特定外来呪
ハイエンベルグ卿の突然の死は、王都においてかなりのセンセーショナルなニュースだった。
何せ死ぬ直前まで彼はピンピンしていたし、少し前に健康診断と称して医者にあれこれ診てもらった事も大抵の者は知っていた。結果健康そのものと太鼓判まで押されていたのだ。
彼自身健康には常に気を使っていたし、出不精というわけでもなく精力的にあちこち自らの足で赴いたりもしていた。
仕事が忙しくて時々睡眠時間を削ったりする事はあったようだが、彼が削った時間は他の者と比べれば少ない方だ。睡眠時間を削った事が死因となったのだとなれば、王都の住人たちの半分以上は死んでいないとおかしい。彼は優秀で要領もよかったため、執務時間内に大抵の事は終わらせていたのだ。睡眠時間を削る事があったと言っても一年に一度か二度あるかないかである。
つまりは、日々規則正しい生活を送り、とても健康的であった。
だからこそ、そんな彼が急死した事実は大抵の者たちにとっては思いもよらぬ出来事であったのである。
とはいえ、その死を悲しまれていたか、となると……
勿論悲しんだ者はいる。
けれども、喜んだ者も多くいた。
確かに彼は優秀であった。
けれどもその優秀さ故に、周囲には敵が多かった。
味方のいない孤立無援の状態であったわけではない。表面上は彼の周囲は味方ばかりに見えただろう。ただ、潜在的に彼を敵視している者が圧倒的に多かったというだけで。
国の中枢にいるような人物だ、敵がいるという事そのものは問題ではない。
そういった相手をハイエンベルグ卿は今まで事もなげにいなしてきたのだから。
今回の死は、彼を邪魔だと思う者の仕業なのではないか、とまことしやかに囁かれてもいたけれど。
しかしあからさまに暗殺者が襲いに来たというわけでもないし、毒殺されたとかでもない。
彼を看取った医者曰く、どうも突然心臓が止まったらしいとの事なので、少し前に行った健康診断程度では発見できない病でもあったのかもしれない。
優秀な人物がいなくなった、という点では嘆くべき事でもあるけれど。
彼を政敵とみなしていた派閥からすれば唐突に訪れた幸運でもあった。
しばらくは、彼の死によって多少なりとも混乱する事態もあったけれど、戦乱にまで発展するようなトラブルでもない。
彼の後釜を狙っての争いだとかはあったけれど、それでも一月以内には大体の騒ぎは収まっていた。
そうして彼が死んで三か月も経過すれば、ある程度の事は落ち着いて以前のように元に戻る――はずだったのだが。
彼が死んで若干彼が属していた派閥は控えめになったものの、それでもまだまだ力はあった。発言権がなくなったわけでもない。政敵からすれば一画は崩れたけれどそれでも充分厄介な状態であった。
そんな中、その派閥に属していたレンタール伯爵が今度は突然死した。
ある日ベッドの中で眠るように亡くなっていたとの事だが、彼も健康で不摂生な生活とは程遠い暮らしをしていたため、そしてまだ若い年齢でこんな風に亡くなるだなんて思われてもいなかった人物である。
レンタール伯爵は派閥の中でそこまで大きな力を持っていたとは言い難いが、上と下とを円滑に結ぶ無くてはならない存在と言えなくもなかった。
人が良く、そこまで敵がいたようにも思われない。
暗殺だとか毒殺だとかではない、とわかってはいるが、あまりにも突然の死に敵対している派閥の誰かが何かをしたのではないか、という疑いは発生していたのである。
死ぬとは思われていなかった者が立て続けに亡くなった事で、表立ってはいなくとも水面下ではかなりピリピリしていたように思う。
何か特殊な方法を用いて邪魔者を消したとかではなかろうか。そんな風に疑心暗鬼に陥る者もいた。
特殊な方法、という事で魔法だとかを使われた痕跡がないかも確認されたけれど、結果はそういった痕跡は無しとの事。
見知らぬ病気の可能性も考えられて、王都内は少々不穏な空気が漂うようになっていた。
そんなある日の事だった。
ハイエンベルグ卿やレンタール伯爵と同派閥に所属しているケンウッド子爵は、久方ぶりに訪れた友人を屋敷に招き、友人が赴いたという遠方の話を聞いていたのだが。
「お前さ、このままだと死ぬけどいいの?」
突然そんな爆弾をぶっこまれたのである。
「えぇっ!?」
いきなりの死亡予告。驚くのは当然の事だった。
「ななな、なんだよいきなり。怖い事言わないでくれよ……それでなくても少し前に突然死した人いるんだからさ……」
冗談にしても性質が悪い。どう考えても最悪のタイミングで言われたも同然のそれに、ケンウッドが怯えないわけもなく。
