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出立

「ジャミール、そろそろ立てるだろう?」


 10分くらい経ってリチャードがジャミールに促した。


「僕、行きたくありません……」


 ジャミールは深呼吸をしたあとに小さな声で言った。


「ぼく、先生のことすきになれないです」


 これはジャミールが初めて誰かを否定した瞬間だった。感情が希薄なジャミールは否定的な言葉もあまり口にしない。リチャードの非常識な行動はそれを上回ったのだ。


「そうか、ジャミールは先生のことをすきになれないか。わかった!僕のことは嫌いでもいいぞ!でもミフェイズ湖には行こう」


 リチャードはジャミールの言葉を聞き流して目的地に向かおうとした。いつの間にか軍隊ごっこも終わっていたようだ。ジャミールはまた裏切られた気分になった。


「どうしてミフェイズ湖なんですか?」


 ジャミールはリチャードに尋ねた。


「ミフェイズ湖は碧く澄んだ湖だ。たくさんの種類の魚もいる。この季節は紅葉も綺麗で運が良ければ鹿にも会える。きっとジャミールが図鑑でしか見たことがないものを、その目で見ることができる。一度行く価値はある!」


 リチャードはそう答えると手を引いてジャミールを立ち上がらせた。


「ふぅ」


 ジャミールはため息をついて歩き出した。ミフェイズ湖に行く決心をしたようだ。少し興味を持ったからでもある。

 だがそれ以上にあきらめが多かった。今までいろんなことをあきらめて生きてきたジャミールは流されることにも慣れてしまっていた。リチャードのペースを横暴とは思いながらもこれ以上は逆らえなかった。


 リチャードはドレスタ邸から東へ10分ほど歩いた場所にある酒場に馬車を止めていた。

 荷台にホロはなく木箱が2つあるだけだった。脇にウイスキーの空ビンが2本転がっている。リチャードは酒場の亭主にあいさつをすませ馬車に乗りこんだ。

 ジャミールもそれに続いた。昼さがりの人通りの激しい道を2人の乗った馬車が進む。途中でリックとジャンとすれ違った。


「やあ。リックにジャン!お出かけかい?」


 リチャードは陽気に声をかけた。2人はどうしてリチャードがジャミールと一緒に馬車に乗っているのか不思議そうに眺めながらあいさつを返した。

 ジャミールにも現状がよくわからなかった。ただ馬車に乗っていたため2人が小さく見えた。

 街を行く人はみんなリチャードを見てあいさつしたり手を振ったりしていた。不思議な光景だ。ジャミールが1人で街を歩いてもこんな反応は帰ってこない。



 しばらくすると街を出て平らな一本道になった。南東の方向に森が見え、北東の方角に地平線が見えた。


「さあ、ジャミール。ここからムートの森へと向かうけど、街から出たことはあるかい?」


 リチャードは視線を前に向けたままジャミールに話しかけた。


「いいえ、ありません」


 ジャミールは感情のこもらない声で答えた。


「そうか、それは良かった!今日は冒険者ジャミール誕生の日だ。主も喜んでいるぞ!」


 リチャードは、相変わらずのテンションで手綱を動かした。ジャミールにはありがた迷惑な話だ。


「僕は別に冒険者にはなりたくありません」

 ジャミールは冷めた反応をしめす。


「はっはー、大丈夫だ!リチャードという頼りになる同志がいる。危険な目にはあわせないさ!」


 リチャードは笑いながら軽くムチを打つ。馬がペースを上げて荷台が揺れる。つい先ほど危険な目にあったばかりだ。他ならぬリチャードのせいで。


 ジャミールはリチャードに「勇敢なる伍長」と言われたことを思い出した。僕に勇気なんてないよ。今この場から逃げ出す勇気さえ持ち合わせていない。先生は僕の何を知ってあんな言葉を使ったのだろう。

 そんなうつうつとした気分をよそに涼やかな秋風が馬車を包み込む。汚れた街の空気とは違っていた。料理の匂いも金属の匂いもしない。

 ただ、鮮やかな色に染まった落ち葉の香りと大地の香りが漂ってくるだけだ。ところどころにコスモスが咲いている。


 ジャミールの気持ちが少し和んだ。何より他人の話し声が聞こえない。人付き合いが苦手なジャミールにとっては人工的な音の少ない場所は「孤独が許された世界」に映った。

 独りの世界でパカパカとひづめの音を聞きながら馬車に揺られるのも悪くない。ジャミールはそんなことを思いながら気づけば眠っていた。

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