第7話 植木屋
今になって思えば、おかしなことは多々あった。
外に出ている間の、ルナの周囲への異様な警戒。
人類史保存という壮大な任務にも関わらずルナ一人しか残っていない白亜の都市。
そして何より、街の中で見た半身を失った少女たちの姿。
そのすべてが明確に告げていた。
この世界には我々に対する『脅威』が存在していることを。
そして、この世界に対する最大の違和感。
枯れたと聞いたはずの世界は――何故こんなにも緑の生い茂る世界になっているのだろうか?
(なんだ、あれは……)
そいつとの遭遇は、工場を出て街の入口辺りまで戻ってきた時だった。
ずっと聞こえてきていたあの擦過音が急に近づいてくるのに気がついた。
「まずい……!!」
その瞬間、弾かれたように動きだしたルナが俺の体を引っ張ると、近くにあった建物の隙間に自分もろとも押し込んだ。
何を、と聞く前に左手で口をふさがれ、静かにしろと目で訴えてくる。
故に黙った。
そしてそのおかげで、俺はみじめな悲鳴を上げずに済んだ。
再び音が聞こえる。
直後、先ほどまでの進行方向にあった建物の脇から。
蠢く『森』が、姿を現した。
「……!?」
それは、巨大な亀の様であった。
太い木の幹が縄のように絡み合い、巨大な四肢を、首を、甲羅らしきものを形成している。
長く伸びた首には目のような隙間があり、青い光が漏れている。
口に当たる場所はしっかりと裂けており、動くにつれてゆっくりと開いて閉じてを繰り返す。
乾いた樹皮は老齢の皺のような錯覚をさせ、ただの樹の筈の頭に表情を与えているように感じる。
全て樹でできている筈なのに、その『何か』は亀のように四肢を動かし歩いていたのだ。
その『甲羅』には何故だか様々な樹木が生えており、歩くたびにゆさりと揺れ、葉擦れの音を奏でていく。
先ほどから聞こえるこの音は、歩く度に揺れる葉がこすれ合う音だったのだ。
小さな山を背負った亀が、そのまま動いているようなもの。
まさしく蠢く森。生きている自然。
あの亀を言い表すならば、きっとそれが妥当な言葉だろう。
ゆっくりと、亀が動く。
街を縦断するように移動しているらしいそれは、俺達に気づいた様子はなかった。
だが、ルナの慌てようからすると安堵してよい状況ではないようだ。
巨大な亀の重量によって石畳は踏み砕かれ、元の荒れた地面が露出している。
建造物にぶつかれば、すでに風化の進んだそれらは破壊され、崩れ落ちていく。
しかも奇妙なことに、それによってできた破片を亀は食らっているようだった。
岩が主食なのか、それとも。
しばらく歩いた後、ふと、亀が動きを止めた。
首をぐるりと回して顎をばきりと開き――。
『――――』
突如として鳴き始めた。
天高く首をもたげ、巨体の底から奇妙に甲高い笛のような音が鳴り響く。
それが何かの合図かのように。歩みを止めたその亀は――ゆっくりと大地に腰を下ろし始めた。
なんだあれは。
一体何をしようとしている?
「……今のうちに走りましょう!!」
何かを悟ったルナが、俺の手をひいて走りだす。
隠れていたことなど忘れたのか。今はここから離れることが最優先らしい。
だが亀は追ってくることがなく、その場にとどまったままだ。
ふと亀の様子を見ると、彼の背に生えた森がざわざわと動き出しており――そのまま、亀の周囲に森が生え始めた。
「……何?」
先ほど踏み砕かれた地面から僅かに芽が現れる。
その直後、早送りを見ているかの如く成長を始め、直ぐに俺の足首くらいの高さへと成長し始めていた。
それに呼応するように、元から生えていた草木は青々と若返り、木はその幹を太くしたかのように見えた。
時間を操ったとでもいうように、亀の周囲に瑞々しい森が姿を現し始めたのだった。
「なんだ、あれは……」
「……植木屋です。見ての通り、世界に森を生やす存在です」
みるみるうちに成長した木々に、風化に耐えてきた建造物の一部が崩され呑まれていく。
特に元から生えていた木々の成長はすさまじく、岩が砕け金属が捻じ曲がる音が、あたり一帯に響き渡った。
積み木を崩すようにあっさりと、街が崩れ落ちていく。
砕かれた壁面が崩れ、地面に落ちたそれらも、伸びた幹に押され、粉々に潰されていく。
呑み込まれている。この街を構成していた何もかもがあっさりと。
それはまるで、文明を喰らっているかのようだった。
俺とルナは全力で駆け抜け、草原を越えて元いた森の中へと逃げ込んだ。
そこまで来てようやく足を止めたルナが、背後を振り返りつつ、呟く。
「……はあ、何とかなりました」
肺の中身を全て吐き出すような深い息をついてから、ルナは俺を見た。
まだ遠くから街が食われる音が聞こえてきている。岩は砕け鉄はひしゃげ、そして等しく潰されていく。
あの場にいたら、俺達も今頃はすり潰されていたかもしれない。
「そろそろ説明してくれ。……あれは、いったいなんだ」
