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ユーリー戦記~運命の子~  作者: 橘宗太郎
第一章「飛躍」
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第一話「少年騎士」

「あんたさあ」


 女性の怒った声というのは、嫌いではない。少なくとも、彼女に見下ろされている少年はそう思っているし、それを言えば更に怒られる事も分かっていた。


「少しは、上手くなってよ。女に負けるようじゃ、父上の足手まといにしかならないわ」


 長剣(といっても斬れない様に刃の端が削られている練習用の剣だが)を右肩に乗せながら、若い女は転がった少年を強く見下げた。


 呆れ顔で言われるのも、また趣きがあるものかもしれない。少年は、ニコリと笑うと起き上がって一礼した。二人とも整った容姿であるが、その特徴は大きく違った。


 女性の方は背が高く、男勝りといった感じであった。事実、この様子を見るならばそうなのだろう。体は女性らしいというよりも多少がっしりしていて、女性にしては筋肉質である。長剣を軽々と扱い、とても女の力とは思えない。


 肩でばっさりと切られた黒髪に、ややきつめの瞳を持つ。躍動感に溢れていて、快活な雰囲気を持っていた。女の色気というよりも、ハツラツとした気性が彼女の魅力なのだろう。


 少年、とはいっても十五、六にもなっただろうが、女性とは違った顔つきであった。肌艶が綺麗で、顎のラインが細く、異性にも見える。中性的といった方がいいのだろうか、その様な顔であった。体つきは細身というわけではなく、筋肉質である。剣を扱うぐらいだから、多少鍛えているのだろう。薄緑色の穏やかな瞳がいかにも美少年と言われるに相応しい。


(貴族のご令嬢というには、随分ご無理のあるお方だ)


 少年は、何時もそう思う。彼は貴族ではない。なぜこの場に置かれているかといえば、少し複雑である。女性の家と彼の家とは遠い親戚にあたるのだが、住んでいた街に疫病が大流行し、その死者の中に両親が混ざっていたという理由だ。遠い親戚といっても何代も前のことであり、ユーリーの側は途中で養子を挟んでいるので、血も繋がっていない。


 とはいえ、当分血の繋がりを気にするほどの事はなさそうである。女性の方も若いといえば若いが、歳の差は五歳は越えるであろう。もし恋は出来たとしても、貴族のご令嬢であるから、結ばれるとは思えない。憧れる程度なら許されるだろうか、彼はぼんやりとそう思っている。




***




 故郷を離れ、親類を頼ってみたはいいが、少し前まで少年は厄介者であった。住まいは与えられたが、何をするわけでもなく、日々退屈に暮らしていた。おそらく、誰も彼に接触したくはなかったのだろう。何しろ、疫病の街から来た者だ。食事を与えられる時でさえ、彼は一人だった。


 ある日、彼はこの家の広い庭を散策することにした。


 一本の大きな木を見つけ、するすると登っていった。身軽さは彼の取り柄の一つである。


 そして、空を眺めた。故郷と変わらぬ青い空だ。視線を下ろすと、海が見える。大きな港もあり、潮の香りがしたように感じた。


「あんた、見ない顔だね」


 突然、女性の声が聞こえて、彼はギョッとした。今まで、この家で人に話しかけられることなどなかったからだ。下を見ると、若い女性がこちらをいぶかしげに見ている。美しい女性だった。絵画に描かれるような美人ではないが、少年にはこちらの方がずっと魅力的に思えた。


 木登りなど子供のようだと思われないか気になって、顔を真っ赤にしたのを覚えている。


 彼女は少年のことを聞きたがり、少年もそれに付き合って日暮れまで過ごした。その後は、まるで姉と弟のように一緒に過ごすようになった。


 最近になってわかったのだが、彼女はあまり人と話す方ではないらしい。特に貴族やへりくだった使用人達と話すのは好きではないようだ。


 使用人達の中で、数人を彼女は友人だと言っている。彼女と同年代の侍女と、料理を作ってくれている中年の女性、それにこの庭を管理している老人だ。特に侍女の名前はベーラといって彼女同様に気の強い娘だ。よく二人で街に買い物や、そこまで酷くない遊びに行っている。この頃、絶対と言ってよいほど一緒に連れて行かれるので、少年はそれを知っていた。賭けをしたり、芸を見たり、酒を飲んだりというのが、何の楽しみになるのか少年には分からなかったが。


 さて、侍女の名前がでたというのに、当初の二人の名前がでてないというのでは、あまりに気の毒である。少年の名前はユーリーといい、女性の名前はユーリアという。ユーリアは自分の名前が好きではない。どうも、淑やかな名前で嫌なのだという。似た名前のユーリーも同じような響きだが、こちらは女にも思える名前を、気にしたこともなかった。


 ユーリアの言葉遣いは貴族としてはやはり間違ったものである。公式な場ではさすがに多少丁寧になるが、あまり褒められたものではない事には変わりない。そして、剣を軽々と扱うというところも、女性としては間違っているだろう。


