第37話 旅立ち
新たな地方へと渡るために船を見つけてから、約三か月が経過した。
俺が目覚めてからは約五か月程。気がつけば随分長いことこの時代で過ごしているものである。
リヴラの技術をもってしても、船の建造にはそれ程の時間がかかるということだ。
この間に何をしていたかというと、まずは当然ではあるがチビルナたちを連れてあの港に造船設備を建造していた。
といっても俺の仕事は移動時の護衛と時折海から現れる魔獣の討伐役だが。
後は超長期遠征になるために資材の確保や装備の用意。ロアやランバは各自の研究に専念しているようだった。
ルナやチビルナたちの努力のおかげで、目的の船が無事に完成したそうだ。
今日はそのお披露目の日であり、全員で南東端にある隠れ港までやってきていた。
岩の隙間に隠された階段を下りて行った先。弾むように駆け寄ったルナがこちらを振り向き、歓迎するように両腕を広げる。
「資源輸送用の大型船――リヴラ号です!」
俺たちの目の前に現れたのは、大海に浮かんだ巨大な船体であった。
***
ルナの……いや、最早俺たちの目的となった人類による魔力掘削施設「マナホール」の停止。
そのためには大陸中を渡る必要がある。
だが、世界は植木屋たちにより滅茶苦茶な状態で再生され、うろつく魔獣は全てが災害レベル。安全に長距離を移動する手段が必要で、そのために見つけたのがその船であった。
人類史の最新技術で建造されたこの船は、大陸の反対側に渡るのに十分な動力を持ち、何より大容量の倉庫を持つ。
それはつまり、リヴラから大量の資材を持ち込めるということを意味する。
この先にあるのは間違いなく未開の地。向こうでもリヴラと同等な設備を設置できれば、より楽に探索を行うことができる。
偶然とはいえ良い船を見つけられたものである。
この船を見つけてから、俺たち探索組は船に積み込む資材を集め、ルナたちはこれからの計画に関しての調査と相談を進めていた。
「旅に出る間、このリヴラをどうしていくのか。それを決めなければなりません」
たった一隻の船で他の地域へと移動するということは、そう簡単にはリヴラには戻ってこられないということを意味する。
何せこれから向かう先がどんな土地になっているかも分からないのだ。下手したら年単位で時間がかかる場合だってある。
その間、リヴラの守りをどうするかを考えなければならなかった。
リヴラ周辺の探索は終えているが、この時代はいつ環境が激変してもおかしくはない。そんな場所にチビルナたちだけを残して全員が移動するわけにもいかない。
そんな時に、クアが俺たちから離れて座るという意思表示を見せた。未だに会話ができるわけではないが、その意図はよく理解できた。
彼はここに残るというのだろう。
元々彼はこの地域に暮らしており、まだ幼く犬ジカたちとも仲の良いマンダもいる。
そしてなにより、彼の同族たちがこの五ケ月の間にリヴラに集まってくれていた。
この一帯を支配する魔獣の一族は戦力としては申し分ない。むしろ我々の目的にクアたちをつき合わせる訳にはいかないと、彼らを残すことに決めた。
魔獣たちならクアが居れば対処できるし、チビルナたちの装備も充実したことでリヴラを守るだけなら何とかなるだろうという結論になった。
犬ジカたちもやる気満々だった。君たちは程々にね……。
これでリヴラの守りについては解決した。そうと決まれば、後は準備を進めていくだけだった。
「船の準備ができるまで、皆さんにはこの先の人類史についてご説明します」
資源集めや船建造の合間に、俺たちはルナ先生から目的地についての講義を受けた。
――大陸南西部。
かつては豊かで広大な草原地帯が広がり、剣を極めんとする騎士たちが覇を競った武の大地。
そして、それ故に魔法には疎い時代に遅れた地でもあった。
魔獣災害よりも前の時代。他地方で力を増していた大国に対抗するために、それらの国々は力を合わせ一つの組織としてまとまった。
『独立騎士国家連邦』。それが俺の時代の大陸南西部を支配していた者たちの名前であった。
「勇者様たちの時代に移り変わっても、この国は実はあまり大きく変わってはいませんでした。ただ、騎士ではなく商人による統治に変わりました」
企業と呼ばれる組織化された商家による国家の運営。
商業都市と呼ばれる街は俺の時代にもあった。その規模が拡大されたものだろう。
