わたくしが何度諭しても、男爵令嬢は「運命なんです!」の一点張り
「あっ、クリフォード様!」
「「……?」」
桜の花びらが舞う、麗らかなある日。
わたくしが婚約者のクリフォード王太子殿下と二人で貴族学園の廊下を歩いていると、不意に一人の令嬢が殿下を指差しながら黄色い声を上げた。
見慣れない子ね……。
「えーと、君は?」
クリフォード殿下が朗らかな笑みを向けながら、令嬢に尋ねる。
「これは申し遅れました! 私は今年からこの学園に入学しました、フィオナ・イーグルトンと申します!」
フィオナ嬢はたどたどしくカーテシーをしながら、ピンクブロンドの頭を下げる。
イーグルトン……。
ああ、確か一代だけの男爵位を買い取った商家の家名がイーグルトンだったはず。
どうりで貴族のマナーがなってないはずだわ。
ここはちゃんと諭してあげないと。
「フィオナ嬢、無礼ですよ。下級貴族の分際で、王太子殿下であらせられるクリフォード殿下に直接話し掛けるなど」
「あっ、ゴ、ゴメンなさい……! 憧れのクリフォード様に偶然お会いできたので、運命を感じてしまいまして!」
運命って……。
そんな戯言で許されるとでも思っているのかしら?
「まあまあジョディ、彼女はまだ入学したての新入生なんだ。あまりキツいことを言っちゃ可哀想じゃないか」
「殿下……!」
「わあ、ありがとうございますクリフォード様! お優しいんですね!」
「フフ、そうかな」
まったくこの方は……。
この辺の意識が緩いんだから……。
良く捉えれば身分にかかわらず分け隔てなく接する器の大きさを持っていると言えるけれど、悪く捉えるなら物事をあまり深く考えていないとも言える。
この方が王太子殿下で、本当にこの国は大丈夫なのかしら……。
「何かあればいつでも僕に相談するといい。僕でよければ力になるよ」
「本当ですか! えへへ、じゃあお言葉に甘えちゃおっかなー」
……くっ!
「フィオナ嬢! あなたね!」
「ヒッ!」
露骨に怯えた表情になるフィオナ嬢。
「こらこらジョディ、よさないか。大人気ないよ」
「殿下……!!」
「クリフォード様、私、怖いですぅ」
殿下にぐりぐりと頭を擦りつけるフィオナ嬢。
この子は……!
「フフ、よしよし、もしジョディにイジメられたら僕に言いなさい。僕が守ってあげるからね」
殿下は慈愛に満ちた笑顔で、フィオナ嬢の頭を撫でる。
「はい、ありがとうございます!」
この時わたくしは、澄んだ水槽に一滴の黒いインクを垂らされたような感覚がした――。
「あっ、おはようございます、クリフォード様!」
「やあ、おはよう、フィオナ」
そして一夜明けた朝。
昨日と同じ場所で、またフィオナ嬢と出くわした。
「わあ、またここでクリフォード様と出会えるなんて、これはもう運命ですね!」
「フフ、そうかもしれないね」
何を白々しい。
「フィオナ嬢、何故あなたがここにいるのです? 一年生の校舎は逆方向でしょう?」
「あ、えーっと、わ、私まだ校舎の構造がよくわかってなくて。たまたまここを歩いてたら、クリフォード様とお会いしたんです!」
ふん、そういうことね。
今ので確信した。
この子、昨日も今日も、ここで殿下のことを待ち伏せてたんだわ。
その証拠に、わたくしとも出会っているのに、頑なに「クリフォード様とお会いした」という点を強調している。
何故そんなことをしているのか……。
そんなの言うまでもないわよね。
「フィオナ嬢! いい加減になさいッ! あなた、自分がどれだけはしたないことをしているか、わかってらっしゃるの!?」
「キャァッ!?」
「ジョディッ!」
「――! ……殿下」
普段は温厚な殿下が、珍しく声を荒げた。
「いい加減にするのは君の方だ。そうやって身分を笠に着て、立場が弱い者を恫喝することのほうが、余程はしたないとは思わないのか?」
「…………」
殿下の顔には憐れみが溢れていて、わたくしの胸が鉛を付けられたみたいにズグンと重くなった。
「しばらく一人で反省しなさい。さあ、行こうフィオナ。僕が校舎を案内するよ」
「あっ、はい! ありがとうございます!」
殿下とフィオナ嬢は仲睦まじく、並んで歩いて行った。
水槽に垂らされたインクが、どんどんと水槽を黒く染めていく――。
「ジョディ嬢」
「……!」
その時だった。
よく通るバリトンボイスが、わたくしの鼓膜を震わせた。
振り返るとそこに佇んでいたのは、クリフォード殿下の弟君であらせられるバーニー殿下。