 父であるイライアスは妻が早世してからは政務に勤しみ、地方の大領主という身分でありながら宮廷内に身を置くまでになっているが、娘の事はほったらかしであったらしく、その時期に相当荒れたのであろう。生来、貴族というものが合わない部分があったかもしれない。彼女は門限や外出の制限というものさえ与えられず、侍女としてではなく友人としてのベーラを連れて領民達と混じっていた。田舎なものだから、皆の口が悪く、自然ユーリアの言葉遣いも悪くなっていった。もっとも、領民達はそれを気に入り、彼女を決して粗末に扱う事はなく、優しかった。

 

 今は、父とは和解したようだが、なかなか言葉遣いまでは直らない。

 

 先に述べた、イライアスが地方の大領主という身分でありながら、という点は少し説明が必要かもしれない。

 宮廷内というのは、ほとんどが昔からの近臣達が役職を持っていて、中央に近く有力な大領主ならばともかく、地方の者は基本的に冷遇されるのである。イライアスがその能力を買われて宮廷内に入り込み、中央から国を動かす側になっているのは、稀な例であった。

 

 宮廷の役職者達が有利なのは、形式上は宮廷内で取り決められた事であっても、王の言葉となる点だ。ゆえに、領土や高い爵位を持たない国王の配下達であっても、政治的に地方の大領主よりも上とされるのである。ただ、大領主達の中でも特に領土を発展させ、力を持っている者はその力を背景に影響力を持つので、近臣達にも手を出しがたい存在である。


 イライアスの場合は大領主の中でも末席にあたり、影響力を持つためには近臣に近い立場になるしかなかったともいえる。




***




「てい!」


 上段からのユーリアの攻撃を受け止めると、とても女の一撃とは思えない重さを感じた。もうユーリーは二度酷い打撃を入れられている。一回目は指であったが、二回目は鎖骨をやられた。寸止めしているつもりなのだろうが、力強い一撃は勢い余っている。怪我をした時の看病もユーリアがしてくれるので練習しているよりはマシかと思ったが、どういうわけか数日で回復してしまう我が身が少し不幸に感じた。


「せい、や!」


 更に力を込めて押そうとするユーリアに対して、ユーリーはサッと引き、相手の剣を流した。ぐらりとユーリアは前にのめりそうになったが、足をふんばり自分にとっての左を向くと突きの構えのままユーリーが動きを止めていた。


「あんた、手抜かないでよ!」


 怒ったのか、止まっているユーリーに斬りかかると、今度は手元に近い方の剣の刃を叩かれて剣を離してしまった。草の上に静かに落ちていく剣の事など忘れて、驚いた様子でユーリーを見ると、彼も驚いている。


(何か、簡単に動く様になった)


 どうやら、彼には剣の才能というものがあるらしい。ユーリアは街の剣術大会で曲がりなりにも上位に入る腕なのだ。その彼女をどうやったか容易くあしらう彼の腕というのはまさに天性である。剣術を学んだのはここ一月ほどの話しでもあるし、間違いはない。少なくとも、この時点でユーリアはそう思った。


 ユーリアが彼の剣術を教えていたのは彼がこのまま何もせず、ぐうたらに過ごすよりは腕を磨いて父の護衛にでもなってもらえればという気持ちがあった。もっとも、何もしなかったのはその父が宮廷から長い間戻ってこなかったからだが。


 ユーリアはなぜだか訳も分からず感動してしまって、彼を抱き締めた。それは恋などという感情ではなく、自分の弟子の成功を祝う師の気持ちだったけれども、ユーリーは少し恥ずかしがった。




 秋は過ぎ、冬になると外で剣術の練習も出来ない。それを不満に思ったユーリアであったが、秋までの弟子の成果に満足していたので気にもならなかった。そこで、今度は宮廷マナーを教えだした。どういうわけか、それなりの作法を知っていて、細かく説明して、言葉遣いもやけに丁寧になった。貴族の娘の嗜みというやつだろうか。


「だから、ここで一礼しないと次の人が入っていいかどうかわからないの。迷惑になるでしょ、わかった?」


 ユーリーは図解された作法の本を読まされ、横から茶々を入れられながら頷き続けるばかりであった。剣術の方がよほど簡単だと思ったが、それは口に出せない。一度言ったのだが、


「嫌なら、この家から出て行け」


 と男言葉で言われたので、言えなくなった。当主がいないこの館では彼女が当主代理だ。この土地の最大の権力者である。貴族としてではないが、商人の子として商売を継ぐ事になっていたユーリーとしては今更普通に働こうという思惑もなく、護衛というのも良いかもしれないと思ってきていた。保護者であるイライアスに頼んで商売をやらせてもらう事も出来ない事ではないが、あまりにも疎遠だった親戚なので気が進まない。この際、この貴族の娘の思惑に付き合ってやるのも良いと思った。


 そのイライアスがしばらくぶりに帰ってきたのは退屈なマナー講習が始まってから一月ほど経った頃で、二人の寄り添う様を見てイライアスは髭をいじりながら考え込む一方であった。寡黙で知られるこの男はユーリーに対しても、娘に対しても何時も以上に話しをしなかった。もっとも、寄り添う様に見えるのはどこへでもユーリアが付いて行って口喧しく説教をしているだけなのだが、確かに何時も二人で一緒といえば、一緒である。離れるのは寝る時ぐらいのものか。


