第8話 初めての夜
そうと決まれば、まずしなければいけないのは腹ごしらえだった。
街が食われる光景に驚いたり全力疾走したりするうちに、俺の空腹も限界に近付いていた。
ようやくリヴラへと戻ってきた時にはもう碌に動けなく成る程に。
だが、慌てて出てきたので手に入れたのは僅かな種子だけ。
せめてあの果物もどきを食べていれば……とも思ったが、今から戻るのなんて死んでも御免だ。
「残った資材を使って急ぎ食料設備を整えますが、時間はかかります。その間は……」
そう言っておずおずと差し出してきたのは、犬ジカたちの食べていた豆でできたブロックだ。
「嘘だろ……」
「今回は緊急事態です。すみませんが味は我慢してください」
「いや、今日のは俺の落ち度だ。気にするな……」
本当に、いくつか引っこ抜いてくるんだった。
一応焼いてはくれたようだから、腹を壊すことはないはずだが……。
諦めて肉ブロックを口に運ぶ。水気のある触感とともに広がったのは――。
「……肉だ」
見た目は四角い石だというのに。なぜか肉の風味がある。
ほんのりとではあるが匂いすら再現している。
人類の食への拘りは末恐ろしい。
「これが人類の技術ですよ、魔王さま」
あん、と犬ジカが吠える。
なんでお前らが得意そうな顔をする。
だが、惜しむらくは味が薄い。
身体の小さいペット用だからかわからないが、極力素材の味で作られている。
食べられなくはないが、一生これを食えと言われたら絶望する。
とはいえ俺も空腹の限界であったので、そのままの勢いで立ったまま食べ終えてしまった。
……早く食料設備ができることを祈ろう。
「他の食材も早く見つけような」
「? はい。勿論です」
できれば、いや、絶対に見つける。
この食事に慣れてはいけないと俺の本能が告げていた。
さて、不安は残るがこれで食糧問題は一旦解決。
重要なのはここからだ。
「それで、次はどうする?」
ルナは言った。
人類史再生のために、俺が必要だと。
ならば俺の力が要る何かがあるのだろう。
「よくぞ聞いてくださいました」
両腕を腰に据え、胸を張る。
あんなことがあった直後だというのに、元気な奴だ。
「この世界を再生……いえ、征服するためにやらなければならないことは、大きく分けて三つです」
三本指を立て、そのうち一本を折り曲げた。
「まずは、人類史の収集。魔王さまも先ほど見たように、現在この地方は植木屋たちによってゆっくりと修復されています。彼らの生態……法則は分かりませんが、先ほどの街のように現時点で無事な場所はいくつかあります。そこを優先的に回収して、可能な限り人類史を集めます」
これに関してはわかっていたことなので素直に頷く。
ただでさえ魔物も自然もやたらデカくて大変な状況だというのに、あんなものまでいるとは。
あれが自浄作用というのならば何らかの法則性はあるはずだが……。
近寄りたくはないなあ、というのが俺の本音だ。
「次に、収集した人類史の再現及び保存。集めた知識で、この都市を人間が住みやすい環境にすることです」
「つまり……街づくりをしろと?」
周囲を見渡す。
そこにあるのは来た時と変わらない、白い廃墟群だ。
いつの時代のものかも、用途も碌にわからないものだらけだというのに、俺がこれを復興させるのか?
「はい。施設ができれば、この街でできることも増えていきます。外での調査に役立つものも作れるはずです。魔王さまの力を存分に生かしてもらいますよ」
一人では作れないものがいっぱいあるのです、と嬉しそうにするルナ。
まあ、俺にもメリットがあるならばやるべきだろう。
特に食事。まともな――俺の時代感覚でまともなものを作れるようには早急にしておきたい。
……あの門のようなものを作れといわれれば是非断りたいが。
「そして最後ですが……それについては口で説明するより見せたほうが早いでしょう」
そう言って彼女は歩きだす。
牧場を抜け、リヴラを貫く中央大通りを進んでいく。
この都市は南北に長い楕円の構造をしており、端から端までは二時間は優にかかる。
全てを復旧すれば数千人規模の都市になるのだろう。
それが今や我々二人だけだというのだから、世も末である。
そのままルナについていくと、大通りにあるログハウスのような建物に入っていった。
初めて見る建物だ。てっきり、あの人形たちの眠る場所に行くと思っていたのだが。
続けて中に入ると、薄暗い明かりに照らされた室内が視界に入る。
壁一面に貼られた地図や机上や床にまでばら撒かれた紙片、写し絵が部屋中を埋め尽くしている。
何より異様なのは、それらすべてに幾重もの文章が書き連ねられている点だ。
過去、これに似た光景を見た事がある。
魔術師たちの工房――人生を魔術の研究にささげた、常軌を逸した者たちの部屋に似ているのだ。
「ここは……?」
意図的に作られたのだろう紙片の隙間を進みながらルナへと尋ねる。
これが最後の目的だとするなら、文献でも集めるのか?