柔和で人当たりのいいクリフォード殿下とは対照的に、常に無表情で氷のように冷たい目をしてらっしゃるバーニー殿下は、陰で『氷の王子』と呼ばれている。
今日もバーニー殿下は、まるで人形のように美しくも生気のないお顔をされている。
「ご機嫌よう。わたくしに何か御用でしょうか、バーニー殿下?」
今までの人生で何万回と修練を重ねてきたカーテシーをする。
「……よろしいのですか、アレを放っておいて」
「――!」
バーニー殿下は、遠ざかって行くフィオナ嬢の背中に冷たい視線を向ける。
……バーニー殿下。
「ご心配痛み入ります。ですが、わたくしはクリフォード殿下を信じております。あのお方は、決して愚かな選択をするお方ではないことを、わたくしは知っておりますので」
バーニー殿下の手前こう言ったものの、心の底からクリフォード殿下のことを信じられているかと言われたら、素直に首肯はできないのが正直なところだった。
だが、未来の王妃となる立場にあるわたくしがそんな不敬なこと、口が裂けても言うわけにはいかない。
「……左様ですか。これは失礼いたしました」
バーニー殿下は、折り目正しくわたくしに頭を下げられた。
「殿下! どうか顔をお上げください。殿下のお気持ちは大変ありがたく存じますわ。相変わらずお優しいのですね」
氷の王子は、実は感情表現が苦手なだけで、常に周りのことを気に掛けている、優しい心の持ち主だということをわたくしは知っている。
先日も木に登って降りられなくなってしまっていた野良猫を、そっと助けていたのを見掛けた。
「いえ、好きでやっていることですから」
「え?」
今のは、どういう……?
「それでは、俺はこれで」
「あ、はい」
バーニー殿下はわたくしに背を向けると、颯爽と去って行った。
そういえば、バーニー殿下の教室もこことは逆方向だけれど、どうしてここにいらっしゃったのかしら?
「クリフォード様! 実はクリフォード様にお願いがあるんですけど」
「フフ、何だい、言ってごらん?」
あれから数ヶ月。
すっかりクリフォード殿下の隣には、フィオナ嬢がいるのが日常になっていた。
わたくしが何度諭しても、フィオナ嬢は「運命なんです!」の一点張り。
クリフォード殿下も、そんなフィオナ嬢の肩を常に持つので、どんどんとフィオナ嬢が増長しているのだ。
今や水槽の水はすっかり、インクで真っ黒に染められてしまっていた――。
最近はわたくしも、いちいち注意するのが正直バカらしくなってきている……。
「来月の学園祭で私は創作劇をやる予定なんですけど、できればクリフォード様にも出演してもらいたいんです!」
「へえ、それは面白そうだね。是非参加させてもらうよ」
「で、殿下……!?」
いくら何でも、今のは見過ごせない。
「王族はあくまで出し物を評価する側なのです! その王族が下級貴族に交じって出し物を披露する側に回るなど、沽券に関わりますよ!」
「君は本当に固いなジョディ。たかが学園祭じゃないか。むしろ王族である僕が率先して盛り上げることで、人と人の輪がより広がるというものだよ」
「そうですよジョディ様! これからはフレンドリーな王族が好まれる時代ですよ! それが運命なんです! 時代の流れなんです!」
「フフ、本当にフィオナはいいことを言うね」
「えへへ、そうですかー」
「…………」
嗚呼、もうダメだ。
もうわたくしは疲れた。
――後は好きにすればいいんだわ。
――そして迎えた学園祭当日。
「もう二度と離さない! 愛してるよ!」
「私もです! 愛してます!」
舞台の上で熱い抱擁を交わす、クリフォード殿下とフィオナ嬢。
創作劇のストーリーは、身分違いの男女が数々の障害を乗り越えて真実の愛を実らせるという、実に陳腐なものだった。
しかもこの脚本を書いたのは、フィオナ嬢自身だという。
完全にわたくしへの当て付けだろう。
でも今のわたくしは、この光景を見ても何も感じない。
わたくしはもう、全てを諦めたのだから――。
「大丈夫ですか、ジョディ嬢?」
「……!」
その時だった。
聞き慣れたバリトンボイスが、わたくしの真横から聴こえてきた。
横を向くと、そこにはいつの間にかバーニー殿下が、神妙な顔をして座られていた。
「……ふふ、どうか笑ってください。あれだけ大きなことを言っておいて、このザマです」
「いえ、あなたのせいではありませんよ。――全ての責任は兄上にあります。やはりあの方は、王太子の器ではなかったようです」
「――!」
バーニー殿下……!?