(男に大して興味がないのかと思っていたら、童子の趣味があったか)


 などと考えの深みにはまってきたイライアスが娘から護衛としてユーリーの紹介を受けたのが、ユーリーが欠伸をした時に教本を投げつけられたのを目撃した後の日であった。


(なんだ、弟が出来た様なものだったか)


 彼女の話す様子を見てそう感じたイライアスは安堵感と共につい微笑んでしまった。しまった、そう思ったが、すでに遅くその様子を見たユーリアは喜んでユーリーを呼び、目の前で手や腕を取りながら、どこがどの様にすごいなどと可笑しい褒め方をした。


「わかった。ただし、一度やらせてみて駄目な様だったら、やめてもらうぞ」


 ユーリーは不安になった。イライアスとしては今後、商人の道を残しておくつもりで言っているのだが、寡黙な彼はそれ以上の事は言わなかったので、ユーリーはこれで駄目なら放って置かれたままになる様な気がしてしまった。


 それが彼を真面目にしてしまったのだが、それから一週間も経った時には一通りの宮廷マナーというやつを会得していた。食事の仕方も風変わりして、ユーリアも弟子に負けるわけにはいかず、丁寧になった。


 そして、更に一週間後になると彼はイライアスに連れられて宮廷に向かった。別れ際にまたユーリアに抱き締められてしまったユーリーだが、防寒具に包まれて吐息以外に感じるものがなく、残念に思った。ふと見上げると、気丈なユーリアが泣いていたので驚いた。


 彼女の友人であるベーラが今はイライアスがいるので様をつけて呼びながらユーリアを元気づけている最中、イライアスに急かれて馬車へと乗ってしまった。しばらくその様な事を考えていたら、


「泣かれたのは私も久しぶりだよ」


 と、横に座っていたイライアスから言われ、


(どういう意味でこの人はそれを言っているのだろう)


 との疑問を考え続ける事となった。


 それはやはり考えすぎで、イライアスは娘を政略結婚に使おうとする人ではなかったし、彼が今の地位に上り詰めるまでにそういった方法を使わなかったのがその証拠である。


 ユーリアは貴族界ではお転婆として、なかなか人気のある女性であり、貴族の子弟達が言い寄って来た事も何度かはあっただろう。男として、美しい女性を迎える事は最高の喜びであるという考えは何時までもあるものだ。


(これから時が経てば二人が結ばれる場合もあるかもしれない)


 その様な事をぼんやりと考えながら、娘の興味を唯一引いているこの少年を横目で観察しているイライアスも意外に意地の悪い男である。もっとも、好き好んで平民に娘をやれる貴族も少なかろうが。彼にとって、あのお転婆娘が愛する誰かと結ばれる事だけで、満足だと思われるし、そのぐらいにユーリアは貴族の男も含めた目の前の少年以外の男達に興味がなさげであった。


 それは、彼にとって婿を迎え入れるという事ではなく、娘が男の下に走ってしまうという方向の話であって、実際そうなる様な気がしてならず、自分に出来る事は金を送ってやる程度のものだろう、と考えるイライアスであった。


 もっとも、真面目に考えているわけでもなく、仮定の仮定にすぎなかったが。




 宮廷までの道のりは遠かったが、吹雪で二日ほど日程がずれた以外は特筆する様な事もなく、王都フェージャまで辿り着いた。


 王都と呼ばれるに相応しく、活気に溢れ、よく整備された都市である。建物も素晴らしく、貧民街であっても地方の並の建物並のものに集団で住んでいたから、よくフェージャを象徴するものとして話に上がる。その中心に、巨大なフェージャ城があり、更にその中央に王宮がある。城の中に入る者は多いが、王宮に入れる者は少なく、王との密談や交渉を行える権限がある者、もしくは王族やその妻、そして、近衛兵に限られるのだ。


 護衛も近衛兵に形式上分類され、与えられた部屋以外に入る事は許されないが、それなりの行動の自由を得ていた。王族の女達とは接点を持つ機会はない。彼女達は王宮の北側に暮らし、その門は王族以外の男子禁制であり、公式行事でもない限り、そこから出る事も少ないからだ。


 宮廷の外見も素晴らしいものであったが、内部は更に飾り付けられ、その芸術品はユーリーを単純に感動させた。特に彼は過去の王達の肖像の飾られた廊下を気に入り、ずっと見ているので周辺の衛兵達と何時の間にか仲良くなるほどであった。現国王になってから大きな戦もなく、あるとしても全て勝利し、更に災害も少なかったので他の国民と同様に彼にとって王様は尊敬するべき人であったし、その人の近くにいれる事がこの少年には単純に嬉しかった。何より商人の子だけあって絵画の技術という素晴らしい芸術を理解している様だった。


 また、彼の仕事がさほどなかった事もある。イライアスの政務は重要機密に関わる事も多く、平民あがりの彼はその資料を覗く事さえ許されない。それでも外出する際には呼ばれるのだが、その機会は極端に少なく、用もなく主人を置いて宮廷の外に出るわけにも行かず、宮廷の中での限られた散策を楽しむ他なかった。


