第39話 地下教会
意を決して教会内部へと入っていく。
元は立派な門扉があっただろう入口は真っ暗な大口を開けており、代わりにそこから幾本ものうねる幹が這い出している。
結果として二人分程度になった隙間を通り抜け、先ずは一歩足を踏み入れる。
苔むし蔦まみれの石壁に囲まれた大広間は伽藍堂で、置かれていた調度品は全て朽ちたか砕かれたか何も残ってはいない。
代わりに今は人の胴体程の太さもある木の根が、幹が、枝が――もうそれが木のどの部位なのか判断もつかないほどに至る所から生え、絡み合っていて碌な足の踏み場もない程に埋め尽くされていた。
「酷いな、これは……」
「内部もかなり侵食されているようですね。これでは何も残ってはいないでしょう」
先のランバによる説明では、この空間は来客用の広間と教えを記した各種調度品が飾られた美術館のようになっていたらしい。
それらの奥には樹神教の教会に必ずあるという神樹――神の挿し木とされる神体が安置された樹堂がある。
だが今は、中の壁含めて全て撃ち砕かれてしまっている。
樹堂も天井へと昇る木で埋まり、天蓋にある円状の採光窓から外へと溢れ出ているようだ。恐らく、あれが樹の根元部分なのだろう。
「ふむ、凡そ記録と呼べるものも軒並み破壊されていそうですな! さっさと降りることにしましょう」
「賛成! ヤマ、足元気をつけろよ」
「はいー!」
ランバの言う地下空間への入口を探して、奥へと進んでいく。だが――。
「んしょ……んしょ……」
「うへぇ……なんだこれ、高いな……」
木の根は複雑に盛り上がり、場所によっては俺の背丈よりも高く聳え立つ。背丈の小さなルナやヤマはよじ登るのも精いっぱいだ。
蛇で足場を出してはやるが、それでもこの劣悪な迷宮のような足場を掻い潜りながら進むのはとてつもなく面倒だ。
「あの狼がいればな……」
「クアさん、げんきですかねー」
「大丈夫だよ。少なくとも此処よりは安全だ。……ほら、ここに座ってろ」
ひとまず近くの木の根にヤマたちを乗せ、高く昇れるランバと俺が先行して入口を探していく。
一体何が起きればこんな惨状になるのか不明だが、上から眺めていてすぐに分かったことが一つ。
「どうやら流れがありますな」
「そうらしい。……広間の奥に向かって――いや、逆か?」
どちらにせよ、木々はうねりはしつつも綺麗に同じ向きへと伸びていた。
恐らくはこの大広間の中心部から放射状に木が溢れている。
となれば、そこに向かえばいいわけだ。
ルナたちと合流して改めて中心部へと向かう。
――その途中。弾けるような樹の音が響く。彼女が乗っていた樹が動き出したのだ。
それに合わせるように、幹を乗り越えようとしたルナが突如体勢を崩してしまった。
「わっ――!?」
咄嗟にルナを受け止める。
「すみません、ありがとうございます」
「気にするな」
木は僅かに動いただけで直ぐに止まったのだが、それから進む間に同じような音が聖堂の中に反響し続ける。
それが意味するのは、この木々の恐らくすべてがまだ動いているということだ。
「……急ぐぞ」
上の殻に囚われた魔物の骨を思い出し、全員に緊張が駆け巡る。
いつこの木々が一斉に動き出し、摺りつぶされてもおかしくない。
俺たちは今、巨大な生き物の顎の上にいるのと何も変わらないのだ。
木を無理矢理切り開くことも手段の一つと考えていたのだが、こうなると刺激するのも恐ろしい。
さっさと移動してしまうのが得策だろう。
そうして、直ぐに中心部へと辿り着く。
やはりというか、そこには地下深くへと続く大きな階段が存在しており、その縁は絡み合う木々に埋め尽くされている。
結果として、人がやっと通れるほどの隙間しか残っていなかった。
そして木々はやはり、僅かに蠢いているようだった。暗がりの奥から乾いた木の音が聞こえてくる。
「うわぁ……」
心底嫌そうな顔でロアが地下を覗き込む。
だが当然灯りはなく、闇が広がっているのみだ。
