スロットなどに対する見方、感じたこと。
スロットは運ではないと思った。
当たることもあれば当たらないこともある。
それは運なのだろうか?
誰かと話す時は話を合わせるために「運が良かった」「運が無かった」と言うと思う。
心では、当たることも当たらないことも同じだと思った。
これは、難しい話をしたいわけではない。
確率とかの話ではなく、感想である。
心理学の話でもない。
最近、スロットをしていて思った話だ。
当たる時も当たらない時も、なんとなく面白いスロットを打っている。
多くのお金が欲しいという思いもある。
でも、ある台に座っていて、当たらないことを嘆くことはない。ある人がその台に座ってボーナスを引いた……引いたと書くと運になってしまうか。でも、引いたと書く。その当たりを引いても、その人にとっては良かったと思うことにしている。
その人が当たりを引けたのか、その台の当たりの出るタイミングであったのか、両方あると思う。
それとは逆に自分が当たりを出しても同じだ。
最近は、当たりすぎて喜び過ぎることはない。
スロットは当たる時に当たるだけ当てて、当たらない時は一回の当たりが出なくても生活に支障が出なかったことに満足していけば、それでいいと思う。運ではなく、生活に支障を出さない事が運が良かったと言えることだと思う。
生そのものに運が関わると思う。金運もない自分だから、金運が自分に存在することを否定する。恋愛運もない自分だから恋愛運が自分に存在することも否定する。
それでは運には何があるのか。
それは古典から学んだ。
いい仲間が集まる。
命が延びること。
健全な自分を育てられる。
スロット打つけど、スロット以外の話、仕事とかでお金が集まることや、恋愛は運ではないと思う。
生きていて、死んでも人徳と、命と健全さに恵まれる運を貯めていきたいな。
それがいいと思ったというどうでもいい話。