 彼にとって良かったといってよいのか、彼の成果はともかくとして彼の容姿は話題になっていた。宮廷に出入りする貴族達の間から貴族の婦女子達に伝わり、騒がれているらしい。イライアスの稚児であるとも言われているが、イライアスはそういった風評を気にする男でもないので否定をしようともしない。噂ばかり先にたって、実際の彼は先王達の威厳に満ちていると思われる顔を飽きずに覗いていた。


 彼が皆の前に正式にお目見えしたのはイライアスの政友であるステパン老が主催する宴の席での事であった。百人ほどの貴族やその子弟、令嬢達が集まり、どれもが名門もしくは地位の高い貴族達である。もちろん宮廷外への外出という事になるので、ユーリーは護衛として同行した。


 彼自身は食事を取る事もなくイライアスの側で直立したまま立っていたのだが、ステパン老から自由にする様に言われた。一度は断ったのだが、イライアスにもそう言われ、他の人々と同じ様に酒杯を片手に持った。


「君の事を知りたい人も多いようなので」


 ステパン老にそう言われたが、その通りだった。


 特に着飾った貴族のご令嬢達には質問攻めにあったが、幾つかの素直な疑問にはやんわりとこう言った。


「確かにイライアス様は威厳があり、また、深みのあるお人です。しかしながら、ご尊敬する事はあっても、恋焦がれる事はありません」


 内心は、


(貴族というものは、可笑しな発想をするものだ)


 とも思ったが、自分も元を正せば貴族に繋がるのだから文句も言えない。


 とある若い女性に


「ご一緒に踊っていただけませんか?」


 と、誘われると無難にこなし、その女の人の眼差しにやや圧倒されつつも踊り終えた。


「お聞きしてもよろしいかしら?」


「私に答えられる事ならば何なりと」


「貴方、貴族ではないと聞いているわ。それなのに、この踊りはどこで覚えたのかしら?」


 ユーリーは少し迷った。ユーリアがマナー講座のついでに軽く教えてくれたものだが、ここで言っては要らぬ誤解を招く事になるかもしれない。少し考えると、違う表現が浮かんだ。


「姉に教わりました」


 にこり、と緩やかに微笑んで答える様は実に爽やかである。内心と違い、表面に出ている部分は少年らしい。もっとも、姉がいたとしても貴族ではないのだから普通はそういった踊りではなく、祭りの際に皆で踊る様なもの程度しか知らないはずだが。その点はまだ子供の考えであった。


「あら、お姉様がいらっしゃるの」


「ええ」


 それ以上は話すと姉にされた女性に気まずい気がしたので、一礼すると彼女から離れた。その彼女がステパン老の孫であり、権力の座を狙う貴族や貴族になろうとする者達の高い関心が寄せられる未婚の女性である事は知る由もない。実際のところ、大人びて見えるが、ユーリーとさほど変わらない歳であるから、未婚というのは珍しい事ではないのだが。


 ただ、彼自身は彼女が自分を好いているかもしれないとは思った。単純に、なかなか視線を外してくれなかったからである。笑ってみたり、見つめてみたり、何やら試されているようであった。その点ではまったく悪い気はしない。絶世の美女と言われるほどの人だったからだ。均整のとれた顔と体、少し高めの鼻、ストレートの長い金髪。何より宝石の様に澄んだ青い瞳が綺麗であった。ステパン老の一族というのは美男美女で知られている。その中でも抜群と言ってよいのではないか。


 ふと後ろを振り返ると、まだまだ変わらない表情で微笑まれ、ユーリーも自然と軽く微笑んでしまった。


(貴族といっても礼儀正しいだけで、大して違う反応はしないものだ)


 恋というものをその容姿のせいもあって幾つか知るユーリーは、前にもその様な事があったと思い出していた。それを面白く思うユーリーであったが、遠目でその様子を見ていたイライアスとしては気まずいものであった。ただ、ステパン老は近頃めっきり視力が落ち、孫の場所など見えないだろうからこの場では気にする事でもない。


 もう一人、ユーリーに強い印象を与えた人物がいた。数人の女性との談笑の後、ステパン老の孫という若い美女と踊り、その後も女性ばかりが話しかけてきていたのだが、素っ気なく質問にだけ答えて彼が追い返していると、


「冷たいな、君は」


 いかにも放蕩貴族といった感じの青年が酒杯を両手にやって来た。一方をユーリーに渡そういうわけではなく、赤いワインと白いワインを交互に飲んでいるらしい。なんとも型破りな男である。男はサンドルと名乗った。癖のある栗色の髪を持ち、茶色の瞳はきょろきょろとよく動いていた。貴族の娘達の間では人気があるが、その親には人気はない。彼は笑うとどこか子供っぽく、なかなか愛嬌があるのだが、大の酒飲みでだらしない性格のため、遊ぶには良い程度の魅力であろう。貴族の貞操というのも、中央ほど乱れているものかもしれない。