「私たち勇者がもたらした技術で、この世界は発展しました。その中でも一番その技術を利用していたのがこの国々」
ルナの言葉にエリも頷いて肯定を示す。
騎士の時代は終わりを告げ、誰よりもどん欲に技術を、知恵を結集して成長した地域。
元々別の国が集合して競い合っていた性質がこれに拍車をかけ、彼らは他地域の追随を許さない程の発展を見せたという。
「ですがそれ以上に、この地域は資源の酷使が大きかったのですよ」
ランバが最後の言葉を引き継いだ。
「文明末期。この地域は最も過剰に魔力を吸い上げ、結果大部分が砂漠化したと聞いています。この世界の現状に繋がる要因を引き起こした元凶といっても……まあ過言ではありますまい」
「元凶の土地、ねえ……」
まったくもって行く気の失せる言葉である。
「だがその土地ももう再生されているのだろう?」
「はい。恐らくは……。ですので、魔王さまのいた時代の姿――広大な草原地帯になっているのではと思っています」
「数多の魔獣がひしめく、生存競争が激しく行われる野生の土地でしょう。相当な激戦が予想されますな」
ランバの言葉を受けルナが大きく頷く。
「野営の番をしてくれていたクアさんが残る以上、安全に移動する手段や休息する拠点が必要になります」
このリヴラがある南西部は良くも悪くも深すぎる森が視界を妨げていたが、これから行く土地はそうではない。
どこまでも続く、なだらかな草原地帯。そしてそこを闊歩する数多の魔獣たち。
間違いなく凶悪な魔獣たちとの戦いが待ち受けていることになる。
ならば最大限の準備をしなければならない。
認識を共有した俺たちは、再度準備を進めていくのであった。
***
そして今日。全ての準備を終えることができた。
それぞれの荷物をバックパックに纏めて、俺たちは港へとやってきた。
狭い隙間道を下っていった先の隠れ港は、三ヶ月前に見た者とは全く異なる様相を呈していた。
地面も壁も白い石材で塗り固められ、チビルナたちによって建設された造船用の設備がひしめき合う様に並べられている。
休憩用なのか奥には小屋も建てられており、そこから出てきたチビルナたちが数多の巨大な金属塊――用途不明の設備の隙間を縫って慌ただしく行き来している。
海に向かって長い桟橋が増設されており、そこには俺たちが乗り込む船が鎮座していた。
海面に浮かぶ巨大な船体。城壁の様に分厚く巨大な甲板は白と黒の二色で、俺の時代にあったような帆は見あたらない。
船橋は船尾部分にあり、そこから先頭に向かって資材を積む船倉が続いている。
今は最後の積み込みを行っているらしく、鉱山でみたクレーン――船を覆う門の様な吊り上げ装置で資材の入った箱を吊り上げて船に乗せているようだ。
「積み込みも間もなく終わります。皆さん、乗り込んでください」
既にクアたちとの別れは済ませた。
イオに関しては犬ジカと抱き合い、いつまで経っても離れないので、エリとクアがそれぞれ引きはがして無理やり連れてきたのだが。
この造船設備にいるチビルナたちは、向こうでの環境構築のために連れていくことになっているから、最後に港の入口を封鎖すれば作業は終わる。
「では、これからの行程をご説明しますね」
居住施設を積み込んだ船橋へと入り、ルナお手製の作戦室へと皆で集まった。
壁に貼り付けられた地図にはこれからの航路が描かれており、現在地である大陸南東の端から下側を周って、大陸南西部へと入るルートが示されている。
「航路は大陸南を回るルートです」
「と言っても、海路じゃこれしかないんだけどねー」
大陸南側の海岸線は中心部から緩やかに広がる三角形状の構造をしており、その頂点から北へと伸びる山脈を境に大陸の東西が分かれている。
目的地は、その三角の北の頂点。そこなら港としても機能できる陸地があるだろうという考えだ。そこに南西部への橋頭堡となる仮拠点を設置する。
直接南西部に乗りつけることも考えたが、魔獣だらけな上に竜種までいると思われる場所に直に向かうのは流石に危険だろうと、その手前に基地を作ることにしたのだ。
「行程は10日ほど。現在の大陸の様子を観測しながらになりますので、ゆっくりと進んでいければと」
「その間、船の仕事はみんなで分担よ。監視に食事、掃除に魔物退治とやることはいっぱいあるからね」
「はい! 頑張りますー!」
「……ヤマちゃんは、ご飯の用意とかお願いね?」
こうして、長い船旅が始まった。