「明かりは魔王さま、私、ロアさんで担当しましょう。安心してください。どんな暗闇でも照らすライトがありますから」
「いや、暗いから入りたくないわけじゃねえよ……」
「さっさと入って終わらせよう。それが一番の対処法だ」
「ヤマもあかり持ちますー!」
「落とすなよー。はー、嫌だねぇ……」
蛇を浮かべて明かりを灯す。
先行して進ませると、想像よりは綺麗な石造りの階段が続いていた。……周囲の壁や天井は樹にまみれているが。
一つ息を吐いてから、俺は階下へと足を踏み出した。
***
長く暗い石の段を進んでいく。
先に蛇を進ませて視界を確保するが、見える景色は変わらない。
ただ唯一、蓄積した汚れなのか木々に黒く染まったモノが木の中に混じり始めている程度。
慎重に進んではいたが、結局そのまま何も起きることはなく地下空間へとたどり着いた。
「……臭うな」
地下は淀んだ空気が逃げ場を失くして溜まっているらしい。
薄れてはいるが嗅いだことのない奇妙な悪臭が漂っている。
「腐臭……いえ、正確にはその残り香でしょうな。ここは信徒たちの生活拠点でもありましたから」
教会の周囲に何も建造物がなかったのは、樹神教の信徒たちは地下空間に居住区を造っていたかららしい。
地下に住まい、地下で家畜や栽培を行い、特に信心深い教徒は二度と地上に出ることなく死んでいくという。
ここには数多くの信徒が眠っているのかもしれない。
「北側、つまりは前方に向かって礼拝堂への通路が伸び、周囲は居住区が広がっている筈ですな。さて、どうしますかな?」
「そりゃ礼拝堂一直線だろ! さっさと出ようぜこんなとこ」
「くちゃいです……」
鼻を抑えてヤマ・ロアコンビが手を挙げている。
彼らほどではないが、その意見には賛成だ。
そのまま真っすぐ進もうとするのだが……。
「駄目ですね、木で埋まってしまっています」
肝心の通路には殆ど隙間なく木が詰まっていた。
どうもここから各所に木が伸びていっているらしく、黒色の混じった気が特に多く見受けられた。
「これを切って進むのは難しそうだな……」
「できてもやりたくねえよ」
「原因がこの先にあるなら、無理矢理進むのもありだろう?」
「あるならな! その前に潰されるのはごめんだね」
まあロアの言う通り、通路は短くはない筈だ。その全てに木が詰まっているのだとしたら今の装備では心許ない。
燃やすことはできるかもしれないが……それは最終手段だ。
それに海に近いこの地下空間は湿度も異様なほどに高い。
湿りを帯びた生木を無理矢理、しかも地下で燃やすのはあまりにも危険だ。
「抜け道を探すか、壁の薄い場所を見つけて突破するかですな」
「……図面、せめて地図が必要ですね。どこかに残っていればいいんですが……期待はできませんから、自力で作成していきましょう」
「結局歩き回るってことかい!」
分かってはいるが嫌なものは嫌だとロアが叫ぶ。
「おい、あんまり叫ぶんじゃ……」
咄嗟に注意しようとした瞬間、粘着質な嫌な音が響く。
振り返ると、大きな粘体のようなモノがこちらへと這ってきていた。
ヤマよりも間違いなく大きいそれは、明らかに魔物であろう。
どうやら俺たちだけでなく、魔物たちもこの中に捕らわれているらしい。
「海に生息するウミウシの魔物でしょうか。地上にいるとは珍しいですね」
「おおー、ぶよぶよしてますねー」
「なあランバ、オレのせいか? これ」
「聴覚はない種ですから、たまたまかと」
「……さっさと倒して進むぞ」
やはり、のんびり探索とはいかないらしい。
こちらに気がついて寄生を上げる魔物へと、蛇を引き抜いて駆け出した。
***
それから地下居住区の探索を続け、この木の氾濫の原因を調べていく。
だがあるのは蠢く木とそれによって破壊された伽藍堂の教会内部。そして我々同様に捕らわれただろう魔物たちだけだった。
わかってはいたが地下空間は木による侵食が酷く、何か情報になるようなものは何も残ってはいなかった。
