第29話 託されたもの
かつて、この世界で俺は最強の存在であった。
何せ、世界を震撼させた魔王様だ。
本意ではなかったが、多くの命を犠牲にして作られた禁術を身に宿し、単体でも世界と戦えていた。
勇者が来たことで俺は最強ではなくなったが、それでもこの力はそこらの存在には引けを取らない――はずだった。
『――――』
甲高い音が鳴る。
それが聞こえるとほぼ同時に、蛇を解き放つ。
蛇は自らの尾に食らいつき円環となり、吸い込んでいた魔力で強固な結界の壁を編み出した。
直後、飛んできた閃光を壁が弾く。
その間隙を縫ってクアに跨ったイオが銃撃をたたきこむが、黒い巨人に動きはない。
僅かに表皮が揺らぐ程度……そう、やつの身体は強固な流体の様なものが流動しているのだ。
だから切り裂こうがすぐに守られてしまう。あれでは、核を露出させることは難しい。
そして何より、速い。
位置を把握するだけで精いっぱい。俺の蛇では攻撃なんて一切届かない。
俺たちを明確に敵と認識したのか、最初のような停滞は全くない。
イオの銃撃はダメージにならず、既にエリの攻撃にさえ対処しつつある。
このままでは、まずい。
せめて動きを止められればいいのだが……。
「……私が!!」
放たれた光を切り裂き、エリが再び飛び込んだ。
眩い輝きを帯びた腕を振りぬき、全力の一撃が放たれる。
『――――!!』
だがそれは、渦巻く黒をまとった巨人の腕に止められた。
これまではわずかであったが切り裂けていたはずの一撃を、軽々と。
高鳴る音が響き渡る。
いつもより長く聞こえる其れは、空間を跳ね回って重くなり、周囲を振るわす重低音に変わる。
明らかに今までとは違うその音は、巨人の右腕に生えた極太の光の剣となって正体を現した。
『――――』
巨人が、エリを見る。
それは何度か見せていた、明確な『敵』に対する破壊の意思表示。
「避けろ、エリ!!」
蛇を放つが、遅すぎる。
それよりも圧倒的な速さで、巨人の姿が掻き消えて――。
エリへと光が押し寄せる。
その刹那。
乾いた柏手の音が鳴り響いた。
瞬くよりも速くに振り下ろされた巨人の一撃。
だがそれは、ほぼ同時にエリの眼前に現れた分厚い壁に阻まれて、弾かれた。
「なっ……!?」
驚いた直後、俺の放った蛇も見えない壁に激突して停止する。
エリだけではなく、俺たちの前にも防護壁がつくられていたらしい。
「お前たちよく耐えた! 喜べ! 反撃の時間だ!」
それとともに、俺の身体を七色の光が包み込む。
戦い始めの時と同じ、異様なほどに強力な強化魔法だ。
若い少年の声が聞こえてくる。
振り返れば、室内に逃げ込んでいたはずの師匠が立っていた。
分厚いローブは脱ぎ捨てられ、胸に飾られた三つの珠が色とりどりに輝きを放つ。
「お仲間がやったぞ! あいつを倒す方法が分かった!」
「! 本当に……?」
「流石、俺たちのリーダー……で、どうすればいい?」
巨人は師匠の放った壁に斬撃を繰り返す。
かなり分厚く作ったらしく、しばらくは持ちそうだ。
「時間を稼げ! あとはこれが一番重要……とにかく魔力を使え! ここに満ちた源素、それがあいつの動力源だ!」
「……なるほど、それが無敵の絡繰りか」
源素は知らんが、魔力を使うなら俺の得意分野だ。
「だがダメだ。全力を出せばここが壊れる」
「そこはオレに任せなさい!」
師匠が右手を高らかに上げ、指を強く打ち鳴らす。
その音はこの地下空間内に反響し……否、まるで意思を持っているかのように壁に跳ね返っては飛び回っている。
それを幾度か繰り返したのち、彼はもう一度強く、柏手を鳴らす。
――瞬間、周囲の壁すべてに紫の光が奔る。
「さあ、響け! そして固まれ! 源素たちよ」
その咆哮とともに、胸の珠が一際強く瞬く。
言葉に励起されたかの如く、周囲の壁から紫の『壁』が現れた。
壁だけではない。
俺たちが立っていた地面からもそれは隆起し、俺たちは膝をつく。
倒れた手が生えた地面に触れる。
とてつもなく固く、そして冷たい。
「これは、金属か!?」
「そのとーり! オレ様特製の金属魔法だ! これで好きなだけ魔法をぶっ放せ! 壊れたところはすぐに直してやる!」
「は? ……金属魔法だと!?」
それは、理論上不可能と言われた魔法体系だ。
人類の魔法では木のような生命は作れない。金属のように重いものも作れない。
前者は意志ある自然『精霊』の御業。後者は伝説上の魔獣に使い手がいた記録があるだけだ。
人間には到底たどり着けない神秘の領域。それが金属魔法のはずだ。
だが、目の前の師匠は、年齢不詳ではあるが人類だ。それは間違いない。
「お前……何者だ?」
「あん? そういや、名乗ってなかったか」
頭を掻きながら、何でもないかのようにその男は嗤った。
そして、吼える。
「俺は循環に逆らう者! 世界で最初に、魔法で金属を生み出した男! 人呼んで錬金術師! ロア様だ!」
輝く魔導書を開き、男は指を鳴らす。
音は空間を飛び跳ねて、巨人の肩へとぶつかる。
その刹那、巨人の肩から金属の花が咲きあがる。
それは身体から剥がれ落ち、すぐに空隙は埋まってしまう。
だが、攻撃は届いた。それだけで十分だ。
「……特異主、ここにいたのか……!!」
「さあお前ら! ありったけ魔力を使え! 全員でこいつをぶっ倒すぞ!」
咆哮とともに強化魔法がふりまかれる。
全力で――ならばいくらでも。
ありったけの蛇を解き放ち、魔法陣を作り上げる。
その全てから全力の魔法を巨人へと解き放った。
***
マナホール管理装置が起動した瞬間。
私の視界にありもしない光景が浮かび上がった。
真っ白な部屋。
私は液体の中に浮かんでいる。
これは、私が生まれる時の記憶?