バーニー殿下の瞳は、今まで見たことがないほど暗く冷たいものになっていた。
誰かに聞かれていたら不敬罪に問われてもおかしくない過激な発言に、冷や汗が走る。
「俺は用事がありますので、これで失礼します」
「あ、はい……」
まだ劇の途中だが、バーニー殿下は舞台に一瞥もせず、劇場から出て行った。
わたくしはそんなバーニー殿下の背中を、ただぼんやりと眺めていた――。
「ジョディ、大事な話があるんだ」
「――!」
宴もたけなわとなった、学園祭の後夜祭の最中。
いつになく真剣な表情のクリフォード殿下が、わたくしの真正面に立ち、そう言った。
「みんなにも是非聞いていてほしい。証人になってもらいたいんだ」
この瞬間、わたくしは悟った。
嗚呼、遂にこうなってしまったのね。
「大変申し訳ないが、君との婚約は破棄させてもらいたい」
「…………」
予想通りの台詞だったのに、立ちくらみで足が震える。
覚悟していたはずなのに、自分でも思っていた以上に、心に受けた傷は深かったみたいね……。
「誤解しないでもらいたいんだけど、君のことが嫌いになったわけではないんだ。――ただ僕は、もう自分の気持ちに噓をつくことはできない。僕はこの、フィオナのことを愛してしまったんだ!」
「クリフォード様、私、嬉しいです!」
人前にもかかわらず、熱い抱擁を交わすクリフォード殿下とフィオナ嬢。
ついさっき舞台の上で観た光景とまったく同じ……。
だからこそ、出来の悪い三文芝居を観ているみたいで、現実感がなかった。
「ゴメンなさいジョディ様! でもこれは運命なんです。私とクリフォード様は、結ばれる運命だったんです! だからどうか、気を落とさないでください! ジョディ様にも、きっといつかいい相手が見付かりますから!」
フィオナ嬢の顔には、隠し切れない優越感が滲み出ていた。
……そう、運命。
わたくしは、運命という名の悪魔に負けたのね……。
「そこまでだ」
「「「――!!!」」」
その時だった。
バーニー殿下によく似たバリトンボイスが、わたくしの鼓膜を震わせた。
こ、この声は――!
「……ち、父上、何故ここに」
そこにいらっしゃったのは、クリフォード殿下とバーニー殿下のお父上であらせられる国王陛下だった。
王城にいらっしゃるはずの陛下がここに立ってらっしゃることに、場は騒然となる。
「俺がお呼びしたんですよ」
「バ、バーニー……!」
陛下の隣に、バーニー殿下が眉間に皺を寄せながら立つ。
さっきバーニー殿下が仰っていた用事というのは、このことだったのね……。
「貴様が愚かな行いに手を染めようとしていると、バーニーが言うのでな。わざわざ来てみたら、とんでもない茶番を見せられたわッ!」
「「「――!!」」」
威圧感のある怒声が、会場を震わせる。
「お、お言葉ですが父上、僕は本気で、フィオナのことを心から愛しているのです!」
「そ、そうですそうです!」
クリフォード殿下とフィオナ嬢は、互いを庇うように肩を寄せ合う。
「だったら何だ? 貴様は自分の立場をわかっておるのか? 一国を背負う責任のある人間が、『心から愛している』などという理由で、王家が決めた婚約を勝手に破棄してよいとでも思ったのか?」
「そ、それは……!」
青天の霹靂のような顔をするクリフォード殿下。
嗚呼、やっと気付いたのですね。
もう今更ですけど。
やはりバーニー殿下が仰る通り、あなた様は王太子の器ではなかったのかもしれませんね。
「そんな自分のことしか考えていない人間には、とてもこの国の未来は任せられん。――今この場をもって、貴様からは王位継承権を剝奪する」
「なっ!? ど、どうかお考え直しください、父上ッ!!」
「そ、そうですッ! クリフォード様以上に、王太子に相応しい方はいませんよッ!」
「そんなことより、貴様は自分の心配をしたほうがよいのではないか、女狐よ?」
「……は?」
唐突に水を向けられたので、ポカンとした顔になるフィオナ嬢。
「あろうことか一国の王太子を寝取ったのだ。これは国家転覆罪に問われてもおかしくない重罪だぞ? わかっておるのか?」
「そ、そんなッ!?」
途端、フィオナ嬢の顔が青ざめた。
「い、いや、そんなつもりはなかったんですッ! わ、私とクリフォード様が結ばれるのは、あくまで運命だったのでッ!」