 ユーリーは返事に困った。謝るのも変だと思い、


「はい」


 と、短く答えた。


「さきほども、レーネ嬢を随分と軽く扱ったものだな。ああいった様子のご婦人を簡単に帰すものではないよ」


 レーネというのは先ほど美人という呼称で出てきた若い女性だ。


「貴方ならお帰しにならない、と仰るのですか」


 それがどうした、とでも言いたげに彼はこの尊大な男を睨みつけた。歳は十余りも離れているだろうか、それでも臆する事なく、若さゆえというよりも元来の反骨心がそうさせている。元々彼は他人にへりくだっている方ではない。もっとも、ユーリアには頭が上がらず、反骨心を出した途端に杭を打たれるので、この頃は出す気も失せてしまっていたわけだが。


(ほう、見かけのわりに厳しい目をした子だ。こいつはイライアスの飾り物というわけでもないらしい)


 そう思うサンドルもまた見かけ通りの男ではないのだが、彼の方が随分と隠すのが上手いのであろう。ユーリーは単純に彼の事を嫌なやつだと思っていたし、相手も同様だと思っていた。しかし、サンドルは内心では他人を馬鹿にする事は少なく、馬鹿にしたとしても逆説的に褒める方の人物であった。


「レーネ嬢にその気があれば、な」


 平素、人に馬鹿を見せて回っているこの男は後悔した。この少年は、彼が馬鹿を見せたがる種の人間ではなかったという事だ。


 二人はしばらく無言でいたが、フッと笑ってサンドルが話を続けた。


「君には、謝るべきだな。きっと、君にはレーネ嬢など目にも入らないほど思い焦がれる人がいるのだろう」


 一度、嫌味になると人間なかなか戻せないもので、サンドルにしてもそれは同様であった。素直に思った事を言っているのだが、どうにも言い方が悪い。


 ユーリーは


(また嫌な事を言う)


 とは思ったが、考えさせられてしまった。考えてみれば、あの美女に思い焦がれても不思議ではなかった。ああいった貴族らしい美女というのは目にした事もなかったし、それも美しすぎるほどの人である。それでもなぜか惹かれはしなかった。


(俺は、ユーリア様の事が好きなのだろうか)


 もう随分と会っていない若い女師匠の姿に、少年も思うところがある。それは、憧れではないのかもしれないし、それそのものなのかもしれない。あまり肯定したくはない事でもあった。結局のところ、貴族は貴族同士で結ばれるのが通例であるし、また、他に結ばれる者があるとすれば富豪などのある程度の権力を持った人々で、彼にはそういった人まで登りつめるという事がとても無理に思えた。それが、レーネにさほどの魅力を感じなかった原因であるかもしれない。


「思い焦がれたとしても、結ばれるとは限りますまい」


 ユーリーが洩らしたそういう言葉に、サンドルはこの少年の儚さの様なものを感じた。彼にそういった趣味はないが、美しい童子を愛でる人々もそういった者を求めているかもしれない。サンドルの知る事ではないが、両親や知っている親類のほとんどを疫病でなくしてしまったユーリーはやはり儚さもまとっているのだろう。あまり良い方向に思考が向かなくなっているのも、そういった点が関与しているというのは大きく間違ってはいない。


「本当に思い焦がれているなら、それなりの男になってやる事だな」


 サンドルは豹変した様に真面目顔になってそれに答えた。その一瞬だけは酔っている様子もなく、何かの冷徹さを感じさせたが、それが何なのかはユーリーもわからない。ただ、この目の前の人物が思ったほど悪い人ではなく、また陽気でもない事はわかった。


 ユーリーが少し迷った後に頷くとサンドルは微笑み、


「それを待っているのも良いかもしれないが、老人になってから結ばれたのでは面白くあるまい」


 と言い残してユーリーから離れた。


 しばらく女性達に囲まれていたユーリーであったが、ある程度話し終えたと思うとイライアスの了解をとって退場させてもらった。彼にとって、特に面白いものではなかったというのが長居しなかった大きな理由である。


 館の外で一人直立し、主人を待ちながら


(ユーリア様が俺をどうこう思う以前の事か)


 そういった事ばかりを考え続けていた。


 彼はユーリアを意識し始めていた。彼女が自分の事をどう思っているかはわからなかったが、悪い方向にも考えられず、そこは楽観している。なにより、彼女自身が男嫌いなところがあるので、子供として見られているの彼には嬉しい事だった。ただ、やはり身分の差というものを意識せざるおえず、何かしら功績を立てねばならないとも考えていた。


(ならば、剣という道も悪くあるまい)


 剣名を馳せれば、貴族として招かれる事もある。彼は数年前に、剣術大会で優勝した平民の剣士が婿養子として、名門貴族の家に招かれたのを知っていた。それの真似をしようというのだ。


 どちらにしても、ひどい楽観である。


 ユーリアは彼が彼女に勝ってからというもの、


「あんたは立派な剣士になれるよ」


 などとよく言っていた。


 安易な志に彼は複雑な胸中を抱いたが、それは何時もの事だったので、心の奥で黙殺した。


(夢破れ、儚い恋物語で終わるのも、また良しか)


 疫病で皆で死んでいく様を見てきた男だけに、戦場で生き抜いてきた者とは違う心境があるのかもしれなかった。




 サンドルの激励ともとれる言葉を聞いてから、ユーリーは過酷なほどに剣の修行に励んだ。それは護衛の任務に支障をきたすとも思われたが、実際に主人であるイライアスが襲われたわけでもないので何とも言えなかった。