びくびくしながらも、友人――ジャンジャック・ドリバーに震える声で抗議した。
「いやでも死ぬし。このままだと今月中には多分死ぬし」
「死ぬ死ぬ連呼しないでくれないかな!? 怖いから! 怖すぎて夜寝れなくなったらどうしてくれるの!? 仮に眠れてもうっかり夜中にトイレ行きたくなっても行けなくなったらどうすんの!? いい年しておねしょとか醜聞でしかないからね!? やめよう怖い話!」
「はぁ、しないでっていうならもうしないけど。でも死ぬからなこのままだと」
ダメ押しに死ぬと伝えられ、ケンウッドは「お前なぁ……!」と非難がましい目を向ける。
しかしジャンジャックはそんな視線を気にするでもなく、出された紅茶を口にした。
「そういや異国で流行ってる小説とかいくつか買ってきたけど読む?」
「えっ!? いや死ぬって言うだけ言っといてそこで終わるの!? なんで!?」
「だって怖い話するなって言っただろ今」
「言ったね!? 言ったけどね!? なんでそうなるのか、とかそういう理由もなしに次の話題に移られると不安になっちゃうでしょ!?」
「え、何この話やめようって自分で言っておいてまだ続けるの?」
解せぬ、みたいな顔をするジャンジャックに、ケンウッドは思わず泣きそうになった。
怖い話は苦手である。嫌いと言ってもいい。
けれど、内容が内容だ。このまま無視して次の話題に移るわけにもいかなかった。
ジャンジャックの言葉がもし真実なら、恐らく今月中に自分は死ぬのだから。
「お前、そういう特殊能力とかあったっけ?」
「いやないけど」
世の中には魔法を秘めた目を持つ者がいると言われている。魔眼と呼ばれるそれらには、様々な能力が秘められているらしい。
その目で見る事で、相手の寿命がわかる、なんて能力があってもおかしくないと思ってケンウッドは問いかけたけれど、しかしあっさりとジャンジャックに否定される。
「え、じゃあ何やっぱ性質の悪い冗談?」
「いや事実」
「やだあああああもうやだああああああ!」
うわぁぁあん、と声を大にして泣き叫びたかった。
生憎ケンウッドは成人して数年経過しているので、流石にそんな醜態を晒すわけにはいかないと堪えたけれど、しかし涙目であった。
「なんで!? どうして!? 実はどっかの殺し屋とかに狙われてるの!?」
「うーんニアピン賞」
「近いの!?」
「狙われてるけど殺し屋ではないんじゃないかな。そもそも殺し屋差し向ける必要性があるとは思えん」
「ですよね!? 自分弱小身分の子爵家だもんね!? そんなわざわざ殺し屋とかで始末しようとかしなくても、上の身分の人からしたらサクッと潰そうと思えば潰せちゃうもんね!?」
「狙ってるのが男爵家とかだった場合」
「やめろよそういう事言うの! てか自分そこまで周囲に敵作ろうとかした覚えないんだけど!? 一代限りの爵位持ちとか馬鹿にした事だってないし、困った時にある程度力を貸してくれる人は多い方がいいからってんで敵に回るような真似とかした事ないんだけど!? そりゃあ派閥の問題とかあるにはあるけど、でも対立してる派閥の家の人とかと関わる時だって当たり障りなくやってんだよこっちは」
自分で言う通り、ケンウッドは周囲に意味もなく喧嘩を売るような真似をした事なんてないし、むしろ意味もなく目立つ行為は苦手であった。
ケンウッド自身、自分の評価をしてみせろと言われれば、そこまで大層な評価はできないしどちらかといえば地味で目立たないタイプであると断言する。
でしゃばりすぎて不興を買うような事もなければ、へりくだりすぎて面倒ごとを押し付けられるような所まではいっていない。ケンウッドと同じ派閥の家の者たちに、同派閥の者の名を一人あげてほしい、と言われたとして、真っ先に名前が出てくるタイプではない程度には、ケンウッドの存在感は薄い方であった。
「で、なんで? なんで俺死ぬの?」
ずび、と涙目通り越して鼻水まで出てきたケンウッドはみっともなく鼻をすすり、ジャンジャックに問いかけた。こんだけ言われてこれで実は冗談でしたーなんて言われたらまぁ一発ぶん殴るだろう。いや、もしかしたら三発くらい殴るかもしれない。
「だって呪われてるもん」
紅茶と一緒に出されたクッキーに手を伸ばしたジャンジャックはあっさりと告げる。
サク、と小気味よい音がケンウッドの耳に届いた。
そのままジャンジャックの口の中でサクサク音を立てて噛み砕かれていくクッキーの音を聞きながら、ケンウッドは今しがた言われた言葉を脳内で反芻した。
呪われてるもん。
いや、もん、とか可愛く言ってんじゃないよと思ったけれどそんな事よりも、呪われている、とは……!?