***
とはいえ、流石にこの世界でも船旅では大きな異変もなく。たまに現れる魔物を退治するか追い払う程度でのんびりとした行程が続いていた。
その間、ルナやランバは引き続き蒐集した人類史の集積を。ロアは引き籠って自身の研究を続け、エリや俺はそれぞれ暇をつぶしつつ、魔物が現れたら対処という生活を続けていた。
今までと大して変わらない生活ではあるが、場所が海の上の閉鎖環境だ。何か問題でも出るかと思ったが、元々皆でとる食事以外に集まることもない。
良くも悪くも長く生きていた分、皆自由で自分勝手なのだろう。
ちなみに俺の暇つぶしは、珈琲をどうやって美味く淹れるかの研究だ。これが中々奥深い。
残念ながら誰も飲んでくれないのが悲しいが……。
そんなこんなで七日目に入った今は、大陸南端部の外縁をゆっくりと回り、エリと出会ったピアパライカがある山の西側まで来ている。
ここを過ぎれば、例の三角地帯へと入り、目的の場所が見えてくるはずだ。
「そろそろか……」
与えられた自室を出て、艦橋を上へと進んでいく。
このリヴラ号は設備の大半を倉庫と研究室に費やしているため、皆の個室や共有設備は船体後方に複数階層に跨いで存在している。
研究設備を扱うロアとランバが最下層。その上にエリとイオ、ヤマたち女性組の居室があり、俺は談話室や作戦室などが詰め込まれた上層の一室を割り当てられている。
魔獣の相手をするのが役目だからというのが主な理由だが、移動が楽な分談話室のにぎやかな声が直に聞こえてくる。
今もエリとヤマ・ウミが、見つけてきたゲームとやらで遊んでいる。
どうもエリはピアパライカに引き籠っていた間はゲームで暇をつぶしていたらしい。
寝るか遊ぶか……長い時間を生きていた割に子供らしさが抜けていないのは、あまり他者と関わらなかったからなのかもしれない。
騒がしい談話室の横を抜け、目的の最上層へと進んでいく。
船橋を上がり、最上階にある監視室へと向かう。
「どうだ、見えたか?」
「お、魔王様じゃん」
一周全て硝子張りになったここはイオ専用の監視室となっている。
部屋の中心に回転式の銃座が設置されており、それを用いて周囲を見張りと観測をしながら魔獣などの危機を事前に察知するのが彼女の仕事だ。
普段は製図・記録役のチビルナも一緒にいるのだが、今は休憩中らしい。
いつもの銃から目を離すことなく、イオは退屈そうに右手を振る。
「まだ何も見えてないよー。魔物ならそこそこいるけど、近寄っては来てないね」
「散々倒したからな。流石に覚えただろう。ひっきりなしに来られても困る」
「そりゃそうね。……ルナのお使い?」
「いや、そろそろ目的地が見えるだろうと思ってな」
差し入れに食堂から持ってきた甘味を渡す。
見た事はなかったが、普段は鉱石ではなくお菓子を好んで食べるのだという。こいつらの生態は相変わらずよくわからない。
「ありがと。そうねー。そろそろ見える筈だけど……あ、そうだ」
ふと思い出したようにイオが呟く。
「ねえ魔王様。これから行くとこってどんな国だったの?」
「連邦か? 俺のいた時代と今は大分違うと思うが……」
「いいのいいの。気になってるだけだし、それに多分魔王様の時代に再生されてるんでしょ?」
「自然だけな……まあいい。そうだな。当時の一般常識くらいなら、話せると思うが」
「ホント? よろしくー!」
何せ学んだのも昔のことだ。思い出しながら、ゆっくりと話をしていく。
独立騎士国家連邦――通称連邦は、騎士たちの国だった。
アルトで妖精と人間が出会った頃、南西部では獣人と人間が交わった。
当時は広大な草原地帯の殆どは魔獣の支配域であった。彼らは協力して魔獣を打倒し、国を作り上げたという。
その時の象徴となったのが、騎馬を駆り剣を帯びた勇士たち。それが、後の騎士となった。
「それ故に、多くの騎士が生まれ、争い、戦乱が続いたという。それを一人の名君が統一して作られたのが連邦だ」
「ふんふん、ルナたちの言った通り、ホントに戦ってばかりのとこだったんだ」
「ああ。ただ、身内だけで争っていたわけではない。あそこは魔物に竜に妖精の居住地も近くにあってな。外敵も沢山いたんだ」
国として安定するには絶対的な武力が必要だった。
それが騎士たちが生まれ、連邦として結束していった最大の理由だろう。
「竜ね……ホントにいるのかな」
「魔獣も復活してるんだ。いても不思議じゃないさ」
実際低級の獣竜ならラムニス鉱業地帯にたくさん居た。それ以上の竜たちも何処かで生まれているのだろう。