 幸いな事に、というよりも今更ながらユーリーは気づいたのだが、宮廷内では雪が積もらない場所があった。地熱が高く、溶けてしまうのだ。これはこの王宮の特徴で、その内部にある大浴場に使われる温泉は宮廷の下から湧き出ているのである。そのおかげで、地熱が高く、雪かきの手間もいらないというわけだ。少々まだらであり、積もっている場所もあるが、剣の修行をする程度の広さは幾らでも見つけられた。


 イライアスは当初、宮廷と城との間の目立たない場所で剣を振り続けているユーリーを見つけて、ひどく驚いた。神聖な宮廷内で自己のための修行をするとはどういう事か、と思ったが、この美しい少年は宮廷内で何時の間にか特別な存在になっているようで、国王に詫びを入れに行った彼に対してこの王宮の主は


「あの少年が熱心に剣を振るっている姿を不快に思う者がいないのだから、特に問題あるまい」


 という事を言い、冷や汗をかいていた彼を拍子抜けさせた。


 特に歴代の国王の肖像画を熱心に見ていた事が評価されているらしく、


「国を憂い、自らの体を酷使する姿を見せる事によって、我々を鼓舞しているのだ」


 などと言う者までいた。


 本人としては、一途というよりも、先日一途へと変えた思いを成就させるべく、サンドルに言われた事を自分なりに実行しているに過ぎないのだが。それに、王都フェージャの街をよく知らない彼には、目立たない場所でひっそりと修行するしか思い浮かばなかったのである。


 それに、特に友人もいない彼はそういった噂を耳にする事自体がなく、なぜだか人が横目で自分を見る様になり、近頃は見物していく人までがいる。彼は気まずいながらも他に良い場所があるわけでもなく、黙々と剣を振るっていた。衛兵達との仲が良くなっていなかったら、自分が宮廷内で注目されている事などずっと知らなかったかもしれない。


 城内で調理や雑用などをこなす女性達が城の小窓から覗く様になり、暇つぶしを探していた王族達も遠くからそれを覗く様になった。皆、飽きないもので今日はこれが悪かっただの、これが良かったのだの評論する者さえ出てきた。


 彼が護衛の任について修行する姿を見せなくなると、人々は心配し、特に女性達などは衛兵に頼んで見舞いの品を送ってくるなど、大変な人気者ぶりを発揮していた。


 しかし、それも長く続くと飽きる者もいるようで、話題になって一月もすると熱心な者以外は見に来なくなった。


 周りのそういった状況はユーリーにもわかり、それは彼にとって嬉しい事であった。それに、見に来る人が減ったからといって何ら問題があるわけではなく、特に国王は当初と変わらぬ評価を続け、イライアスとの会話の中で幾度も名前を出し、その度に努力家であると褒めた。


 こうして、彼の評価は上流層の間に広がり、貴族達の多くは身分の差など考えもつかず、それを評価した。彼の容姿はいかにも美しく、平民とも考えつかなかったのであろう。イライアスは十年余り前はただの地方領主であったが、彼の家の歴史は長く、家名だけは知られていたので親類といえば貴族と思われていたのだ。


 そのまま春頃になると、国王もその事を知り、


「彼の功績は、ただ剣を振るっただけに留まるものではない。この頃の貴族達は彼の様子を見て、怠惰な生活を直さねばならないと感じるものも多いようだ。今は、平和な時代ではあるが、その事に甘えてはならないとあの少年が教えたのだろう。さて、どうしたものか」


 と言って、とりあえずはイライアスを呼んだ。上の言葉と同じ様な事を言ってから、


「その功績を称えて、騎士の称号を送ろうと思うのだが、主人のお前の了承もとらねばならないと思ってな」


 イライアスは特に驚きはしなかったが、国王同様に


(どうしたものか)


 と思った。本来、騎士の称号とは領土を分け与える事ない貴族の次男以下の者が以降の生活を上級の兵士として過ごすための称号である。役職というよりは、貴族とも平民とも違う身分といった感じで、戦が始まると各騎士団長達は軍務の最高権を持つ。貴族の子供ならばなれるというわけではなく、その中でも武芸に秀でた者が選ばれるのだから、正規の訓練を受けていない素人から始めた兵士達よりよほど強いのだ。強さで言えば、正確にはわからないが、昼夜通してあそこまで鍛えているのだから劣らぬ気もしてくる。それだけに、難しかった。


「しかし、貴族でもないユーリーを騎士にするなど、彼を褒め称える中央貴族達に比べて、王権の縮小を望んでいる地方貴族達にしてみれば、あまり面白い事ではないでしょう。何度も申し上げますが、国王陛下の完全な支配下にある兵力と特に国王陛下と特に利権の合わないオーギュスト公爵の影響下にある兵力とは大差ありません。あまり地方貴族達の反感を買うような事は控えた方がよろしいでしょう」