「多分さぁ、お前んとこの派閥の前に死んだ二人? それも同じ死因じゃないかな」
「えっ、でも魔法だとかの痕跡はなかったって」
「魔法じゃない。呪い」
「え? いや、同じだろ?」
魔法も呪いも魔力を持って行われる。
調べた時に魔法の痕跡、という表現を用いてはいるものの、実際には魔力痕の有無だ。
しかし死んだ二人を調べたところ、その身体に本人以外の別の魔力の痕跡が残っていたわけではなかった。呪われているなら、本人の身体のどこか――死因からして心臓や胸のあたり――にそういった痕跡がないとおかしい。
「この国とか周辺の国とは系統の違うやつだったら気付けないんじゃないかな。神殿も大体この国周辺の術式でやってるから、遠い異国の作法とかまでは把握してない可能性ありそうだし」
生まれも育ちも大体この辺、となれば作法にしろ魔法に関する術式にしろ、このあたりのやり方がデフォルトである。それこそ一度も見た事も行った事もないような遠い国のやり方など、知りようがない。
オリジナル術式作っちゃお☆ みたいなノリでやらかすにしても、大抵はどこかで破綻する。ある程度魔法理論に精通していても成功率は低いのだ。
ある程度既に知られた理論・技術であればまだしも、新たに構築しようとなると魔法というものは未知の何かが潜んでいるのか、中々上手くいかないのである。
今あるものを改良しようとして、これをこうしたら上手くいくんじゃないか? とかなり自信満々で実行しても失敗する事の方が多いくらいなのだから。
「俺さぁ、ちょっと前まで遠方の国に行ってたじゃん?」
「そうだな。今しがたその話聞いてたところだったな」
その途中で死ぬってぶっこまれたわけだけど。
「で、そっちの国って魔法の系統がここと全然違うわけ」
「全然? え、でもちょっとくらい掠ってたりとかは」
「いや全然。こっちだと魔法は詠唱して発動させるとか、魔法の言葉を物に刻んでだとかなんだけど。
向こうはさ、似てるようで違うんだよ。詠唱もあるにはあるんだけど、なんていうのかな……さっぱり意味がわからない」
「え?」
「例えば火の魔法とか使う時ってさ、火の精霊とかに力を借りるような言葉じゃん。大いなる炎の精霊よ、だとかから始まる感じの」
「そうだな」
「向こう違うんだよ。なんだったかな、きゅ、キューキューニリツリョ……? ともかく意味がわかんない言葉をつらつら言うんだ」
「えぇ……?」
「魔道具だって物に魔法文字刻むわけだから、それなりに耐久性とかあるやつじゃないと駄目じゃん?」
「そうだな。折角刻んでもすぐ壊れるなら普通に魔法使う方がいいわけだし」
「向こうさ、紙に書いたりしてたんだよ。ただ、その文字もこっちと全然違うの。見てて頭おかしくなるかと思った」
「えぇ……?」
ジャンジャックの説明だと、ケンウッドにはさっぱりわからない。
わからないけれど、やってる事は似ていてもその中身は別なんだな、と理解するしかない。
「魔法ってもっとこう、わかりやすい感じだと思ってたけど向こうのはさっぱり。
ノーマクサマンダなんとかかんとか、みたいなわけのわからない言葉とか、リンビョートーシャ……なんたらかんたら、みたいな。意味がこれっぽっちも理解できない。
だからまぁ、あれを自分で習得はできないだろうなって思ったんだけど」
ジャンジャックの言葉を聞けば聞くほどその遠方の国での術式は謎が深まる一方だった。
「ただ、あっちの国ってさ、呪いも盛んらしくて」
「まぁ、敵がいるなら使う事もあるだろうけどさ……」
「うん、ただ、向こうでも術の痕跡? なんか魔力じゃなくてレーリョクとか言ってたような気はするんだけど、ともあれそういう痕跡を調べる方法がないわけではないんだけども」
わけがわからないなと首を傾げそうになっていたものの、どうやら自分が死ぬという話の本題に入りかけているようだぞ……? と思ったのでケンウッドはそっと居住まいを正した。
「俺が知った呪いの一つに、まぁ色々なんやかんやした呪いを込めたやつを相手に送りつけるっていうのがあったんだけどさ」
「なんやかんやの部分は」
「えーっと、何かインクに生き血とか混ぜてとか言われた時点でうわぁってなったからなぁ」
「うわぁ」