直ぐには応えず、ルナは奥の壁際まで進むとようやくこちらへと振り向いた。
その手には一冊の本が抱えられていた。
赤の下地に金の文字が彫られた美しい本であった。
「ここには、我々が入手したものから集めた『特異主』たちの情報が集まっています」
「特異主?」
初めて聞く言葉だ。
「それが、最後のやりたいことか?」
「はい。……この特異主を見つけることが、最後の三つ目です」
尋ねると待ってましたとルナは口を開く。
不思議と外にいた時よりも嬉しそうに感じる。
やはり、ここは彼女の工房なのだろう。
「特異主とは長い人類史の中で、様々な理由で封じられ、あるいは自ら眠りについて――未だこの世界に残っているとされる伝説上の存在のことです」
そして、彼女が告げた言葉の意味は、少し理解に時間を要した。
封印されたり、眠っている存在が特異主。
……それが、俺を起こした理由で、目的? そして、俺がするべきこと?
何故、と彼女の真意がわからず混乱する俺に、ルナが手にしていた本を差し出してきた。
手に取ってみると、題名は『禁忌の錬金術師「ロア」』とある。
美しい金の印字で刻まれたその文字は見覚えのあるものだった。
「ああ、これは俺も読んだことがある。大昔にいたと言われた伝説上の人物だろう。確か金属を自在に作り出したとかいう……」
でもこんなものはただの創作。そんな人間がいるわけもない。
いや、確かに考えたことはあるさ。
実は世界のどこかでまだ生きているんじゃないかって……ん?
なんだ。どこかで似たような話を聞いたことがある。
封印されて、絵物語になった奴が――。
「もちろん、あなたもそのうちの一人です。魔王さま」
そう言って、ルナが手に持った本――子供向けの絵物語を見せてくる。
そこには『勇者物語』と題うってある。
……ああ、そう言うことか。
ようやく彼女が伝えたいことが理解できた。
特異主とは、俺のように物語や歴史書などに描かれた人物の中で、もしかしたら実在したかもしれない連中ということか。
確かに、数百年も遡れば歴史なんてものは曖昧になる。
俺の時代でもこのロアという錬金術師を実在したと信じる学者たちが何度か現れていた。
その度にありえないと否定され、消えていったけれど。
最新の人類史では俺も同じ扱いだったのだろう。
だが、ルナは違った。
「つまり、お前はこう考えたわけだ。歴史やおとぎ話に語られる存在たちがもし本当に実在し、今もなお封印されていたら、と」
そいつらは、人類がいなくなった世界で呑気に眠りこけてる阿呆になる。
……俺がそうなのだけど。
「はい。その中でも魔王さまは特にわかりやすかったです」
「……そりゃあ、こんな状況になった勇者召喚の元凶だからな」
「いえ、それは……まあいいでしょう」
人類は成功の歴史を纏めたがる連中だ。
勇者を起点として起きた現代の文明からすれば、俺は勇者を呼ぶきっかけとなったありがたい災害とも取れる。
勇者と一緒に記録が残されていることもあるだろう。
この錬金術師と比べれば、『可能性』は間違いなく高いだろう。
そしてルナは、そういった魔王の記録から本物の俺を探し当てた。
それが、俺の目覚めにつながったのだ。
『……まさか本当に起きるとは』
目覚めたときのルナのあの言葉。
あれは、彼女の本心だったのだろう。
本当に特異主がいたのだと、そして生きていたのだと彼女自身信じられなかったのかもしれない。
だが、こうして魔王は実在した。
ならば、と思う。
一人が実在したのだから他の奴もどれかは実在しているだろう、と彼女は思ったはずだ。俺もそう思う。
兎も角、この特異主とやらはこの世界で唯一存在している可能性のある人材というわけだ。
確かに世界の復興において何よりも重要な存在だ。あれだけ堂々と宣言してあれだが、二人で世界再生は、無理がある……。
「これがやりたいことの三つ目か?」
「はい、そうです。特異主の捜索。これで三つです」
最後の目標。それは新たな人材確保。
それも飛び切り強力で、凶悪な連中をだ。
――それは、とても面白い提案だ。
人類がいなくなったのだ。奴らにとって邪魔だった俺達で、この世界を征服してやればいいのだ。
それに、興味もある。あの人類が封印せざるを得なかった、あるいは葬り去れなかった連中が、どんな奴らなのか。
何せ強すぎるからと封じられたか、俺みたいにどうにかして生き残った奴らだ。
この環境においても十分な力を発揮するのだろう。
……どうしようか、ちょっと、いやかなり興味が沸いてきている自分がいる。
人類の放棄した世界を、放棄された連中で好き勝手に再興させる?