移動手段として探していた竜だが、敵としては絶対に対峙したくはない。
「でも竜相手に生き残ってたって、騎士って強かったのね」
「ああ、化け物揃いだったと聞く。中にはその竜を一人で倒せる奴もいたらしい。……それに、どちらかといえば竜とは友好的な関係を結んでいたそうだ」
伝説的な騎士の逸話に、最上位の霊竜を打倒し、騎乗することを許された男の話がある。
それこそ低級の獣竜なら乗る騎士を見たこともある。
竜は畏怖の象徴でありながら、騎士にとっては憧れの存在でもあったのだろう。
「どちらかといえば、妖精の方が恐れられていただろうな」
「そうなんだ? 竜より話、通じそうだけど」
まあ、ウミとヤマしか知らない彼女はそう思うだろう。
「そうでもない。むしろ連邦は、騎士は、妖精にとって憎悪の対象だった」
「へえ? そりゃまたどうして」
「それは――」
妖精、人間、獣人。人型と括られるこの三種族は、妖精と残り二種族――人類の二つに分けられることが多い。
それは妖精と人類が生態系の違いから争うことが多く、歴史上何度か、決定的な分裂があった事に起因する。
そのうち一つは、俺の知らない人類史末期に起きた源素の吸い上げによる環境破壊だろう。住処を奪われた妖精は人類に徹底抗戦をしたという。
そしてもう一つは、俺が生まれる前の時代。
妖精と人類が敵対する切っ掛けとなった事件が起きたのだ。
それは――。
「連邦のうちの一国が、妖精狩りを行ったからだ」
「あー……前に言っていたのはそれね……」
人類による、自己利益のための妖精誘拐事案の発覚。それが、妖精たちの怒りを買った。
「その国は連邦から直ぐに除外された筈だが、そんなことで怒りが収まる筈はない。……俺の時代まで、長いこと争っていたと聞くよ」
「そりゃそうだ」
だからこそ、そんな妖精とも手を取り合えた魔獣災害は人類にとって歓迎された厄災であった。
そしてそのせいで俺が創られたのだから、ある意味で連邦が魔王厄災の元凶とも言えるかもしれない。
「竜も妖精もどれだけ再生されてるかわからんが、連邦のあった南西部はそういう場所だ」
少なくとも、俺のいた時代では、だけれど。
「なるほどねー。こりゃ大変そうだ」
「いや、だから俺のいた時代の話だ。今はどうなってるか知らんぞ?」
案外竜も別の所に住処を移しているかもしれないしな。……できればそうであることを祈りたい。
だがスコープを覗いたままのイオは笑いを返す。
「でも、魔獣はたくさんいたんでしょ? 魔王様の時代に戻ってるなら、きっと魔獣だらけだよ」
「……せめて、大人しいやつらで頼む」
「ははっ! それらは同感。……お、見えてきた。目的地、あれじゃない?」
そう言ってイオが指さした先。船が大きく右へと旋回をしたことで、長らく視界を塞いでいた岩肌が途切れ始めた。
地図によればその先は大陸を割って北へと延びる山脈の根元部分――正確にはその手前に存在するらしい、左右に開いた低地が僅かにあるはずだった。
だが――。
「……何、あれ?」
囁くようなイオの声が聞こえる。
それは困惑と驚愕を孕んだ声色で、いつも飄々とした彼女からそんな言葉を聞くのは初めてのことであった。
彼女に遅れること数十秒。俺にも景色が見えてきたのだが……。
「あれは、何だ?」
その景色は、異様の一言であった。
まず、あるはずの低地は削れ、抉れ、侵食された凹凸だらけの不自然な形に変化していた。
波の浸食でもああはならない。何かに意図的に虫食いにされたような、そんな地形だ。
そして何よりおかしいのは、その陸と海の混ざり合った地形の中心に鎮座する、茶の殻に包まれた巨大な建造物。
「建物……いや、樹か?」
始めは壁かと思ったのだが、よく見ればそれらは奇妙に蠢いている。
全てがその茶の殻ではなく、土台部分は灰色の――石造りの建物のように見える。だがその半ばから上は弧を描く樹の幹や枝が複雑に絡み合い閉じている。
その光景を例えるなら、獣の鋭い乱杭歯、否、食虫植物の様な――。
「樹って、魔王様本気? あんなもの……って、嘘!?」
言葉の途中で悲鳴を上げたイオが立ち上がる。
その叫びに咄嗟に例の構造物へと振り向くと、閉じていた樹の殻がゆっくりと開き、触手のように揺れ動くのが見えた。
「動くのか……?」
疑問を呟いた、その、直後。
爆発的に伸びてきたその樹の触手たちがこちらへと伸びてくるのが見え――轟音と共に船体を激しい揺れが襲った。