「向こうの国ではインクっていうかスミって言われてたけど、ともあれ、人間の生き血か、人間と近しい感じの動物の血とか」
「近しい、動物?」
「犬とか猫とか、馬とか。生活を身近にしてるやつって言われたっけか」
「えっ、そこから生き血とるの? 可哀そうだろ」
「だよなぁ。でも、人間の血だとかを用意するにしても、誰かを犠牲にできない場合とか、自分を傷つけてまで、ってやつは動物使うって聞いたな」
「最低じゃないか」
「だから呪いなんて手段使うんだろ」
「確かに」
納得してしまった。
邪魔な相手をどうにかしよう、で正々堂々どうにかできる相手なら、そもそも呪いなんて手段使うわけがなかったのだ。
「動物だとさ、今まで世話してきた人間にいきなり怪我をさせられるわけだから、そりゃ恨むよな。何かその恨みのパワー? 気持ち? それも重要らしい。
人間の場合もそりゃ呪おうってんだから、恨み辛みはあるだろうけど」
「でも、呪う相手じゃなくて傷つけた本人に行くだろその感情」
「それを相手に押し付ける感じらしいよ」
「やだ最低」
「で、なんか生き血を混ぜたインクで呪いたい相手の名前とか書きこんで……何かその紙も普通の紙じゃなくてヒトの形にしたりだとかって言われてた気がするな……呪いたい相手に見立ててるとかどうとか」
「ふーん、類感魔術とかそっち方面に近い感じかな?」
「見立てって点ならそうかもしれない。俺の知る類感魔術とは全然違いすぎてさっぱりだったけど」
「ま、土地が異なれば文化も違うから、独自の発展を遂げててもおかしくはない、んだけどさぁ……」
「だよね。あの国今まで鎖国してたって話だから、それもあって余計にオリジナル性が強い感じしたわ。
で、その呪いの紙を相手にお届けしないといけないんだけど」
「そんなん届けられたって普通受け取らないだろ。俺なら即捨てる」
「だよね。力の強い術者だと、届いた時点で呪い発動って感じらしいんだけど、そうじゃない場合は相手に知られないように相手に渡す必要がある」
「ラブレターなら嬉しいけどこんなにも嬉しくない時間差の紙の届け物ってある……?」
「督促状とか?」
「それは時間差とか言ってる場合じゃなくさっさと渡してほしい」
「ともあれ、何かあっちの国の呪いって、呪う前に呪われてることが発覚したりしちゃうと相手に呪いが戻っちゃう、みたいなリスキーな感じらしくて。なんだったかな、人を呪わば穴二つ? 万が一を考えて墓穴はふたつ用意しておけよ的な」
「そうまでして呪うの……? それもう普通に殺し屋雇った方がよくない?」
「色々と事情があるんだろ。知りたくないけど。
で、まぁ、呪い返しとかいうの、呪う側からすればイヤじゃん」
「まぁそうだな。失敗した結果の自滅だもんな。そりゃイヤだろうよ」
呪われそうになった側からすると「ざまぁ」と草生やす勢いで笑えるかもしれないが。
「だから、相手に気付かれないように送る場合って、昔は相手の家の敷地内に埋めるとかだったらしいんだよ」
「はぁ、まぁ、相手の家の敷地内なら相手に届けた、と言えなくもないな」
「直接本人に手渡しじゃないから成功率としては上がりそうだけどさ」
「……でもそれ、成功率やっぱり低くないか?」
「俺もそう思った。その方法教えてくれた人もだよなって言ってた」
あっはっは、とジャンジャックは笑うけれど、それを果たして笑っていいものかはケンウッドにはわからなかった。
例えばその呪い方を実践したとして。
敷地内がとても広い家ならば、成功率はそれなりに上がると思う。
いくら使用人や庭師がいたとしても、人の目が届かないような場所、死角になる場所は存在する。
そういったところに上手く埋め込んだなら、呪いが発動するまでに気付かれず無事に呪う事ができるかもしれない。失敗する可能性も勿論あるけれども。
けれども、中途半端に狭い家の敷地であったなら。
庭だとかも小さく、人の目がそこそこあるようなところだと、何かを埋めた覚えもないけど何かここだけ土掘り返されてるな……夜中に野良犬でも迷い込んで何か埋めたかな? とか思われて掘り返される恐れもある。
小さな家なら安全というわけではない。
ズボラなところはそういった部分に目を向ける事もなく、そのまま呪われてしまうなんて可能性がある。
