、酸素と共に現実が戻ってくる。


(先輩は……もう……いない)


 先輩の……あの、最後に握った手の冷たさが、指先にじわりと蘇る。


 ポケットの中には、血で汚れた1枚の写真。

 先輩が命を賭けて守った、たった1枚の妹の写真。


(……どうして、俺なんかが……生きてるんだよ)


 拓真は膝を抱え、喉の奥で何かを飲み込んだ。


 それは言葉にならない。声にした瞬間、すべてが壊れてしまいそうだった。

 悔しさ、後悔、怒り、悲しみ。そのすべてが混ざり合い、感情が飽和していく。


(自分よりも先輩の方が生きるべきだった)


 先輩には守るべき『妹』が居た。もっと生きなければならなかった。


(もし、あの時……もっと早く動けていれば)


 もっと素早く動いていれば、爆発に巻き込まれずに済んだのではないか。


(もっと俺が冷静で、助けに行かなければ……)


 もし、あの時、非常になって見捨てていれば、先輩は死ぬ事は無かったのではないか?


(もっと……俺が……)


 思考は何度も同じ場所を巡る。

 だが、どれだけ繰り返しても……先輩は、帰らない。……もういない。


 どれだけ悔やんでも……時を戻す事は出来ない。

 もう、……何も変わらない。


 喉に詰まった何かが、もがくようにせり上がってくる。

 だけど、涙は出なかった。あまりにも現実が重すぎて、涙すら流れなかった。


(……先輩が死んだのは、俺の責任だ)


 拓真は強く唇を噛みしめた。

 拳が震える。それは怒りでも憎しみでもない。責任の重さに耐えられない、自分自身への震えだった。


 だが、それでも……。


(先輩の妹に恨まれようとも、俺は先輩の願いを必ず果たす)