 オーギュスト公爵を知る前に、この国の爵位というものを知らねばならない。公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の上から順に一般的には強い力を持つ。公爵もしくは侯爵というのは広い地域を治める権限を持つ領主で、特に権限の強い者や国家に対する貢献が多大な者を公爵と言い、その他の者を侯爵という。区分けされた十三の領土のうち、国王の直轄地である中央を除いた十二地方が彼らの領土である。その中で特に広い三つの領土が公爵に与えられ、オーギュスト侯爵もその中の一人に入る。地方領土を治める侯爵の中でも国王のお気に入りとなったイライアスの様な場合には、一時的に公爵の称号を与えられる時もあるが、それはイライアスから辞している。地方を治める十二人は大領主と呼ばれる。


 伯爵はその領土の中の大都市などを治め、子爵、男爵は小都市や町といったものを治める。彼等をまとめて小領主と呼ぶ。その周辺の村々は場合にもよるが、近場にいる小領主が治める事になっている。発展の違いもあり、中央の男爵が地方の伯爵より強い権限を持つ事も有り得るので、一概には言えないが、同じ領土内ならばほぼ順通りである。自然、公爵もしくは侯爵の下で働く事になるので、彼等との繋がりは強く、反乱などが起こる際は従う傾向も強い。元々、王というのは地方で力をつけた各勢力が自分達の仲介役としての権限を与えた者であり、歴史が長くなった今は国民の忠誠心も高いが、同じく歴史の長い各大領主達の中には昔のままの考えを持つ者もいるというものだ。


 その代表的な存在がオーギュスト公爵で、文武に長けた中年の男だ。父である先代の公爵が引退すると、若くして公爵の称号を譲り受け、特に軍事に力を入れている。隣国との国境が近いのが兵力を増大させている理由だが、真意のほどはわからない。彼は平素


「王とは象徴的な存在で良く、政治に介入すべきではない」


 と言っている男であるから、なかなか挑戦的でもある。しかし、そういった考え方が民衆にもあるのは事実であり、過去に無為な戦を提案した王が出た際、それを止められず国力の疲弊を招いたことがあったのも事実である。オーギュストにとって不幸なのが、イライアスの様な男を側に置くほど、現国王が才知を認める事に長けた男であるという事だ。


 とはいっても、オーギュストはその他政務のほとんどの面に精力的であり、商業の活性化や農地の開墾にも力を注いでいる。その国家に対する貢献が、彼にはその程度言わせても良いのではないかという意識を生み、国王にしても処断出来ない。


 国家主義であり、反独裁のこの男は天才である。彼には強烈な国家思想があり、それは過去の自分達が選んだ代表者に対する妬みがあったとしても、他人を説得出来るほどに色を帯びていた。少なくとも、ほとんどの人にはそう見えているだろう。彼の国家主義的な国家構想の説明はその樹立の不明確さが王に対する恐れをなくし、成功したとすれば出来るであろう地方分権という制度が実に甘美であった。これは残念ながら、貴族階級でも凡才が多いという証明でもある。イライアスほどの鋭い視点を持った逸材ならば、不明確な部分を徹底的に突いているのだが、国王側にその様な人材は少なかった。


 貴族社会は中立という立場を除けば現在二つに割れている。国家を騒乱に導くほどものではなく、論争といった調子だ。誰も国王に意見を申し上げるほどの者はいないが、両派閥の者が出会う宴の際には各所で論争が起こり、激化して取っ組み合いを行う事もあるそうだ。


 先王が好色であり、政務に乱雑だったため、不満が高まったのが現王になり、人材の発掘と治安の回復に努めたため、また勢いが戻りつつある時に、これなのだ。


 そういう情勢にあって、色々と気苦労を重ねてきた王も、毎日一心に剣の腕を磨いている少年に励ませる点があったようで、何とかその苦労を形に変えてやりたいと思ったのだが、調べさせてみると貴族でもないのだという。爵位を授けるにはさすがに無理があると思い、騎士の称号を与えようとしたのであるが、情勢はそれさえも簡単には許してはくれない。


「なんとか、あの少年に与えるものがないものか。あそこまで一心な者が金貨をいくら与えたところで心動かされるとも思われぬし、逆に不服と思うやもしれぬ。せめて、名に華でも添えてやろうかと思ったのだがのう。お前は、彼の欲しいものなどを聞いた事がないか」


「そこは、私にも判断しかねます。彼は、確かに私の親類の一人ではありますが、なにぶん平民という事で、疎遠だったものでして」


(元々、私とは無縁で過ごす子だったのだからな)


 イライアスは顔を伏せながら、髭を触りたい衝動に駆られた。そういう癖であるし、特に今はむずかゆかった。


「よし、それでは彼をお前の養子にしてしまうのはどうだろう。今のお前に男子がいない事だし、後妻もつくる気がないと聞いておる。それで、いいのではないか」


(馬鹿な、親族に何と申し訳すればいいのだ。私の後を継ぐ事になっている甥に申し訳が立たないではないか)


 彼は甥が二十歳を越えれば、養子として迎え入れる気でいた。娘が婿を迎え入れる様な性格でない事もあり、そう決めていたのだが、養子を迎える事になるとその意向を疑われかねない。彼の弟は伯爵であり、彼がいない間の政務を取り仕切っている。イライアスが宮廷からほとんど離れる事がないので、言ってみれば、実質的に代わりに大領主を務めているに近い。そういった存在が消えてしまうというのが何よりの問題であった。