……なんというか、敷地内の広さに関係なくどうにもその呪い方は効率的とは言い難かった。
運を天に任せる、とでも言おうか。殺意があるのかどうかもあやふや。
上手くいけばラッキー、とかそういう……どうにも中途半端さをケンウッドは感じていた。
本当に殺したい、排除したいというのであれば、もっと確実な方法を取るべきでは……? いや、でも、もしバレた時の事を考えて逃げ道を用意している……? うぅん、どっちにしてもなんとなく半端な感じがするな……とうんうん考え込むケンウッドを見て、ジャンジャックもだよなぁと頷いて再びクッキーを手に取った。
「で、何か昔の方法は割と非効率的だったからってんで、今は色々変化してるらしいんだけどさ」
「いやな方向性の進化の遂げ方だな」
「それはそう。
とりあえず、相手の敷地内、テリトリー内にその呪いのアイテム……じゅ、呪物? ってーの? ともかくそれがあればオッケーなわけだ」
「まぁそうだろうけれども」
しかしそんな、人の形に見えるように紙を切って?
でそこに呪いたい相手の名前を書いて?
しかもその書く時に使うインクには動物か人間の血が混ぜられていて?
想像するだけで禍々しい物体すぎる。
そんなの庭だとかに埋められるのもイヤすぎるが、普通にその辺にぽんと捨てられてるのを見るのもイヤすぎる。あらやだゴミが捨てられてるわ、とかで拾い上げたメイドとかが悲鳴上げてへたり込むとしか思えない。正直呪おうとしている相手以外でもそんなもの触っただけで呪われそうでとてもイヤ。
なんでそんな呪いの方法編み出したんだ……やめてあげろよ色々と。周囲に迷惑かけない範囲でやってほしい。
呪う相手にももしかしたら切実な事情があるかもしれないが、その方法を聞く限りどうしたって同情が芽生えてこない。もうちょっとこう、相手にも事情があったんだせめて情状酌量の余地を、とか言える範囲でやってほしい。
「呪いが発動するまでに、大体数日かかるらしいんだけどさ。
その呪いがお前のところにもって話なんだわ」
「イヤすぎる! えっ、どこ!? どこに呪物とやらがあるんだよ!?」
思わず椅子から立ち上がってケンウッドは室内をきょろきょろと見まわした。首を激しく動かしすぎて危うくムチウチになるかと思った勢いである。
どこだどこだと見まわすも、そもそも敷地内という話であるのなら別のこの部屋じゃないかもしれない。
そう思ってケンウッドは部屋を飛び出して屋敷中、あとは庭だとかを見てこようと思ったのだが。
「落ち着けよ。そこにあるだろ」
「そこってどこ!?」
あまりにもあっさりとジャンジャックに言われるも、そんないかにも呪われそうなブツがあるとは思えない。
「いや、それ。そこの鉢植え」
「えっ!?」
窓際に置かれた小振りな鉢植えには、白い花が咲いている。
名前はなんだったかそこまで植物に詳しくないケンウッドは知ったこっちゃないけれど、まぁ室内に花がある事に否やはない。あまりにもむせ返るような花の匂いなどは苦手だが、ふとした時に見て癒されるのもあって、ケンウッドの屋敷には観葉植物と呼ばれる物が多く配置されていた。
花の名前は知らないが、しかしその鉢植えはケンウッドの家にある他の鉢と違って少しばかりカラフルな色合いだった。ケンウッドの屋敷にある他の鉢は素焼きの、テラコッタ色をしている物が多いのだがこの鉢はそれよりももうちょっと赤みを帯びている。その赤さもくどくなく、ワインレッドというよりはチェリーレッドだとかに近い。鉢を焼く時に縄か何かで模様でもつけたのだろうか、と思えるような模様もついていて、どちらかというと年若い女性が好みそうな見た目をしていた。
「花そのものは問題ないと思うんだけどさ。多分土の中に入ってるぜ」
「マァジかぁ……」
今までちょっと変わった見た目の鉢植えだと思っていただけのそれが呪物もセットと言われて、途端おどろおどろしい物に見えてくる。
土を掘り返すにしても、そうなると花を引っこ抜く形になってしまうな……と思ったケンウッドはちょっとだけ躊躇った。
咲いてるだけの花に罪はないので。
それに一生懸命に咲いてる花を切り花にして飾るとかでもなしに引っこ抜くのはな……という気持ちもあった。