あんな生物――そもそも生物なのかも不明だが、俺の時代には空想絵巻にすら存在しなかった。
「はい。説明します」
ルナは当然だというふうに頷くと、街の方へと目を向けた。
先程までいた錆び付いた街は、今や緑豊かな山林の史跡と言った様相になっている。
一部の木々の上には、街の残骸が雪化粧のごとくのせられている。
……図らずも、俺の城がどうして木に刺さっていたのかがわかってしまった。
「あれが現れたのは、人類史の末期だといわれています」
壊れていく街を見つめながら、ルナが口を開く。
「ある日突然現れた植木屋は、街を飲み込みました。都市の地下から木々が突如生えるのです。抵抗できずに建物は崩れ、結果あらゆる設備が停止しました。人類も何とか阻止しようと植木屋を倒そうとしましたが、倒しても別の個体が現れ、街を、世界を問答無用で森に変えていったそうです。いつしか人類は対処を諦め、世界を譲ることを選びました」
その凶悪さは、今見ている通りだろう。
長い時間をかけて造った街が、文明が、ほんのわずかな時間で破壊されていく。
しかも倒せないのであれば、人類に打つ手はなかったのかもしれない。
「人類はあれを、世界が寄越した『生きた自浄作用』だと言いました」
「……自浄? 木を生やすことがか?」
「はい。あれは人類の作った文明を喰らって、その代わりに森を生やす――世界による環境再生機構なのです」
あれが、世界そのものの機構だとルナは言う。
体内に入った異物を排除するために身体が反応するのと同じ。
世界が寄越した何かだと。
確かにあれを生物とは信じたくはないが、それでも俄かには信じられない。
納得していない俺の顔を見て、ルナが更に詳しく説明をしてくれる。
「人類は世界の根源魔力を吸いだし、本来は自然環境などに使われるはずの魔力さえも自分たちのものとしました。世界はそれを許さず、強制的に人工物を森に変換する機構を実装したのです。それが、あれです」
そう言って、街のあったほうを指さした。
……なるほど。変換、か。
つまり、あれが先ほど崩れた家屋を食っていたのは、そのまんま食べて森に変えるためだったということか。
魔術を修める者達の間ではしばし語られる事だが、世界には意志があるという。
魔術師は時に、世界の理を無視しようとする。その時に、世界の意思なるものが現れるのだと。
例えば時を操ろうとしたり、人種を変えようとしたり、ものの法則を変えようとしたり。
天才というのはどこにでもいるもので、そういった連中が世界の根源にたどり着こうとしたとき、世界は彼らをこの世から消失させる事で応えてきた、とされている。
ぶっちゃけ、ただの事故だと言われればそれまでだが。
そんな歴史が繰り返されてきたからこそ、世界は人類を嫌い、排除したがっているという思想を持つ者は後を絶たなかった。
そしてあの植木屋こそが、その世界の意志が形となった存在なのだとルナは言う。
「だが、あれの見た目は亀だったぞ。システムとやらが、生き物の姿をしているものか?」
「安定した四足歩行で移動ができ、背に人工物から変換し、どこかに植えるための森を生やしておく鉢が必要。移動のために視界を有していると思われますが、遠くを見渡すために首が長くなったと推測します」
「……なるほど、亀だな」
本来の亀は首こそ長くはないが、適応した形状になった結果があれなのだろう。
「それで、文明を喰らう……だったか。確かにあれは街の石畳を食っていたな」
「はい。石癧白も人工物です。あれがあると、植物が広がりませんから、彼らにとっては邪魔なんです」
「せきれ……? まあ、それを破壊して、森を生やしたと」
言っていること自体は真実なのだろう。
事実、目の前で街一つが消滅したのだから嫌でも信じなければならない。
「ちなみに、人類の物理兵器は通用しませんでした。唯一魔法は効いたようですが、たとえ消滅させても、別の個体がまた現れてしまいます。生物ではなく、現象なんです、あれは」
つまり、絶対に文明を喰らう化け物であると。
人類の英知とやらをかけても勝てなかった相手ということだ。
やけに人類の移住があっさり決まったと疑問だったが、これで合点がいった。
あんなものが現れたら、逃げるしかない。
遠くで街が飲み込まれていく。
同じように、数多の都市が、命が、ああやって飲み込まれていったのだろう。
そう考えて、ふと思い出す。
目覚めてからリヴラに辿り着く前に歩いた、原生林のような分厚い木々の群れを。
……俺がかつて過ごし、奪おうとした場所は、あんなものではなかった筈だ。
「この世界にはあんなものがうようよしています。人類史は刻一刻と破壊され、自然に還っています。濃密すぎる魔力は人類には毒となり、生き残る種は肥大化したものばかり」
あの髭狼か。やはりあれはこの世界では『普通』であるらしい。
狼でさえあのサイズなのだ。他の――例えば竜種が生き残っていたら、どうなっているのだ?