「ではこういう結末を迎えることも、また運命だったのであろうな。――貴様への沙汰は追って言い渡す。連れて行け」
「「「ハッ」」」
陛下の命と同時に、屈強な兵士たちがフィオナ嬢を取り押さえる。
「イヤッ!? 汚い手で触らないでッ!! クリフォード様ッ!! 助けてくださいッ!! 私のこと、心から愛してるんですよねッ!?」
「フィ、フィオナ……」
「わかっているだろうなクリフォードよ? その女を庇ったら、貴様も同罪だぞ」
「――ッ!」
「クリフォード様ッ!!」
苦渋に満ちた顔で、フィオナ嬢と陛下の顔を交互に窺うクリフォード殿下。
永遠にも感じる時間の末、クリフォード殿下が選択したのは――。
「…………すまない、フィオナ」
「っ!!?」
クリフォード殿下は唇を震わせながら、フィオナ嬢に頭を下げたのであった。
……嗚呼。
「フ、フザケんなあああああッッ!!!! 噓つきッッ!!!! お前は大噓つきだこのフニャチン野郎がああああッッ!!!!」
あらあら、なんてはしたない。
これでは罪状に、不敬罪も追加されてしまいますわね。
とても聞くに堪えない呪詛を撒き散らしながら、フィオナ嬢は連行されていった。
「う……うぅ……、フィオナ……」
クリフォード殿下はその場で項垂れて、床を涙で濡らした。
クリフォード殿下……。
「兄上……」
そんなクリフォード殿下のことを、バーニー殿下は憐れみを含んだ瞳で見つめていた。
「さて、せっかくの後夜祭だというのに、大人が邪魔をして悪かったな。私はこれにて帰るゆえ、後は学生諸君で楽しんでくれたまえ」
陛下が鷹揚に、学生たちに呼び掛ける。
陛下、流石にこの空気では、それは無理というものですよ。
「おおそうだ、こうなった以上、王太子はお前に継いでもらうが、よいな、バーニーよ?」
「はい、謹んでお受けいたします」
まあ、それが順当ですわね。
バーニー殿下なら、こんな間違いは犯さないでしょうし。
「ただそうなると、いい加減お前も婚約者を持たねばならんな、王太子として」
「……はい、そうですね」
それはそうですよね。
何故か今までバーニー殿下は、頑なに婚約者を持とうとしなかったですけど、こうなった以上、そうも言っていられません。
「因みに当てはあるのか?」
「…………はい、あります」
まあ、バーニー殿下も意外と隅に置けませんね。
実は心に決めた方がいらっしゃったのですね?
「ふむ、いい機会だ。覚悟を決めて、この場でその者にプロポーズしてみせよ。王太子としての、最初の仕事だ」
「……承知いたしました」
あら!
これはまさかの展開!
どんよりと沈んでいた会場の空気が、一瞬で色めき立ったわ!
「――ジョディ嬢」
「…………へ?」
不意にバーニー殿下がわたくしの前で片膝をつかれたので、思わずマヌケな声が出てしまった。
で、殿下???
「――俺はずっと昔から、気高く美しいあなたのことを、陰ながらお慕いしておりました」
「――!!?」
バーニー殿下!?!?
あまりにも予想外の言葉に、全身の血液が物凄い速さで駆け巡る感覚がした。
あわわわわ……!!
「どうか俺の、生涯の伴侶になってはいただけないでしょうか?」
バーニー殿下は震える右手を、わたくしに差し出された。
「……バーニー殿下」
最早氷の王子の面影すらない、雨に濡れた子犬のような瞳で見つめられたら、もうダメだった。
わたくしは生まれて初めて、恋というものに落ちたのかもしれない。
「……はい、わたくしでよろしければ」
わたくしも震える左手を、バーニー殿下の右手に重ねる。
「ハッハー! 新たな比翼の鳥の誕生を、皆で祝福しようではないか!」
陛下の掛け声と共に、万雷の拍手がわたくしとバーニー殿下に降り注ぐ。
「ハハ」
「ふふ」
それがどうにも照れくさくて、わたくしたちは互いにはにかんだ。
拙作、『塩対応の結婚相手の本音らしきものを、従者さんがスケッチブックで暴露してきます』が、一迅社アイリス編集部様主催の「アイリスIF2大賞」で審査員特別賞を受賞いたしました。
2023年10月3日にアイリスNEO様より発売した、『ノベルアンソロジー◆訳あり婚編 訳あり婚なのに愛されモードに突入しました』に収録されております。
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