とはいえ、このままにしておくわけにもいかない。
花は、そうだな、押し花にして栞にでもしておくか……と決めて意を決してケンウッドは花を引っこ抜いて土を掘り返してみた。
そこから出てきたのはくしゃくしゃに丸められた紙。
土まみれになっているため、何かが書かれているかはすぐにはわからなかった。丁寧に土を払い落としながら紙を広げてみれば――
「ひぃん!」
そこには確かにケンウッドの名前が記されていたのである。
いい年してめそめそ泣きたかったがそういうわけにもいかない。
この鉢植えを置いた人物を放置してはいられないからだ。
何故自分が呪われなければならないのか。命を取ろうとするまでの恨みを買った覚えはない。
ジャンジャックも何となくその場に居合わせたまま、まずこの鉢植えを持ってきた相手を呼び出す事にした。
メイドのミュリカである。
だがしかし、呪ったのはミュリカではなかった。
ミュリカ曰く、それはここを辞める事になったモイラが置いていったのだとか。
花も綺麗に咲いてるし、見た目も悪くないからとりあえず日当たりのよい場所に置いておこうと思った結果、ケンウッドの私室の窓際に置かれたに過ぎない。
モイラというのはメイドの一人であった。
辞めたのは四日前。
辞めた、というか実はクビにしたのだが、多くの者に周知はしなかった。
クビにした理由としては、資金の横領である。
直接子爵家の金にモロ手をつけたというわけではないが、買い出しの際などちょっとずつ料金を水増ししていたことが発覚したのだ。
その差額分を着服していたのがバレて、本来ならば罪に問う形になったものの盗んだ理由が病気の親に薬を買うため、というのもあってケンウッドは哀れに思って憲兵に突き出す事はしなかったのだ。とはいえ、盗人を雇い続けるわけにもいかない。紹介状も書く事はできないが、犯した罪を大っぴらにしない事にして辞めてもらった。
一応退職金に関しては、今まで盗んだ分の差額を引いて渡してある。親の薬を買うまでならどうにかなるだろう。
とはいえ、その後は別の場所で仕事を見つけるしかないわけだが。
モイラの件に関しては大っぴらに言いふらしてはいないけれど、しかしケンウッドの親しい間柄の家には密かに通達しておいた。雇うにしても、以前こういう事があったと知った上で雇うのとそうでないのとでは大きな違いがあるからだ。
恐らく公然の秘密のような扱いになるとは思うけれど、罪人として捕まるよりはマシだろう。最悪王都ではない別の町で仕事を探す事ならできるわけだし。
だがしかし、いざ調べてみるとモイラの両親はとっくに亡くなっていて、薬を買う必要性はどこにもなかった。単純にそう言えば同情を買えると思っての事だったのだろう。
挙句、辞めさせられた事に逆恨みをしてケンウッドを呪うためにやらかした、という推測ができてしまった。
「いやでも、じゃあモイラは遠方国の出身だったとか……?」
この国でドマイナーすぎる呪いの方法をやらかすような相手だ。
辞めた後何処に行ったかは知らないし、今更追いかけて罪状を追加してやる気力もケンウッドにはなかった。ただまぁ、この話もしれっと噂として流して王都ではもう絶対に仕事ができないようにしておこうとは思ったけれど。
親の件が嘘だと最初から知っていたら、温情なんてなかったので。
「いや。そうじゃない。あのさ、言いにくいんだけど言うね」
「なんだよ」
「呪いの品キット、普通に売られてる」
「なんで!?」
本日何度目かのなんでである。
「いやあの、こっちの国に帰ってきてからさ、まぁ懐かしーってなってそこら辺ぶらぶらしてたよね。
で、露天商とかいてさ、あー、俺ここ出る前はこんなんなかったなー、とか思いながら見てたわけ。
そこで呪いの品キットとして売られてたんだよ。紙とインクのセットで」
「なんで取り締まられてないんだよ!?」
「まぁ売られてた場所がスラムに近い感じの場所だから、見回りの兵士とか見てないんじゃないかな。それに呪うにしてもさ、この国の魔法系統と異なるわけでしょ? だからジョークグッズか何かだと思われてる可能性もあるかも」
言われてみればそう思える。