「このままでは、この世界はリセットされます」
不意に告げられたルナの言葉で、俺は顔を上げた。
「町も、都市も、国も。この世界に人類が残してきた全てのものが、歴史が、このままだと消えて無くなるんです」
「……それは、困るな」
別に俺はこの世界の全てが欲しくて戦っていた訳ではない。
この光景を見てどこかすっとした気持ちを感じている自分もいる。
だが、全て壊れるとなると話は別だ。
『――わたしたちの国を作ろう、魔王様。誰にも侵されない、私たちだけの国を』
正直、目覚めた時はどうでも良かったことだったけれど――。
こんな俺にも、壊されたくないものが、残さなければならないものがあるのだ。
「こんな世界をまた人類が住める環境に戻す。それが、我々の使命なのです」
そう言って、ルナは俺を見た。
ずっと無表情だった筈の彼女の瞳がわずかに揺らいだように見えたのは、濃密な魔力の揺らぎなのだろうか。
「ただ、我々には力が足りませんでした。私たち環境再生用自動人形はこの大自然に尽く負け、今残っているのは私ただ一人。どれだけ私が頑張ったとしても、この手で守れる人類史はほんの僅かでしょう。このままでは、人類史の全てが呑まれ、消えてしまうのです。――だから!」
必死に声を張り上げて、ただ一人残されたという少女は告げた。
「あなたにも、それを手伝っていただきたいのです。かつてたった一人で世界を征服しようとした魔王さま。……今なら邪魔な人類はいません。世界は、あなたの思うままです」
――ああ、そうか。そういうことか。
ここにきて、どうして俺が目覚めさせられたのかをようやく理解する。
人類のために造られた筈の少女が、何故人類の敵だった魔王を蘇らせたのか。
人間には到底生きられない過酷な世界。それを元に戻すために、この娘は外法に手を出したのだ。
「だから――どうか! どうかお願い申し上げます。過去に謳われし魔王さま」
遥か昔。たった一人で世界を支配しようとした、愚かで強大な魔王の物語に縋って。
たった一人生き残った人造人間は、眠った魔王を目覚めさせたのだ。
例え相手が世界を滅ぼそうとした巨悪でも。否、だからこそ。こんな化け物だらけの世界で戦うことができると信じて。
「今度こそ、世界を手にしませんか? 私と一緒に、この世界を再生してはくれませんでしょうか?」
「……ははっ」
思わず乾いた笑いが漏れる。
だってそうだろう。人類に阻まれ、敗れて。眠り付いた俺を起こしたのは、人類の置き土産ときた。
しかも、人類の歴史を守るのを手伝え?
これを笑わずにどうするというのか。
――どこまでも、立ちふさがるのは貴様らだ、人類。負けた俺に、お前らの尻拭いをしろというのか。
戦いに敗れ、目が覚めたのは遥か未来。
人類は消え失せ、残ったものは強大な自然と僅かな文明のみ。
世界を手にしろだと? そうしたところで、碌なものが残っていないではないか。
――だが、面白い。
どうせ、放っておけば世界は終わる。このまま寝ていても退屈なだけだ。
ならばこの世界、俺がもらってやればいい。
手に入れるために自分の手で直す、というのはおかしな話だが、その分好き勝手にさせて貰えばいいのだ。
人類の捨てた世界に、魔王が新たな文明を築く――いいね、痛快じゃないか!
誰にも縛られず、侵されない国をつくるのなら。
人類という敵がいない世界が最適だ。
不安気にこちらを見つめるルナへと、俺は嗤いを返す。
魔王らしく悪辣に、苛烈に。
「いいだろう、人造の娘よ。この空っぽの世界、今度こそ征服してやろう」
配下は細っこい娘一人と、よくわからない生物が少し。
相手は人類すら諦めた世界そのものと、崩壊した人類文明、その全土。
どうしようもなく途方もない、呆れた計画だ。
それでも、魔王に不可能はないのだ。
――これは、魔王による世界の征服劇だ。
くそったれな世界への、二度目の宣戦布告だ。
「この世界、ともに再生してやろうじゃないか」
「……はい、よろしくお願いいたします。魔王さま!」
人類の消えた、空っぽの世界で。
二人ぼっちの侵略劇が幕を開けた。