 先輩の遺した最後の願い。

 それだけは、何としてでも果たさなければならない。


 拓真は、目を閉じて、心に誓った。



~~~



 暗く澱んだ沈黙に支配される統合作戦司令部。


 そこには、遠藤幕僚長を始めとする幕僚たちが、無線を通じて、前線からの報告を受けていた。


『こちら、第一空挺団・第一普通科大隊・第一小隊・ヴァンガード1です。07:15に敵のドローン兵器と思われるものの攻撃を受け、損害が発生しました。

 被害規模は、ヴァンガード部隊全体で戦死者10名、重傷者21名、軽傷者33名です。重傷者の中にはその場の応急処置で一命を取り留めた者もいますが、依然として危険な状態にある者もいます。

 現在は戦闘継続が不可能と判断し、撤退を完了しました』


 ヴァンガード部隊の被害報告が、淡々と無線から流れてくる。

 報告を受けた作戦本部の面々は、誰もが険しい表情を浮かべていた。


 だが、険しい顔の裏に幕僚たちが思っていた事は、独断により作戦を中止させた不満ではない。

 逆に、独断せざる負えない程の『何か』があると言う裏の意図への警戒によるものだった。


「……フェーズ1、フェーズ2とも失敗に終わるとは……」


 幕僚の1人がそう言えば、統合作戦司令部に居る全員の顔が悪くなる。


 この戦いが厳しいものになることは誰しもが覚悟していた。

 だが、それでも自信はあったし、作戦に瑕疵は無かった。


 なのに、それでも……だ。


 フェーズ1は、謎のバリアによって損害皆無。

 フェーズ2では、橋頭保の確保には成功したものの、世界樹内の偵察は失敗。結果として大損害をだした。


「……作戦開始からわずか三時間で、すでに死者10人、負傷者50人以上とはな……」


 遠藤幕僚長が苦しげな声でつぶやく。

 全体の損害としては軽微かもしれない。だが、10名の死者は決して軽んじるべき数ではなかった。


「……上陸作戦の橋頭堡は確保しましたが、この被害で次のフェーズ3を強行するのは無謀だと具申いたします」


 幕僚の1人が遠藤幕僚長に対して言った。


 誰しもが思っていた事を言語化した事により、その場にいた人々の気持ちが同じである事が察せられる。 

 しかし、まだ報告は終わっていなかった。


『こちら、第一空挺団、ヴァンガード4です』


 無線から新たな声が響き、一同の視線がそちらへ向かう。


『先ほどのドローン兵器のうち1機を回収しました。画像を送信します』


 その言葉とともに、個人用端末で撮影された写真が人工衛星を経由し、統合作戦司令部のタブレット式作戦地図に表示された。


「……これは……まるで『トンボ』だな」


 誰かがそうつぶやくと、その場にいた全員が同意するようにうなずく。

 4枚の翼に長い尾部、大きな複眼。まるでトンボを機械にデザインし直したかのような外観だった。


 幕僚たちがその姿に驚いていると、無線機の雑音に混じりながら、現場の隊員が説明を始める。


『……この自爆ドローン『トンボ』は、数百機から数千機ほど確認されています。機体は小さく、動きも素早いため、銃で撃っても命中させるのは困難でした。

 このドローンは、約10メートルの距離で自爆し、手榴弾のように破片で周囲を殺傷する兵器だと思われます。

 また、爆発直前には誘爆を防ぐためか、周囲のトンボが爆発地点から離れる動きを見せました』


 ヴァンガード4の説明を聞いた幕僚たちは、この兵器を掴み損ねていた。


 ドローン兵器が戦場で使用され始めたのは21世紀に入ってからだ。

 特にナゴルノ・カラバフ紛争やロシア・ウクライナ戦争では、その有用性と破壊力が示された。


 だが、それはあくまで中東やヨーロッパといった遠い地域の話。

 極東に位置する日本では、ドローン兵器の脅威を真に理解している者は少なかった。


「……自爆ドローンですか。…確かに脅威ではありますが……」


 1人の幕僚が、渋い表情でつぶやく。

 その言葉は、この場にいる全員の胸中を代弁していた。


「……どうなさいますか、遠藤幕僚長」


 別の幕僚が問いかける。

 最終的な判断は、統合作戦を統括する遠藤幕僚長の肩にかかっている。


 遠藤幕僚長は沈黙し、しばし考え込んだ後、低く、だが揺るぎない口調で答えた。


「……フェーズ3は中止だ」


 静かに告げられた言葉に、誰ひとり驚く者はいない。

 なぜなら、彼らもまた同じ結論に至っていたからだ。


「……異論のある奴は居るか?」


 遠藤幕僚長の問いに、幕僚たちは首を横に振る。

 そして、全員の顔を見渡し、改めて強く命じた。


「では、全部隊に伝達。フェーズ3を中止し、一時待機。ヴァンガード部隊には撤退を指示しろ!」

「「「は!」」」


 敬礼とともに、幕僚たちが一斉に端末へと手を伸ばし、指示の準備に取りかかる。 


 しかし、その時……。


 1人のオペレーターが緊迫した声で叫んだ。


「……ッ!通信異常発生!」


 その声は、統合作戦司令部の天幕を超えて外にまで響き渡る。


「何事だ!」


 遠藤幕僚長が鋭い声を飛ばす。


「は、はい! 現在、強力な電波がアルカディア人工島から放たれています!」

「通信妨害か?」

「ち、違うようです。他の通信帯域は正常です。……どうやら、向こうからの通信だと思われます!」


 通信オペレーターが慌てながら解析を続けると、すぐに無線機のスピーカーから女性の声が流れ始める。


『全戦域に通告します』


 聞き覚えのある声に、全員が息をのむ。


『現在、海岸上にある兵器、及びアルカディア人工島から二十浬以内に展開する戦艦に対し、我々アルカディアは攻撃をいたします。攻撃開始時刻は、現刻から1時間後の09:00時に開始します。繰り返します……」


 声明は淡々と、まるで録音されたかのように無機質な調子で繰り返される。

 そして、3度の通告の後、『ブツン』という音とともに通信は切れた。


「「「……」」」


 再び重苦しい沈黙が天幕内に落ちる。


 先ほどまでのドローン『トンボ』の報告が、全員の脳裏に浮かんでいた。

 攻撃が再び始まれば、今度はどんな被害が出るか、想像するまでもない。


「……どうしますか、遠藤幕僚長」


 沈んだ声で幕僚の1人が問う。


「このまま攻撃範囲内に留まれば、部隊は壊滅するかもしれません。しかし、撤退すれば……」