確かにこの国や周辺の国で相手を呪うとなれば、本人に魔力の痕跡が出る。こんな風に相手のテリトリー内に呪いの品を置いてじわじわと、という方法はこの国や周辺の国ではないのだ。
だからまぁ、本当にそうなるとは思わなかった、という言い訳が通ってしまう。少なくとも今の時点では。
「少なくともインクには血が混ざってる感じじゃなかったから、呪う時に自分の血か動物の血を混ぜてるとは思う。そうじゃないと最初から何かの動物の血を混ぜて売るとしてもさ、下手したら時間経過で異臭とかしそうだし。だからね、まぁ、ここで呪物を発見したって時点で、呪い返しが成立してる可能性が高いんだよね。
どっかでそのモイラとやらの死体が転がってたら確定かな」
と、そこまで言ってジャンジャックは少し考え込んでから。
「呪いたい相手の敷地内に要は埋まった状態であればいいわけだからさ、鉢植えっていうのは考えたよね」
「なんでそこ褒めたの!?」
「え、ただの感想だけど」
「いやそうじゃない。そうじゃない。その呪いキットがまだ売られてるならとんでもない事になりそうなんだけど!?」
「そうだね、ジョークグッズとして買った誰かがこいつぁ本物だ……とか思ったら色々とヤバいかもね」
上手くやれば確実に呪えるのだから、最悪王家の人間を仕留める事も可能になるわけだ。呪いが発動するまでに埋めてある呪物を掘り返されなければいいのだから、掘り返されないようにモイラのように鉢植えだとかを用意するだとかの方法がとられる可能性は高い。
新しい鉢植えを撤去するにしても、古いやつと似たような見た目のものを用意されてすり替えられた、だとかで気付かない可能性もある。
呪いたい相手の名前がわかっていて、相手の家だとかがわかっているのであれば、後はそっと仕掛けるだけ。
呪いが発動する前に呪物を掘り返して発見できれば呪いは無効となり相手にその呪いが返るらしいとはいえ、呪いが発動した後、呪われた本人が死んだ後で発見された場合は呪い返しは成立しない。
「こうしちゃいられないぞ! 大変な事じゃないか!」
危険性をケンウッドは正しく理解していた。
その呪いで同派閥の人間が二名程死んでいると仮定して。
仕掛けたのが敵対派閥の人間だとして。
しかしそれを見つける事ができるかどうかがわからない。
本人が呪わず己に忠誠を誓っているだとかで口の堅い部下などがいたなら、そちらに実行させるかもしれない。呪い返しが発動して相手が死んだ場合、呪っていた相手が判明するけれど、そうなる以前に誰が呪っているかを判別する方法はなかった。
――だからこそ、ケンウッドは大急ぎでジャンジャックを連れて信頼できる派閥の上の者に今回の話をしたけれど。
事件が完全に解決したとは言えなかったのである。
まず、呪いキットを売っていた露天商。
彼は異国の商人からこれを買ったと言っていた。
占いと同じで当たるも八卦当たらぬも八卦、なんて言われて、ちょっとしたジョークアイテムさ、と言われたらしい。
まぁ、実際イヤな相手を呪うにしても、効果があるかどうかもわからない品だ。
直接害する事ができなくとも、とりあえず行動に出た、という事で多少なりとも心の中で折り合いがつくかもしれない。そんな感じで露天商は軽い気持ちで扱っていたのだ。
露天商は別に恨みを持つ相手がいなかったので、自分でまず試してみようとは思わなかった。それもあって、危険性なんてものはさっぱりだったのである。
勿論、呪い返しについても知らなかった。
露天商に呪いキットを売った異国の商人は、恐らくジャンジャックが行った遠方の国の者だろうなと思うけれど、しかしその足取りは掴めなかった。
異国の商人がどんなつもりで売りつけたのか。
異国の呪いゆえに効果があるからこそ、誰かの助けにと思ったのか、それとも混乱を振りまくつもりの愉快犯だったのか。どちらにしても迷惑な話ではあるが、何処に行ったかもわからない相手を探すのは難しい。
結局のところ元凶を捕える事ができなかった時点で、またいつかこの呪いの品が出回る可能性は存在する。対処法としてはもう各自で気を付けるしかない。
ハイエンベルグ卿やレンタール伯爵に関して詳しく調べた結果、どうやら呪いの品の効果で死んだらしいと発覚した。