「それは少々無理が」


 焦ってしまうと言葉数が少なくなった。無口な彼は言うべき事を溜めるか、洗練してから言うのだが、考えつかない事にまでは気がまわらない。


「そうか」


 王もただ考えついた事だったので、さほど執着も持たず、しばらく考えていたが、結局は


「やはり、騎士にしてやろう」


 という事になった。イライアスも熟考の後の言葉であったため、それ以上意見する事が出来ず、認めざるおえなかったところもある。


 計らずも、貴族とはいかないまでも騎士という身分を手に入れる事となったユーリーであったが、当人はそれが決まった当日でさえ剣を振るったままであった。近頃、


(誰かに剣の相手をしてほしい)


 と思うのだが、衛兵達も任務があるので場所を離れるわけにもいかない。宮廷内では、彼と同じ様な護衛もいるのだが、彼等の多くは主人にぴったりとついてそれ以外の時は部屋で過ごしているので、接点がなかった。


 王からその事を伝える様に言われた衛兵も、彼がその剣の動きを止める暗闇が来るまで待っていたので、ユーリーは驚いた顔を見せずにすんだ。


(どういう事だろうか)


 首を傾げて、ベットの上に座り込んだ彼はその日一日眠れなかった。何かを成し遂げようとする前に、その何かが成し遂げられたようで可笑しな気分にとらわれ、とうとう朝まで起きてしまったのだ。


 そして、剣を振り始めてから始めてのその修行を休む事になったのだが、その事さえも


「王の温情が余りに嬉しく、卒倒してしまったのであろう」


 という事になった。


 運命といえばよいのか、こうして問題が起こっても勝手に解決され、一週間の後に彼は騎士の叙勲を受けた。真に無作法なもので、幾つかの手順を間違えていたが、その間違いも堂々としていたので、


「大胆であり、良い」


 との最後の王の言葉に見送られ、彼は後でそれに気づいて赤面した。


 当人は王をどう思ったかというと、


(先王と違い、迫力のない優しそうなお方だ)


 と思っていた。彼にとって、何時も見ていた過去の国王を描いた肖像画の数々は芸術の素晴らしさに目を奪われただけの事であって、王族への忠誠という点では違っていたが、尊敬の念を忘れているわけでもない。特にこの時から


(ご恩を受けた)


 と思い始めたのもあり、それも結果的には備わっていった。


 もっとも、身分は変わったものの、彼の権限が上がったわけでもなく、彼はたまの護衛以外には、以前通り剣術修行を続けた。何をするわけでもなく、ただ振るっているだけだった剣術は少し変わった。城に駐在する騎士団の人々と交わり、稽古をつけてもらえるようになった。イライアスが


「そうした方が、王もお喜びになるだろう」


 と言って、認めてくれたのだ。


 彼よりも優れた剣士は数人しかいなかったが、特に騎士団長のオーバは厳しく、彼に一人だけを相手にするのではない複数を相手にする術を教えた。


 オーバを含む騎士団員の多くがユーリーを天才と呼び、彼は宮廷内だけでなく、城内でも人気を高めていく事となった。男色家というわけでもない男達から、こうも好かれるとは、城内の口数の多い女性達も気の回らない事であっただろう。


 何時も男に囲まれているユーリーは、彼女達にとって何やら遠い存在になってしまったが、彼女達に関心のないユーリーにとってみればどうでもいい事であった。


 彼女達の間には、恋文を渡そうとする者もいたが、ある騎士団員がその中身を覗いてしまってからめっきりとその数は減ってしまった。ユーリーの友人となったルファンという小柄で陽気で、粗野な男は彼がそれを迷惑に思っている事を知って、そういう行動をしたのだ。


 ユーリーは故郷の友人達の他に、やっと親しめる人が出来たと内心喜んでいる。


 中央はその様に彼を歓迎したが、地方はどうであったかというと、まあそれなりであった。それなりというのは、反応それぞれといった感じで、


「剣の道を志す者の中で、剣の修練を欠かす者があるか」


 と皮肉を言う者もいたし、


「才ある若者の芽が出ていたならば、水をかけてやらない方が無粋というものだ」


 とやや肯定的な反応を見せる者もいた。


 反感にしても、あまり大きなものではなかったので、彼の主人であるイライアスは胸を撫で下ろした。彼もこの頃鼻が高い気持ちがするようで、先日ユーリーの部屋を訪れると、


「努力するという事は、それだけで才能だ」


 などと褒めた。無口な彼がわざわざ言いにくるのだから、よほど周りが褒めたのであろう。


 ユーリーはすでに影響力を持っているといって良い。彼を軽く扱えば、少なくとも幾人かの批判を受ける事は間違いなかった。しかし、当人にしてみれば、


(ユーリア様は、きっと褒めてくれるだろう)


 程度の発想であったのは面白いところであり、彼は彼で、これはスタートライン程度にしか思えなかったのである。

作者より。

実は、大学生の頃に書きはじめ、途中で放置し電子の海の中に消えていた作品なのですが、おじさんになり時間が出来たので、のんびりと完結させられればと思っています。よければ、お付き合いください。

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