 全員が視線を交わし、苦渋の表情を浮かべる。


 彼らは軍人であり、撤退の選択がどれほどの意味を持つかを熟知していた。

 しかし、無策のまま進軍すれば、ただの『死に行く命令』になりかねない。


 遠藤幕僚長は、数秒間、腕を組み、深く思案する。

 そして、決断を込めて、口を開いた。


「……警告通り、海軍を攻撃範囲外まで撤退。それと同じ距離にある陸軍も同じく撤退させろ」


 その言葉を聞いた全員が敬礼を返し、即座に動き出す。


「ヴァンガード部隊に撤退指示を!」

「海上部隊はアルカディア人工島から二十浬圏外へ!」

「戦闘機は帰投。陸上部隊は、兵器を一時放棄し、第二戦線まで後退!」


 本部内が急速に指令を発し、混乱しながらも撤退の準備が進められる。


 しかし、そんな時だった。


「幕僚長、電話です!首相官邸からの直通回線です!」


 通信オペレーターの声が響いた。

 遠藤幕僚長はピクリと眉を動かしながら、無言で受話器を取る。


「回線をこっちに回せ」

「はい、……回線、1番です」


 受話器を握ったまま、遠藤は指定されたボタンを押す。


「……こちら統合作戦司令部の遠藤幕僚長です」

「私だ」


 電話の向こうから聞こえてきたのは、低く、重みのある声。

 その声だけで、誰なのか察しがついた。


「……犬塚総理」


 この非常時に……と、遠藤幕僚長は内心で舌打ちするが、表には出さない。


「今はこちらも忙しいので、手短にして欲しいのですが、要件は何でありましょうか?」

「いや、少し不可解な情報が私の耳に入ってな」

「……『不可解』……でありますか?」

「そうなのだよ。全く困ったことなのだよ」


 回りくどい言い方に、遠藤のストレスはじわじわと膨れ上がる。


「いやな、笑える話だが、私の耳に『撤退』という、なんとも馬鹿げた情報が入ってきたのだよ」

「……」


 『ハハハ!』と、笑いをする犬塚総理の声は、まったく笑っていなかった。


「私は、面白い冗談だと思っている。むろん、……冗談だよな?」

「……」


 遠藤幕僚長は、即座に答えることは出来なかった。


 だが、彼は自衛隊のトップであり、幕僚長としての責務を負っている。

 ここで判断を誤れば、部下たちは無意味に死ぬ。


「……総理、現状の戦況を考えれば、撤退は賢明な判断です」

「賢明な判断、だと?」


 犬塚総理の声が、不快感を表すように、僅かに低くなる。

 だが、遠藤幕僚長は押し黙ることなく言葉を続けた。


「確実に敵の兵器が待ち受ける中で、無策のまま進軍すれば、ただの『死に行く命令』になりかねません。現場の部隊を全滅させるつもりですか?」

「部隊は『全滅』などしない。貴様の判断が間違っているだけだ。貴様は軍人だろう? 軍人ならば、敵を倒すために戦うのが役目ではないのか?」


 遠藤幕僚長は拳を握りしめた。

 

 自衛隊員の命を考えもしない総理の言葉に、怒りがこみ上げる。

 だが、それを飲み込み、冷静に答えた。


「……私は軍人です。ですが、自衛隊の指揮官でもあり、彼らの命を預かっている者です。ゆえに、私は『自衛隊の指揮官』として、部下の命と意志を無駄にしない為に動きます」


 その言葉は、遠藤幕僚長の覚悟を示していた。

 だが、そんな覚悟を犬塚総理は笑い飛ばす。


「ハハ、面白い事を言う。貴様は指揮官である前に、自衛隊員だ。そして、自衛隊の最高指揮官は、総理大臣である私だ!」


 犬塚総理の声が、大きく強くなる。


「ゆえに、私は最高指揮官として命じる。確実にアルカディア人工島を制圧し、セイントとスイキョウを殺害せよ!」


 その瞬間、本部内の空気が凍りついた。

 幕僚たちは顔を見合わせ、息を潜める。


 誰もが、今この場で交わされている会話の重さを理解していた。


 遠藤幕僚長は、受話器を握りしめたまま、唇を噛む。

 彼の脳裏には、今も撤退命令を待つ部下たちの姿が浮かんでいた。


(もしも、ここで言う事を聞いて撤退しなければどうなるだろうか?)


 多分だが、ほとんどの自衛隊員が死ぬだろう。


(そんな事を許しても良いのか?見殺しにしても……良いのか?)


 ……………。


「……総理」


 低く、遠藤幕僚長は言葉を紡ぎ始めた。


「……あなたが最高指揮官であることは重々承知しています。ですが、私はこの日本の自衛隊員であり、現場を預かる指揮官です」


 電話口の向こうから、犬塚総理の息を呑む気配が伝わってくる。

 遠藤幕僚長が何を言おうとしているのかを察したのだ。


「ですが、私は軍人である前に一人の『人間』です。ですので、私は私の部下を見殺しにするつもりは、一切ありません」

「貴様ッ……!」


 怒声が響くが、遠藤幕僚長は構わず続ける。


「私は、独断で撤退命令を出します。いかなる処分をしてくれても構いません」


 静かに、それでいて確固たる決意を込めて、遠藤幕僚長は宣言した。


「貴様……! ふざけるな! これは命令だぞ! 軍人ならば……!」


 遠藤幕僚長は、言葉の続きを拒むように、ゆっくりと受話器を置く。


 その行動が何を意味するのか、部屋にいる全員が理解していた。

 だが、誰一人として言葉を発しようとはしない。


 ただ、その場にいた幕僚たちの顔には、明確な敬意と決意の色が浮かんでいた。

 口にこそ出さないが、彼らもまた同じ覚悟を共有していたのだ。


「……各部隊へ通達。陸軍および海軍を攻撃範囲外へ撤退させろ」


 その言葉が発せられた瞬間、幕僚たちは一斉に動き出した。

 本部内が慌ただしく指令を飛ばし、戦場の最前線へと撤退命令が下される。


「ヴァンガード部隊に撤退指示を」

「海上部隊はアルカディア人工島から二十浬圏外へ移動」

「戦闘機は帰投。陸上部隊は兵器を一時放棄し、第二戦線まで後退させろ」


 本部内は一斉に動き始める。

 命令は迅速に伝達され、現場の部隊へと伝えられていく。


 戦況が刻々と変化する中で、命を預かる者としての責務が、今ここに貫かれた。


 遠藤幕僚長は、椅子の背にもたれながら、ゆっくりと深い息を吐く。

 呼吸に混じる重圧と葛藤は、すでに過ぎ去ったものではなかった。


 だが、視線を上げたその眼には、一切の後悔は見えない。




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