ハイエンベルグ卿の屋敷の中庭に掘り返されたような部分があってそこを掘ってみれば呪物が存在し、レンタール伯爵の家では温室から見つかったらしい。
敷地内という事で身内の犯行も疑われたけれど、誰が埋めたかはわからなかった。
敵対派閥の人間が忍び込んだというよりは、そこで働く誰かがこっそりと……といった可能性の方が濃厚ではあったけれど。誰がやったか、という決定的な証拠は出なかったのである。
待遇に不満を抱いた使用人がちょっとしたおまじないくらいのノリでやった可能性もあるし、敵対派閥の人間に金を掴まされて実行した使用人がいる可能性もあり得るのだ。
可能性だけならいくらでもあった。
政敵相手に警戒するだけならいざ知らず、自分が雇う使用人たちにまで疑いの目を向けなければならなくなった、という状況。事が事だけに王家にもその話は当然伝わったし、なんだったら平民にもその話は悪質な噂として広まってしまった。
何せ呪う方法が方法だ。字を書けない者は自分は呪えないから大丈夫、と言えど書けないから呪われない、ではないのだ。
国中が、ひそかな疑心暗鬼に陥るのは言うまでもなかった。
「うわぁ、なんだか大変な事になったものだね」
「他人事すぎないか!?」
「え、そりゃだって他人事だもの」
ジャンジャックがケンウッドにお前呪われてるしこのままだと死ぬよと告げてからたった数日で国内はとてもギスギスするようになってしまった。
だというのにあまりにもお気楽に言ってのけるものだから。
ケンウッドは呆れたように突っ込んだものの、返ってきた言葉はまさしく他人事。
「だってさ、この呪いって、相手のテリトリーに名前書いて埋めないといけないわけでしょ?
俺とっくに実家から出てるから、そこは含まれてないんだよね。いやぁ、貧乏伯爵家の四男坊なんて実家にいつまでも居場所があるわけじゃないしさ。家出て数年経ってるし。
旅をするにあたって荷物として邪魔になる物は持たないから、鉢植えとか押し付けられたりしてもさ……ねぇ?」
「いやまぁ、そうなんだけど……」
「まぁでも? 俺は知ってる異国の呪いの話をしただけでただの情報提供者なだけなのに、変に噂が回ってまるで俺が悪いみたいに言われてるのもあるからさ。
とりあえず国を出ようと思ってはいるんだよね」
「えっ!?」
「別に俺が広めた呪いじゃないし、実行したのも他のやつなのにとばっちりで痛い目見たくないしさ」
「そりゃまぁ、そうだろうな」
言っている事はわかる。
ケンウッドからすればジャンジャックは自分の命を救う事になった恩人ではあるけれど、他の者たちからするとそうではない。
むしろ謎の死のままにしてあった方が良かったとまで思っていそうなジャンジャックは、とっくに故郷の実家を出ているのでどこに行くにも気の向くままだ。
ケンウッドの事も友人だと思っているから助けただけで、もし彼がそこまでする価値のない相手だと判断されていたならば、今頃ケンウッドも死んでいた事だろう。
罪を犯したメイドの逆恨みによって。
「そういうわけだからさ、また当分会うことはないと思うけど。
達者で暮らせよ、親友」
へらりと笑うジャンジャックに、ケンウッドは呼び止める言葉が出てこなかった。
今現在この国でジャンジャックは異国の呪いをばら撒いた戦犯、みたいな噂も出回っている。それは真実ではないのだが、噂というのは尾びれも背びれもついて真実からどんどん遠ざかるものだ。
本当のことを言って回ったとしても、間違った話を真実だと思い込む者もいる以上、下手にこの国にジャンジャックの居場所を作ってしまうのは危険だった。
他人事と言っているように、この国に自分の居場所がないジャンジャックはだからこそあの呪いの餌食になっていないだけだ。そうでなければ勘違いした相手にジャンジャックは呪われていたかもしれない。
ケンウッドの屋敷から出ていっそ軽やかな足取りで去っていく友人の姿を、だからこそケンウッドは引き止める事もなくただ見送るだけだった。
ちなみに。
ジャンジャックが異国で流行ってた小説を読む? と聞いてきたのに結局見せてもらう機会を逃した事に気が付いたのは。
すっかりジャンジャックの姿が見えなくなるどころか、そこから更に数日経過してからであった。
色んな意味で手遅れである。