良い。実に良い。魔王的には最高といっていい。
問題は現環境が最悪なことだが、それも目標を進めていけば解決できるというわけだ。
この崩壊した世界で唯一とれる、最高のやり方だと言っていい、
この娘の思いのままにさせられるのは癪だが……乗ってやろうじゃないか。
「いいだろう。まずはどれからやる?」
笑みを浮かべた俺の返答に、ルナは満足げに頷いた。
嬉しそうに壁に貼られていた地図を指さし始める。
「しばらくは先ほど森となった街の跡に通いましょう。恐らくはまだ壊れていないものが残っているはずですので。朝は探索に出て、昼からは街の中で復元をお願いします。特異主に関しては、まだ特定に時間がかかるので後回しです」
紙の山を乗り越えて、ルナが戻ってくる。
特異主たちの捜索は引き続き彼女が単独で行うらしい。
見つかった際は同行することになるので、今は待つしかないだろう。
「あの街でいいのか? 植木屋がまた出るかもしれないのだろう?」
「いえ、むしろ今のうちに探索しなければダメなのです。植木屋は一度根を張ると、森が成長しきるまで動くことはありません。だから、他の場所はしばらくは安全なのです。むしろ、今のうちにあの街の資源を回収しないとダメです」
「なるほど」
不思議なことに、あの亀は同時に複数体が存在することはないらしい。
「くれぐれも、装置を起動しないようにお願いします」
「あれに関してはすまなかった……」
これで、大まかな方針は理解した。
細かくはその時々に聞いていけばいいだろう。
「さて、本日はここまでにしておきましょうか。目覚めてから動き通しですし、魔王さまも疲労は溜まる……んですよね?」
「まだ疑問形なのか……」
魔王について、いや、他の人型種族について教えこんでいく必要がありそうだ。
ふと見上げれば、天から漏れていた光が僅かに翳り始めている。
この地下空間でも、夜は等しく訪れるらしい。
解散を告げたルナの声によって、新しい世界での初日は幕を閉じたのだった。
***
その夜。
俺は確保した自分の新たな部屋でぼおっと寝転がっていた。
何せずっと眠っていたのだ。
やけに目は冴えてしまい、眠る気にはなれなかった。
……もしくは、起きたことがあまりにも衝撃的だったのか。
本当に、ここは俺のいた世界なんだろうか。
そう思ってしまうくらいには、あまりにも変わりすぎた世界を見てきた。
ベットを降り、何故か横で眠る犬ジカを踏まないように避けながら窓へ向かう。
異常成長した木々の根の隙間、巨大な空隙に作られたこの都市。
夜はすべての明かりが消え、根に散布したというわずかな光る苔が淡く天に映るのみ。
大陸中を覆うまで広がったはずの人類域も、今はこの小さな木々の隙間だけ。
結局、世界からすればただのか弱い生物だということか。
「世界を再生する機構が相手とか、冗談きついな……」
それが正直な感想だ。
四大地方一つ征服できなかったちっぽけな魔王一人で、世界相手に何をしろというのか。
『――今度こそ、世界を手にしませんか? 古の魔王さま』
いや、一人ではなかったか。
二人ぼっちで何ができるかなんて、今はわからないけれど。
まさかまた、世界を手に入れようと誘われるとは思わなかった。
『――ここが私たちの国だよ。世界なんて、大それたものはいらない。誰にも邪魔されない、侵されない場所を作るの。あなたならそれができるでしょう? 魔王さま』
「……そうだな。誰にも邪魔されない世界を作れば、完璧だ」
俺を殺した人類の尻拭いをするのは癪だが。
しかもとんでもなく散らかった状態の世界をだ。恨むぞ人類。
だが、まあ。
「どうせ、のんびり余生を送るつもりだったしな」
世界の征服。
今度こそ、成し遂げて見せよう。
ふと、足に痛みを感じる。
物音に起きたらしい犬ジカが激しくつついていた。
さっきまで寝てたよな? なんでそんなに元気なんだ……?
目が覚めていたのはこちらも同じだったので、結局それから眠くなるまで、ボール遊びをして過ごした。
***
翌朝。
昨日と同じ食事を済ませ、ルナの待つ書斎へと向かう。
……早く探索してレパートリーを増やさなければな。
部屋に入ると、昨日と同じく地図を広げたルナが待っていた。
彼女にしては大きめの鞄が脇に置かれ、壁には昨日見た装備に似たものがいくつか立てかけられている。
準備は万端の様だ。
「おはようございます、魔王さま」
「ああ、おはよう……ルナ、少しいいか?」
「はい?」
既に今日やるプランをまとめているのだろうが、その前に俺から提案だ。
いい加減、受け身でいるのも退屈だしな。
首をかしげるルナに俺は魔力を発することで応える。
あれだけ濃密な魔力漂う空間にいたせいか、全盛期に近いコンディションまで回復している。
これなら問題なく使えるだろう。
俺が魔王と呼ばれるようになった、その力を。
「俺にできることを先に教えておこう。お前が起こした魔王の力、見せてやろう」
少しは役に立てるといいのだが。
このとんでもない世界で魔王の力がどこまで通用するか、試してみようじゃないか。