航海士
「おはよう、ジャミール航海士!今日の風向きはどうかね!」
次の日曜日もリチャードはいつものハイテンションで部屋に入ってきた。今日は船乗りごっこのようだ。
「おはようございます、リチャード船長」
ジャミールは突然のごっこ遊びにもひるむことなくリチャードに合わせられるようになっていた。
「はっはー、いいあいさつだ!あれ?なにやら素敵な物があるじゃないか。これはジャミールが作った物かね?」
リチャードは、バガテルの横に置いてある、カクカクした木製のロボットに気づいて手に取った。ふむふむとうなずきながら眺めている。
「はい。ひまだったので作ってみました」
「上出来だ!名前はなんというんだい?」
「あ……まだ考えていません」
リチャードの質問にジャミールは嘘をついた。というより恥ずかしくて名前は言えなかった。
「うーむ。それはよくないな。名前というのは重要なものだ。そのものの個性をあらわす。カマキリがカマキリであり、チョウがチョウであるようにね」
リチャードはリトルジャミールの右手を上げ下げしながら答えた。「おお、腕が動くのだね」などとつぶやいている。ジャミールは首をひねった。
「せんせ……船長は名前なんて後からつけた定義でしかないと言ってませんでしたか?バガテルのときです」
ジャミールの質問にリチャードも首をひねる。リトルジャミールの首もひねろうとしたが、そこは動かなかった。
「ん?おお!よくぞ覚えていた、ジャミール航海士よ!確かにそう言ったぞ!だが名前が必要ないとは言っていない。とても大切なものだ。名前があるから区別がつく。書物に残すときの整理もつく。図鑑だってそうだ。名前には先人たちが積み上げた経験と知識が詰まっている。それは後々の子どもに残された遺産だ。僕たちはその代々の遺産を使用しているんだ。どうだ、大切なものだろう?子どもの名前も同じだ。名前は親が子どもに与える最初のプレゼントなんだ。同じ人間でもそれぞれが違うということをお互いに認めあい、尊重できるようにね」
リチャードは自分の言葉に満足してリトルジャミールの両腕をひねってバンザイのポーズを作った。ジャミールも名前が重要なものだということ理解した。だが、やはりロボットの名前を口にだすのは恥ずかしかった。
「え、と。そうなんですね……今度考えておきます」
「そうか、決まったら教えてくれ。キャプテンリチャードなんかどうだ?」
「キャプテンリチャードはちょっと……」
言いよどんでいるジャミールの横で、リチャードはポンと両手を合わせた。
「おお、それより今日はジャミール航海士に仕事を与えよう!海図を作成するんだ!」
「え?何ですかそれ?」
「海図とは船が座礁しないための地図のことだ!航海には絶対に必要なものだ!さあ、ジャミール航海士よ!海図を描くのだ!」
「……また急に……」
ジャミールは眉を歪めた。地図を見たことはあっても正確には覚えていないし、書き方よくわからない。ましてや海図となるとなおさらだ。
「大丈夫だ。サニーレタス号の船長に抜かりはない。ここに材料はすべてそろっている!」
そう言ってリチャードは鞄からたくさんの筆とペインティングナイフ、大量の絵の具を取り出した。大きなパレットも忘れてなかった。この展開にジャミールは「またか」と思った。先週と同じパターンだ。
「船長、これ多すぎませんか?……それに紙が見当たりません」
「何を言っている、ジャミール航海士よ!紙など必要ない!この部屋の壁中に絵を描くんだ!」
「ええ?」
部屋の壁に落書きをする。顔面蒼白になったロゼッタの顔が目に浮かんだ。
「……嫌です。そんなことをしたらお母さんがなんて言うかわかりません」
ジャミールは首を横にぶんぶん振った。
「あーはっはっはっは!大丈夫だ!ドレスタ夫人はリチャード船長がなんとかしよう!勇敢なる船長についてくれば間違いなしだ!」
「大丈夫じゃないです……」
リチャードは一人で高笑いして、右手に筆を持ち、思いっきり壁に向かって振り下ろした。当然ながら絵の具を含んでいないので何も描けない。
「うむ、この壁はなかなか手強いようだ。純粋な心を持つ子どもにしか応えてくれないらしい。さあ、ジャミール航海士よ。何か素敵な心の地図をここに描くんだ!」
「何か素敵な心の地図……ってなんですか?無理です。怒られます」
ジャミールはかたくなに拒んだ。リチャードは間髪いれずにジャミールに筆を向けて言い放った。