幸いルナが地図を作製してくれているのと、ランバの知識によって凡その構造は把握できてきている。
今は階段周辺の居住区探索を終え、礼拝堂への道の西に位置する通路を探索中だ。
図書館から引っ張り出した本を読んでいるランバ曰くこちら側は倉庫に使われていたらしく、潰れてはいたが上に繋がる階段も見つかった。上階にあった裏口からの搬入路として使われていたのだろう。
凡そ人が住むとは思えない僻地ではあるが、ここでも確かな人の営みがあったのだと理解する。
今は魔物と木の楽園になっているが……。
「ふぅ……これで一通り回りましたかな?」
「ああ、そうだな。そろそろ壁を破壊してみようか」
襲ってきた半魚半獣の魔物を倒し、一息ついたところでルナに告げる。
一通り調べても通路は見つからなかった。恐らく礼拝堂への通路は一つしかないか、あってもこちら側……南側には通じていないのだろう。
これ以上調べても仕方ないので、壁を破壊する方針に切り替えることにした。
「そうですね。3か所ほど怪しい場所がありましたので、奥から順にやっていきましょうか」
「よし、お前ら行くぞー!」
「ぞー!」
臭いにも慣れたのか元気な声を上げるロア・ヤマ。最初の怯えは何処へやら、すっかりこの雰囲気にも慣れ本来の調子を取り戻していた。
ちなみに、今回の探索で最も想定外だったのがヤマの活躍だ。
彼女は妖精の力を存分に使い、周囲を這う木を操って戦いに参加してくれていた。
距離をとり油断する魔物の真横から木を鞭のように操り叩き潰すなど、戦力として活躍している。
ロアの援護を受けたランバも前衛をはり、あの籠手で魔物を撃ち砕くなど、急造チームながら容易に探索が出来ている。
エリやイオ以外もしっかり戦力として数えられるのは頼もしい限りだ。
ルナが目星をつけた発破地点に向かい、壁にリヴラ製の爆薬を設置する。
木はヤマが浮かせて工具で切断する。幸い切った所で周囲の木々には変化がなく、安心して作業に入ることができた。
後はロアに周囲を保護してもらいつつ、俺が蛇で爆破する。
「爆ぜろ、蛇」
爆薬の周囲に忍ばせた蛇を起爆させ、壁を撃ち砕く。
脆い外壁を壊し、爆薬を誘爆――本命の壁通しを行う。
鈍い音と揺れが起こり、苔むした壁が崩れていく。
その先にあるのはまだ石の壁だ。
「思ったより厚いな……他の場所にするか?」
「いえー、もうすぐそこに木があるみたいです!」
「本当ですか? では、もう一度やってみましょうか」
木の位置を感知することで壁の厚さがわかるというのも面白い。ヤマの言葉なら確かだろう。
再び爆薬を設置して、もう一度起爆する。
今度は揺れと共に淀んでいた空気が僅かに動くのを感じる。
穴が開いたと確信できる手ごたえだったのだが、その喜びよりその場を支配したのは、突如響いた悲鳴であった。
「わー、なになにー!?」
やけに緩い悲鳴だったが、明らかに仲間ではない別の声。
咄嗟に身構える中、爆破した石壁の向こう、煙漂う視界から音の主が転がり出てくる。
それは――少女の顔をした生首であった。
そしてそれは、まるで生きているかの如く、口を動かし喋り始めた。
「一体何なのー? ……あれ、これ、わたし助かっちゃった?」
やったーと呑気な声が足元から聞こえてくる。
……どうやら害はないらしいが、その光景は異様だ。
炎のように鮮やかな赤色をした髪。
その中から見える目は仄かな明かりを反射して煌めいて、小さく端正であろう顔が見てとてる。
だが、そこに繋がる胴体はなく、見ての通りの生首だ。
それが喋っているとは一体――。
呆然と固まる俺たちを他所に、慌てた様子でルナが飛び出してきた。
生首に駆け寄り持ち上げると、やはりというように声を上げる。
「やっぱり……カルメではないですか!」
「あー、ルナじゃない! 久しぶりー」
驚きと呑気な声が、地下に響き渡る。
……どうやら、また変な存在が合流したらしいことだけは、理解できた。