そうだ。長い時間を、私はここで過ごしていた。
多くの人が通り過ぎ、私に何かを語りかけた。
でも、そのほとんどは理解できなかった。
私の意識は希薄で、彼らの言葉はぼやけた音の輪郭しかわからなかったのだ。
だけどその日。
あの人の声だけは、はっきりと聞こえた。
ぼやけた視界の中、目の前に誰かがいる。
真っ白な白衣をまとった女性。
優しそうな笑みで私を見ている。
『ルナ。私のかわいいルナ』
ガラスに白い手が触れる。
でも私の手は動かない。この中でずっと生きてきたから。
『ごめんね。あなたに綺麗な世界を見せてあげたかった……でも結局、あなたに全てを託すことになってしまった』
ゆっくりと手がガラスをなぞる。
私の頬に触れるように。
『せめてもの償いに、あなたにコードを託します。それを使えば、世界を元に戻すことができるはず』
液体の中に光が浮かぶ。
四角いその光の中にいくつもの文字列が並ぶ。
私の中に、何かが流れ込んでくる。これが、コード?
『その時が来るまで、このコードは封印しておきます。これはきっと、あなたの活動の邪魔になる』
光が消えていく。
それと同時に、私の意識も薄れてしまう。
彼女の言う、封印の代償だろうか。
……もっと、あの人を見たい。声を聞きたい。
だって、この人は――。
『この世界を頼みましたよ、ルナ。願わくは、あなたが本当の世界を見られますことを』
私の、おかあ、さん――。
***
それが、ルナが見た記憶。
自分が知らない自身の記録。
はじめは困惑したけれど、今この時は感謝しかない。
だって、彼女のくれたコードこそが、この装置を稼働させた鍵なのだから。
今思えば、扉が勝手に開いたのもこれが理由なのだろう。
世界を戻す鍵だと、彼女は言った。
そして師匠が告げた循環の不具合。その二つを繋げれば、私がやることは明確だった。
「必ず直してみせます。この装置を、いえ、世界を――」
やり方は、私の記憶が教えてくれる。
というよりも、きっと彼女がやるつもりだったのだろう。
この装置には、元から『正しい循環』を行う機能が備わっている。
私はそれを起こしてあげればいいだけだ。
「……とんでもなく複雑ですね、これは……」
ただ、それだけがとても難しい。
人類最高峰の技術であるこの機構には、大量の魔導式が使われている。
それを細かく書き換えていくことは、単純だけれどとてつもなく難しい。
時間はなく、ミスは許されない。
でも、やり遂げて見せる。
「それが、私の使命ですから……!!」
さらに魔法陣を複数展開する。
一つを見ているだけでは時間が足りない。
自分の限界を超え、ルナは目的のために一人きりの戦いを続ける。
***
そんな彼女を、外で戦う仲間たちを見て、立ちつくす影が二つ。
「みんな、すごいですねー」
「……」
ヤマとウミ。かつて存在した妖精と呼ばれた種族の幼体といえる二人。
身体も小さく、生まれたばかりの彼女たちにできることは殆どない。
ならば何故ついてきたのかと思えば、ただの好奇心だ。
お互いと、師匠しか他者を知らなかった二人にとって、突然現れたルナたちはとても楽しい存在だった。
知らない外の世界を教えてくれる。
ルナは自身の知らなかったこの場所のことを教えてくれた。かつてここにたくさんの人がいて、毎日楽しく暮らしていたと。
イオはたくさん面白い話をしてくれた。空を飛ぶ鳥や竜、草原を走る動物たちを二人で見ようと、誓ったばかりだ。
エリには色んな遊びを教えてもらった。高い高いと空中に放り出されるだけでこんなに楽しいとは知らなかった!
そして魔王は、自分たちが何者なのかを示してくれた。そして、結局はそんなことを気にする必要がないことも。
だから、ヤマは願った。ずっとこのままみんなと楽しく過ごしたいと。
だから、ウミは決めた。細かいことなど考えずに、この子の隣にいようと。
「わたし、みんなといるとたのしいです! ウミちゃんも、たのしいよね?」
「……うん」
でも今、その皆が危機の中にある。
それを何とかするために戦っている。
何もできていないのは、自分たちだけなのだ。
「だから、わたしはみんなのために戦いたいです!」
「……うん、あたしも」
互いの手を、強く握る。
ずっと二人だったけれど、これからはもう、違うのだ。
「……覚えてる? ルナさんが教えてくれた、本当の妖精の力」
「もちろんです! わたしが木、そしてうみちゃんが水……」
「うん、どっちも、ここにはたっぷりある」
最初はわからなかったけれど、今ならわかる。
自分の体に宿った力。そして周囲に満ちた自然の力。
それらがひと繋ぎになっていて、自分の手足のように動かせるということを。
「まずは、わたしからですねー」
「最後はあたし」
握った手を離し、両の手のひらを重ねあう。
眼を閉じて、額も触れ合わせる。
互いに流れる力だけを、感じ取れるように。
そうして、二人の意識は自然へと溶けていく。
「「ふたりなら、きっとできる」」
その言葉とともに。
あたたかな光が地下空間内を奔っていった。